4分の3の農村で、出稼ぎに出られる人がいない
中国政府のシンクタンクである中国社会科学院が2007年に発表した「人口労働白書」は中国社会に衝撃を与えた。それによると「中国全土の4分の3の村落にはすでに労働力移転可能な青壮年労働力がいない」というのだ。結果は内陸部でも沿海部でも大きな違いはなかった。この調査は17省区、2749行政村に及ぶ大規模かつ網羅的なもので、データの信頼性は高いと判断できる。
13億もの人がいるというのに、大半の農村には出稼ぎに出られる人が残っていない――。調査の結果はそう言っている。だが本当にそうなのか、自分の目で確かめたかったので農村に行ってみることにした。まず訪れたのが江蘇省北部、山東省に隣接した灌南県という村である。
まず訪ねた張さんという農民は、上海や北京などの建設現場で10年以上出稼ぎをしていたのだが、故郷の灌南県でも最近、政府の公共投資による大規模な工事が増えてきたので、2年前に故郷に帰ってきた。いわば長い出稼ぎ暮らしに見切りをつけて故郷に戻った人である。
張さんの話では、以前は地元では自給自足的な農業以外にほとんど仕事がなく、都会に出稼ぎに出るしかなかったが、今では近くの町にも公共工事やマンション建設が増えて、建設現場で働けば1日75元(日本円約1100円)の日当がもらえる。奥さんも現場に出て仕事を手伝い、2人で1ヵ月に日本円で5万円ほどの現金収入になる。農業だけの時代に比べれば10倍以上だ。おまけに地元にいれば、自分の土地でコメや野菜などを作ることもできるので、食費も浮くし、余ったコメは売ることができる。子供とも一緒に暮らせる。去年は建築現場の経験を生かして自力で小さな家も建てた。「もう出稼ぎなんて行きたくない。故郷で暮らすのが一番いい」と張さんはいう。
次に会った李さんはもともと出稼ぎに出ず、故郷に残った農民の1人だ。農業だけで食うのは苦しかったが、事態が好転してきたのは近隣の農民が出稼ぎに行くようになってからだ。
というのは、農民が出稼ぎに出てしまうと、後に残った土地を耕す人がいなくなる。耕作放棄で荒れ放題になってしまう土地も多いが、李さんはそこに目をつけた。出稼ぎに出る農民に話をつけて一定の地代を払い、その農地の耕作を請け負う契約を結ぶ。そして他のもっと収入の低い外地の農村から人を集め、借り受けた農地を集約して効率的な農業を行い、収益を上げる。今では約7ヘクタールの農地を耕し、年間40トンのコメを収穫する農業経営者になった。要するに、出稼ぎで実質的な農民の数が減ることで、おのずから農業の集約化、生産性の向上が起こっているのである。
人がおらず、生産が増やせない農村
さらに内陸部の安徽省休寧県という農村では、村自体が「労働力不足」に悩んでいた。この村でシイタケ栽培をしている陳さんは自宅近くのビニールハウスで約3万本のホダ木でシイタケを栽培、近くの町の市場で売って毎年8~9万元の収益を上げている。近年、社会の富裕化にともなう高級志向で中華料理向けのシイタケの消費量が急増しており、陳さんはなんとか生産量を増やしたいと考えているが、ネックは人がいないことだ。
以前はいくらでも人がいたが、今は実家で子育て中の女性や、半ば隠居して孫の面倒を見ている高齢者などを集めて手伝ってもらっている状況だ。それでも賃金は高騰しており、成人男性なら日当は一昨年が1日30元、昨年が40元、今年は50元出さないと来てもらえない。「ホダ木を今の3倍、10万本にしてもシイタケを売り切る自信はある。でも人が集まらないから生産を拡大できない。とても困っている」と陳さんは話していた。内陸部の農村でも労働力は払底して、賃金が急上昇しているのである。
