毘沙門天像のご開帳
宝満山の関連から天台宗、そして開祖伝教大師最澄の取材も進めていますが、その最澄ゆかりの住宅が新宮町にある横大路家(千年家)です。
横大路家住宅は17世紀中期に建設されたといわれ、九州で最も古い民家として、昭和52年に国の重要文化財に指定されました。最澄にまつわる伝説が残っており、最澄が寄宿した際にお礼として「横大路」の姓と「法理の火」「岩井の水」「毘沙門天の像」を贈られたといわれています。
その「毘沙門天の像」が毎年4月13日に御開帳の法要が行われている、ということで取材に伺いました。
現在県外に住まわれている御当主もこの日のために帰郷され、早朝から家の内外を身内の方々と共に掃き清められていました。
9時30分を過ぎた頃から、お参りの方達が三々五々集まってこられ、毘沙門天像の納められた厨子が祀られたお座敷に集合。10時少し前に、独鈷寺のご住職が到着。
10時過ぎからご住職の法要の読経の後に厨子の御開帳。長い年月の間に黒く燻されたような毘沙門天の像は、確かな歴史を物語っていました。
その後、参拝者は御当主に挨拶をしながら、順次お参りさせていただきました。この御開帳はこの日の午後3時ぐらいまで行われるとのことでした。
法要の後、私たちは「岩井の水」と、横大路家の先祖で、横大路の姓を贈られた源四郎が最澄と出会った…と云い伝えがある場所も撮影しました。

千年家の概要(インターネットより)

参拝の方々

独鈷寺ご住職による法要

参拝

毘沙門天の像

岩井の水
最澄が水がないのを知って、家の近くに自らの錫杖を突き刺すとそこから清水が湧き出てきた…と伝えられている水場

撮影風景(後方の石碑には「岩井の水」と、この水の由来が刻まれている)

最澄と源四郎の出会いの場所、と云われている所。
桜の花びらが風に舞い、水面に運ばれていく眺めはとても幻想的でした。

祀られている石碑(刻銘は何も見あたらない)
宝満山の関連から天台宗、そして開祖伝教大師最澄の取材も進めていますが、その最澄ゆかりの住宅が新宮町にある横大路家(千年家)です。
横大路家住宅は17世紀中期に建設されたといわれ、九州で最も古い民家として、昭和52年に国の重要文化財に指定されました。最澄にまつわる伝説が残っており、最澄が寄宿した際にお礼として「横大路」の姓と「法理の火」「岩井の水」「毘沙門天の像」を贈られたといわれています。
その「毘沙門天の像」が毎年4月13日に御開帳の法要が行われている、ということで取材に伺いました。
現在県外に住まわれている御当主もこの日のために帰郷され、早朝から家の内外を身内の方々と共に掃き清められていました。
9時30分を過ぎた頃から、お参りの方達が三々五々集まってこられ、毘沙門天像の納められた厨子が祀られたお座敷に集合。10時少し前に、独鈷寺のご住職が到着。
10時過ぎからご住職の法要の読経の後に厨子の御開帳。長い年月の間に黒く燻されたような毘沙門天の像は、確かな歴史を物語っていました。
その後、参拝者は御当主に挨拶をしながら、順次お参りさせていただきました。この御開帳はこの日の午後3時ぐらいまで行われるとのことでした。
法要の後、私たちは「岩井の水」と、横大路家の先祖で、横大路の姓を贈られた源四郎が最澄と出会った…と云い伝えがある場所も撮影しました。

千年家の概要(インターネットより)

参拝の方々

独鈷寺ご住職による法要

参拝

毘沙門天の像

岩井の水
最澄が水がないのを知って、家の近くに自らの錫杖を突き刺すとそこから清水が湧き出てきた…と伝えられている水場

撮影風景(後方の石碑には「岩井の水」と、この水の由来が刻まれている)

最澄と源四郎の出会いの場所、と云われている所。
桜の花びらが風に舞い、水面に運ばれていく眺めはとても幻想的でした。

祀られている石碑(刻銘は何も見あたらない)