中国風

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中国人が豊かになったメカニズム

2009-08-29 08:17:12 | 情報
全国民が公有の住宅に住んでいた時代
 中国人の購買力を説明するには、昔から「中国は夫婦共稼ぎで」とか「物価が相対的に安いから」「社会主義国なので定年退職した両親に国家の年金があるから」など、さまざまな解説があって、それはみな当たってはいる。しかし、それだけでは昨今の驚くほどの豊かさは説明できない。

 日本では中国といえば安価な労働力というイメージが強いせいか、中国の賃金上昇については関心も高く、しばしば報道もされる。確かに中国の平均賃金は過去10数年で10倍ぐらいにはなっている。すごい伸び率ではあるが、単純化して言えば、もともと月給3000円だったものが3万円になりましたという水準の話で、これだけでは「富裕化」と呼べるほどのものではない。賃金は中国スタンダードで10倍になったわけだが、車や家電の値段は国際的な相場があって、中国だから先進国の10分の1の値段で買えるわけではないからである。

 ただ普通の中国人民が持っていたもので、国際水準で価値が増大したものがある。それが不動産である。

 中国人が豊かになったメカニズムについて話す前に、土地や不動産にまつわる中国の仕組みを解説しておこう。

 中国での土地の所有権は、都市部の土地と農地とで概念が分かれている。中国は社会主義国だから、基本的に土地の所有権は個人や法人にはない。では誰が持っているかというと、都市部とその周辺の土地は国家が所有しており、これを社会主義用語では「全人民所有」と呼ぶ。一方、農地はその地域で農業に従事する人たちの集団(農業集団)が所有している。これはかつて中国には人民公社という農民の生活共同体的な仕組みがあって、すべての農民はそこに所属し、個人資産を一切持たない形で共同生活をしていた。この仕組みは70年代末にはほぼなくなったのだが、土地だけはその時の概念を引きずって農民の集団がそのまま所有している建前になっている。だから農民は農地を自分で処分したり、他の用途に使ったりすることはできない。

 農地についても問題は山ほどあるが、とりあえず今回は話を都市部の土地に限定する。

 都市部の土地は国家の所有なので、一般の住宅や工場、商店などはそれを使わせてもらうことになる。説明が複雑になるので話を個人の住宅に限定すると、80年代初頭までの社会主義計画経済の時代、人々は自分の所属する勤務先から住宅を提供され、そこに住んでいた。この勤務先のことを社会主義用語で「単位」と呼ぶ。農民が人民公社で集団生活をしていたのと同様、都市部でも国営企業とか役所、学校などといった「単位」に人々が所属し、生活共同体になっていたのである。

 だから住むところは福利厚生の一環として原則無料で「単位」が用意した。人々は単位にあてがわれた住宅で暮らし、毎月タダ同然の管理費のようなものを支払うだけ。どんな家に住めるかはその人の地位や国家への貢献度などで決まる原則だが、実態は住宅を配分する権限を持つ幹部との個人的関係によって決まっていた部分も多かったようだ。

 住宅の場所は職住接近どころか、通常はその単位の敷地内にあるのが普通だった。役所とか有力な国営企業ほど街の中心部にあることが多かったので、中国では市街地の交通便利な場所にも大勢の人が住んでいた。この点が後々大きなポイントになってくる。

「全人民所有」の不動産を個人に払い下げ
 そうやって人々は「単位」によるあてがいぶちの住宅で暮らしてきたのだが、80年代、中国の改革開放が本格化すると、住宅制度の改革が大きなテーマになってきた。いつまでも国が住宅を供給する計画経済的な仕組みを維持することは合理的でない。社会主義の建前は捨てないものの、世の中の仕組みを市場化していかなければならない。

 そのプロセスで明確化されたのが、土地や建物の所有権と使用権を分けるという考え方だ。つまり不動産の所有権は国家にあるが、その使用権については個人や法人に帰属することを公認し、その売買や貸借も認めるというやり方である。土地は信用経済の基盤になるものだから、ここを改革しないと本格的な市場経済には進めないのである。

 これは中国オリジナルの発想かというと、どうもそうではないらしい。たとえば英国では「土地の最終的な所有権は王室(The Crown)にある」と規定されており、売買されているのは一種の土地使用権なのだそうだ。資本主義発祥の地で機能している手法なのだから、これで事実上、問題がないのだろう。

 そうした流れの中で、前述の「単位」がその構成員に提供していた住宅の使用権を、そこに住んでいる人に譲り渡すという政策が90年代から各地で始まった。当時は住宅とは公有のもので、使用権の売買という概念は一般的ではなかった。だいたい使用権の譲渡といっても、もともと「全人民所有」なのだから要は自分のものみたいな感覚である。譲渡といっても登記所みたいなところに行って所定の手数料を支払い、自分名義に書き換えるだけ、単に手続き上の問題と思っている人が少なくなかった。

