Humoreske(小噺ひとつ)

ここでおひとつ、小噺をひとつ。
フモレスケはユーモアからきたことば。

むなくそわりぃ。

2008-07-18 | おもうこと
下品なタイトル、恐縮です。。。

ここしばらく、、、自分の良心で仕事をしたり、
おかしなことには付き合わずに済んでいたり、
うまくやっているつもりでいたわけですが、、、


今日は、、、スコブル、、、変なものに巻き込まれました。


orz..........


をえええええええっ。。。。(自家中毒)


打ち合わせがあって、参席していたわけですが、

AさんとBさんと私がいて、

AさんがBさんに、いろいろと意見を言う。

Bさんがそれを、ありがとう、いい意見だ。とうんうん頷く。

なんだけど、


Aさんがいなくなると、

Bさんが、Aさんがいかにわかっていないかを語りだす。


それが延々とリピートされる。。。

Bさんが、聞いているうちは、笑顔で、
はっきりとした回答はしないものの、物腰柔らかに
聞いている様なのに、私と二人になったときに
焦点が定まって言う発言を、、、


私も最初はへらへらっと訊いていましたが、、、



気持ち悪かった。。。


気持ち悪かった。。。

気持ち悪かった!!!!



誰にだって、建前というものがあり、
大人の世界ならではの話なのかもしれませんけれど、


対処は出来ても、消化はできない。。。


状況は汲めるし、立場も図れるけれど、、、

気持ちのよいものではない。。。




AさんとBさんの議論は白熱し、

どちらの意見も極端に、どこか見えてない部分があって、
同意ができかねたので、私はどちらにも頷きませんでしたが、

そうこうしているうちに、、、

「ふもさんにもこう言ったじゃないですか」


と、「はい~~?!言われたこともないけど~!?」的な
とばっちりを受けて、


「ふもさんは、優しすぎるからいけないんですよ!
もっとずかずか踏み込んでいって、あいつら追い出してください」

とか言われて、、、、


それ、、、オイラの仕事じゃないし。。。って。。。



これって世代かしら。。。
正義感に燃え滾る正論に対しても、
建前に取り繕われた笑顔に対しても、

特に物言うつもりはない。。。

言うやつは言えばいい。。。
たまってるなら吐けばいい。。。

けど、それに対して、ずかずか乗り込んで
物言いするのは、、、

「出る幕ではない」

ところにのさばるということだ。。。


と、思って、、、引いてしまう事。。。。



昭和53年生まれは、「平和」を願う。。。




わたしゃ、、、とりあえず状況の分からぬところに
出て行って、でしゃばってモノをいうタイプではござーせん。

それを「経験が足りない」とか「平和主義者(揶揄として)」と
言われても、しょうがないことかもしれないけれど、
いたずらにけんか腰になる人の気持ちがよく分からない。。。


というわけで、、、

いろいろな場所のいろいろな状況を

聞いてしまう。。。

受け入れてしまう。。。


その上で、どうするか、考えようとしてしまう。。。

もっとぐいぐい、がんがん、言いたいこと言って
推し進めてということで良いのかも知れないけれど、

自分、、、よく言えば、慎重、悪く言えば怖がりで、

中途半端なんでしょう。。。



建前やおべんちゃらを使うくらいなら
黙して語りたくないというのが本音。

事実、私は、そういうのが、、、本当に
ヘタクソだと自分で思う。。。

そればかりじゃいけないんだっても
思うんだけど、、、
嘘の厚塗りにきもちわるーーーって

なっちゃって、、、だめなんですなぁ。。。



そう考えると、、、、、
人を信じること、、、信じられる人と共に
何かをすることってのが、どれだけ得がたく大事なことかと
思えてくる。。。その分、大事さは募るし、
気持ちを繋げたくなる。。。


仲間探しは、、、


本当に難しい。。。



ほんと。。。もちろん、無理をすること、
ニガテな人に微笑むこともあるけれど、
自分、極力、無理はせずに、自然の赴くままの
状態での付き合いをしていきてきました。。。

ニガテと思う人には、、、傍に寄らない。
警戒心は強いかもしれません。。。
人によっていくときも、誰の何を信じてそうしようか、
決めます。自分で、あ、この人は大丈夫だと
思わないと、、、自分のぜんぶなんて見せられません。



もしかしたら、人から見たら、穏やかで
優しいように見えるのかもしれないけれど、
ほんとのほんとは、もちろん誰の状況も
聞き入れ受け入れるけど、自分の信念は、だからと
いって揺らいでない、結局は自分の信念一本で
おかしいとおもうこと、おかしいって言って生きてるし、
変なことは変って質問するし、
あんまり曲がってると自分も曲がってしまいそうなので
抜け出したり、、、

私という人間は、そこそこ強情な主張者だと思う。。。



「聴く」のは、、、揺らがないと思ってるものがあるから。


それを揺ぎ無いものにしてくれたのは、一緒に心から
働けたり、何かをし得てきた友達だったり仲間だったり
先輩だったりしたわけで、、、私は、それを安売りもしなければ、
自慢の道具にもしたいと思っていません。。。


信念といえば格好はいいけれど、、、何か、信じるもの、
大事にしたいものを、軸にして、それに伴い動くだけ。。。
その仕事っぷりを、「いい」と言ってくれる人がいるならば
ありがとうと動くし、「変」と言うならば、そうか、変か、
と自分の行動を省みつつ、合わないと感じるならば
遠のいていく。。。


単に、いい人じゃありませんから。
わたし。。。


社会的には不適合かもしれません。。。


責任をとらずに、いいたいことだけを述べて、
実際は自分は何もしませんけどね、、、と言う人や、

うんうん、そうだね、君の言うとおりだ、言ってくれて
ありがとうと言いながら、結局はいなくなった時点で
言い逃れの話をいっぱいする人に、、、


私は心を預けたりはしませぬ。。。


発言には行動が伴う。。。

行動には、説明が伴う。。。



自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ。。。

って、何かをもじったような話ですけど、、、


意見とか、責任とか、主張とか、


ほんとはどうでもいいのであーる。。。


大事にしたいもの、大事にしたい人、、、

守るのは自分だけだから。。。それだけ。。。



きもちわるかった。。。

そばで、もちろん二者の言い分を分からないわけではないから
聞いていつつも、そういう自分が嫌だった。。。


どちらかに、嫌悪感を示せた方がラクかもしれない。

みんな、、、聞いてくれると思わんでくれ。


わしの吸い取り紙は、、、実は極めて吸収性が低いのじゃ!!!



堪え性のないB型。

どっかでズルくなれれば、いいのかもしれないんだけど、
大人になって、真正面から車に衝突しなくても済むように
なったけれども、自分が車をよけたことによって、
小さな子猫や子犬がうっかりひかれてしまってたりすることには
心が痛んだりする。。。それがたとえば、車に轢かれた
ただの道端のたんぽぽでも、、、自分のズルさを恨んでしまうかも
しれないし。。。

みんなに言い分がある。。。


世の中に言い分がひとつなんてありえない。。。


それを聞いて、ひとつの方向にとりまとめていくことは、
はじめに「理解」ありき。。。


はじめまして、こんにちはのあとに

心を歩み寄らせることの過程が、、、どんなにか
難しいことか・・・。。。


涙がちょちょぎれてしまう。。。

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