金子みすず、本名金子テルは明治36年、山口県大津郡仙崎村の漁村で生を授かった。
現長門市仙崎は、当時は捕鯨基地があり、それなりの賑わいをみせていたといわれている。
彼女の生涯に思いを馳せるとき、、
目頭がいつも熱くなるのを禁じえない。
彼女の生涯については、折りに触れることとして、ここでは省略させていただく。
彼女の生涯の最後のみを端的にお伝えしよう。
彼女は昭和5年生涯を終えた。
カルテノンを飲んでの服毒自殺だった。
26歳だった。
彼女には彼女が愛してやまない1歳の乳飲児がいた。生き別れるよりも、死に別れる道を選ばざるをえなかったのか―――。
彼女は大正13年から昭和5年の最後をとげるまで、数々の童謡を書き綴っていた。
当時大正時代は、野口雨情、北原白秋、西篠八十、与謝野晶子など優れた童謡詩人が輩出された。
名前を知らないひとでも、
「春よこい」、「シャボン玉」、「夕焼け小焼け」、「どんぐりころころ」、「七つの子」、
「月の砂漠」、「赤い靴」、「青い目の人形」、「てるてるぼうず」、「カナリア」、「どこかで春が」、「雨降りお月さん」
枚挙にいとまないほど、アタシたちがいまなお愛してやまない、愛唱する詩を送り出してきた、童謡の黄金時代であった。
金子みすずは、東京の月刊誌にせっせと自らの童謡を投稿し、西篠八十にして「若き童謡詩人の巨星」といわしめた。
彼女の詩にふれはじめて、いくつか諳んじてるのがあるので紹介しよう。
『 私と 小鳥と 鈴 』
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
――みんなちがって みんないい――
金子みすずは自然界と人間を分け隔てることなく、いつもこころ優しいまなざしで、しかも人間の根源的なかなしさ、わびしさを詩にしてきた。
宇宙的な広がりをもつ詩にみせられる。
みんなちがって みんないい
この一節に思いを託して、
今日の手帳と
今年の締めくくりに
つなげていきたい。
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