毛利元就徳川家康訓戒則ち百万一心
youtube.com/shorts/kqV7VIt5bM8
youtube.com/shorts/kqV7VIt5bM8
「人間として恥ずかしくない生き方をすれば
惑わされることなくいつでも死を受け入れることができる」
ゆえに
「死を受け入れられないものは
人間として恥ずかしい生き方をしているからである。
是を地獄餓鬼畜生界に堕つるという。父母恩重経」
大久保利通斬奸状
島田たち「三光寺派」spacelan.ne.jp/~daiman/photo02/pho16.jpg
「薩長藩閥の専制独裁」
「法令の乱用による政府官吏の私利私欲」
「国費の乱費と憂国の士の排斥」
大久保らの専制政治は民権を抑圧して国費を浪費し、政府官吏の私利私欲。
さらに外交の失敗により国権の失墜を招いたというもの
承認深謝。
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html
感恩の歌 竹内浦次作
あはれはらから心せよ 山より高き父の恩
海より深き母の恩 知るこそ道のはじめなれ
児(こ)を守(も)る母のまめやかに
わが懐中(ふところ)を寝床(ねどこ)とし
かよわき腕をまくらとし 骨身を削るあはれさよ
美しかりし若妻も 幼児(おさなご)一人そだつれば
花のかんばせいつしかに 衰へ行くこそかなしけれ
身を切る如き雪の夜も 骨さす霜のあかつきも
乾けるところに子を廻し ぬれたるところに己れ伏す
幼きもののがんぜなく 懐中(ふところ)汚し背をぬらす
不浄をいとふ色もなく 洗ふも日々に幾度ぞや
己れは寒さに凍えつつ 着たるを脱ぎて子を包み
甘きは吐きて子に与え 苦きは自ら食(くら)ふなり
幼児乳をふくむこと 百八十斛(ももやそこく)を超すとかや
まことに父母の恵こそ 天の極り無きが如し
父母は我が子の為ならば 悪業(あっごう)つくり罪かさね
よしや悪趣に落つるとも 少しの悔(くひ)もなきぞかし
若し子遠く行くあらば 帰りてその面(かほ)見るまでは
出ても入りても子を憶(おも)ひ 寝ても覚めても子を念(おも)ふ
髪くしけづり顔ぬぐひ 衣を求め帯を買い
美しきは皆子に与へ 父母は古きを選むなり
己れ生あるその内は 子の身に代わらんことを思ひ
己れ死に行くその後は 子の身を守らんことを願ふ
よる年波の重なりて いつか頭(かうべ)の霜白く
衰へませる父母を 仰げば落つる涙かな
あゝありがたき父の恩 子はいかにして酬(むく)ゆべき
あゝありがたき母の恩 子はいかにして報ずべき
報恩の歌
あはれ地上に数知らぬ 衆生(しゆじやう)の中にただひとり
父とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝み
起てよ人の子いざ起ちて 浮世の風にたたかれし
余命少なきふた親の 弱れる心慰めよ
さりとも見えぬ父母の 夜半の寝顔仰ぐとき
見まがふ程の衰へに 驚き泣かぬものぞなき
樹しづまらんと欲すれど 風の止まぬを如何にせん
子養はんとねがへども 親在(おは)さぬぞあはれなる
逝きにし慈父(ちち)の墓石を 涙ながらに拭いつゝ
父よ父よと叫べども 答へまさぬぞ果敢(はか)なけれ
あゝ母上よ子を遺(お)きて いづこに一人逝きますと
胸かきむしり嘆けども 帰りまさぬぞ悲しけれ
父死に給ふその臨終(きは)に 泣きて念ずる声あらば
生きませる時なぐさめの 言葉かはして微笑(ほほえ)めよ
母息絶ゆるその臨終に 泣きて合掌(おろが)む手のあらば
生きませる時肩にあて 誠心(まごころ)こめてもみまつれ
実(げ)に古くして新しき 道は報恩のをしへなり
孝は百行(ひゃくぎょう)の根本(もと)にして 信への道の正門ぞ
世の若人よとく往きて 父母の御前に跪拝(ひざま)づけ
世の乙女子(をとめご)よいざ起ちて 父母の慈光(ひかり)を仰げかし
老いて後思い知るこそ悲しけれ
この世にあらぬ親の恵みに
合掌
_______
あとがき 法相宗管長薬師寺住職 高田 好胤
私は常づね、父母恩重経を一人でも多くの人々に読んで頂きたいと願っています。しかし、佛壇店をたずねても般若心経、阿弥陀経、観音経等の経本は必ずおかれていますが、父母恩重経をおいて下さっているお店はまだまだ少ないようです。そこでお佛壇を扱っておられる方々にお会いするたびに、温かい世づくりのお手伝いの為にぜひ父母恩重経もそろえてもらいたい旨お願いをし続けてきました。今回(昭和五十八年)、全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、それを各佛壇店において下さる由、大変有難い事だと喜んでいます。
私は結婚式に招かれた時、必ず父母恩重経をお持ちして、新婚のお二人に差上げ、新婚旅行の道中、二人で心を合わせ、声を揃えて読んできてほしい。そして帰ってからは座右の書の一冊に加えてもらいたいとお願いしています。皆さんお読みになってきて下さるようで、新婚旅行の旅先から情景描写などをまじえてのお礼状を頂きます。中には「こんなお経を読まされたばっかりに楽しかるべき新婚旅行が涙の旅行になってしまいました」と恨み状めいたものを手にする事もあります。けれども私は「よかったなあ」と喜びの気持ちで読ませてもらっています。親の恩の尊さを身近に説いたこのお経を、新婚の夫婦がいっしょに読んで催してくれるその涙は、人の心の中にその本質としてだれもが授かっているやさしさ、温かさに目ざめてもらったあらわれの涙であることがとてもうれしいのです。ですから、どのお礼状も最後には「この涙は二人が生涯忘れてはならない大切な涙であると思いました」といった意味の言葉で結ばれているのが常です。こうしたお礼状を頂くたびに、新しい人生の門出を父母恩重経でお手伝いする事のできた満足感が私の胸を潤してくれます。
ところでこのお経において親の苦労の具体的な姿は殆どが母の姿で説かれています。お釈迦様のお母さま、摩耶夫人(まやぷにん)はお釈迦さまをお産みになって七日後に亡くなっておられます。大変な難産だったのです。そのせいか、父母恩重経の中に子供を産むときの母親は命がけである事を所をかえて二度も説かれています。これはお釈迦様八十年のご生涯を通じてのご実感であったと思います。こうしたご自分の命とひきかえに魂と肉体をこの世に生み出して下さったお母さまに何一つして差上げる事ができなかったお釈迦様のお気持ちが、お母さまに傾きっぱなしのままでこのお経が説かれている所以であると拝察されます。同時にこのようにお釈迦さまがお母さまをお慕い続けられた飾り気のないおやさしいお気持ちがその底に流れているところに読む人の心を打つ所以があるのだと思います。先年、父母恩重経を講義し、一冊にまとめて出版した本の題を「母」(徳間書店刊)とした理由もここにあります。
諸人(もろびと)よ 思い知れかし 己(おの)が身の
誕生の日は 母苦難(ははくなん)の日
これはよみ人しらずのお歌ですが、まさに父母恩重経の精神(こころ)さながらの一首であります。(水戸黄門光圀公作首:豊岳正彦補記)
私は両親の命日と自分の誕生日に父母恩重経を読誦(どくじゅ)しております。毎年三月二十三日、母の祥月命日には六つ年上の姉と位牌を前に読誦致します。やはり姉の方が早く声をつまらせてしまいます。するとそれにつりこまれて私も胸に熱いものがこみ上げてきて、最後は共にとぎれとぎれに読み終えるのがやっとです。はらからの情愛に心潤さずにおかないのがこのお経であります。また、「父母恩重経は私にとって、生前親不孝を重ねた懺悔のお経でございます」とおっしゃられる方もおられます。どうか皆さん方もご両親在(おわ)しまさぬ場合、ご命日に兄弟姉妹(ごきょうだい)でこのお経を読誦して頂きたい、そしてはらからの情愛に心潤され合(お)うて頂きたいと思います。幸いご両親ご健在の方は自分の誕生日に読誦して、人の心の初心にかえる感動の涙に心洗われて頂きたいと思います。
「大孝は終身父母を慕う。」(命ある限りいついつ迄も両親を慕い続ける事、それは真(まこと)の親孝行である)これは中国の思想家、孟子さまのお言葉です。孔子さまも孝経の中で、
「孝は徳の本なり。教への由(よ)って生ずる所なり(親孝行はすべての道徳の源であり、これなくして教育は成り立たない)」と教えて下さっています。
孝謙天皇の天平宝字元年(西紀七五七年)、天皇は各家庭に孝経をおいて読むようにとの勅を発しておられます。以来、明治に至る迄、孝経は国民必読の書でありました。私共が子供の頃はまだ孝経や論語の教えが学校で教えられていました。それによって東洋的な無我と智恵、そして日本人のあたたかな宗教的情操の涵養が学校教育の場でいただくことができていました。けれどもこれが涵養は学校教育の場から追放されているが如きが今日の現状です。青少年非行化をふくめて各種もろもろの問題の大きな原因がこのあたりにあることに気づいてほしいものです。それであるだけにどうか家族揃って父母恩重経を読誦していただき、はらからの情愛に心潤され合うていただきたい、また人の心の初心に帰った感動の涙に心洗われていただきたいとひたすらに願いつつ、全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、広く世にひろめていただく事に諸手(もろて)をあげて賛意を表します。
また、このお経のお話を申上げるときよく、「このお経が感恩・報恩の歌のお経ですか」とのおたずねを受けます。そうですこのお経がまさしく感恩・報恩の歌のお経なのです。この感恩の歌、報恩の歌は修養団の講師であり、また青少年の健全なる育成に生涯をささげ、昭和五十七年三月二十三日に九十六歳の天寿を全うされた竹内浦次翁の作になるものです。翁がさる年慈愛深き御尊母がみまかられませし時に悲哭の思ひを父母恩重経に託しておつくりになりましたのがこの歌です。
旧制師範学校などで愛唱され、その訓導を受けたひとびとに語りつがれています。どうかみなさまがたこの歌を黙読だけではなく声に出して朗読また御唱和をなさっていただき、潤はしい情操の養いの糧資を得ていただくことをお願いいたします。 合掌
______________
父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう) 臨済宗聖典
仏のたまわく、大地の土の多きが如く、この世に生をうくるもの多けれど、中にも人間と生るるは爪の上の土の如く稀なり。この故に人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらざれば生まれず、母にあらざれば育てられず。子の心身は父母にうく。この因縁の故に父母の子を思うこと、世間に比ぶべきものあることなし。
母、胎児をみごもりしより、十月の間、血をわけ肉をわかちて子の身体をつくる。身に重き病を患うが如く、起き伏し、もろもろの苦しみをうくれば、常に好める飲食衣服をうるも愛欲の心を生ぜず。ただ一心に安産せんことを思う。月みち日たりて出産のとき至れば、陣痛しきりに起りてこれを促し、骨節ことごとく痛み、あぶら汗しきりに流れて、その苦しみたえがたく、これがため忽然として母の身を亡ぼすことあり。父もおののき怖れ、母と子とを思い悩む。もし子安らけく産れいずれば、父母の喜び限りなく、その子、声を発すれば、母も初めてこの世に生れいでたるが如し。
もし子、遠くにゆけば帰りてその顔を見るまで出でても入りてもこれを思い、寝てもさめてもこれを思う。子病み悩める時は子に代らんことを思い、死して後も子の行末を護らんことを誓う。花の如き母も、若さに光る父も、寄る年波の重なりて、いつか頭に霜をおき、衰え給うぞ涙かな。
