再度、gooブログはじめました! 風来居士

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ただ何となく

2020-05-02 13:53:31 | 呟いてみる

風野耕平 その優雅な日々

朝起きて、日課の血圧を測る。 (今日も少し高目だ!)
ウィスキーを1杯、そしてタバコを1本吸う。
「酒はともかくタバコは止めた方がいいですよ。」
医者からは、そう言われている。

正直、ウィスキーもタバコも、そして葉巻も、味の違いなど、どうにも分からない。 
そのくせ、止めない、というか、止められない。

パイプも吸っているのだが、これが、なかなかうまくいかない。
シャーロックホームズとは大違いだ。
途中で火が消えてしまわないように、バイブを吸うのが難しい。

いやはや、これもそれも暇なせいか、それともただの惰性なのか?
なかなか止まらない。
仕事が無い、・・・暇つぶしというのも結構大変なことだ。 

いつも思う。
こんな生活を続けていって何になるというのだろう?
もう先も知れている。

耕平も、すでに70歳を超えた。
120歳まで生きるとしても、残りは、たった50年ほどしか無いのだ。 
それまでにパイプの似合う男になれるのかどうか・・・。

ここまで生きてきて、未だに人生の楽しみ方というのが分からない。
何となく、そこらをうろつき回るだけで、いつの間にか日が暮れてしまう。 

「もっと有意義な生活をしたら・・・。」と人は言う。 

耕平自身もそうは思う。

耕平としては、たった一度の人生なのだ。
ぼぉーっとして、時間に流されていくだけでは、何とも、もったいない話だ。
もっと有意義に生きていきたいと思う。

が、考えてみると、有意義な生き方というが、私は、これまで70年間、生きてきたにも関わらず、それがどんな生き方を言うのかが、未だによく分からない。
私は、これからどうやって生きていったらいいのだろうか? 

まずは健康であり続ける。 → 健康を取りもどす。
やり残した事に再挑戦してみる。
成果はともかく、私は今、何でもやってみることだけなら出来る。

自分の力を過小評価するな。
私は幸せになる権利がある。
私は出来るのだ!!
私には、今、その力と時間がある。 

耕平はそう思う。

う~~~ん・・・?


自由に、あくどく (3)

2020-04-26 08:46:21 | 呟いてみる

2020年4月1日 (水) 氷雨降る。
株価下落・・・三菱UFJ、3,600億円の損失!! だとか。
何もするな。

ど素人が、闇雲に動いても、何も得るところはないのだ。

人は、そして社会は、放っておいても、それなりに変わっていく。
で、こう暇だと、どうしても酒とタバコに手が伸びる。
にしても、今日はやたらに寒い!! ・・・などと、これも一つの言い訳。

自己証明
何度も繰り返している。
私の価値はどこにあるのだろうか?
他人から「私」を認めてもらうには・・・。
う~ん・・・、私は今、何に対しても自信が持てない。

★ 行くべき所が分からない時、人は左に向かう。

へぇ、なるほど、そう言えばそうかもしれない。
ならば、右に行ったら、何か変わるのだろうか?

4月2日(木) 快晴
「新型コロナ」
新型であろうと無かろうと「コロナ」であることには変わりがない。
やはり、それなりの対応は必要不可欠なのだ。
さらには、「コロナ」以降を、しっかりと考えておく必要があるだろう。

お金は、交換の一つの道具でしかない。
使ってなんぼだ。
まぁ・・・、あればの話なんだが・・・。

「コロナ」 ・・・人と流通の停止。
現在、人はともかく、流通が滞っているらしい。
このままでは日本は立ちゆかなくなる。
まずは、経済の回復を考えていく必要があるだろう。

コロナの流行を防ぐために、人の流れが途絶える。
移動手段の破綻。
政府を含め、日本中が迷走中だ・・・。

企業年金、また公的年金の先行きが見えない。
コロナ以降が全く見えてこない。

不安がつのるばかり。

半年早送りして、旧暦の陰月と言った方が当たっている。

因みに、旧暦では4月を「陰月」とも言うらしい。
これは、本当は9月、10月のことらしい。

ついでに、
かみあり‐づき【神在月】
出雲国で、陰暦10月の異称。この月に日本中の神々が出雲大社に集まるという伝説から、出雲以外では「神無月(かんなづき)」というのに対していう。《季 冬》
デジタル大辞泉 (C) SHOGAKUKAN Inc.1995 1998 2012

ひょっとして、半年早く神様達が、出雲国に行ってしまったのかも知れない。
ともかく、早く気がついて、それぞれの国へ戻ってきてもらいたい。

今や、神国日本の一大事なのです。

4月7日(火) 薄曇り
今日も又、右腕が思ったように上がらない。
どうにも困ったものだ。
だが、生きている以上、他人を頼らず、思うがまま、自由に生きていきたい。

対話が苦手、人と向かい合うと思うように言葉が出てこない。

格好いい言葉をしゃべりたい。

無意識にそんなことを考えているからかも知れない。

我ながら本当に情けない。


自由に、あくどく (2)

