夏、八ヶ岳行った時、時間があればメルヘン街道を通って麦草峠(標高2120m)を越えて帰ってくることがある。
麦草峠を越えるとほどなくして白駒池の入口がある。この付近は、標高2100mを超えていて、シラビソやコメツガの針葉樹林帯で、そのほか苔の絨毯が広がり北八ヶ岳を代表とした植生がみられる。標高も高いのでダケカンバ(シラカバではなく肌色のカバノキ科)も当然みられる。白駒池を過ぎると徐々に下り始めて、標高1800m付近になると植生が針葉樹林帯から広葉樹林帯になってくる。少しずつシラカバが目立ち始め、標高1650m付近まで下りてくると、八千穂高原スキー場となる。このあたりのシラカバの純木林は見事で、うっとりとしてしまう。
これは、八千穂高原のシラカバ林。
よくもここまでのシラカバの純木林が枯れもせずに、それも自動車の排気ガスで黒っぽくならずに育ったなと思う。
いつもここを通った時、八千穂高原ではシラカバ林が標高1700m~1500m前後でよく育成しているなと思う。八ヶ岳に何年も登山で通って植生をみてきたのだが、本来は標高的には1700m付近は、針葉樹林帯であるはずではないかなと考える時がある。
天狗岳に登るときは、渋の湯から入山することが多いのだが、渋の湯は、標高1800mぐらいでうっそうとした針葉樹林帯の中にある。
編笠山に登った時は、南側の観音平から登ったのだが、標高1800m付近まではカラマツの樹林帯で、2000m手前からいきなり針葉樹林帯となる。晩秋に編笠山に登り山頂から裾野を見下ろした時、見事なカラマツの黄金色の紅葉をしていて、信州では昔からカラマツの植林が行われてきたのだろうかと考えた記憶がある。
さて、日光に話を移してみると、栃木県では標高7~800m付近からシラカバの木がちらほらと生えている。日光ではおおよそ中禅寺湖から戦場ヶ原付近でシラカバが多くみられる。戦場ヶ原では乾燥化が進んでいるといわれており、湿原から草原に移行しているといわれていて、いずれは森林となっていくそうである。シラカバは日当たりのよい場所を好むといわれており、戦場ヶ原をよく見るとシラカバの幼木があちらこちらに育成しているのがわかる。国道からでもよくわかる。
日光のシラカバの自生を観察すると、おおよそ日光湯元温泉付近(標高1470m)の少し上部の標高1500m付近まで自生しているが、それ以上高くなるとシラカバは自生していない。湯元温泉まで来るとシラビソなどの針葉樹が混在し始める。金精道路を菅沼に向かっていくとシラカバは見られなくなり、一気にダケカンバに代わっていく。標高1500m付近から上部は、針葉樹林とダケカンバが混在し、標高1800mを超える金精トンネル付近では針葉樹林帯になっている。
(※ダケカンバはシラカバよりも標高の高いところに自生しており、標高2500m付近の亜高山帯から高山帯辺りまで自生している。八ヶ岳の稜線付近や日光白根山頂付近まで自生している。)
これは、金精道路の標高1650m付近のダケカンバの樹林帯。
このダケカンバの樹林帯は、群馬県側でも丸沼(標高1400m)と菅沼(標高1700m)の間でも発達しており、見事なダケカンバの樹林帯を形成しているのがわかる。
志賀高原なども緯度的にも日光と同緯度で似た植生となっている。シラカバの自生している標高、ダケカンバの自生している標高、針葉樹林帯の標高はほぼ同じのように感じる。
霧ヶ峰も好きでよく訪れるが、山全体が草原状になっている貴重な植生の山だが、霧ヶ峰は昔から野焼きをしていて現在のような草原状の山になったそうである。現在は少しずつ森林に移行しているそうである。
日本海側の山々には、針葉樹林帯が全くなかったり(飯豊連峰、朝日連峰、月山、鳥海山など)、多少シラビソなどが自生(火打山、巻機山など)しているが発達できないで高山帯のようになっている山が多く、偽高山帯と呼ばれていてお花畑が見事である。なぜ針葉樹林帯が発達しなかったのかは、いろいろな諸説があるようだがわかっていないそうである。
しかし、日光や八ヶ岳は内陸に位置しており、そんなに雪の多い地域ではないので、、落葉広葉樹林帯、亜高山針葉樹林帯、高山帯などの植生の垂直分布が顕著といわれている。そんな植生の違いについて少し考えてみました。最後までお付き合いありがとうございました。
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