もう20年ぐらい前。
子育て真っ最中だったときに国連子どもの権利条約の存在を知りました。
子どもの人権に関する国際条約です。
分かりやすく解説した冊子購入したり、学習会に参加したりして、2人の子どもを育てる上で役立てようとしたものです。
大人は「人権を守ろう!」というけれど、なかなか「子どもの人権」に対しては無神経です。
どうしても、子どもは未熟で大人の管理下に置いて、守らないと……という意識が働くからですね。
たしかに、子どもは弱くて守り育てる存在であるけれど、心や気持ちは1人の人間として大事に慮るべき存在です。
てなことを、20年ぐらい心の隅に置いて暮らしてきたつもりでしたが。
先日、その国連子どもの権利条約第31条に関するジェネラルコメントを学ぶ交流会に参加する機会がありました。
第31条とは
●すべての子どもには、休む権利、レジャーの権利、遊ぶ権利があり、年齢に応じレクリエーションを楽しみ、文化的、芸術活動に自由に参加する権利がある。
●条約締約国は子どものこれらの権利を尊重し、どの子どもも文化的、芸術的活動やレクリエーション活動、レジャー活動に参加できるように環境を整えなければならない。
な~んか、あたりまえのことが書いてあるように思うでしょ?
でもね、この第31条は「忘れられた条文」と言われているのです。
子どもの権利条約の締約国は5年ごとに報告書を国連に提出しますが、第31条に関する報告があまりにも少ない。
戦争している国や、経済破綻にある国や、災害にあった国が多くて、まず、子どもの命を守ることに精一杯という深刻な状況で、遊びやレクリエーションは後回しにされてしまいますからね。
そして報告書を作ろうにも、関係者が何をどうすればいいのかがわかりにくいということもあるそうです。
そこで、 ジェネラルコメント条文や条項の解説書が作られました。これはIPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)などの調査研究やロビー活動によって国連に働きかけ、230人の専門家と400人の子どもにヒアリングを行って2008年から2013年にかけての5年の歳月をかけて作成されたもの。
2013年4月に発表されました。
最大の特徴は
「遊びとは何か」について、似て非なるものが席巻しがちな環境も含めて解説されていること
「第31条の阻害要因とは何か」について現実の事例を挙げて具体的な解説がなされていること
第31条を推進するための取り組みが具体的に解説されていること です。
子どもが遊ぶ権利について、危機感を持って、真剣に考えている人たちが、世界的に動いているということがすっごくよくわかると思います。
そしてそのジェネラルコメントの日本語訳が、平野裕二氏のサイト子どもの権利委員会・一般的意見17号:休息、余暇、遊び、レクリエーション活動、文化的生活および芸術に対する子どもの権利(第31条)前編で読めます。
が、細かい文字でむつかしい言い回しで解説されているので、目が泳ぎます。
でもでも、よくよく読むと、子どもの心の育ちについて重要なことが書かれているのもわかります。
遊びとは、子どもが自分で考え、自分がするもの。
それは、いつでもどこでもできること。 遊びたいから遊ぶ。
楽しくて、でもどうなるかわからなくて、いどむ気持ちとできなくてもいいや~って気持ちを感じるもの。
何かが成果として残るものでも無いもの。
なくてはならないとは思われないことが多いけれど、子ども時代の喜びの大部分を占めるもの。
そして、子どもの体の成長と、心の成長には欠かせないもの。
友だちと遊ぶことで、一緒に遊ぶのが楽しい。
いろんな人と遊ぶことで、思いやることができるように。
ルールを作ったり。何が安全で、何が危険か自分で判断できるように。
自然の中で、多くの生き物と触れあうことで、自然環境や地球全体を大事に思う気持ちが育つ。
文化芸術に触れることで、何のために生まれて、何をして生きるのか、自分と社会の関係を考えられるようになる。
国連の人たち、ホントいいこと言ってくれてるよねぇ。
だから、大人はどうすればいいの?