もろ人あきらかに聞け。孝養のことは在家出家の別あることなし。或は言う。親は己の好みにて子を生めば、子は親に孝養のつとめなしとかや。されど、こは人の道に反くものぞ。真の親は子について報謝を求めず、自らの功を誇らぬものなれど、子はひたすらに孝養をつとむべし。
汝ら大衆(だいしゅう)よく聴け。父母の為に心をつくし、美味なる飲食、麗わしき衣服、心地よき車、結構なる住居等を供養し、一生安楽ならしむるとも、もし父母いまだ三宝に帰依せず因果の理を信ぜずば、なお真の孝養いたるとせず。もし父母、かたくなにして仏の教えを奉ぜずば、子は時に応じ機に随い、たとえをとり類をひき、因果の道理を説ききかせ、未来の苦しみを救うべし。父母は恩愛の情にひかれてやがて仏の道に向わん。即ち生きものを殺さず盗みせず、男女の道を過たず、うそ偽りをいわず、心迷わざれば、家の内、親は慈しみ、子は孝に、夫は正しく妻は貞に、親族睦まじく家人順い、畜類虫魚までも普く恵みを蒙り、家栄え国和やかに、十方の諸菩薩天龍鬼神大衆までこれを敬愛せざるなし。暴悪の主も不良の徒も、千萬の悪魔もこれを如何ともすることなけん。こゝにおいて父母現(げん)世(ぜ)には安穏に住し、後世には善処に生じ、仏を見、法を聞きて長く苦しみを脱せん。かくの如くにして始めて父母の恩に報ずるものとなす。
・・・・・・・
産める子に 踏まれ蹴られど 母ごころ
わが身消ゆれど 子をば守らむ
垂乳根(たらちね)の 白き媼母(おんも)の 独り寝(ぬ)る
寝音に暁(あけ)の待ち遠しけれ
雲居杣人正顔
南無父母無二佛
南無大日不動薬師如来
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛
南無三宝
拈華微笑 合掌
・・・・・・・・
『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html
昭和31年10月1日初版
福岡県八幡市上本町敬行寺大沼法龍導師様著述編集
浄土真宗【宗祖七百回忌記念聖典】
252頁55「仏説父母恩重経」
291頁61「マッカーサー元帥へ」
292頁62「A級戦犯者へ法話」
発行者大沼善龍
印刷所愛知県豊橋市西八町(市役所前)藤田印刷所
55佛説(ぶっせつ)父母恩重經(ふぼおんじゅうきょう)
是(か)くの如(ごと)く我(わ)れ聞(き)けり。ある時(とき)、佛(ほとけ)、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛山(ぎじゃくつせん)中(ちゅう)に菩薩(ぼさつ)声聞(しょうもん)の衆(しゅう)と倶(とも)にましましければ、比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)、一切(いっさい)諸天(しょてん)の人民(にんみん)及(およ)び龍鬼神(りゅうきじん)等(とう)、法(ほう)を聞(き)かんとて、来(き)たり集(あつ)まり、一心(いっしん)に寶座(ほうざ)を囲繞(いにょう)して、瞬(またた)きもせで尊顔(そんがん)を仰(あお)ぎ瞻(み)たりき。
是(こ)の時(とき)、佛(ほとけ)、すなわち法(ほう)を説(と)いて宣(のたま)わく、一切(いっさい)の善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)よ、父(ちち)に慈恩(じおん)あり、母(はは)に悲恩(ひおん)あり。そのゆえは、人(ひと)の此(こ)の世(よ)に生(う)まるゝは、宿業(しゅくごう)を因(いん)として、父(ちち)母(はは)を縁(えん)とせり。父(ちち)にあらされば生(しょう)ぜず、母(はは)にあらざれば育(そだ)てられず。ここを以(もっ)て氣(き)を父(ちち)の胤(たね)に稟(う)けて形(かたち)を母(はは)の胎(たい)に托(たく)す。此(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、悲母(ひぼ)の子(こ)を念(おも)うこと世間(せけん)に比(たぐ)いあること無(な)く、その恩(おん)未形(みぎょう)に及(およ)べり。始(はじ)め胎(たい)に受(う)けしより、十月(とつき)を經(ふ)るの間(あいだ)、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)ともに、もろもろの苦惱(くのう)を受(う)く。苦惱(くのう)休(や)む時(とき)無(な)きが故(ゆえ)に、常(つね)に好(この)める飲食(おんじき)衣服(えぶく)を得(う)るも、愛欲(あいよく)の念(ねん)を生(しょう)ぜず、唯(た)だ一心(いっしん)に安(やす)く生産(しょうさん)せんことを思(おも)う。月(つき)滿(み)ち日(ひ)足(た)りて、生産(しょうさん)の時(とき)至(いた)れば、業風(ごうふう)吹(ふ)きて、之(こ)れを促(うなが)し、骨節(こっせつ)ことごとく痛(いた)み、汗(あせ)膏(あぶら)ともに流(なが)れて、其(そ)の苦(くるし)み堪(た)えがたし。父(ちち)も心身(しんしん)戦(おのの)き怖(おそ)れて母(はは)と子(こ)とを憂念(ゆうねん)し、諸親(しょしん)眷属(けんぞく)皆(み)な悉(ことごと)く苦惱(くのう)す。既(すで)に生(う)まれて草上(そうじょう)に墮(お)つれば、父母(ふぼ)の喜(よろこ)び限(かぎ)りなきこと、猶(な)ほ貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいしゅ)を得(え)たるがごとし。その子(こ)聲(こえ)を發(はっ)すれば、母(はは)も初(はじ)めて此(こ)の世(よ)に生(う)まれ出(い)でたるが如(ごと)し。爾來(それより)母(はは)の懐(ふところ)を寝處(ねどこ)となし、母(はは)の膝(ひざ)を遊(あそ)び場(ば)となし、母(はは)の乳(ちち)を食物(しょくもつ)となし、母(はは)の情(なさけ)を性命(いのち)となす。飢(う)える時(とき)、食(しょく)を需(もと)むるに母(はは)にあらざれば哺(くら)わず。渇(かわ)く時(とき)、飲(のみもの)を索(もと)むるに、母(はは)にあらざれば嚥(の)まず。寒(さむ)き時(とき)、服(きもの)を加(くわ)うるに、母(はは)にあらざれば着(き)ず、暑(あつ)き時(とき)、衣(きもの)を撒(さ)るに、母(はは)にあらざれば脱(ぬ)がず。母(はは)飢(うえ)に中(あた)る時(とき)も、哺(ふく)めるを吐(は)きて子(こ)に口臽(くら)はしめ、母(はは)寒(さむ)きに苦(くる)しむ時(とき)も、着(き)たるを脱(ぬ)ぎて子(こ)に被(かぶ)らす。母(はは)にあらざれば養(やしな)われず、母(はは)にあらざれば育(そだ)てられず。その闌車(らんしゃ)を離(はな)るるに及(およ)べば、十指(じっし)の甲(つめの)中(なか)に、子(こ)の不浄(ふじょう)を食(くら)う。計(はか)るに、人々(ひとびと)母(はは)の乳(ちち)を飲(の)むこと、一百八十斛(いっぴゃくはちじゅっこく)となす。
父(ちち)母(はは)の恩(おん)重(おも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
母(はは)、東西(とうざい)の隣里(りんり)に傭(やと)われて、或(あるい)は水汲(みずく)み、或(あるい)は火燒(ひた)き、或(あるい)は碓(うす)つき、或(あるい)は磨挽(うすひ)き、種々(しゅじゅ)の事(こと)に服従(ふくじゅう)して、家(いえ)に還(かえ)るの時(とき)未(いま)だ至(いた)らざるに、今(いま)や吾(わ)が兒(こ)吾(わ)が家(いえ)に啼(な)き哭(いさ)ちて、吾(われ)を戀(こ)ひ慕(した)はんと思(おも)い起(おこ)せば、胸悸(むなさわ)ぎ心驚(こころおどろ)き、両乳(りょうにゅう)流(なが)れ出(い)でて、忍(しの)び堪(た)ゆること能(あた)わず、乃(すなわ)ち去(さ)りて家(いえ)に還(かえ)る。兒(こ)遙(はるか)に母(はは)の来(く)るを見(み)て、闌車(らんしゃ)の中(なか)に在(あ)れば、即(すなわ)ち頭(あたま)を揺(うご)かし腦(なづき)を弄(ろう)し、外(ほか)に在(あ)れば即(すなわ)ち葡匐(はらばい)して出(い)で來(きた)り、嗚呼(そらなき)して母(はは)に向(むか)う。母(はは)は子(こ)の爲(ため)に足(あし)を早(はや)め身(み)を曲(ま)げ、長(なが)く兩手(りょうて)を舒(の)べて塵土(ちりつち)を拂(はら)い、吾(わ)が口(くち)を子(こ)の口(くち)に接(つ)けつつ、乳(ちち)を出(い)だして之(これ)を飲(の)ましむ。是(こ)の時(とき)、母(はは)は子(こ)を見(み)て歡(よろこ)び、兒(こ)は母(はは)を見(み)て喜(よろこ)び、兩情(りょうじょう)一致(いっち)、恩愛(おんあい)の洽(あまね)きこと、復(ま)た此(こ)れに過(す)ぐるものなし。
二歳(にさい)、懐(ふところ)を離(はな)れて始(はじ)めて行(ゆ)く。父(ちち)に非(あら)ざれば、火(ひ)の身(み)を焼(や)くことを知(し)らず。母(はは)に非(あら)ざれば、刀(はもの)の指(ゆび)を墮(おと)すことを知(し)らず。三歳(さんさい)、乳(ちち)を離(はな)れて始(はじ)めて食(くら)う。父(ちち)に非(あら)ざれば、毒(どく)の命(いのち)を殞(おと)すことを知(し)らず。母(はは)に非(あら)ざれば、薬(くすり)の病(やまい)を救(すく)うことを知(し)らず。
父(ちち)母(はは)外(そと)に出(い)でて他(た)の座席(ざせき)に往(ゆ)き、美味(びみ)珍羞(ちんしゅう)を得(う)ることあれば、自(みずか)ら之(これ)を喫(くら)うに忍(しの)びず、懐(ふところ)に収(おさ)めて持(も)ち歸(かえ)り、喚(よ)び来(きた)りて子(こ)に與(あた)う。十(と)たび還(かえ)れば九(く)たびまで得(う)。得(う)れば即(すなわ)ち常(つね)に歡喜(かんき)して、かつ笑(わら)いかつ食(くら)う。もし過(あやま)りて一(ひと)たび得(え)ざれば、則(すなわ)ち矯(いつ)わり泣(な)き、佯(いつ)わり哭(さけ)びて、父(ちち)を責(せ)め母(はは)に逼(せ)まる。稍(や)や成長(せいちょう)して朋友(ほうゆう)と相(あい)交(まじ)わるに至(いた)れば、父(ちち)は衣(きぬ)を索(もと)め帶(おび)を需(もと)め、母(はは)は髪(かみ)を梳(くしけず)り、髻(もとどり)を摩(な)で、己(おの)が好(この)美(み)の衣服(えぶく)は皆(み)な子(こ)に與(あた)えて着(き)せしめ、己(おの)れは則(すなわ)ち古(ふる)き衣(きぬ)、弊(やぶ)れたる服(きもの)を纏(まと)う。
既(すで)に婦妻(ふさい)を索(もと)めて、他(た)の女子(じょし)を娶(めと)れば、父母(ふぼ)をば轉(うた)た疎遠(そえん)して夫婦(ふうふ)は特(とく)に親近(しんきん)し、私房(しぼう)の中(うち)に於(おい)て妻(つま)と共(とも)に語(かた)らい樂(たの)しむ。
父(ちち)母(はは)年(とし)高(た)けて、氣(き)老(を)い力(ちから)衰(おとろ)えぬれば、倚(よ)る所(ところ)の者(もの)は唯(た)だ子(こ)のみ、頼(たの)む所(ところ)の者(もの)は唯(た)だ婦(よめ)のみ。しかるに夫婦(ふうふ)共(とも)に朝(あした)より暮(くれ)に至(いた)るまで、未(いま)だ肯(あえ)て一(ひと)たびも来(きた)り問(と)はず。
