お世話になります。
Office Dragon です。
甘いものに目がない。という言葉があるが、
辛いものに目がない。はあまり聞かない気がする。
酸っぱい、苦いも希少な存在、
「私、苦いのに目がないのー」なんていわれると、
ある種独特の趣味志向をお持ちなのかと疑ってしまう。
このギャップ感は、言葉に対するイメージにあるのだと思う。
「甘い」はフェミニンな印象、少女的でもある。
「甘い恋」といったフレーズで歌詞にも使われやすいことからも、
恋は盲目=目がない、そんな感じで受け入れられているのでは。
一方、「辛い」「苦い」は苦行のエッセンスがプンプン、できることなら目を背けたい感じだ。
それでも食べたい欲求、何か覚悟の上で受け入れる「辛い」「苦い」のカテゴリー。
「辛いものを食べないとマズいことになる」
「苦いものがないとこれから先困る」
例えばこのくらい切実な表現はどうだろうか?
味覚の数だけ存在する、個々人の食の志向。
丁寧に細分化していくことで、食文化の地平線はどんどん拡がっていくと思う。
では。
Office Dragon です。
甘いものに目がない。という言葉があるが、
辛いものに目がない。はあまり聞かない気がする。
酸っぱい、苦いも希少な存在、
「私、苦いのに目がないのー」なんていわれると、
ある種独特の趣味志向をお持ちなのかと疑ってしまう。
このギャップ感は、言葉に対するイメージにあるのだと思う。
「甘い」はフェミニンな印象、少女的でもある。
「甘い恋」といったフレーズで歌詞にも使われやすいことからも、
恋は盲目=目がない、そんな感じで受け入れられているのでは。
一方、「辛い」「苦い」は苦行のエッセンスがプンプン、できることなら目を背けたい感じだ。
それでも食べたい欲求、何か覚悟の上で受け入れる「辛い」「苦い」のカテゴリー。
「辛いものを食べないとマズいことになる」
「苦いものがないとこれから先困る」
例えばこのくらい切実な表現はどうだろうか?
味覚の数だけ存在する、個々人の食の志向。
丁寧に細分化していくことで、食文化の地平線はどんどん拡がっていくと思う。
では。