2020-04-25 06:30:48 | 呟いてみる

自由に、あくどく (2)
現在無職。孤独。
現状は?
パートナー無し。

理想の人生・・・対価を支払ってでもチャンスを逃すな。
「ナポレオン・ヒル」
出逢いのきっかけを大切にする、 ・・・掴み取る。
総ては、今、「きっかけ」を掴み取る事から始まる。
今、やる、やれること。

やる気こそが重要だ。
逃げ道を探そうとするな。
今、この時こそが総てなのだ。

常にチャレンジせよ。
付き合う人脈を考えるべきだ。
自分の目標をすでに実現している人が大事だ。
彼が私の目標となる。

私は他人に何を提供できるのか?
「成功環境」を創り上げていく。
その為にも、「出逢い」こそ必要不可欠だ。
自分が出来なければ、それが可能な相手のそばに付く。

そもそも、本当のところ、今まで、私は幸運すぎたのかも知れない。
ただ、幸運の使い方を知らなかったというだけの話だったのだろう。

私個人の都合などとは無関係に、チャンスはやってくる。
さらには、私などには何の断りもなく、突然去って行く。
ちょっと一言声をかけてくれたら、何とかしようもあったろうに・・・。

悪いこととは知りながら、やけ酒、やけタバコ・・・。

曇り、そして寒い日々。

弟君、仕事。
その都度、何か引け目を感じてしまう。
私は無職。
かといって、何をするでもなく、私は、ぶらぶらと日を過ごす。
弟君は、この間も働いている。

何か考えよ!


自由に、あくどく (1)

2020-04-24 12:17:02 | 呟いてみる

自由に、あくどく (1)
世界でただ一人、たった一度の私の人生。
現在70歳+α、先の短い私の人生。
自由に思うがままに生きてみる。
自由に、あくどくでも良い、思ったように生きてみる。

悪人面だと他人は言う。
確かにそうだ。
鏡を覗いて、自分でもそう思う。

先日のクリーンウォークについて、何か書くつもりだった。
そう言う約束(?)だった。
あれから、すでに3週間が経ってしまった。
書き始めはしたものの、途中でというか、ほとんど出だしからつまずいた。

3月25日(水) クリーンウォーク
当日の行程
相原駅→ (バス停)相原駅西口→ (バスで移動)→ (バス停)公会堂前下車→
八雲神社→ 八木重吉記念館(https://ja.wikipedia.org/wiki/八木重吉)→
法政大橋→ 法政通り→ (信号)→ 法政大学入り口→ 圓林寺→ 境橋→
川島橋→ 境川→  → 二国橋→ 八幡橋→ コンビニ→ 長福寺→ 
相原中央公園→ 諏訪神社→ 相原駅

感想を書くつもりだったが、どうにも筆が進まない。
そう、私は、思ったことを勝手気ままに書き殴ることは出来ても、ドキュメントを書く素質がないのかも知れない。
 (・・・という言い訳。 で、仕方がない、そのまま投稿。)


令和2年3月29日(日) 朝から吹雪。
酒もタバコも切れた。

どうしようか?
外は大雪。
底冷えのする昼だ。

想いを言語化していく。

まず、自分を「時」に合わせて。

自分一人では何も変えることは出来ない。
が、又、現在の私は一人でしかない。

指導者と、さらには、想いを一つにした仲間が、必要なのだ。

「運命の人」は、まだ、どこかにいるのか? ・・・分からない。

遠慮をしていても何も変わらないだろう。
自分が何をしたいのか?
何を求めているのか?

待つ場所を考える。 入り口と出口。

昼、雪止まず。
相も変わらず腰痛。
午後2時 雪、やっと止む。

やる気が起きない。 
が、一方で、何かやり足りない気がしていて、夢の中で彷徨い続けている。

私は何も出来ない、やってない。
ただ生きている。
ぶらぶらと出歩くことが出来る。
そう言う意味では、自由だ。
しかし、自由とは目的あってこそのものだ。

目的のない自由は拘束され、空の見えない天井だけを見つめて過ごしているのと何ら変わらない。

プラス思考で
私は私、君は君。
私には、何か足りない・・・やり残し感がある。 
成功 (大きな自分) 幻想
私の夢。
今さら、この歳になって・・・。


時は否応もなく、過ぎ去って行く。

2019-09-11 17:08:08 | 呟いてみる
時は否応もなく、過ぎ去って行く。
今日、9月9日(月)は、重陽の節句
または菊の節句

曇り空。
貧相な俺が一人。
ただ独り、人を求めてさまよい歩く。
 
彷徨い人は、酒浸り。
あればあったで、終わるまで。
自制の効かぬ独り暮らし。
逢ひみての のちの心に くらぶれば 
  昔はものを 思はざりけり   権中納言 敦忠 (百人一首より)

重陽の節句
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
節句
人日(1月7日)
上巳(3月3日)
端午(5月5日)
七夕(7月7日)
 
重陽(9月9日)
惣宗寺(佐野厄除け大師)
栃木県佐野市金井上町2233   TEL. 0283-22-5229
境内にある菊慈童像、菊水を飲み不老長寿であったと伝えられる。
画像に含まれている可能性があるもの:1人、植物、屋外
 
重陽(ちょうよう)とは、五節句の一つで、9月9日のこと。 
 
旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。
 
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。 
奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。 
後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。
 
邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。 
また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。 
現在では、他の節句と比べ、あまり実施されていない。
 
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