むろんこれらの例だけですべてが語れるわけではないが、現在の中国農村の変化を象徴的に表す話であることは間違いない。私は上海で地方から出稼ぎに来ている人に会う度に、出身地の農村がどうなっているかを聞くことにしているのだが、答えは2つ。誰もほぼ共通している。ひとつは「年寄りと子供以外は誰もいない。外に出られる人間はみんな出て行ってしまった」。もうひとつは「でも、ここ数年、生活はずっとよくなった」。
中国の農村がここ数年で大きく変わったことは間違いなさそうだ。その背景には何があるのだろうか。
農村からの出稼ぎ人口は2億人
中国の労働力について考える前提として、まず基本的なデータを確認しておこう。
中国政府が公表した2006年度のデータによると、中国の総就労人口は約7億5800万人。中国というと十数億もの人が働いているようなイメージを持ちがちだが、現実には就労者人口は総人口の半分強である。
そのうち、都市部の就労人口が2億7300万人。農村部の就労人口が4億8500万人。ただしこれは戸籍の分類によって整理した統計上の話で、実態とはズレがある。戸籍の分類とは、中国には「農村戸籍」と「非農村(都市)戸籍」という2つの区分があって、あたかも国内が2つの国に分かれているかのように居住地や社会保障、就労・就学などに厳格な区別が行われてきた。この区別は徐々に緩和され始めてはいるが、制度面ではまだ厳然と生きている。
しかし、この農村戸籍の就労人口は、すべてが農村で働いているかといえば、そうではない。現実にはそのかなりの部分がすでに農村を出て、都市部やその周辺で職を得ている。これがいわゆる出稼ぎ農民、中国語では「農民工」、もしくは「民工」と呼ばれる人々である。その数は全国で2億人に達すると推定されている(中国国務院「中国農民工調査報告」2006年)。だとすれば、戸籍上の区別はともかく、中国の都市部やその周辺で実際に働いている人は計4億7000万人ほどで、うち2億人が地方からの出稼ぎ労働者であるという計算になる。
旧正月明け、職場に戻ってこない労働者
昨今の「労働力不足」はこうした出稼ぎ労働者の動きに大きな変化が起きたことを意味する。いったい何が起きたのか。
出稼ぎ労働者の動向が大きく変わりつつあることを筆者が知ったのは04年の旧正月(春節)明けのことだ。局地的には03年からあったようだが、04年には広東省や福建省などの華南地域を中心に、かなり広い範囲で企業が必要な労働者を集めきれない事態が発生し始めた。
中国の出稼ぎ労働者は一般に単年度契約なので、毎年の旧正月前にはその年の賃金やボーナスをもらって故郷に帰る。従来はその多くが旧正月明けに再び工場に戻ってきていたのだが、04年は30%近くが戻って来なかった。
こうした状況は年々進行し、地域も広東省や福建省ばかりではなく、上海や江蘇省、浙江省などの揚子江下流域、後には最も「人余り」が深刻といわれた四川省や湖南省、河南省などの内陸部に進出した工場でも「人が足りない」という声が聞こえてくるようになった。
「労働力不足」とは何か
しかしここで考えておかなければならないのは、「労働力不足」とは何だろうか、ということである。中国が「労働力不足」だと伝えるメディアは多い。確かにここ数年、中国の工場や建設現場で労働者が集めにくくなっているのは事実である。しかし「不足」とはあくまで人を雇う側の発想であって、中国に人が足りないわけではない。要は「従来の条件では労働者が工場や建設現場で働きたがらなくなくなった」ということである。
雇用する側の視点から見れば、「労働力不足」と言いたくなるのは理解できる。しかし実際には、他にもっと好ましい選択肢が出てきたので、従来の出稼ぎ仕事が魅力を失ったのである。表現を変えれば、出稼ぎの安価な労働力に頼る「労働力安売りモデル」のビジネスが淘汰されつつあるということだ。これを労働力の「不足」と見たのでは事態を正確に認識できない。
ではなぜ従来の出稼ぎ仕事が魅力を失ったのか。それは端的に言えば、農村の暮らしが以前より豊かになり、故郷の農村やその周辺の諸都市で収入が得られるようになってきたからである。その理由はいくつかある。