 90年代後半になると、有償での譲渡、いわゆる払い下げが増えてきたが、それでも値段はまだ安く、1㎡あたり数百元、日本円で数千円程度のケースが多かった。こうしたプロセスを経て、中国の大都市では、それまで「単位」の住宅を借りて住んでいた数百万、数千万の住民たちが、無償もしくは非常に安く、かつ合法的に不動産の使用権を入手し、事実上、不動産のオーナーになるという状況が実現したのである。ただ大半の人は、その意味するところの重大さには気がついていなかった。

 だから当時、払い下げの代金が負担できないなどの理由で自宅の買い取りを見送った人も少なくなかった。安いといっても仮に1㎡あたり5000円で40㎡の自宅の払い下げを受けるには20万円のお金が必要である。当時の市民の平均月収は数千円だったから、3~4年分の年収相当額を工面する必要があった。当然、誰にでもできる話ではない。97年7月1日をもって「単位」による住宅の配分制度は終了したが、それ以前に住宅の配分を受け、多少無理をしてでも払い下げを受けた人と、見送った人との間で、その後一生かけてでも取り返しがつかないほどの資産格差がつくことになったのである。

月収8万円、資産5000万円のワケ
 2000年代に入り、特に03年頃から中国経済の急成長を受けて、都市部の不動産価格(以下、不動産に関する価格は使用権の価格を指すものとする)は急騰、上海などでは場所によっては1年で2倍、3倍といった異常な値上がりをするところも出てきた。その結果どんなことになったか。ここからは筆者の周囲で起きた実例でご紹介したほうがわかりやすいだろう。

 上海市内に住む40代後半の女性、王さん(仮名)はある小企業の総務課長をしている。月収は日本円で約8万円。上海ではまあ普通の収入だが、ご主人は現在、半ば失業状態なので一家の収入としては十分ではない。ただし彼女の、というか正確に言えば彼女の一家の資産は日本円で5000万円を超える。どうしてそんなことになるのか。

 王さんは上海生まれで、父親はある国の役所の出先の事務員、母親は大手国有企業で事務職をしていた。両親とも特に高級な幹部ではなく、普通の市民である。王さん一家の「住宅遍歴」は以下のようなものだ。

 まず父親が80年代半ば、所属する単位から市内のそれなりの場所に2室約40㎡の住まいを支給された。この部屋はその後、前述のようなプロセスで使用権が父親の名義になった。

 中国では女性も仕事を持っているので、同じく部屋を「単位」から支給される権利がある。王さんの母親は、すでに配偶者が部屋を支給されているので、住宅の配分はないのが建前だが、コネを使って頼み込み、80年代後半に市内の現在では一等地と言っていい別の場所にある古いビルの中に12㎡の小さな部屋をもらった。これも使用権は母親のものになった。

 成長した王さんは、90年代半ばのある日、家の近くを歩いていたら、「部屋売ります」という貼り紙を見つけた。約30㎡の部屋で、値段は日本円で150万円ほどだった。当時はご主人が小商売をやっていて少し手元にお金があったので、それに自分の貯金と親戚からの借金を加えて、思い切ってその部屋(の使用権、以下同)を買った。

 ご承知のように上海の地価高騰はまことにすさまじい。上海市内の新築住宅の平均価格は1㎡あたり1万5000元(日本円25万5000円、1元17円換算、以下同)を超える。これは周辺部も含む平均価格で、東京で言えば23区に相当するような地域なら軒並み1㎡あたり3万元(51万円)以上、中心部なら5万元(85万円)以上になる。

 付け加えると、上海では近年、市街地の再開発がいたるところで行われている。その際に住民に市政府から支払われる立ち退き補償金は、こうした周辺の住宅価格の相場と、そこに住民登記している家族の人数などによって決められる。そのため「立ち退きになったら、いくらもらえるか」がその地域の不動産価格の一種の指標のようになっている。

 さて、王さん一家の入手した3つの部屋が2008年の現在、どうなったか。

 まず父親がもらった最初の部屋は、現在の相場は1㎡あたり約3万元(51万円)。40㎡だから2000万円強の価値になる。さらに母親の12㎡の小部屋は、このまま住むには価値が低いが、間もなくその地域一帯が市政府の手によって再開発されることが決まっており、立ち退き保証料が出る。王さんは周囲の状況から見て、この地域は遠からず再開発必至とみて数年前から家族全員と親戚計7人ぶんをこの部屋で住民登録している(市民なら誰でもやっていることである)。その立ち退き料が少なくとも100万元(1700万円)ほどあると見ている。

 市政府がなぜそんな高額の補償金を支払えるのかといえば、住民が立ち退いた後の更地はそれ以上の価格でデベロッパーに売れるからである。(ついでに付言すれば、上海で最大の大地主は市政府自身だ)。