或(あるひ)は父(ちち)は母(はは)を先立(さきだ)て、母(はは)は父(ちち)を先立(さきだ)てて獨(ひと)り空房(くうぼう)を守(まも)り居(お)るは、猶(な)ほ孤客(こかく)の旅寓(りょぐう)に寄泊(きはく)するが如(ごと)く、常(つね)に恩愛(おんあい)の情(じょう)なく復(ま)た談笑(だんしょう)の娯(たのし)み無(な)し。夜半(やはん)衾(ふすま)冷(ひややか)にして五體(ごたい)安(やす)んぜず。況(いわ)んや褥(しとね)に蚤(のみ)虱(しらみ)多(おほ)くして、暁(あかつき)に至(いた)るまで眠(ねむ)られざるをや。幾度(いくたび)か輾転(てんてん)反側(はんそく)して獨言(ひとりごと)すらく、噫(ああ)吾(わ)れ何(なん)の宿罪(しゅくざい)ありてか、斯(か)かる不(ふ)孝(こう)の子(こ)を有(も)てるかと。
事(こと)ありて、子(こ)を呼(よ)べば、目(め)を瞋(いか)らして怒(いか)り罵(ののし)る。婦(よめ)も兒(こ)も之(こ)れを見(み)て、共(とも)に罵(ののし)り共(とも)に辱(はずか)しめば、頭(こうべ)を垂(た)れて笑(わら)いを含(ふく)む。婦(よめ)も亦(また)不(ふ)孝(こう)、兒(こ)も亦(また)不(ふ)順(じゅん)。夫婦(ふうふ)和合(わごう)して五逆(ごぎゃく)罪(ざい)を造(つく)る。
或(あるい)は復(ま)た急(きゅう)に事(こと)を辧(べん)ずることありて、疾(と)く呼(よ)びて命(めい)ぜむとすれば、十(と)たび喚(よ)びて九(く)たび違(たが)い、遂(つひ)に来(きた)りて給(きゅう)仕(じ)せず、却(かえ)りて怒(いか)り罵(ののし)りて云(い)わく、老(を)い耄(ぼ)れて世(よ)に残(のこ)るよりは早(はや)く死(し)なんには如(し)かずと。父(ちち)母(はは)これを聞(き)いて、怨念(おんねん)胸(むね)に塞(ふさ)がり、涕涙(ているい)瞼(まぶた)を衝(つ)きて、目(め)瞑(くら)み、心(こころ)惑(まど)い、悲(かなし)み叫(さけ)びていわく、噫(あゝ)汝(なんじ)幼少(ようしょう)の時(とき)、吾(われ)に非(あら)ざれば養(やしな)われざりき、吾(われ)に非(あら)ざれば育(そだ)てられざりき。而(しか)して今(いま)に至(いた)れば即(すなわ)ち却(かえ)りて是(かく)の如(ごと)し。噫(あゝ)吾(わ)れ汝(なんじ)を生(う)みしは本(もと)より無(な)きに如(し)かざりけりと。
若(も)し子(こ)あり、父(ちち)母(はは)をして是(かく)の如(ごと)き言(ことば)を発(はっ)せしむれば、子(こ)は即(すなわ)ちその言(ことば)と共(とも)に、堕(お)ちて地獄(ぢごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)の中(うち)にあり。一切(いっさい)の如来(にょらい)・金剛天(こんごうてん)・五通仙(ごつうせん)も、これを救(すく)い護(まも)ること能(あた)わず。父(ちち)母(はは)の恩(おん)重(おも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)よ、別(わ)けて之(こ)れを説(と)けば、父(ちち)母(はは)に十種(じゅっしゅ)の恩徳(おんどく)あり。何(なに)をか十種(じゅっしゅ)となす。
一には懐胎(かいたい)守護(しゅご)の恩(おん)
二には臨生(りんしょう)受苦(じゅく)の恩(おん)
三には生子(しょうし)忘憂(ぼうゆう)の恩(おん)
四には乳哺(にゅうほ)養育(よういく)の恩(おん)
五には廻乾(えげん)就湿(じゅしつ)の恩(おん)
六には洗灌(せんかん)不浄(ふじょう)の恩(おん)
七には嚥苦(えんく)吐甘(とかん)の恩(おん)
八には為造(いぞう)悪業(あくごう)の恩(おん)
九には遠行(おんぎょう)憶念(おくねん)の恩(おん)
十には究竟(くきょう)憐愍(れんみん)の恩(おん)
父(ちち)母(はは)の恩(おん)重(おも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)、かくの如(ごと)きの恩徳(おんどく)、如何(いか)にして報(むくゆ)べき。佛(ほとけ)、すなわち偈(げ)を以(もっ)て讃(さん)して宣(のたま)わく、
悲母(ひぼ)、子(こ)を胎(はら)めば、十月(とつき)の間(あいだ)に血(ち)を分(わ)け肉(にく)を頒(わか)ちて、身(み)、重病(じゅうびょう)を感(かん)ず。子(こ)の身体(しんたい)之(これ)に由(よ)りて成就(じょうじゅ)す。
月(つき)満(み)ち時(とき)到(いた)れば、業風(ごうふう)催促(さいそく)して、徧身(へんしん)疼痛(とうつう)し、骨節(こっせつ)解体(かいたい)して、神心(しんしん)悩乱(のうらん)し、忽然(こつねん)として身(み)を亡(ほろ)ぼす。
若(も)し夫(そ)れ平安(へいあん)になれば、猶(な)お蘇生(そせい)し来(きた)るが如(ごと)く、子(こ)の声(こえ)を発(はっ)するを聞(き)けば、己(おの)れも生(うま)れ出(い)でたるが如(ごと)し。
其(そ)の初(はじ)めて生(う)みし時(とき)には、母(はは)の顔(かんばせ)花(はな)の如(ごと)くなりしに、子(こ)を養(やしな)うこと数年(すうねん)なれば容(かたち)すなわち憔悴(しょうすい)す。
水(みず)の如(ごと)き霜(しも)の夜(よ)にも、氷(こほり)の如(ごと)き雪(ゆき)の暁(あかつき)にも、乾(かわ)ける処(ところ)に子(こ)を廻(ま)わし、濕(うるお)える処(ところ)に己(おの)れ臥(ふ)す。
子(こ)、己(おの)が懐(ふところ)に屎(くそま)り或(あるい)は其(そ)の衣(ころも)に尿(いばり)するも、手(て)自(みずか)ら洗(あら)い濯(そそ)ぎて、臭穢(しゅうえ)を厭(いと)うこと無(な)し。
食味(しょくみ)を口(くち)に含(ふく)みて、これを子(こ)に哺(ふく)むるにあたりては、苦(にが)き物(もの)は自(みず)から嚥(の)み、甘(あま)き物(もの)は吐(は)きて与(あた)う。
若(も)し夫(そ)れ子(こ)のために止(や)むを得(え)ざる事(こと)あれば、自(みずか)ら悪(あく)業(ごう)を造(つく)りて、悪趣(あくしゅ)に堕(お)つることを甘(あま)んず。
若(も)し子(こ)遠(とお)く行(ゆ)けば、帰(かえ)りて其(そ)の面(おもて)を見(み)るまで、出(い)でても入(い)りても之(これ)を憶(おも)い、寝(ね)ても寤(さ)めても之(これ)を憂(うれ)う。
己(おの)れ生(しょう)ある間(あいだ)は、子(こ)の身(み)に代(かわ)らんことを念(おも)い、己(おの)れ死(し)に去(さ)りて後(のち)には、子(こ)の身(み)を護(まも)らんことを願(ねが)う。
是(かく)の如(ごと)きの恩徳(おんどく)、如何(いか)にして報(ほう)ずべき。
然(しか)るに長(ちょう)じて人(ひと)と成(な)れば、声(こえ)を抗(あ)げ気(き)を怒(いか)らして、父(ちち)の言(げん)に順(したが)わず、母(はは)の言(げん)に瞋(いか)りを含(ふく)む。既(すで)にして婦(ふ)妻(さい)を娶(めと)れば、父(ちち)母(はは)に乖(そむ)き違(たが)うこと恩(おん)無(な)き人(ひと)の如(ごと)く、兄弟(きょうだい)を憎(にく)み嫌(きら)うこと怨(うら)みある者(もの)の如(ごと)し。妻(つま)の族(ぞく)来(きた)りぬれば、堂(どう)に昇(のぼ)せて饗応(きょうおう)し、室(しつ)に入(い)れて歓晤(かんご)す。嗚呼(ああ)噫嗟(ああ)、衆生(しゅじょう)顛倒(てんどう)して、親(した)しき者(もの)は却(かえ)りて疎(うと)み、疎(うと)き者(もの)は却(かえ)りて親(したし)む。
父母(ちちはは)の恩(おん)重(おも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
是(こ)の時(とき)、阿難(あなん)、座(ざ)より起(た)ちて、偏(ひとえ)に右(みぎ)の肩(かた)を袒(はだぬ)ぎ、長跪(ちょうき)合掌(がっしょう)して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、世尊(せそん)、是(かく)の如(ごと)き父(ちち)母(はは)の重恩(じゅうおん)を、我(われ)等(ら)出家(しゅっけ)の子(もの)は、如何(いか)にしてか報(ほう)ずべき。具(つぶ)さに其(その)事(こと)を説示(せつじ)し給(たま)えと。
仏(ほとけ)宣(のたま)わく、汝等(なんじら)大衆(だいしゅ)、よく聴(き)け。孝養(こうよう)の一事(いちじ)は、在家(ざいけ)出家(しゅっけ)の別(べつ)ある事(こと)なし。出(い)でし時(とき)新(しん)の甘果(かんか)を得(う)れば、将(も)ち去(さ)りて父母(ちちはは)に供養(くよう)せよ。父(ちち)母(はは)之(これ)を得(え)て歓喜(かんぎ)し、自(みずか)ら食(くら)うに忍(しの)びず、先(まず)之(これ)を三宝(さんぽう)に廻(めぐ)らし施(ほどこ)せば、則(すなわ)ち菩提心(ぼだいしん)を啓発(けいはつ)せん。
父(ちち)母(はは)病(やまい)あらば、牀辺(しょうへん)を離(はな)れず、親(した)しく自(みずか)ら看護(かんご)せよ、一切(いっさい)の事(こと)之(こ)れを他人(たにん)に委(ゆだ)ぬること勿(なか)れ。時(とき)を計(はか)り便(べん)を伺(うかが)い、懇(ねんごろ)に粥飯(しゅくはん)を勧(すす)めよ。親(おや)は子(こ)の勧(すす)むるを見(み)て、強(し)いて粥飯(しゅくはん)を喫(きっ)し、子(こ)は親(おや)の喫(きっ)するを見(み)て、抂(ま)げて己(おの)が意(こころ)を強(つよ)くす。親(おや)暫(しばら)く睡眠(すいみん)すれば、気(き)を静(しず)めて息(いき)を聞(き)き睡(ねむり)覚(さ)むれば、医(い)に問(と)いて薬(くすり)を進(すす)めよ。日夜(にちや)に三宝(さんぽう)に恭敬(くぎょう)して、親(おや)の病(やまい)の癒(い)えんことを願(ねが)い、常(つね)に報恩(ほうおん)の心(こころ)を懐(いだ)きて、片時(かたとき)も忘失(わす)るゝこと勿(なか)れ。
是(こ)の時(とき)、阿難(あなん)また問(と)いていわく、世尊(せそん)、出家(しゅっけ)の子(こ)能(よ)く是(かく)の如(ごと)くせば、以(もっ)て父(ちち)母(はは)の恩(おん)に報(ほう)ずと為(な)す乎(か)。
仏(ほとけ)、宣(のたま)わく、否(いな)、未(いま)だ以(もっ)て、父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずと為(な)さざるなり。親(おや)、頑固(かたくな)にして三宝(さんぽう)を奉(ほう)ぜず、不仁(ふじん)にして物(もの)を残(そこな)い、不義(ふぎ)にして物(もの)を盗(ぬす)み、無礼(ぶれい)にして色(いろ)に荒(すさ)み、不信(ふしん)にして人(ひと)を欺(あざむ)き、不智(ふち)にして酒(さけ)に耽(ふけ)らば、子(こ)は当(まさ)に極諫(ごくかん)して、之(これ)を啓悟(けいご)せしむべし。若(も)し猶(なお)闇(くら)くして未(いま)だ悟(さと)ること能(あた)わざれば、則(すなわ)ち為(た)めに譬(たとえ)を取(と)り類(るい)を引(ひ)き、因果(いんが)の道理(どうり)を演説(えんぜつ)して、未来(みらい)の苦患(くげん)を救(すく)うべし。若(も)し猶(なお)頑(かたくな)にして未(いま)だ改(あらた)むること能(あた)わざれば、啼泣(ていきゅう)歔欷(きょき)して己(おの)が飲食(おんじき)を絶(た)てよ。親(おや)、頑闇(かたくな)なりと雖(いえど)も、子(こ)の死(し)なんことを懼(おそ)るるが故(ゆえ)に、恩愛(おんあい)の情(じょう)に索(ひ)かれて、強忍(きょうにん)して道(みち)に向(むか)わん。