出稼ぎが変えた農村
最大の理由は出稼ぎそのものだ。前述したように、農村から2億人もの人が都市部に働きに出て、自身のわずかな生活費を除いた大半の収入は故郷の実家に送られた。この金額は莫大なものがある。
それによって家族は暮らしを支え、子供は教育を受け、いまや出稼ぎから故郷に戻った母親から生まれた子供が都会に働きに出る時代である。こうした「出稼ぎ二世」にはもはや「出稼ぎ」のイメージは薄い。「都会への就職」である。中国ではこうした子供たちも収入の相当部分を実家に送るのが普通だから、農村部のおじいちゃん、おばあちゃんの家には息子や娘夫婦と孫たちから次々とお金が送られてくる。そのお金をコツコツと貯めて、家を建てたり、いつか息子夫婦が出稼ぎから戻ったら小さな店を開いたりする資金にする。
こうした積み重ねによって、中国の農村の暮らしは都市部との差は大きいとはいえ、確実に良くなっている。中国のどこでもよい、農村に行ってみればすぐにわかる。暮らし向きの向上が農民の都会への出稼ぎのモチベーションを低下させていることは否定できない。
もうひとつ大きいのは出稼ぎ労働の教育効果だ。中国の農村にはまともな教育を受けた経験のない人がたくさんいる。日が昇れば農作業をし、日が沈めば家に戻って憩う。自給自足に近い単調な暮らしを繰り返してきた億単位の農民が、都会に出て工場やビルの建設現場などで働き、現代社会における「仕事」とは何か、「契約」とは何か、時間を守るとはどういうことか、人様からお金をもらうことはいかなることか、こうした現代社会を生きるための教育を徹底的に受けた。いわば2億人もの人々が集中的に職業訓練を受けたのである。このことが中国社会に与えたインパクトは極めて大きい。
農村を訪ねると、出稼ぎ帰りの人が都会で学んだ知識や技能を生かし、稼いだ資金を元手に開いた零細な工場や商店が次々と生まれ始めている。これがまた農村に新たな雇用を生むという循環が起きつつある。こんなことは中国の歴史上、かつてなかったことである。都市の成長があまりに速いので農村との格差が拡大しているのは確かだが、農村も着実に変わりつつある。だからこそ沿海部の工場が「労働力不足」になったのである。そこを見落とすべきではない。
2600年続いた農業税を廃止
中国政府の農村政策の変化も大きい。以前の中国は、端的に言ってしまえば、農村にはまともな投資をせず、都市部を中心に経済発展を図る政策をとってきた。しかし2003年に登場した胡錦濤政権は「和諧(調和のある)社会」をスローガンに、都市の農村のバランスの取れた発展を目指している。
その具体的な表れとして従来の農業政策を大胆に転換、農村の収入を増加させる手だてを講じている。たとえば、03年から農家からのコメの政府買い上げ価格を50キロ当たり59元から79元、そして86元へと段階的に44%も引き上げ、全国で実施した。
また同じく04年には農民にかかっていた農業税を廃止。農業税の起源は2600年前に遡るとされ、長いこと中国の農民を苦しめてきた税金だった。廃止の結果、中国の農家の負担は平均で年間1250元軽くなったとされ、これは06年の全国農家の平均所得の35%にも相当(農林中金総合研究所、阮蔚主任研究員による)する大きなものだった。筆者の身近なところでも、上海の自宅に週3回、家事の手伝いに来てくれる安徽省出身のアイ(家政婦)さんの実家でも、年間2000元ぐらい現金収入が増えたと言っていた。
加えて大きなインパクトを中国の農村に与えているのが世界的な穀物価格の高騰である。前出の阮蔚研究員の調査によれば、中国の東北地方ではもともとトウモロコシの生産が盛んだが、このところのトウモロコシ相場の高騰で、農家の生産意欲がかつてなく高まっているという。東北地方に近い内蒙古自治区には、酪農・畜産企業が集中しており、そこに家畜の飼料として販売するトウモロコシの価格が上昇しているため農家の所得が高まっているそうだ。
