会社で向かいの席に座っている女子(つっても1コ下)がチェロを習っていて、
銀座でそのチェロ教室の発表会があると申しますもので観に行って来ました。
基本的にお友だちがライブとか劇とか個展とかそういう発表めいたものをやる時は、事前に告知がなされていれば、必ず観に行きます。
なぜだろうか。。
「おひまがあればぜひ」
と控えめに世間話の合間に告知しているにも関わらず、誰も来なかったという状況を想像したときに過剰に悲しくなるからでしょうか。
実際は、本人だって、誰も来てくれないことを充分想定しつつ声をかけているから、誰も観に来なくたってそんなに悲しみはしない、と頭ではわかっているんですが。
「わたくし一人くらい観にいかねば!」
みたいな本人にしてみれば少々失礼な勘違いの使命感がほんのり燃え立ってしまうことは確かです。
発表会は、まあ、月に数回だけ練習している素人の人たちですから、
うっとり聴きほれるというレベルのものではないにしろ、
たとえばそのわたくしの職場の同僚にしても、
前日かなりめんどくさいデータ集計の仕事を遅くまでやっていて満足な練習ができていないという状況の中で、
一生けんめい真剣に演奏していて、他の人もまあそんな事情だと思って聴くと、
なかなか感慨深いものがありました。
土曜日の午前中だったこともあり、チェロだし、寝てしまう可能性が非常に高いと懸念されましたが、しっかり集中しておめめパッチリで聴くことができました。
こういった、ほんとのプロではない素人とかセミプロの人たちがやる演奏会やライブや劇というのは、いいものです。
どうしても儲かるか・儲からないかに左右されて本来表現したいものとはズレた方向へ流されざるを得ない「プロ」の人たちと違って、
素人の人たちは自由です。
また、紅茶を飲むときに、同じ紅茶であっても
安いカップを使って飲むのと、高級なカップを使って飲むのとではいくぶん味が違って感じられるように、
同じ歌であっても、
「上手に歌えて当然」のプロの人が歌うのを聴くのと、
普段いっしょに泥まみれになって働いている人が忙しい合間をぬってお稽古した成果であるところの歌を聴くのとでは、
感動の度合いがまた異なります。
そういうわけで、
その道のプロの手によるものではない、日々の生活の合間から生まれた不格好な芸術というものが、もっと裾野を広げて、社会に定着していくといいなと思います。
そういう「素人」が作り出す文化こそ、わが国の文化の基盤を強固にしていくために不可欠な要素でしょう。。
と、今回もなんだか高尚げな結論が出てきて満足です。