遊びは世界中で、価値がなく、取るに足らない、何も生み出さない「赤字」の時間ととらえられている。
親や行政機関は、遊びを、騒がしく混乱を引き起こし、邪魔になると考える。そして、勉強や仕事を一番に思ってる。
だから、大人は子どもと一緒に遊ぼうとか、遊んで子どもと仲良くなる遊び方をしらないし、自信もない。
空想遊びやごっこ遊びよりも、スポーツなど競争的な競技の方を重要視してしまう。
大人が管理する自由度の低いプログラムの中に置いて、安心しようとする。
子どもを受け身にしてしまう電子機器と化したおもちゃや、商業化された遊び道具。リアルな兵器型のおもちゃもあふれている。
そして、電子メディアが身近にある生活環境。感受性が鈍り、他人への言葉の暴力が簡単にできてしまうことを見逃している。
どんなことも経済最優先で、お金儲けしか考えていない。
子どもが子どもとして子どもの時間を生きることは、戦争をしていないこの日本でも、どんなに人の生活が便利で楽になったように見えても、当たり前ではないのかも知れない。
なにせ、子どもの貧困率は6人に一人だし。
だから、ことある毎に、思い返し、口に出して、あの人この人と伝え、語り合わないとと思うのでした。
子育て真っ最中だったときに国連子どもの権利条約の存在を知りました。
子どもの人権に関する国際条約です。
分かりやすく解説した冊子購入したり、学習会に参加したりして、2人の子どもを育てる上で役立てようとしたものです。
大人は「人権を守ろう!」というけれど、なかなか「子どもの人権」に対しては無神経です。
どうしても、子どもは未熟で大人の管理下に置いて、守らないと……という意識が働くからですね。
たしかに、子どもは弱くて守り育てる存在であるけれど、心や気持ちは1人の人間として大事に慮るべき存在です。
てなことを、20年ぐらい心の隅に置いて暮らしてきたつもりでしたが。
先日、その国連子どもの権利条約第31条に関するジェネラルコメントを学ぶ交流会に参加する機会がありました。
第31条とは
●すべての子どもには、休む権利、レジャーの権利、遊ぶ権利があり、年齢に応じレクリエーションを楽しみ、文化的、芸術活動に自由に参加する権利がある。
●条約締約国は子どものこれらの権利を尊重し、どの子どもも文化的、芸術的活動やレクリエーション活動、レジャー活動に参加できるように環境を整えなければならない。
な~んか、あたりまえのことが書いてあるように思うでしょ?
でもね、この第31条は「忘れられた条文」と言われているのです。
子どもの権利条約の締約国は5年ごとに報告書を国連に提出しますが、第31条に関する報告があまりにも少ない。
戦争している国や、経済破綻にある国や、災害にあった国が多くて、まず、子どもの命を守ることに精一杯という深刻な状況で、遊びやレクリエーションは後回しにされてしまいますからね。
そして報告書を作ろうにも、関係者が何をどうすればいいのかがわかりにくいということもあるそうです。
そこで、 ジェネラルコメント条文や条項の解説書が作られました。これはIPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)などの調査研究やロビー活動によって国連に働きかけ、230人の専門家と400人の子どもにヒアリングを行って2008年から2013年にかけての5年の歳月をかけて作成されたもの。
2013年4月に発表されました。
最大の特徴は
「遊びとは何か」について、似て非なるものが席巻しがちな環境も含めて解説されていること
「第31条の阻害要因とは何か」について現実の事例を挙げて具体的な解説がなされていること
第31条を推進するための取り組みが具体的に解説されていること です。
子どもが遊ぶ権利について、危機感を持って、真剣に考えている人たちが、世界的に動いているということがすっごくよくわかると思います。
そしてそのジェネラルコメントの日本語訳が、平野裕二氏のサイト子どもの権利委員会・一般的意見17号:休息、余暇、遊び、レクリエーション活動、文化的生活および芸術に対する子どもの権利(第31条)前編で読めます。
が、細かい文字でむつかしい言い回しで解説されているので、目が泳ぎます。
でもでも、よくよく読むと、子どもの心の育ちについて重要なことが書かれているのもわかります。
遊びとは、子どもが自分で考え、自分がするもの。
それは、いつでもどこでもできること。 遊びたいから遊ぶ。
楽しくて、でもどうなるかわからなくて、いどむ気持ちとできなくてもいいや~って気持ちを感じるもの。
何かが成果として残るものでも無いもの。
なくてはならないとは思われないことが多いけれど、子ども時代の喜びの大部分を占めるもの。
そして、子どもの体の成長と、心の成長には欠かせないもの。
友だちと遊ぶことで、一緒に遊ぶのが楽しい。
いろんな人と遊ぶことで、思いやることができるように。
ルールを作ったり。何が安全で、何が危険か自分で判断できるように。
自然の中で、多くの生き物と触れあうことで、自然環境や地球全体を大事に思う気持ちが育つ。
文化芸術に触れることで、何のために生まれて、何をして生きるのか、自分と社会の関係を考えられるようになる。
国連の人たち、ホントいいこと言ってくれてるよねぇ。
だから、大人はどうすればいいの?
遊びは世界中で、価値がなく、取るに足らない、何も生み出さない「赤字」の時間ととらえられている。
親や行政機関は、遊びを、騒がしく混乱を引き起こし、邪魔になると考える。そして、勉強や仕事を一番に思ってる。
だから、大人は子どもと一緒に遊ぼうとか、遊んで子どもと仲良くなる遊び方をしらないし、自信もない。
空想遊びやごっこ遊びよりも、スポーツなど競争的な競技の方を重要視してしまう。
大人が管理する自由度の低いプログラムの中に置いて、安心しようとする。
子どもを受け身にしてしまう電子機器と化したおもちゃや、商業化された遊び道具。リアルな兵器型のおもちゃもあふれている。
そして、電子メディアが身近にある生活環境。感受性が鈍り、他人への言葉の暴力が簡単にできてしまうことを見逃している。
どんなことも経済最優先で、お金儲けしか考えていない。
子どもが子どもとして子どもの時間を生きることは、戦争をしていないこの日本でも、どんなに人の生活が便利で楽になったように見えても、当たり前ではないのかも知れない。
なにせ、子どもの貧困率は6人に一人だし。
だから、ことある毎に、思い返し、口に出して、あの人この人と伝え、語り合わないとと思うのでした。
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