政府による公共投資の急増も見過ごせない。中国政府が進める西部(四川、貴州、雲南、チベット、新疆ウイグル自治区など)大開発計画には、エネルギー開発や道路・鉄道などのインフラ建設などを中心に1兆元(日本円16兆円)を超える資金が投じられている。続く東北(遼寧、吉林、黒龍江)開発計画や中部(山西、安徽、江西、河南、湖北、湖南)開発にも日本円で数十兆円規模の資金が投じられる計画だ。
中国政府の税収は好調な経済を背景にここ数年、年率20~25%程度の伸びを示している。07年度の税収は対前年比31%増の約4兆9400億元(日本円80兆円)に達する。投資資金は潤沢にある。これらの公共投資で少なく見ても数千万人の雇用が生まれ、資金のかなりの部分が建設作業の賃金や資材購入費などとして中国の農村部に吸収されている。この所得底上げ効果は大きい
伸びない沿海部の賃金、劣悪な労働条件
こうしたさまざまな要因によって農村部の収入がここ数年、急速に上昇する一方、沿海地域の加工工場ではWTO加盟後の競争激化や人民元の対ドルレートの上昇、エネルギー価格の高騰、環境対策コスト増や知的所有権管理の強化などで事業環境が悪化、単純な組立加工→輸出というパターンでは利益が上がりにくくなっている。労働者の賃金上昇は鈍く、労働条件も劣悪な工場も少なくない。華南地域の低付加価値の組立加工工場では長いこと「法定の最低賃金=地域の平均賃金」が常識で、労働者の実質的な賃金はここ十数年、ほとんど上昇していないのが実態だ。
故郷からの往復の交通費負担や家族と離れて暮らす寂しさ、加えて都会で受ける出稼ぎ労働者蔑視、都市戸籍がないことによる子女の教育問題、年老いた両親の世話……こうしたさまざまな要素を考え合わせると、農民にとって都会での出稼ぎ仕事は急速に割の合わないものになってきている。
ここ数年の「労働者不足」とは、こうした都市部での労働条件の悪さに、農村部からの出稼ぎ労働者が明確に「ノー」を突きつけた結果にほかならない。
では、中国の都市部とその周辺の産業は今後、どのようにして労働力を確保していけばよいのだろうか。それは、事業そのものの生産性を高め、製品やサービスの付加価値を高めて、農村で働くより魅力のある賃金や労働環境を提供できる事業構造を構築する以外にはない。そのためには従来のような低付加価値の組立加工業を脱却し、技術の蓄積に支えられた、より高く売れる製品を生み出せる企業にならなければならない。
この連載コラムの初回で触れたように、このことは中国の企業にとっては簡単なことではない。反面、在中国の日系企業にとってはチャンスともいえる。広東省深センのある日系企業経営者は「労働力が大量に余っている状況下では、日本企業が差別化を図るのは難しかった。しかし人数を絞って生産性を高めるとなれば、我々には豊富なノウハウがある。日本企業が中国で本領を発揮するのはこれから」と話していた。
「労働力不足」とは賃金上昇のことである 中国の「労働力不足」の実態は経済成長にともなう賃金上昇である。その水準の賃金が払える付加価値が出せない企業にとっては「労働力不足」だが、一方、それが可能な企業にとっては、より高い教育を受けた、センスのよい労働力を確保できるチャンスでもある。さらに言えば労働者や農民の所得向上は、中国国内の購買力を高め、より魅力的なマーケットを生むことにつながる。
経済が成長すれば賃金は上がる。それを「労働力不足」と嘆くか、事業拡大のチャンスととらえるかは企業の戦略と経営者のセンス次第だと私は思う。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
