本日2/3は、大岡越前の日。
1717年2/3、大岡越前守忠相が南町奉行に就任した日である。
大岡越前といえば、「大岡裁き」と呼ばれる名裁判で有名であるが、19年間の在任中の裁判は3回だけで、そのうち忠相が執り行ったのは1回だけだったといいます。8代将軍吉宗の信頼が厚く、享保の改革に協力した人物です。
大岡裁きとして有名な話があるのでご紹介します。
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「子争い(こあらそい)」
ある時、二人の女が一人の子を連れてやってきた。互いに「自分こそがこの子の本当の母親だ」といって一歩も譲らなかったため、大岡越前守に裁いてもらおうということになった。
そこで越前守は「子の腕を持て。お前は右じゃ。そちは左を持つがいい。それから力いっぱい引き合って勝った方を実母とする」と言う。
女たちは子供の腕をおもいきり引っぱりはじめたが、子供が痛がって泣くので、一方の女が思わず手を放してしまった。
勝った女は喜んで子を連れて行こうとしたが、大岡様は 「待て。その子は手を放した女のものである」 と言うのだった。
勝った女は納得できず、 「なぜでございます。勝った者の子だとおっしゃられたではありませぬか」 と激しく抗議した。
それに対して越前守は「本当の母親なら子を思うものである。痛がって泣いているものをなおも引く者がなぜ母親であろうか」と言った。
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落語の中でも大岡裁きを題材にした噺がありますのでこちらも紹介します。
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「三方一両損(さんぽう いちりょうぞん)」
左官屋さんが、書き付けと印形と3両入った財布を拾う。落し主は印形から大工と解ったので、早速左官屋さんは大工の所に届けに行く。
ところが大工は、書き付けと印形は貰うが、落としたお金はもう自分のものでないから持って帰れと言って受け取らない。
左官屋さんも強情で、そんな金欲しくて 届けたのでないと、口論になる。取りあえず大工の大家さんが仲裁に入って、左官屋はそのまま帰った。
今度は、左官屋が自分のところの大家に一部始終を話したら、その大家さんは怒って早速大岡越前守に訴え出る。
越前守の前でもなお、両人は各々言い分を述べて金はいらないと言い張った。
そこで越前守は一両出し、二人に二両ずつ渡す。
「二両ずつを両人に褒美としてつかわす。2人とも三両懐に入るところを二両となったのだから一両の損。奉行も一両出したのだから一両の損。これ呼んで三方一両損なり」
と言い、無事解決した。
この後、越前守のはからいで膳が出る。
両人喜んで食べようとすると、奉行「いかに 空腹だからと言って あまりたんと食するなよ」と言う。
すると「へぇい、多かぁ(大岡)食わねぇ」「たった えちぜん(一膳)」
と言い落語の落ちとなる、という噺である。
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こういうのもなかなか面白いお話ですよね。