Humoreske(小噺ひとつ)

ここでおひとつ、小噺をひとつ。
フモレスケはユーモアからきたことば。

多事総論

2008-11-11 | おもうこと
ほんとうのことを言われると

耳が痛い。

答えられない事を訊かれると

口ごもる。


大抵の人間は、自分のことに手一杯で

社会について、ときたま
酒を片手に、ときたま
TVに向かって、

軽々しく批判をする。

マスコミの中のコメンテーターが
人より多い知識と、多くの人が感じそうなことを
巧みな語彙を並べて批判し、
「そーだ、そーだぁ!」という気持ちを駆り立てる。

でも、本当に見つめるべき大きなこと、
発言をすることが、どこか「タブー視」されて
いることに関しては、実は「無意見」というか
「無意志」だったりする。。。

空気を読めずにいらぬ発言は出来ても、
世の中が本当にどこへむかっていって、
そしてそれが正しい道なのかどうか、
「無関心」を装い、数年前に、何か大きな
一側面的なスローガンで「YESかNO」かを
問われて、人を見ずに投じた票で選ばれた人間たちに
何か「預けっぱなし」になっている。

スキャンダルや、マスコミの煽りたてには
過敏に反応しながら、、、けれども、2週間も
しないうちに忘れていく。

ギョーザも、自然災害も、無差別殺傷事件も、
マスコミが取り上げなくなった時点で追求を忘れる。

人は、「悩むこと」をやめてしまった。
人は、「考えること」をやめてしまった。


毎日の終わりのニュースで、
「問題提起」をし続けた人がいる。

視る人間は、多くの出来事の中から、今考えるべき
ことの「しっぽ」を与えられていたかもしれない。

そして一日の終わりに、そのしっぽを手にして
じっと手を見つめていた。。。

「このままでよいわけがない」事態を
時々記憶の端に呼び起こしながらも、
やっぱり自分の目の前のことに捉われる。

毎日の問題提起をする人がいなくなって、
その事態のどこに何が潜んでいて、暴かれる真相を
持ちうるものなのか、核心はなんなのか、切り口を
与えてくれる人が、またひとりいなくなって、

最後の多事総論で、彼は
「この国はがんに冒されている」と言いました。

どこにがんがあるのか。
どうすればがんは消えるのか。

過去に、
見えそうで見えない、あるいは「見ようとしない」
でいたことが、今を作っている。

過去に
痛みを伴う改革と叫んだ人がいた。

痛みを感じる人は、いつまでも、感じたままにさせておくのか。

その裏で、規制緩和の恩恵を受けて
甘い蜜を吸って私腹を肥やした人は確かに、
自分から馬脚を現して転落人生を送っている・・・人もいる。

儲けたお金が、何に使われるか・・・。

1000万円の車か、
くまのぬいぐるみのためのファーストクラスのシートか。


今、、、なんやかんやで先延ばしにされて、
まだなんとかチルドレンとかが議論に参加しているところを
どげんかせんといかんはずなのに、「解散延期」のニュースに
不感症なわれわれ。。。

そんでもって、「いざ」自分の意志を問われる時にも
選挙権を行使しない半数以上の人たち。


任せられるような人間がいないから・・・

とか

誰が出てるかも知らないから・・・

ってのは、もっともな理由のようで、
実はまったく身勝手な話。

出るやつは勝手に出ろ。
でも選ばない。

ってのは、
口はきけても、喋らないということ。

知らない人でも、代表として送り込むからには
知らなくてはいけないんじゃないかな。。。

切り込んでみなくてはいけないんじゃないかな。


大半の人は、実はいろんなことが決まっている
中枢部分にあまりにも無関心なのかもしれない。

いつから、ビルの高さ制限がなくなったのか、、、
いつから、塩は食卓塩以外にも売ってよくなったのか、、、
いつから、裁判員制度なんてもんが導入されると決まったのか、、、

今の自分が、今の時代のためだけに生かされていると思うな、若者よ。


本当のことをいわれると耳が痛い。

本当のことを訊かれると、答えに口ごもってしまう。


ヘタに煽るのではなく、
ものの本質を真摯にとらえて人に伝えようとしていた人が
また一人逝ってしまった。

誰があとに続くの?誰が明日、本当のことを問いかけるの?

この国が、がんならば、、、




誰が治すの???



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