なるほど!ってかんじですね!(^А^)ゝ
中国政府のシンクタンクである中国社会科学院が2007年に発表した「人口労働白書」は中国社会に衝撃を与えた。それによると「中国全土の4分の3の村落にはすでに労働力移転可能な青壮年労働力がいない」というのだ。結果は内陸部でも沿海部でも大きな違いはなかった。この調査は17省区、2749行政村に及ぶ大規模かつ網羅的なもので、データの信頼性は高いと判断できる。
13億もの人がいるというのに、大半の農村には出稼ぎに出られる人が残っていない――。調査の結果はそう言っている。だが本当にそうなのか、自分の目で確かめたかったので農村に行ってみることにした。まず訪れたのが江蘇省北部、山東省に隣接した灌南県という村である。
まず訪ねた張さんという農民は、上海や北京などの建設現場で10年以上出稼ぎをしていたのだが、故郷の灌南県でも最近、政府の公共投資による大規模な工事が増えてきたので、2年前に故郷に帰ってきた。いわば長い出稼ぎ暮らしに見切りをつけて故郷に戻った人である。
張さんの話では、以前は地元では自給自足的な農業以外にほとんど仕事がなく、都会に出稼ぎに出るしかなかったが、今では近くの町にも公共工事やマンション建設が増えて、建設現場で働けば1日75元(日本円約1100円)の日当がもらえる。奥さんも現場に出て仕事を手伝い、2人で1ヵ月に日本円で5万円ほどの現金収入になる。農業だけの時代に比べれば10倍以上だ。おまけに地元にいれば、自分の土地でコメや野菜などを作ることもできるので、食費も浮くし、余ったコメは売ることができる。子供とも一緒に暮らせる。去年は建築現場の経験を生かして自力で小さな家も建てた。「もう出稼ぎなんて行きたくない。故郷で暮らすのが一番いい」と張さんはいう。
次に会った李さんはもともと出稼ぎに出ず、故郷に残った農民の1人だ。農業だけで食うのは苦しかったが、事態が好転してきたのは近隣の農民が出稼ぎに行くようになってからだ。
というのは、農民が出稼ぎに出てしまうと、後に残った土地を耕す人がいなくなる。耕作放棄で荒れ放題になってしまう土地も多いが、李さんはそこに目をつけた。出稼ぎに出る農民に話をつけて一定の地代を払い、その農地の耕作を請け負う契約を結ぶ。そして他のもっと収入の低い外地の農村から人を集め、借り受けた農地を集約して効率的な農業を行い、収益を上げる。今では約7ヘクタールの農地を耕し、年間40トンのコメを収穫する農業経営者になった。要するに、出稼ぎで実質的な農民の数が減ることで、おのずから農業の集約化、生産性の向上が起こっているのである。
人がおらず、生産が増やせない農村
さらに内陸部の安徽省休寧県という農村では、村自体が「労働力不足」に悩んでいた。この村でシイタケ栽培をしている陳さんは自宅近くのビニールハウスで約3万本のホダ木でシイタケを栽培、近くの町の市場で売って毎年8~9万元の収益を上げている。近年、社会の富裕化にともなう高級志向で中華料理向けのシイタケの消費量が急増しており、陳さんはなんとか生産量を増やしたいと考えているが、ネックは人がいないことだ。
以前はいくらでも人がいたが、今は実家で子育て中の女性や、半ば隠居して孫の面倒を見ている高齢者などを集めて手伝ってもらっている状況だ。それでも賃金は高騰しており、成人男性なら日当は一昨年が1日30元、昨年が40元、今年は50元出さないと来てもらえない。「ホダ木を今の3倍、10万本にしてもシイタケを売り切る自信はある。でも人が集まらないから生産を拡大できない。とても困っている」と陳さんは話していた。内陸部の農村でも労働力は払底して、賃金が急上昇しているのである。