若(も)し親(おや)志(こころざし)を遷(うつ)して仏(ほとけ)の五戒(ごかい)を奉(ほう)じ、仁(じん)ありて殺(ころ)さず、義(ぎ)ありて盗(ぬす)まず、礼(れい)ありて婬(いん)せず、信(しん)ありて欺(あざむ)かず、智(ち)ありて酔(よ)わざれば、則(すなわ)ち家門(かもん)の内(うち)、親(おや)は慈(じ)に、子(こ)は孝(こう)に、夫(おっと)は正(せい)に、婦(つま)は貞(てい)に、親族(しんぞく)和睦(わぼく)し、婢僕(ひぼく)忠順(ちゅうじゅん)し、六畜(ろくちく)蟲魚(ちゅうぎょ)まで、普(あまね)く恩沢(おんたく)を被(こうむ)りて、十方(じっぽう)の諸仏(しょぶつ)、天龍(てんりゅう)鬼神(きじん)、有道(うどう)の君(きみ)、忠良(ちゅうりょう)の臣(しん)より、庶民(しょみん)万性(ばんしょう)まで、敬愛(けいあい)せざるは無(な)く、暴悪(ぼうあく)の主(しゅ)も、佞嬖(ねいへい)の輔(ほ)も、妖児(ようじ)兇婦(きょうふ)も、千邪(せんじゃ)万怪(ばんかい)も、之(こ)れを如何(いかん)ともすること無(な)く、是(ここ)に於(おい)て父母(ちちはは)、現(げん)には安穏(あんのん)に住(じゅう)し、後(ご)には善処(ぜんしょ)に生(しょう)じ、仏(ほとけ)を見(み)、法(ほう)を聞(き)いて長(なが)く苦輪(くりん)を脱(だっ)せん。かくの如(ごと)くにして始(はじ)めて父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずるものと為(な)すなり。
仏(ほとけ)更(さ)らに説(せつ)を重(かさ)ねて宣(のたま)わく、汝等(なんじら)大衆(だいしゅ)能(よ)く聴(き)け。父母(ちちはは)のために心力(しんりょく)を尽(つく)して、有(あ)らゆる佳味(かみ)・美音(びおん)・妙衣(みょうえ)・車駕(しゃが)・宮室(きゅうしつ)等(とう)を供養(くよう)し父母(ちちはは)をして一生(いっしょう)遊楽(ゆうらく)に飽(あ)かしむるとも、若(も)し未(いま)だ三宝(さんぽう)を信(しん)ぜざらしめば、猶(な)お以(もっ)て不孝(ふこう)と為(な)す。如何(いかん)となれば、仁心(じんしん)ありて施(ほどこ)しを行(おこな)い、礼式(れいしき)ありて身(み)を撿(ひきし)め、柔和(にゅうわ)にして辱(はじ)を忍(しの)び、勉強(べんきょう)して徳(とく)に進(すす)み、意(い)を寂静(じゃくじょう)に潜(ひそ)め、志(こころざし)を学問(がくもん)に励(はげ)ます者(もの)と雖(いえど)も、一(ひと)たび酒色(しゅしょく)に溺(おぼ)るれば、悪魔(あくま)忽(たちま)ち隙(すき)を伺(うかが)い、妖魅(ようみ)則(すなわ)ち便(たより)を得(え)て、財(ざい)を惜(おし)まず、情(じょう)を蕩(とろ)かし忿(いかり)を発(おこ)させ、怠(おこたり)を増(ま)させ、心(こころ)を乱(みだ)し、智(ち)を晦(くら)まして、行(おこな)いを禽獣(きんじゅう)に等(ひと)しくするに至(いた)ればなり。大衆(だいしゅ)、古(いにしえ)より今(いま)に及(およ)ぶまで、之(これ)に由(よ)りて、身(み)を亡(ほろ)ぼし、家(いえ)を滅(ほろ)ぼし、君(きみ)を危(あやう)くし、親(おや)を辱(はずか)しめざるは無(な)し。是(こ)の故(ゆえ)に、沙門(しゃもん)は独身(どくしん)にして耦(ぐう)なく、その志(こころざし)を清潔(じょうけつ)にして、唯(た)だ道(みち)を是(こ)れ務(つと)む。子(こ)たる者(もの)は深(ふか)く思(おも)い遠(とお)く慮(おもんばか)りて、以(もっ)て孝養(こうよう)の軽重(けいじゅう)緩急(かんきゅう)を知(し)らざるべからざるなり。凡(およ)そ是(これ)等(ら)を父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずるの事(こと)となす。
是(こ)の時(とき)、阿難(あなん)、涙(なみだ)を払(はら)いつつ座(ざ)より起(た)ち、長跪(ちょうき)合掌(がっしょう)して、前(すす)みて仏(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、世尊(せそん)、此(こ)の経(きょう)は当(まさ)に何(なに)とか名(な)づくべき、又(また)如何(いか)にしてか奉持(ぶじ)すべきと。
仏(ほとけ)、阿難(あなん)に告(つ)げ給(たま)わく、阿難(あなん)、此(こ)の経(きょう)は父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)と名(な)づくべし。若(も)し一切(いっさい)衆生(しゅじょう)ありて、一(ひと)たび此(こ)の経(きょう)を読誦(どくじゅ)せば、則(すなわ)ち以(もっ)て乳哺(にゅうほ)の恩(おん)に報(ほう)ずるに足(た)らん。若(も)し一心(いっしん)に此(こ)の経(きょう)を持念(じねん)し、又(また)人(ひと)をして之(これ)を持念(じねん)せしむれば、当(まさ)に知(し)るべし、是(こ)の人(ひと)は、能(よ)く父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずることを。一生(いっしょう)の有(あ)らゆる十悪(じゅうあく)、五逆(ごぎゃく)、無間(むげん)の重罪(じゅうざい)も、みな消滅(しょうめつ)して、無上道(むじょうどう)を得(え)んと。
此(こ)の時(とき)、梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)、諸天(しょてん)の人民(にんみん)、一切(いっさい)の集会(しゅうえ)、此(こ)の説法(せっぽう)を聞(き)いて、悉(ことごと)く菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)し、五体(ごたい)地(ち)に投(とう)じて、涕涙(ているい)、雨(あめ)の如(ごと)く、進(すす)みて佛足(ぶつそく)を頂礼(ちょうらい)し、退(しりぞ)きて各々(おのおの)歓喜(かんぎ)奉行(ぶぎょう)したりき。
佛説(ぶっせつ)父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)
_____
61元帥(げんすい)へ
洋々(ようよう)たり天地(てんち)の大道(だいどう)
是非(ぜひ)善悪(ぜんあく)は地上(ちじょう)の波瀾(はらん)
地位(ちい)を替(か)ゆれば皆(みな)正(せい)なり
時(とき)を失(うしな)えば悉(ことごと)く侵犯(しんぱん)
裁(さば)く者(もの)悉(ことごと)く神(かみ)にも非(あら)ず
裁(さば)かるる者(もの)皆(みな)鬼(おに)にも非(あら)ず
誰(たれ)か国家(こくか)を思(おも)わざる
誰(たれ)か繁栄(はんえい)を願(ねが)わざる
餘命(よめい)いくばくもなき老骨(ろうこつ)
絞首(こうしゅ)何(なん)の益(えき)かあらん
A級(エイきゅう)は悉(ことごと)く国家(こくか)の至宝(しほう)
B級(ビイきゅう)は皆(みな)帝国(ていこく)の名士(めいし)
審判(しんぱん)既(すで)に心命(しんめい)を截(た)つ
改悔(かいげ)今(いま)や再生(さいせい)を誓(ちか)ふ
天寿(てんじゅ)を赦(ゆる)して平和(へいわ)を説(と)かしめ
仁慈(じんじ)を施(ほどこ)して悪化(あくか)を防(ふせ)がん
国民(こくみん)ひとしく願(ねが)ふところ
国家(こくか)斉(ひと)しく念(ねん)ずる処(ところ)
慈悲(じひ)は是(これ)恆久平和(こうきゅうへいわ)の礎(いしずえ)
智明(ちめい)は是(これ)永劫(ようごう)不滅(ふめつ)の燈(とう)炬(こ)なり
昭和23年11月15日大沼(おうぬま)法竜(ほうりゅう)
マックアーサー元帥閣下
___
62法話(ほうわ)
沈思黙考(ちんしもくこう)再三再四(さいさんさいし)
地上(ちじょう)天変(てんぺん)安住(あんじゅう)なし
人世(じんせい)栄達(えいだつ)浮雲(ふうん)の如(ごと)く
人智(じんち)の聰明(そうめい)たのむに足(た)らず
弊履(へいり)と捨(す)てし悉達多(しっだるた)
説(と)かずや古(いにしえ)三千年(さんぜんねん)
五欲(ごよく)の園(その)に遊(あそ)ぶ故(ゆえ)
悲愁(ひしゅう)の淵(ふち)に沈(しづ)むなり
栄枯盛衰(えいこせいすい)差別(さべつ)の波瀾(はらん)
有為転変(ういてんぺん)は地上(ちじょう)の習(なら)ひ
執着(しゅうじゃく)すれば永劫(ようごう)流転(るてん)
超越(ちょうえつ)すれば一味(いちみ)平等(びょうどう)
悟(さとり)の道(みち)に二(ふた)つあり
聖道(しょうどう)捨(す)てて淨土(じょうど)に入(い)れよ
雑行(ぞうぎょう)捨(す)て正行(しょうぎょう)に
助業(じょごう)を捨(す)て正定(しょうじょう)の
業(ごう)の作用(はたらき)一(ひと)つにて
易(やす)く仏(ほとけ)になれるなり
智慧(ちえ)と慈悲(じひ)とに限(かぎ)りなき
不滅(ふめつ)の真理(しんり)把握(はあく)して
南无阿彌陀仏(なむあみだぶつ)に悟入(ごにゅう)せば
勝者(しょうしゃ)に勝(まさ)る勝者(しょうしゃ)あり
昭和23年12月2日大沼(おうぬま)法竜(ほうりゅう)
A級戦犯(エイきゅうせんぱん)者(しゃ)殿
________
産める子に踏まれ蹴られど母ごころ
わが身消ゆれど子をば守らむ
垂乳根(たらちね)の白き媼母(おんも)の独り寝(ぬ)る
寝音に暁(あけ)の待ち遠しけれ
雲居杣人正顔
南無父母無二佛
南無大日不動薬師如来
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛
南無三宝
拈華微笑 合掌
これが私の四正勤です。この経を弘めることが我が生まれ来る使命であり不惜身命父母に報恩の誠をささげる四弘誓願七佛通誡偈不二同一父母未生因縁なり。
↑上記は全てTORAさんのブログに投稿を掲載して頂いたものです。
いつも本当にありがとうございます。豊岳正彦拝
_________
*父母恩重経、仏教聖典とも下記のページのいずれかのコメント欄に掲載してもらっています。ブログ主さんありがとうございます。
1.目先の勝負に何度敗けようが、つねに「生き残ること」に全神経を注いだ者が最終的勝者となります-株式日記と経済展望
2.豊田真由子・衆院議員はなぜ切れてしまったのか?キレるの理由は、脳の「ホルモン」の乱れも影響している-株式日記と経済展望
3.WHを高値づかみさせたのは当時の資源エネルギー庁の原子力政策課長で現在は経済産業省のナンバー2-株式日記と経済展望
4.問題を隠蔽すること、問題を放置すること、無意味な時間稼ぎをすることがタカタを絶体絶命にした-株式日記と経済展望
5.官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。-株式日記と経済展望
6.人生を豊かにしてくれるのは、高級なバックでも宝石でもない。-株式日記と経済展望
7.自民党都議団は、公明党との選挙協力があれば、議席を10つ獲得できたはず-株式日記と経済展望