 そして最後に王さん自身で買った30㎡の部屋が、現在ではやはり1㎡あたり3万元ほどに値上がりし、日本円で1500万円ぐらいの値段がついている。つまり王さん一家は3軒の不動産で計5000万円を軽く超える資産を持っていることになる。

 この王さん一家の経験は決して一部の極端な例ではない。上海市内ならどこにでもある話である。ちなみに上海市の人口は1700万人で、うち市街地部分の人口だけでも1200万人になる。

親が残した革命前の屋敷が資産に
 もう1人の例を出そう。市内の駐車場で警備員をしている50代の朱さん(仮名)夫婦は市内に2軒の家を持っている。2軒あるのは、夫婦それぞれが両親の権利を引き継いだからである。朱さんの父親は中国に社会主義革命が起きる前、かなりの資産を持つ商売人だった。革命後、資産のほとんどを没収されたが、親類一同6家族が住みついていた大きな古い洋館だけは手元に残すことを許された。

 政治的には苦労したが、改革開放が進んで世の中が平和になると、この洋館も資産になった。大きな屋敷で、敷地の面積が200㎡弱、実用面積は400㎡以上ある。この地域のマンションの相場は1㎡あたり2~2万5000元(30~42万5000円)ぐらいなので、古いとはいえこの屋敷の資産価値は軽く1億円を超えると見積もられている。ここも近く再開発の計画があり、そうなれば立ち退き保証料が入る。すでに6家族の間でどのように補償金を分けるかの話し合いが始まっている。1家族あたり2000万円以上にはなるだろう。

 朱さんの奥さんの部屋は、国営工場のワーカーだった両親が「単位」から配分を受けたもので、広さは約40㎡。これも現在では1200万円ほどの価値がある。当面は使わないので現在は賃貸に出している。 

 キリがないのでこのへんでやめておくが、日本円で数千万円単位の資産を持っている人が、街中にごく普通に存在する理由がおわかりいただけると思う。

 中国は夫婦共働きが原則なので、夫婦で2つの部屋を所有しているケースが少なくない。一家で不動産がひとつしかなければ、そこに住まねばならないから、どんなに資産価値が増えても利殖のためには活用しにくい。しかし住宅が2つあれば売却して新たに投資したり、家を担保に資金を借りて再投資するなどの行動を取りやすい。

 その背景には中国の「大家族主義」の影響もある。日本では親類とはいえ、ひとつの住宅に同居するのは面倒と思う人が多いが、中国では親類一同が一緒に暮らすのはよくあることだから、親類家族がひとつの大きめな住宅にまとまって住み、空いた物件を投資に回すケースがよく見られる。こうやって資産が急速に増えていくのである。

次は農村で土地成り金続出か!?
 こうしたメカニズムは全国の都市で大なり小なり機能しているが、上海や北京のような大都会ほど資産価値の増加が大きく、地方都市は少ない。まして農村の土地は集団所有のままだから、このメカニズムは機能していない。

 改革開放が始まった当時、たまたま大都市に住み、「単位」から住宅の配分を受けた人だけが巨額の資産を持つことになった。しかし元はと言えば不動産は「全人民」に所有権があったはずである。有体に言えば、改革開放の「どさくさ」で、人民共有の資産が(合法的に!) ある個人に乗っ取られてしまったのである。

 自分がどこに生まれるかは本人の責任であるはずがなく、大都市以外に住む人たちの現状に対する不満は当然ながら強烈だ。外国人の目から見れば、革命が起きても不思議でないほどの不公平だと思う。ただ前述したように、この手法の恩恵に浴した人の数があまりに膨大なので、現時点では不満よりも喜びの総量のほうが多いというのが実態だろう。

 ちなみに付言すれば、現在は農業集団が所有している農地についても、農民個人に分配し、個人所有を認めてはどうかという議論がすでに中央の政府部内で始まっている。実現は容易ではないが、もし実現すれば日本の農地改革と同様、中国社会の構造を根底から変える大改革になる。

 中国には6億人以上の農民がいるので、あまりにスケールが大きすぎてその結果は想像もつかないが、経済が順調に成長していけば、農民の中からも「土地成金」が続出してくるだろう。それに対する期待感が現状に対する農村部の不満を抑え込んでいる面もある。ここまで広がってしまった都市と農村の格差を多少なりとも縮めるには、やはり土地の力を借りる以外にないかもしれない。

 改革開放の初期、まだカネのなかった中国政府が人民に配分できるものは土地しかなかった。まずコストゼロの土地を人民に分配しておいて(政府自身が一番たくさん持っているけれど)、それから外資を大量に導入して地価を上げ、一気に国を豊かにする。もしそこまで狙ってやったのだとすれば、トウ小平という人は本当にたいしたものである。日本もそうだったが、金持ちになるには結局は土地である。土地のパワーは恐ろしい。


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最後まで読んでいただいて、お疲れ様でした!役に立つといいですが(^А^)ゝ

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