むろんこれらの例だけですべてが語れるわけではないが、現在の中国農村の変化を象徴的に表す話であることは間違いない。私は上海で地方から出稼ぎに来ている人に会う度に、出身地の農村がどうなっているかを聞くことにしているのだが、答えは2つ。誰もほぼ共通している。ひとつは「年寄りと子供以外は誰もいない。外に出られる人間はみんな出て行ってしまった」。もうひとつは「でも、ここ数年、生活はずっとよくなった」。
中国の農村がここ数年で大きく変わったことは間違いなさそうだ。その背景には何があるのだろうか。
農村からの出稼ぎ人口は2億人
中国の労働力について考える前提として、まず基本的なデータを確認しておこう。
中国政府が公表した2006年度のデータによると、中国の総就労人口は約7億5800万人。中国というと十数億もの人が働いているようなイメージを持ちがちだが、現実には就労者人口は総人口の半分強である。
そのうち、都市部の就労人口が2億7300万人。農村部の就労人口が4億8500万人。ただしこれは戸籍の分類によって整理した統計上の話で、実態とはズレがある。戸籍の分類とは、中国には「農村戸籍」と「非農村(都市)戸籍」という2つの区分があって、あたかも国内が2つの国に分かれているかのように居住地や社会保障、就労・就学などに厳格な区別が行われてきた。この区別は徐々に緩和され始めてはいるが、制度面ではまだ厳然と生きている。
しかし、この農村戸籍の就労人口は、すべてが農村で働いているかといえば、そうではない。現実にはそのかなりの部分がすでに農村を出て、都市部やその周辺で職を得ている。これがいわゆる出稼ぎ農民、中国語では「農民工」、もしくは「民工」と呼ばれる人々である。その数は全国で2億人に達すると推定されている(中国国務院「中国農民工調査報告」2006年)。だとすれば、戸籍上の区別はともかく、中国の都市部やその周辺で実際に働いている人は計4億7000万人ほどで、うち2億人が地方からの出稼ぎ労働者であるという計算になる。
旧正月明け、職場に戻ってこない労働者
昨今の「労働力不足」はこうした出稼ぎ労働者の動きに大きな変化が起きたことを意味する。いったい何が起きたのか。
出稼ぎ労働者の動向が大きく変わりつつあることを筆者が知ったのは04年の旧正月(春節)明けのことだ。局地的には03年からあったようだが、04年には広東省や福建省などの華南地域を中心に、かなり広い範囲で企業が必要な労働者を集めきれない事態が発生し始めた。
中国の出稼ぎ労働者は一般に単年度契約なので、毎年の旧正月前にはその年の賃金やボーナスをもらって故郷に帰る。従来はその多くが旧正月明けに再び工場に戻ってきていたのだが、04年は30%近くが戻って来なかった。
こうした状況は年々進行し、地域も広東省や福建省ばかりではなく、上海や江蘇省、浙江省などの揚子江下流域、後には最も「人余り」が深刻といわれた四川省や湖南省、河南省などの内陸部に進出した工場でも「人が足りない」という声が聞こえてくるようになった。
「労働力不足」とは何か
しかしここで考えておかなければならないのは、「労働力不足」とは何だろうか、ということである。中国が「労働力不足」だと伝えるメディアは多い。確かにここ数年、中国の工場や建設現場で労働者が集めにくくなっているのは事実である。しかし「不足」とはあくまで人を雇う側の発想であって、中国に人が足りないわけではない。要は「従来の条件では労働者が工場や建設現場で働きたがらなくなくなった」ということである。
雇用する側の視点から見れば、「労働力不足」と言いたくなるのは理解できる。しかし実際には、他にもっと好ましい選択肢が出てきたので、従来の出稼ぎ仕事が魅力を失ったのである。表現を変えれば、出稼ぎの安価な労働力に頼る「労働力安売りモデル」のビジネスが淘汰されつつあるということだ。これを労働力の「不足」と見たのでは事態を正確に認識できない。
ではなぜ従来の出稼ぎ仕事が魅力を失ったのか。それは端的に言えば、農村の暮らしが以前より豊かになり、故郷の農村やその周辺の諸都市で収入が得られるようになってきたからである。その理由はいくつかある。