投稿豊岳正彦 |2018年4月9日(月)21時58分
______
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html
感恩の歌 竹内浦次作
あはれはらから心せよ 山より高き父の恩
海より深き母の恩 知るこそ道のはじめなれ
児(こ)を守(も)る母のまめやかに
わが懐中(ふところ)を寝床(ねどこ)とし
かよわき腕をまくらとし 骨身を削るあはれさよ
美しかりし若妻も 幼児(おさなご)一人そだつれば
花のかんばせいつしかに 衰へ行くこそかなしけれ
身を切る如き雪の夜も 骨さす霜のあかつきも
乾けるところに子を廻し ぬれたるところに己れ伏す
幼きもののがんぜなく 懐中(ふところ)汚し背をぬらす
不浄をいとふ色もなく 洗ふも日々に幾度ぞや
己れは寒さに凍えつつ 着たるを脱ぎて子を包み
甘きは吐きて子に与え 苦きは自ら食(くら)ふなり
幼児乳をふくむこと 百八十斛(ももやそこく)を超すとかや
まことに父母の恵こそ 天の極り無きが如し
父母は我が子の為ならば 悪業(あっごう)つくり罪かさね
よしや悪趣に落つるとも 少しの悔(くひ)もなきぞかし
若し子遠く行くあらば 帰りてその面(かほ)見るまでは
出ても入りても子を憶(おも)ひ 寝ても覚めても子を念(おも)ふ
髪くしけづり顔ぬぐひ 衣を求め帯を買い
美しきは皆子に与へ 父母は古きを選むなり
己れ生あるその内は 子の身に代わらんことを思ひ
己れ死に行くその後は 子の身を守らんことを願ふ
よる年波の重なりて いつか頭(かうべ)の霜白く
衰へませる父母を 仰げば落つる涙かな
あゝありがたき父の恩 子はいかにして酬(むく)ゆべき
あゝありがたき母の恩 子はいかにして報ずべき
報恩の歌
あはれ地上に数知らぬ 衆生(しゆじやう)の中にただひとり
父とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝み
起てよ人の子いざ起ちて 浮世の風にたたかれし
余命少なきふた親の 弱れる心慰めよ
さりとも見えぬ父母の 夜半の寝顔仰ぐとき
見まがふ程の衰へに 驚き泣かぬものぞなき
樹しづまらんと欲すれど 風の止まぬを如何にせん
子養はんとねがへども 親在(おは)さぬぞあはれなる
逝きにし慈父(ちち)の墓石を 涙ながらに拭いつゝ
父よ父よと叫べども 答へまさぬぞ果敢(はか)なけれ
あゝ母上よ子を遺(お)きて いづこに一人逝きますと
胸かきむしり嘆けども 帰りまさぬぞ悲しけれ
父死に給ふその臨終(きは)に 泣きて念ずる声あらば
生きませる時なぐさめの 言葉かはして微笑(ほほえ)めよ
母息絶ゆるその臨終に 泣きて合掌(おろが)む手のあらば
生きませる時肩にあて 誠心(まごころ)こめてもみまつれ
実(げ)に古くして新しき 道は報恩のをしへなり
孝は百行(ひゃくぎょう)の根本(もと)にして 信への道の正門ぞ
世の若人よとく往きて 父母の御前に跪拝(ひざま)づけ
世の乙女子(をとめご)よいざ起ちて 父母の慈光(ひかり)を仰げかし
老いて後思い知るこそ悲しけれ
この世にあらぬ親の恵みに
合掌
_______
あとがき 法相宗管長薬師寺住職 高田 好胤
私は常づね、父母恩重経を一人でも多くの人々に読んで頂きたいと願っています。しかし、佛壇店をたずねても般若心経、阿弥陀経、観音経等の経本は必ずおかれていますが、父母恩重経をおいて下さっているお店はまだまだ少ないようです。そこでお佛壇を扱っておられる方々にお会いするたびに、温かい世づくりのお手伝いの為にぜひ父母恩重経もそろえてもらいたい旨お願いをし続けてきました。今回(昭和五十八年)、全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、それを各佛壇店において下さる由、大変有難い事だと喜んでいます。
私は結婚式に招かれた時、必ず父母恩重経をお持ちして、新婚のお二人に差上げ、新婚旅行の道中、二人で心を合わせ、声を揃えて読んできてほしい。そして帰ってからは座右の書の一冊に加えてもらいたいとお願いしています。皆さんお読みになってきて下さるようで、新婚旅行の旅先から情景描写などをまじえてのお礼状を頂きます。中には「こんなお経を読まされたばっかりに楽しかるべき新婚旅行が涙の旅行になってしまいました」と恨み状めいたものを手にする事もあります。けれども私は「よかったなあ」と喜びの気持ちで読ませてもらっています。親の恩の尊さを身近に説いたこのお経を、新婚の夫婦がいっしょに読んで催してくれるその涙は、人の心の中にその本質としてだれもが授かっているやさしさ、温かさに目ざめてもらったあらわれの涙であることがとてもうれしいのです。ですから、どのお礼状も最後には「この涙は二人が生涯忘れてはならない大切な涙であると思いました」といった意味の言葉で結ばれているのが常です。こうしたお礼状を頂くたびに、新しい人生の門出を父母恩重経でお手伝いする事のできた満足感が私の胸を潤してくれます。
ところでこのお経において親の苦労の具体的な姿は殆どが母の姿で説かれています。お釈迦様のお母さま、摩耶夫人(まやぷにん)はお釈迦さまをお産みになって七日後に亡くなっておられます。大変な難産だったのです。そのせいか、父母恩重経の中に子供を産むときの母親は命がけである事を所をかえて二度も説かれています。これはお釈迦様八十年のご生涯を通じてのご実感であったと思います。こうしたご自分の命とひきかえに魂と肉体をこの世に生み出して下さったお母さまに何一つして差上げる事ができなかったお釈迦様のお気持ちが、お母さまに傾きっぱなしのままでこのお経が説かれている所以であると拝察されます。同時にこのようにお釈迦さまがお母さまをお慕い続けられた飾り気のないおやさしいお気持ちがその底に流れているところに読む人の心を打つ所以があるのだと思います。先年、父母恩重経を講義し、一冊にまとめて出版した本の題を「母」(徳間書店刊)とした理由もここにあります。
諸人(もろびと)よ 思い知れかし 己(おの)が身の
誕生の日は 母苦難(ははくなん)の日
これはよみ人しらずのお歌ですが、まさに父母恩重経の精神(こころ)さながらの一首であります。(水戸黄門光圀公作首:豊岳正彦補記)
私は両親の命日と自分の誕生日に父母恩重経を読誦(どくじゅ)しております。毎年三月二十三日、母の祥月命日には六つ年上の姉と位牌を前に読誦致します。やはり姉の方が早く声をつまらせてしまいます。するとそれにつりこまれて私も胸に熱いものがこみ上げてきて、最後は共にとぎれとぎれに読み終えるのがやっとです。はらからの情愛に心潤さずにおかないのがこのお経であります。また、「父母恩重経は私にとって、生前親不孝を重ねた懺悔のお経でございます」とおっしゃられる方もおられます。どうか皆さん方もご両親在(おわ)しまさぬ場合、ご命日に兄弟姉妹(ごきょうだい)でこのお経を読誦して頂きたい、そしてはらからの情愛に心潤され合(お)うて頂きたいと思います。幸いご両親ご健在の方は自分の誕生日に読誦して、人の心の初心にかえる感動の涙に心洗われて頂きたいと思います。
「大孝は終身父母を慕う。」(命ある限りいついつ迄も両親を慕い続ける事、それは真(まこと)の親孝行である)これは中国の思想家、孟子さまのお言葉です。孔子さまも孝経の中で、
「孝は徳の本なり。教への由(よ)って生ずる所なり(親孝行はすべての道徳の源であり、これなくして教育は成り立たない)」と教えて下さっています。
孝謙天皇の天平宝字元年(西紀七五七年)、天皇は各家庭に孝経をおいて読むようにとの勅を発しておられます。以来、明治に至る迄、孝経は国民必読の書でありました。私共が子供の頃はまだ孝経や論語の教えが学校で教えられていました。それによって東洋的な無我と智恵、そして日本人のあたたかな宗教的情操の涵養が学校教育の場でいただくことができていました。けれどもこれが涵養は学校教育の場から追放されているが如きが今日の現状です。青少年非行化をふくめて各種もろもろの問題の大きな原因がこのあたりにあることに気づいてほしいものです。それであるだけにどうか家族揃って父母恩重経を読誦していただき、はらからの情愛に心潤され合うていただきたい、また人の心の初心に帰った感動の涙に心洗われていただきたいとひたすらに願いつつ、全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、広く世にひろめていただく事に諸手(もろて)をあげて賛意を表します。
また、このお経のお話を申上げるときよく、「このお経が感恩・報恩の歌のお経ですか」とのおたずねを受けます。そうですこのお経がまさしく感恩・報恩の歌のお経なのです。この感恩の歌、報恩の歌は修養団の講師であり、また青少年の健全なる育成に生涯をささげ、昭和五十七年三月二十三日に九十六歳の天寿を全うされた竹内浦次翁の作になるものです。翁がさる年慈愛深き御尊母がみまかられませし時に悲哭の思ひを父母恩重経に託しておつくりになりましたのがこの歌です。
旧制師範学校などで愛唱され、その訓導を受けたひとびとに語りつがれています。どうかみなさまがたこの歌を黙読だけではなく声に出して朗読また御唱和をなさっていただき、潤はしい情操の養いの糧資を得ていただくことをお願いいたします。 合掌
______________
父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう) 臨済宗聖典
仏のたまわく、大地の土の多きが如く、この世に生をうくるもの多けれど、中にも人間と生るるは爪の上の土の如く稀なり。この故に人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらざれば生まれず、母にあらざれば育てられず。子の心身は父母にうく。この因縁の故に父母の子を思うこと、世間に比ぶべきものあることなし。
母、胎児をみごもりしより、十月の間、血をわけ肉をわかちて子の身体をつくる。身に重き病を患うが如く、起き伏し、もろもろの苦しみをうくれば、常に好める飲食衣服をうるも愛欲の心を生ぜず。ただ一心に安産せんことを思う。月みち日たりて出産のとき至れば、陣痛しきりに起りてこれを促し、骨節ことごとく痛み、あぶら汗しきりに流れて、その苦しみたえがたく、これがため忽然として母の身を亡ぼすことあり。父もおののき怖れ、母と子とを思い悩む。もし子安らけく産れいずれば、父母の喜び限りなく、その子、声を発すれば、母も初めてこの世に生れいでたるが如し。
もし子、遠くにゆけば帰りてその顔を見るまで出でても入りてもこれを思い、寝てもさめてもこれを思う。子病み悩める時は子に代らんことを思い、死して後も子の行末を護らんことを誓う。花の如き母も、若さに光る父も、寄る年波の重なりて、いつか頭に霜をおき、衰え給うぞ涙かな。
もろ人あきらかに聞け。孝養のことは在家出家の別あることなし。或は言う。親は己の好みにて子を生めば、子は親に孝養のつとめなしとかや。されど、こは人の道に反くものぞ。真の親は子について報謝を求めず、自らの功を誇らぬものなれど、子はひたすらに孝養をつとむべし。
