ひとりぐらし

ミステリとか、SFとか

未来人だって、人間だもの。

2012年07月07日 20時18分34秒 | SF
『人形都市(川又千秋)』読了。「徹底した未来都市や未来人の意識の細密画は、その中にひそむドラマを、おのずから悲劇へとむかわせるようだ。」と、解説の筒井康隆。まさにその通りで、読み始めた時点で破滅の予感が読者の首筋をそっとなでるような、そんな悪夢的イメージに満ちた短編集だった。

『夢のカメラ』・・・現実からの逃避が、夢を現実へと引き寄せる。眠りと死は兄弟である。主人公は眠りに落ちているのか、それとも死んでしまったのか。それは目が覚めてみないとわからないことだ。

『人形の町』・・・ある種の弱さから生まれた狂気的な、しかしどこか憧れを抱いてしまう「町」にすむ「ロボットたち」。恋人が墜死した理由を追い、「町」に辿りついた女は何を思ったのか。ヒトとヒトは傷つけあいながら、それでもハリネズミのように適度な距離を見つけてゆく。それが出来なかった者はこの「町」の次の主となるのだろうか。

『跳躍』・・・なんのために生きるのか、どのように死ぬのか、男は地を蹴り、月の空へと跳びあがる。個人的には、この作品の次に収録されている『死は不死』の姉妹編のような印象。これは「生」の物語。

『死は不死』・・・サイボーグ手術によって不死身の肉体を得た男が「生かされ続ける」物語。生物にとっての不死は、死と同義である。穏やかで緩やかな閉じた時間の中にただ「ある」のみの生は、死とどれほどの差異があるというのだろう。不死は永遠の生ではない、少なくともぼくは認めない。『跳躍』とは対極にある、「死」の物語。

『人形都市』・・・表題作。次々に壊れていく機械仕掛けの人形たちの街。ただ一人残された人間は「アダム」となる。時は経ち、長年の冷凍睡眠から目覚めたある男は、「アダム」が生み出した「人類」を目の当たりにした。他人を愛するということを、歪んで解釈した狂気が胸糞悪い。大の男がおままごとをしているような不気味さを感じた。人間は一人では生きていけないのかもしれない。

『種の起源』・・・理不尽としか言いようのない世界で生き続ける二人の男と一匹のタヌキ(?)。世界は誰にも優しくないし、始めはみんな不平等だ。それでも人間は生きるしかないし、死ぬしかない。それを改めて思い知らされた。