出稼ぎが変えた農村
最大の理由は出稼ぎそのものだ。前述したように、農村から2億人もの人が都市部に働きに出て、自身のわずかな生活費を除いた大半の収入は故郷の実家に送られた。この金額は莫大なものがある。
それによって家族は暮らしを支え、子供は教育を受け、いまや出稼ぎから故郷に戻った母親から生まれた子供が都会に働きに出る時代である。こうした「出稼ぎ二世」にはもはや「出稼ぎ」のイメージは薄い。「都会への就職」である。中国ではこうした子供たちも収入の相当部分を実家に送るのが普通だから、農村部のおじいちゃん、おばあちゃんの家には息子や娘夫婦と孫たちから次々とお金が送られてくる。そのお金をコツコツと貯めて、家を建てたり、いつか息子夫婦が出稼ぎから戻ったら小さな店を開いたりする資金にする。
こうした積み重ねによって、中国の農村の暮らしは都市部との差は大きいとはいえ、確実に良くなっている。中国のどこでもよい、農村に行ってみればすぐにわかる。暮らし向きの向上が農民の都会への出稼ぎのモチベーションを低下させていることは否定できない。
もうひとつ大きいのは出稼ぎ労働の教育効果だ。中国の農村にはまともな教育を受けた経験のない人がたくさんいる。日が昇れば農作業をし、日が沈めば家に戻って憩う。自給自足に近い単調な暮らしを繰り返してきた億単位の農民が、都会に出て工場やビルの建設現場などで働き、現代社会における「仕事」とは何か、「契約」とは何か、時間を守るとはどういうことか、人様からお金をもらうことはいかなることか、こうした現代社会を生きるための教育を徹底的に受けた。いわば2億人もの人々が集中的に職業訓練を受けたのである。このことが中国社会に与えたインパクトは極めて大きい。
農村を訪ねると、出稼ぎ帰りの人が都会で学んだ知識や技能を生かし、稼いだ資金を元手に開いた零細な工場や商店が次々と生まれ始めている。これがまた農村に新たな雇用を生むという循環が起きつつある。こんなことは中国の歴史上、かつてなかったことである。都市の成長があまりに速いので農村との格差が拡大しているのは確かだが、農村も着実に変わりつつある。だからこそ沿海部の工場が「労働力不足」になったのである。そこを見落とすべきではない。
2600年続いた農業税を廃止
中国政府の農村政策の変化も大きい。以前の中国は、端的に言ってしまえば、農村にはまともな投資をせず、都市部を中心に経済発展を図る政策をとってきた。しかし2003年に登場した胡錦濤政権は「和諧(調和のある)社会」をスローガンに、都市の農村のバランスの取れた発展を目指している。
その具体的な表れとして従来の農業政策を大胆に転換、農村の収入を増加させる手だてを講じている。たとえば、03年から農家からのコメの政府買い上げ価格を50キロ当たり59元から79元、そして86元へと段階的に44%も引き上げ、全国で実施した。
また同じく04年には農民にかかっていた農業税を廃止。農業税の起源は2600年前に遡るとされ、長いこと中国の農民を苦しめてきた税金だった。廃止の結果、中国の農家の負担は平均で年間1250元軽くなったとされ、これは06年の全国農家の平均所得の35%にも相当(農林中金総合研究所、阮蔚主任研究員による)する大きなものだった。筆者の身近なところでも、上海の自宅に週3回、家事の手伝いに来てくれる安徽省出身のアイ(家政婦)さんの実家でも、年間2000元ぐらい現金収入が増えたと言っていた。
加えて大きなインパクトを中国の農村に与えているのが世界的な穀物価格の高騰である。前出の阮蔚研究員の調査によれば、中国の東北地方ではもともとトウモロコシの生産が盛んだが、このところのトウモロコシ相場の高騰で、農家の生産意欲がかつてなく高まっているという。東北地方に近い内蒙古自治区には、酪農・畜産企業が集中しており、そこに家畜の飼料として販売するトウモロコシの価格が上昇しているため農家の所得が高まっているそうだ。