汝ら大衆(だいしゅう)よく聴け。父母の為に心をつくし、美味なる飲食、麗わしき衣服、心地よき車、結構なる住居等を供養し、一生安楽ならしむるとも、もし父母いまだ三宝に帰依せず因果の理を信ぜずば、なお真の孝養いたるとせず。もし父母、かたくなにして仏の教えを奉ぜずば、子は時に応じ機に随い、たとえをとり類をひき、因果の道理を説ききかせ、未来の苦しみを救うべし。父母は恩愛の情にひかれてやがて仏の道に向わん。即ち生きものを殺さず盗みせず、男女の道を過たず、うそ偽りをいわず、心迷わざれば、家の内、親は慈しみ、子は孝に、夫は正しく妻は貞に、親族睦まじく家人順い、畜類虫魚までも普く恵みを蒙り、家栄え国和やかに、十方の諸菩薩天龍鬼神大衆までこれを敬愛せざるなし。暴悪の主も不良の徒も、千萬の悪魔もこれを如何ともすることなけん。こゝにおいて父母現(げん)世(ぜ)には安穏に住し、後世には善処に生じ、仏を見、法を聞きて長く苦しみを脱せん。かくの如くにして始めて父母の恩に報ずるものとなす。
・・・・・・・
産める子に 踏まれ蹴られど 母ごころ
わが身消ゆれど 子をば守らむ
垂乳根(たらちね)の 白き媼母(おんも)の 独り寝(ぬ)る
寝音に暁(あけ)の待ち遠しけれ
雲居杣人正顔
南無父母無二佛
南無大日不動薬師如来
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛
南無三宝
拈華微笑 合掌
・・・・・・・・
『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html
昭和31年10月1日初版
福岡県八幡市上本町敬行寺大沼法龍導師様著述編集
浄土真宗【宗祖七百回忌記念聖典】
252頁55「仏説父母恩重経」
291頁61「マッカーサー元帥へ」
292頁62「A級戦犯者へ法話」
発行者大沼善龍
印刷所愛知県豊橋市西八町(市役所前)藤田印刷所
55佛説(ぶっせつ)父母恩重經(ふぼおんじゅうきょう)
是(か)くの如(ごと)く我(わ)れ聞(き)けり。ある時(とき)、佛(ほとけ)、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛山(ぎじゃくつせん)中(ちゅう)に菩薩(ぼさつ)声聞(しょうもん)の衆(しゅう)と倶(とも)にましましければ、比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)、一切(いっさい)諸天(しょてん)の人民(にんみん)及(およ)び龍鬼神(りゅうきじん)等(とう)、法(ほう)を聞(き)かんとて、来(き)たり集(あつ)まり、一心(いっしん)に寶座(ほうざ)を囲繞(いにょう)して、瞬(またた)きもせで尊顔(そんがん)を仰(あお)ぎ瞻(み)たりき。
是(こ)の時(とき)、佛(ほとけ)、すなわち法(ほう)を説(と)いて宣(のたま)わく、一切(いっさい)の善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)よ、父(ちち)に慈恩(じおん)あり、母(はは)に悲恩(ひおん)あり。そのゆえは、人(ひと)の此(こ)の世(よ)に生(う)まるゝは、宿業(しゅくごう)を因(いん)として、父(ちち)母(はは)を縁(えん)とせり。父(ちち)にあらされば生(しょう)ぜず、母(はは)にあらざれば育(そだ)てられず。ここを以(もっ)て氣(き)を父(ちち)の胤(たね)に稟(う)けて形(かたち)を母(はは)の胎(たい)に托(たく)す。此(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、悲母(ひぼ)の子(こ)を念(おも)うこと世間(せけん)に比(たぐ)いあること無(な)く、その恩(おん)未形(みぎょう)に及(およ)べり。始(はじ)め胎(たい)に受(う)けしより、十月(とつき)を經(ふ)るの間(あいだ)、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)ともに、もろもろの苦惱(くのう)を受(う)く。苦惱(くのう)休(や)む時(とき)無(な)きが故(ゆえ)に、常(つね)に好(この)める飲食(おんじき)衣服(えぶく)を得(う)るも、愛欲(あいよく)の念(ねん)を生(しょう)ぜず、唯(た)だ一心(いっしん)に安(やす)く生産(しょうさん)せんことを思(おも)う。月(つき)滿(み)ち日(ひ)足(た)りて、生産(しょうさん)の時(とき)至(いた)れば、業風(ごうふう)吹(ふ)きて、之(こ)れを促(うなが)し、骨節(こっせつ)ことごとく痛(いた)み、汗(あせ)膏(あぶら)ともに流(なが)れて、其(そ)の苦(くるし)み堪(た)えがたし。父(ちち)も心身(しんしん)戦(おのの)き怖(おそ)れて母(はは)と子(こ)とを憂念(ゆうねん)し、諸親(しょしん)眷属(けんぞく)皆(み)な悉(ことごと)く苦惱(くのう)す。既(すで)に生(う)まれて草上(そうじょう)に墮(お)つれば、父母(ふぼ)の喜(よろこ)び限(かぎ)りなきこと、猶(な)ほ貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいしゅ)を得(え)たるがごとし。その子(こ)聲(こえ)を發(はっ)すれば、母(はは)も初(はじ)めて此(こ)の世(よ)に生(う)まれ出(い)でたるが如(ごと)し。爾來(それより)母(はは)の懐(ふところ)を寝處(ねどこ)となし、母(はは)の膝(ひざ)を遊(あそ)び場(ば)となし、母(はは)の乳(ちち)を食物(しょくもつ)となし、母(はは)の情(なさけ)を性命(いのち)となす。飢(う)える時(とき)、食(しょく)を需(もと)むるに母(はは)にあらざれば哺(くら)わず。渇(かわ)く時(とき)、飲(のみもの)を索(もと)むるに、母(はは)にあらざれば嚥(の)まず。寒(さむ)き時(とき)、服(きもの)を加(くわ)うるに、母(はは)にあらざれば着(き)ず、暑(あつ)き時(とき)、衣(きもの)を撒(さ)るに、母(はは)にあらざれば脱(ぬ)がず。母(はは)飢(うえ)に中(あた)る時(とき)も、哺(ふく)めるを吐(は)きて子(こ)に口臽(くら)はしめ、母(はは)寒(さむ)きに苦(くる)しむ時(とき)も、着(き)たるを脱(ぬ)ぎて子(こ)に被(かぶ)らす。母(はは)にあらざれば養(やしな)われず、母(はは)にあらざれば育(そだ)てられず。その闌車(らんしゃ)を離(はな)るるに及(およ)べば、十指(じっし)の甲(つめの)中(なか)に、子(こ)の不浄(ふじょう)を食(くら)う。計(はか)るに、人々(ひとびと)母(はは)の乳(ちち)を飲(の)むこと、一百八十斛(いっぴゃくはちじゅっこく)となす。
父(ちち)母(はは)の恩(おん)重(おも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
母(はは)、東西(とうざい)の隣里(りんり)に傭(やと)われて、或(あるい)は水汲(みずく)み、或(あるい)は火燒(ひた)き、或(あるい)は碓(うす)つき、或(あるい)は磨挽(うすひ)き、種々(しゅじゅ)の事(こと)に服従(ふくじゅう)して、家(いえ)に還(かえ)るの時(とき)未(いま)だ至(いた)らざるに、今(いま)や吾(わ)が兒(こ)吾(わ)が家(いえ)に啼(な)き哭(いさ)ちて、吾(われ)を戀(こ)ひ慕(した)はんと思(おも)い起(おこ)せば、胸悸(むなさわ)ぎ心驚(こころおどろ)き、両乳(りょうにゅう)流(なが)れ出(い)でて、忍(しの)び堪(た)ゆること能(あた)わず、乃(すなわ)ち去(さ)りて家(いえ)に還(かえ)る。兒(こ)遙(はるか)に母(はは)の来(く)るを見(み)て、闌車(らんしゃ)の中(なか)に在(あ)れば、即(すなわ)ち頭(あたま)を揺(うご)かし腦(なづき)を弄(ろう)し、外(ほか)に在(あ)れば即(すなわ)ち葡匐(はらばい)して出(い)で來(きた)り、嗚呼(そらなき)して母(はは)に向(むか)う。母(はは)は子(こ)の爲(ため)に足(あし)を早(はや)め身(み)を曲(ま)げ、長(なが)く兩手(りょうて)を舒(の)べて塵土(ちりつち)を拂(はら)い、吾(わ)が口(くち)を子(こ)の口(くち)に接(つ)けつつ、乳(ちち)を出(い)だして之(これ)を飲(の)ましむ。是(こ)の時(とき)、母(はは)は子(こ)を見(み)て歡(よろこ)び、兒(こ)は母(はは)を見(み)て喜(よろこ)び、兩情(りょうじょう)一致(いっち)、恩愛(おんあい)の洽(あまね)きこと、復(ま)た此(こ)れに過(す)ぐるものなし。
二歳(にさい)、懐(ふところ)を離(はな)れて始(はじ)めて行(ゆ)く。父(ちち)に非(あら)ざれば、火(ひ)の身(み)を焼(や)くことを知(し)らず。母(はは)に非(あら)ざれば、刀(はもの)の指(ゆび)を墮(おと)すことを知(し)らず。三歳(さんさい)、乳(ちち)を離(はな)れて始(はじ)めて食(くら)う。父(ちち)に非(あら)ざれば、毒(どく)の命(いのち)を殞(おと)すことを知(し)らず。母(はは)に非(あら)ざれば、薬(くすり)の病(やまい)を救(すく)うことを知(し)らず。
父(ちち)母(はは)外(そと)に出(い)でて他(た)の座席(ざせき)に往(ゆ)き、美味(びみ)珍羞(ちんしゅう)を得(う)ることあれば、自(みずか)ら之(これ)を喫(くら)うに忍(しの)びず、懐(ふところ)に収(おさ)めて持(も)ち歸(かえ)り、喚(よ)び来(きた)りて子(こ)に與(あた)う。十(と)たび還(かえ)れば九(く)たびまで得(う)。得(う)れば即(すなわ)ち常(つね)に歡喜(かんき)して、かつ笑(わら)いかつ食(くら)う。もし過(あやま)りて一(ひと)たび得(え)ざれば、則(すなわ)ち矯(いつ)わり泣(な)き、佯(いつ)わり哭(さけ)びて、父(ちち)を責(せ)め母(はは)に逼(せ)まる。稍(や)や成長(せいちょう)して朋友(ほうゆう)と相(あい)交(まじ)わるに至(いた)れば、父(ちち)は衣(きぬ)を索(もと)め帶(おび)を需(もと)め、母(はは)は髪(かみ)を梳(くしけず)り、髻(もとどり)を摩(な)で、己(おの)が好(この)美(み)の衣服(えぶく)は皆(み)な子(こ)に與(あた)えて着(き)せしめ、己(おの)れは則(すなわ)ち古(ふる)き衣(きぬ)、弊(やぶ)れたる服(きもの)を纏(まと)う。
既(すで)に婦妻(ふさい)を索(もと)めて、他(た)の女子(じょし)を娶(めと)れば、父母(ふぼ)をば轉(うた)た疎遠(そえん)して夫婦(ふうふ)は特(とく)に親近(しんきん)し、私房(しぼう)の中(うち)に於(おい)て妻(つま)と共(とも)に語(かた)らい樂(たの)しむ。
父(ちち)母(はは)年(とし)高(た)けて、氣(き)老(を)い力(ちから)衰(おとろ)えぬれば、倚(よ)る所(ところ)の者(もの)は唯(た)だ子(こ)のみ、頼(たの)む所(ところ)の者(もの)は唯(た)だ婦(よめ)のみ。しかるに夫婦(ふうふ)共(とも)に朝(あした)より暮(くれ)に至(いた)るまで、未(いま)だ肯(あえ)て一(ひと)たびも来(きた)り問(と)はず。
或(あるひ)は父(ちち)は母(はは)を先立(さきだ)て、母(はは)は父(ちち)を先立(さきだ)てて獨(ひと)り空房(くうぼう)を守(まも)り居(お)るは、猶(な)ほ孤客(こかく)の旅寓(りょぐう)に寄泊(きはく)するが如(ごと)く、常(つね)に恩愛(おんあい)の情(じょう)なく復(ま)た談笑(だんしょう)の娯(たのし)み無(な)し。夜半(やはん)衾(ふすま)冷(ひややか)にして五體(ごたい)安(やす)んぜず。況(いわ)んや褥(しとね)に蚤(のみ)虱(しらみ)多(おほ)くして、暁(あかつき)に至(いた)るまで眠(ねむ)られざるをや。幾度(いくたび)か輾転(てんてん)反側(はんそく)して獨言(ひとりごと)すらく、噫(ああ)吾(わ)れ何(なん)の宿罪(しゅくざい)ありてか、斯(か)かる不(ふ)孝(こう)の子(こ)を有(も)てるかと。
事(こと)ありて、子(こ)を呼(よ)べば、目(め)を瞋(いか)らして怒(いか)り罵(ののし)る。婦(よめ)も兒(こ)も之(こ)れを見(み)て、共(とも)に罵(ののし)り共(とも)に辱(はずか)しめば、頭(こうべ)を垂(た)れて笑(わら)いを含(ふく)む。婦(よめ)も亦(また)不(ふ)孝(こう)、兒(こ)も亦(また)不(ふ)順(じゅん)。夫婦(ふうふ)和合(わごう)して五逆(ごぎゃく)罪(ざい)を造(つく)る。
或(あるい)は復(ま)た急(きゅう)に事(こと)を辧(べん)ずることありて、疾(と)く呼(よ)びて命(めい)ぜむとすれば、十(と)たび喚(よ)びて九(く)たび違(たが)い、遂(つひ)に来(きた)りて給(きゅう)仕(じ)せず、却(かえ)りて怒(いか)り罵(ののし)りて云(い)わく、老(を)い耄(ぼ)れて世(よ)に残(のこ)るよりは早(はや)く死(し)なんには如(し)かずと。父(ちち)母(はは)これを聞(き)いて、怨念(おんねん)胸(むね)に塞(ふさ)がり、涕涙(ているい)瞼(まぶた)を衝(つ)きて、目(め)瞑(くら)み、心(こころ)惑(まど)い、悲(かなし)み叫(さけ)びていわく、噫(あゝ)汝(なんじ)幼少(ようしょう)の時(とき)、吾(われ)に非(あら)ざれば養(やしな)われざりき、吾(われ)に非(あら)ざれば育(そだ)てられざりき。而(しか)して今(いま)に至(いた)れば即(すなわ)ち却(かえ)りて是(かく)の如(ごと)し。噫(あゝ)吾(わ)れ汝(なんじ)を生(う)みしは本(もと)より無(な)きに如(し)かざりけりと。
若(も)し子(こ)あり、父(ちち)母(はは)をして是(かく)の如(ごと)き言(ことば)を発(はっ)せしむれば、子(こ)は即(すなわ)ちその言(ことば)と共(とも)に、堕(お)ちて地獄(ぢごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)の中(うち)にあり。一切(いっさい)の如来(にょらい)・金剛天(こんごうてん)・五通仙(ごつうせん)も、これを救(すく)い護(まも)ること能(あた)わず。父(ちち)母(はは)の恩(おん)重(おも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)よ、別(わ)けて之(こ)れを説(と)けば、父(ちち)母(はは)に十種(じゅっしゅ)の恩徳(おんどく)あり。何(なに)をか十種(じゅっしゅ)となす。
一には懐胎(かいたい)守護(しゅご)の恩(おん)
二には臨生(りんしょう)受苦(じゅく)の恩(おん)
三には生子(しょうし)忘憂(ぼうゆう)の恩(おん)
四には乳哺(にゅうほ)養育(よういく)の恩(おん)
五には廻乾(えげん)就湿(じゅしつ)の恩(おん)
六には洗灌(せんかん)不浄(ふじょう)の恩(おん)
七には嚥苦(えんく)吐甘(とかん)の恩(おん)
八には為造(いぞう)悪業(あくごう)の恩(おん)
九には遠行(おんぎょう)憶念(おくねん)の恩(おん)
十には究竟(くきょう)憐愍(れんみん)の恩(おん)
父(ちち)母(はは)の恩(おん)重(おも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)、かくの如(ごと)きの恩徳(おんどく)、如何(いか)にして報(むくゆ)べき。佛(ほとけ)、すなわち偈(げ)を以(もっ)て讃(さん)して宣(のたま)わく、
悲母(ひぼ)、子(こ)を胎(はら)めば、十月(とつき)の間(あいだ)に血(ち)を分(わ)け肉(にく)を頒(わか)ちて、身(み)、重病(じゅうびょう)を感(かん)ず。子(こ)の身体(しんたい)之(これ)に由(よ)りて成就(じょうじゅ)す。
月(つき)満(み)ち時(とき)到(いた)れば、業風(ごうふう)催促(さいそく)して、徧身(へんしん)疼痛(とうつう)し、骨節(こっせつ)解体(かいたい)して、神心(しんしん)悩乱(のうらん)し、忽然(こつねん)として身(み)を亡(ほろ)ぼす。
若(も)し夫(そ)れ平安(へいあん)になれば、猶(な)お蘇生(そせい)し来(きた)るが如(ごと)く、子(こ)の声(こえ)を発(はっ)するを聞(き)けば、己(おの)れも生(うま)れ出(い)でたるが如(ごと)し。
其(そ)の初(はじ)めて生(う)みし時(とき)には、母(はは)の顔(かんばせ)花(はな)の如(ごと)くなりしに、子(こ)を養(やしな)うこと数年(すうねん)なれば容(かたち)すなわち憔悴(しょうすい)す。
水(みず)の如(ごと)き霜(しも)の夜(よ)にも、氷(こほり)の如(ごと)き雪(ゆき)の暁(あかつき)にも、乾(かわ)ける処(ところ)に子(こ)を廻(ま)わし、濕(うるお)える処(ところ)に己(おの)れ臥(ふ)す。
子(こ)、己(おの)が懐(ふところ)に屎(くそま)り或(あるい)は其(そ)の衣(ころも)に尿(いばり)するも、手(て)自(みずか)ら洗(あら)い濯(そそ)ぎて、臭穢(しゅうえ)を厭(いと)うこと無(な)し。
食味(しょくみ)を口(くち)に含(ふく)みて、これを子(こ)に哺(ふく)むるにあたりては、苦(にが)き物(もの)は自(みず)から嚥(の)み、甘(あま)き物(もの)は吐(は)きて与(あた)う。
若(も)し夫(そ)れ子(こ)のために止(や)むを得(え)ざる事(こと)あれば、自(みずか)ら悪(あく)業(ごう)を造(つく)りて、悪趣(あくしゅ)に堕(お)つることを甘(あま)んず。
若(も)し子(こ)遠(とお)く行(ゆ)けば、帰(かえ)りて其(そ)の面(おもて)を見(み)るまで、出(い)でても入(い)りても之(これ)を憶(おも)い、寝(ね)ても寤(さ)めても之(これ)を憂(うれ)う。
己(おの)れ生(しょう)ある間(あいだ)は、子(こ)の身(み)に代(かわ)らんことを念(おも)い、己(おの)れ死(し)に去(さ)りて後(のち)には、子(こ)の身(み)を護(まも)らんことを願(ねが)う。
是(かく)の如(ごと)きの恩徳(おんどく)、如何(いか)にして報(ほう)ずべき。
然(しか)るに長(ちょう)じて人(ひと)と成(な)れば、声(こえ)を抗(あ)げ気(き)を怒(いか)らして、父(ちち)の言(げん)に順(したが)わず、母(はは)の言(げん)に瞋(いか)りを含(ふく)む。既(すで)にして婦(ふ)妻(さい)を娶(めと)れば、父(ちち)母(はは)に乖(そむ)き違(たが)うこと恩(おん)無(な)き人(ひと)の如(ごと)く、兄弟(きょうだい)を憎(にく)み嫌(きら)うこと怨(うら)みある者(もの)の如(ごと)し。妻(つま)の族(ぞく)来(きた)りぬれば、堂(どう)に昇(のぼ)せて饗応(きょうおう)し、室(しつ)に入(い)れて歓晤(かんご)す。嗚呼(ああ)噫嗟(ああ)、衆生(しゅじょう)顛倒(てんどう)して、親(した)しき者(もの)は却(かえ)りて疎(うと)み、疎(うと)き者(もの)は却(かえ)りて親(したし)む。
父母(ちちはは)の恩(おん)重(おも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
是(こ)の時(とき)、阿難(あなん)、座(ざ)より起(た)ちて、偏(ひとえ)に右(みぎ)の肩(かた)を袒(はだぬ)ぎ、長跪(ちょうき)合掌(がっしょう)して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、世尊(せそん)、是(かく)の如(ごと)き父(ちち)母(はは)の重恩(じゅうおん)を、我(われ)等(ら)出家(しゅっけ)の子(もの)は、如何(いか)にしてか報(ほう)ずべき。具(つぶ)さに其(その)事(こと)を説示(せつじ)し給(たま)えと。
仏(ほとけ)宣(のたま)わく、汝等(なんじら)大衆(だいしゅ)、よく聴(き)け。孝養(こうよう)の一事(いちじ)は、在家(ざいけ)出家(しゅっけ)の別(べつ)ある事(こと)なし。出(い)でし時(とき)新(しん)の甘果(かんか)を得(う)れば、将(も)ち去(さ)りて父母(ちちはは)に供養(くよう)せよ。父(ちち)母(はは)之(これ)を得(え)て歓喜(かんぎ)し、自(みずか)ら食(くら)うに忍(しの)びず、先(まず)之(これ)を三宝(さんぽう)に廻(めぐ)らし施(ほどこ)せば、則(すなわ)ち菩提心(ぼだいしん)を啓発(けいはつ)せん。
父(ちち)母(はは)病(やまい)あらば、牀辺(しょうへん)を離(はな)れず、親(した)しく自(みずか)ら看護(かんご)せよ、一切(いっさい)の事(こと)之(こ)れを他人(たにん)に委(ゆだ)ぬること勿(なか)れ。時(とき)を計(はか)り便(べん)を伺(うかが)い、懇(ねんごろ)に粥飯(しゅくはん)を勧(すす)めよ。親(おや)は子(こ)の勧(すす)むるを見(み)て、強(し)いて粥飯(しゅくはん)を喫(きっ)し、子(こ)は親(おや)の喫(きっ)するを見(み)て、抂(ま)げて己(おの)が意(こころ)を強(つよ)くす。親(おや)暫(しばら)く睡眠(すいみん)すれば、気(き)を静(しず)めて息(いき)を聞(き)き睡(ねむり)覚(さ)むれば、医(い)に問(と)いて薬(くすり)を進(すす)めよ。日夜(にちや)に三宝(さんぽう)に恭敬(くぎょう)して、親(おや)の病(やまい)の癒(い)えんことを願(ねが)い、常(つね)に報恩(ほうおん)の心(こころ)を懐(いだ)きて、片時(かたとき)も忘失(わす)るゝこと勿(なか)れ。
是(こ)の時(とき)、阿難(あなん)また問(と)いていわく、世尊(せそん)、出家(しゅっけ)の子(こ)能(よ)く是(かく)の如(ごと)くせば、以(もっ)て父(ちち)母(はは)の恩(おん)に報(ほう)ずと為(な)す乎(か)。
仏(ほとけ)、宣(のたま)わく、否(いな)、未(いま)だ以(もっ)て、父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずと為(な)さざるなり。親(おや)、頑固(かたくな)にして三宝(さんぽう)を奉(ほう)ぜず、不仁(ふじん)にして物(もの)を残(そこな)い、不義(ふぎ)にして物(もの)を盗(ぬす)み、無礼(ぶれい)にして色(いろ)に荒(すさ)み、不信(ふしん)にして人(ひと)を欺(あざむ)き、不智(ふち)にして酒(さけ)に耽(ふけ)らば、子(こ)は当(まさ)に極諫(ごくかん)して、之(これ)を啓悟(けいご)せしむべし。若(も)し猶(なお)闇(くら)くして未(いま)だ悟(さと)ること能(あた)わざれば、則(すなわ)ち為(た)めに譬(たとえ)を取(と)り類(るい)を引(ひ)き、因果(いんが)の道理(どうり)を演説(えんぜつ)して、未来(みらい)の苦患(くげん)を救(すく)うべし。若(も)し猶(なお)頑(かたくな)にして未(いま)だ改(あらた)むること能(あた)わざれば、啼泣(ていきゅう)歔欷(きょき)して己(おの)が飲食(おんじき)を絶(た)てよ。親(おや)、頑闇(かたくな)なりと雖(いえど)も、子(こ)の死(し)なんことを懼(おそ)るるが故(ゆえ)に、恩愛(おんあい)の情(じょう)に索(ひ)かれて、強忍(きょうにん)して道(みち)に向(むか)わん。