政府による公共投資の急増も見過ごせない。中国政府が進める西部(四川、貴州、雲南、チベット、新疆ウイグル自治区など)大開発計画には、エネルギー開発や道路・鉄道などのインフラ建設などを中心に1兆元(日本円16兆円)を超える資金が投じられている。続く東北(遼寧、吉林、黒龍江)開発計画や中部(山西、安徽、江西、河南、湖北、湖南)開発にも日本円で数十兆円規模の資金が投じられる計画だ。
中国政府の税収は好調な経済を背景にここ数年、年率20~25%程度の伸びを示している。07年度の税収は対前年比31%増の約4兆9400億元(日本円80兆円)に達する。投資資金は潤沢にある。これらの公共投資で少なく見ても数千万人の雇用が生まれ、資金のかなりの部分が建設作業の賃金や資材購入費などとして中国の農村部に吸収されている。この所得底上げ効果は大きい
伸びない沿海部の賃金、劣悪な労働条件
こうしたさまざまな要因によって農村部の収入がここ数年、急速に上昇する一方、沿海地域の加工工場ではWTO加盟後の競争激化や人民元の対ドルレートの上昇、エネルギー価格の高騰、環境対策コスト増や知的所有権管理の強化などで事業環境が悪化、単純な組立加工→輸出というパターンでは利益が上がりにくくなっている。労働者の賃金上昇は鈍く、労働条件も劣悪な工場も少なくない。華南地域の低付加価値の組立加工工場では長いこと「法定の最低賃金=地域の平均賃金」が常識で、労働者の実質的な賃金はここ十数年、ほとんど上昇していないのが実態だ。
故郷からの往復の交通費負担や家族と離れて暮らす寂しさ、加えて都会で受ける出稼ぎ労働者蔑視、都市戸籍がないことによる子女の教育問題、年老いた両親の世話……こうしたさまざまな要素を考え合わせると、農民にとって都会での出稼ぎ仕事は急速に割の合わないものになってきている。
ここ数年の「労働者不足」とは、こうした都市部での労働条件の悪さに、農村部からの出稼ぎ労働者が明確に「ノー」を突きつけた結果にほかならない。
では、中国の都市部とその周辺の産業は今後、どのようにして労働力を確保していけばよいのだろうか。それは、事業そのものの生産性を高め、製品やサービスの付加価値を高めて、農村で働くより魅力のある賃金や労働環境を提供できる事業構造を構築する以外にはない。そのためには従来のような低付加価値の組立加工業を脱却し、技術の蓄積に支えられた、より高く売れる製品を生み出せる企業にならなければならない。
この連載コラムの初回で触れたように、このことは中国の企業にとっては簡単なことではない。反面、在中国の日系企業にとってはチャンスともいえる。広東省深センのある日系企業経営者は「労働力が大量に余っている状況下では、日本企業が差別化を図るのは難しかった。しかし人数を絞って生産性を高めるとなれば、我々には豊富なノウハウがある。日本企業が中国で本領を発揮するのはこれから」と話していた。
「労働力不足」とは賃金上昇のことである 中国の「労働力不足」の実態は経済成長にともなう賃金上昇である。その水準の賃金が払える付加価値が出せない企業にとっては「労働力不足」だが、一方、それが可能な企業にとっては、より高い教育を受けた、センスのよい労働力を確保できるチャンスでもある。さらに言えば労働者や農民の所得向上は、中国国内の購買力を高め、より魅力的なマーケットを生むことにつながる。
経済が成長すれば賃金は上がる。それを「労働力不足」と嘆くか、事業拡大のチャンスととらえるかは企業の戦略と経営者のセンス次第だと私は思う。
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なるほど!ってかんじですね!(^А^)ゝ