若(も)し親(おや)志(こころざし)を遷(うつ)して仏(ほとけ)の五戒(ごかい)を奉(ほう)じ、仁(じん)ありて殺(ころ)さず、義(ぎ)ありて盗(ぬす)まず、礼(れい)ありて婬(いん)せず、信(しん)ありて欺(あざむ)かず、智(ち)ありて酔(よ)わざれば、則(すなわ)ち家門(かもん)の内(うち)、親(おや)は慈(じ)に、子(こ)は孝(こう)に、夫(おっと)は正(せい)に、婦(つま)は貞(てい)に、親族(しんぞく)和睦(わぼく)し、婢僕(ひぼく)忠順(ちゅうじゅん)し、六畜(ろくちく)蟲魚(ちゅうぎょ)まで、普(あまね)く恩沢(おんたく)を被(こうむ)りて、十方(じっぽう)の諸仏(しょぶつ)、天龍(てんりゅう)鬼神(きじん)、有道(うどう)の君(きみ)、忠良(ちゅうりょう)の臣(しん)より、庶民(しょみん)万性(ばんしょう)まで、敬愛(けいあい)せざるは無(な)く、暴悪(ぼうあく)の主(しゅ)も、佞嬖(ねいへい)の輔(ほ)も、妖児(ようじ)兇婦(きょうふ)も、千邪(せんじゃ)万怪(ばんかい)も、之(こ)れを如何(いかん)ともすること無(な)く、是(ここ)に於(おい)て父母(ちちはは)、現(げん)には安穏(あんのん)に住(じゅう)し、後(ご)には善処(ぜんしょ)に生(しょう)じ、仏(ほとけ)を見(み)、法(ほう)を聞(き)いて長(なが)く苦輪(くりん)を脱(だっ)せん。かくの如(ごと)くにして始(はじ)めて父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずるものと為(な)すなり。
仏(ほとけ)更(さ)らに説(せつ)を重(かさ)ねて宣(のたま)わく、汝等(なんじら)大衆(だいしゅ)能(よ)く聴(き)け。父母(ちちはは)のために心力(しんりょく)を尽(つく)して、有(あ)らゆる佳味(かみ)・美音(びおん)・妙衣(みょうえ)・車駕(しゃが)・宮室(きゅうしつ)等(とう)を供養(くよう)し父母(ちちはは)をして一生(いっしょう)遊楽(ゆうらく)に飽(あ)かしむるとも、若(も)し未(いま)だ三宝(さんぽう)を信(しん)ぜざらしめば、猶(な)お以(もっ)て不孝(ふこう)と為(な)す。如何(いかん)となれば、仁心(じんしん)ありて施(ほどこ)しを行(おこな)い、礼式(れいしき)ありて身(み)を撿(ひきし)め、柔和(にゅうわ)にして辱(はじ)を忍(しの)び、勉強(べんきょう)して徳(とく)に進(すす)み、意(い)を寂静(じゃくじょう)に潜(ひそ)め、志(こころざし)を学問(がくもん)に励(はげ)ます者(もの)と雖(いえど)も、一(ひと)たび酒色(しゅしょく)に溺(おぼ)るれば、悪魔(あくま)忽(たちま)ち隙(すき)を伺(うかが)い、妖魅(ようみ)則(すなわ)ち便(たより)を得(え)て、財(ざい)を惜(おし)まず、情(じょう)を蕩(とろ)かし忿(いかり)を発(おこ)させ、怠(おこたり)を増(ま)させ、心(こころ)を乱(みだ)し、智(ち)を晦(くら)まして、行(おこな)いを禽獣(きんじゅう)に等(ひと)しくするに至(いた)ればなり。大衆(だいしゅ)、古(いにしえ)より今(いま)に及(およ)ぶまで、之(これ)に由(よ)りて、身(み)を亡(ほろ)ぼし、家(いえ)を滅(ほろ)ぼし、君(きみ)を危(あやう)くし、親(おや)を辱(はずか)しめざるは無(な)し。是(こ)の故(ゆえ)に、沙門(しゃもん)は独身(どくしん)にして耦(ぐう)なく、その志(こころざし)を清潔(じょうけつ)にして、唯(た)だ道(みち)を是(こ)れ務(つと)む。子(こ)たる者(もの)は深(ふか)く思(おも)い遠(とお)く慮(おもんばか)りて、以(もっ)て孝養(こうよう)の軽重(けいじゅう)緩急(かんきゅう)を知(し)らざるべからざるなり。凡(およ)そ是(これ)等(ら)を父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずるの事(こと)となす。
是(こ)の時(とき)、阿難(あなん)、涙(なみだ)を払(はら)いつつ座(ざ)より起(た)ち、長跪(ちょうき)合掌(がっしょう)して、前(すす)みて仏(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、世尊(せそん)、此(こ)の経(きょう)は当(まさ)に何(なに)とか名(な)づくべき、又(また)如何(いか)にしてか奉持(ぶじ)すべきと。
仏(ほとけ)、阿難(あなん)に告(つ)げ給(たま)わく、阿難(あなん)、此(こ)の経(きょう)は父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)と名(な)づくべし。若(も)し一切(いっさい)衆生(しゅじょう)ありて、一(ひと)たび此(こ)の経(きょう)を読誦(どくじゅ)せば、則(すなわ)ち以(もっ)て乳哺(にゅうほ)の恩(おん)に報(ほう)ずるに足(た)らん。若(も)し一心(いっしん)に此(こ)の経(きょう)を持念(じねん)し、又(また)人(ひと)をして之(これ)を持念(じねん)せしむれば、当(まさ)に知(し)るべし、是(こ)の人(ひと)は、能(よ)く父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずることを。一生(いっしょう)の有(あ)らゆる十悪(じゅうあく)、五逆(ごぎゃく)、無間(むげん)の重罪(じゅうざい)も、みな消滅(しょうめつ)して、無上道(むじょうどう)を得(え)んと。
此(こ)の時(とき)、梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)、諸天(しょてん)の人民(にんみん)、一切(いっさい)の集会(しゅうえ)、此(こ)の説法(せっぽう)を聞(き)いて、悉(ことごと)く菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)し、五体(ごたい)地(ち)に投(とう)じて、涕涙(ているい)、雨(あめ)の如(ごと)く、進(すす)みて佛足(ぶつそく)を頂礼(ちょうらい)し、退(しりぞ)きて各々(おのおの)歓喜(かんぎ)奉行(ぶぎょう)したりき。
佛説(ぶっせつ)父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)
_____
61元帥(げんすい)へ
洋々(ようよう)たり天地(てんち)の大道(だいどう)
是非(ぜひ)善悪(ぜんあく)は地上(ちじょう)の波瀾(はらん)
地位(ちい)を替(か)ゆれば皆(みな)正(せい)なり
時(とき)を失(うしな)えば悉(ことごと)く侵犯(しんぱん)
裁(さば)く者(もの)悉(ことごと)く神(かみ)にも非(あら)ず
裁(さば)かるる者(もの)皆(みな)鬼(おに)にも非(あら)ず
誰(たれ)か国家(こくか)を思(おも)わざる
誰(たれ)か繁栄(はんえい)を願(ねが)わざる
餘命(よめい)いくばくもなき老骨(ろうこつ)
絞首(こうしゅ)何(なん)の益(えき)かあらん
A級(エイきゅう)は悉(ことごと)く国家(こくか)の至宝(しほう)
B級(ビイきゅう)は皆(みな)帝国(ていこく)の名士(めいし)
審判(しんぱん)既(すで)に心命(しんめい)を截(た)つ
改悔(かいげ)今(いま)や再生(さいせい)を誓(ちか)ふ
天寿(てんじゅ)を赦(ゆる)して平和(へいわ)を説(と)かしめ
仁慈(じんじ)を施(ほどこ)して悪化(あくか)を防(ふせ)がん
国民(こくみん)ひとしく願(ねが)ふところ
国家(こくか)斉(ひと)しく念(ねん)ずる処(ところ)
慈悲(じひ)は是(これ)恆久平和(こうきゅうへいわ)の礎(いしずえ)
智明(ちめい)は是(これ)永劫(ようごう)不滅(ふめつ)の燈(とう)炬(こ)なり
昭和23年11月15日大沼(おうぬま)法竜(ほうりゅう)
マックアーサー元帥閣下
___
62法話(ほうわ)
沈思黙考(ちんしもくこう)再三再四(さいさんさいし)
地上(ちじょう)天変(てんぺん)安住(あんじゅう)なし
人世(じんせい)栄達(えいだつ)浮雲(ふうん)の如(ごと)く
人智(じんち)の聰明(そうめい)たのむに足(た)らず
弊履(へいり)と捨(す)てし悉達多(しっだるた)
説(と)かずや古(いにしえ)三千年(さんぜんねん)
五欲(ごよく)の園(その)に遊(あそ)ぶ故(ゆえ)
悲愁(ひしゅう)の淵(ふち)に沈(しづ)むなり
栄枯盛衰(えいこせいすい)差別(さべつ)の波瀾(はらん)
有為転変(ういてんぺん)は地上(ちじょう)の習(なら)ひ
執着(しゅうじゃく)すれば永劫(ようごう)流転(るてん)
超越(ちょうえつ)すれば一味(いちみ)平等(びょうどう)
悟(さとり)の道(みち)に二(ふた)つあり
聖道(しょうどう)捨(す)てて淨土(じょうど)に入(い)れよ
雑行(ぞうぎょう)捨(す)て正行(しょうぎょう)に
助業(じょごう)を捨(す)て正定(しょうじょう)の
業(ごう)の作用(はたらき)一(ひと)つにて
易(やす)く仏(ほとけ)になれるなり
智慧(ちえ)と慈悲(じひ)とに限(かぎ)りなき
不滅(ふめつ)の真理(しんり)把握(はあく)して
南无阿彌陀仏(なむあみだぶつ)に悟入(ごにゅう)せば
勝者(しょうしゃ)に勝(まさ)る勝者(しょうしゃ)あり
昭和23年12月2日大沼(おうぬま)法竜(ほうりゅう)
A級戦犯(エイきゅうせんぱん)者(しゃ)殿
________
産める子に踏まれ蹴られど母ごころ
わが身消ゆれど子をば守らむ
垂乳根(たらちね)の白き媼母(おんも)の独り寝(ぬ)る
寝音に暁(あけ)の待ち遠しけれ
雲居杣人正顔
南無父母無二佛
南無大日不動薬師如来
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛
南無三宝
拈華微笑 合掌
これが私の四正勤です。この経を弘めることが我が生まれ来る使命であり不惜身命父母に報恩の誠をささげる四弘誓願七佛通誡偈不二同一父母未生因縁なり。
↑上記は全てTORAさんのブログに投稿を掲載して頂いたものです。
いつも本当にありがとうございます。豊岳正彦拝
_________
*父母恩重経、仏教聖典とも下記のページのいずれかのコメント欄に掲載してもらっています。ブログ主さんありがとうございます。
1.目先の勝負に何度敗けようが、つねに「生き残ること」に全神経を注いだ者が最終的勝者となります-株式日記と経済展望
2.豊田真由子・衆院議員はなぜ切れてしまったのか?キレるの理由は、脳の「ホルモン」の乱れも影響している-株式日記と経済展望
3.WHを高値づかみさせたのは当時の資源エネルギー庁の原子力政策課長で現在は経済産業省のナンバー2-株式日記と経済展望
4.問題を隠蔽すること、問題を放置すること、無意味な時間稼ぎをすることがタカタを絶体絶命にした-株式日記と経済展望
5.官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。-株式日記と経済展望
6.人生を豊かにしてくれるのは、高級なバックでも宝石でもない。-株式日記と経済展望
7.自民党都議団は、公明党との選挙協力があれば、議席を10つ獲得できたはず-株式日記と経済展望
投稿豊岳正彦 |2018年4月9日(月)21時58分
______
【父母恩重経】 原文読誦に挑戦。 恩重経は数種類ありますが趣旨は同じです。今回の出典は大正大蔵経よりです。徳川家康は毎日父母恩重経を読誦していたと伝えられています。2017/02/25
https://www.youtube.com/watch?v=-T4Di-YSC10&t=55s
久能山東照宮には家康愛蔵の朱書父母恩重経が伝わっています。「重要文化財に指定されています。」 勿論 駿府御分物帳所載です。原文(漢文)の読誦は聞いた事がありません。【台湾、中国を除く】
お願い→各宗派の式務衆の人々に→私の読み違いが有りましたらご教示願います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます