ー親の不注意で失われる子供の生命―
車に30分間残した幼児が4人とも焼死するというなんとも遣り切れない痛ましい事故が、昨日の新聞各紙に報道されている。悲しいことである。取り返しのつかない事故で、両親の悲しみは想像を絶するものがあるのではないだろうか。
それにしても、クルマと幼児、子供たちだけの留守番、そして、事故の巻き添えと、亡くなる子供の何と多いことか。
そもそも、炎天下に子供を車中に置いたままでパチンコや買い物のために車を離れる事故にしても、今回の事故にしても、人間が本来持っている危険予知の能力が全く発揮されていないように思えてならない。子供だけで留守番をさせたり、車に残したりするときに、まず最悪の事態を予測するのが親の子に対する最小限の配慮ではないのだろうか。
にもかかわらず、親の不注意でどれだけの子供たちの尊い命が失われるのであろうか。
また、今回の事故のテレビ報道を視ていて思うことは、「たった30分の間に」であったことが報道各社のニュースキャスターの口から異口同音に出てくることである。この言葉は、決して親の責任を考えるのでなく、それ位の時間離れることはそんなに問題ではないという風に聞こえてならないのである。30分が5分であっても、いたいけない乳幼児が4人も亡くなっているのである。4人が1人であっても、同じであるが、少なくとも親の不注意で亡くなっているのである。親の責任は重い。そのことをもう少し強調してよいのではなかろうか。要するに、例え1分であっても、親は子供たちを監督下に置きなさい。子供からから離れてはいけないということである。
少し厳しいようであるが、こんなとき、なくなった子供たちがもし一言いえるとしたら何というであろうか。
―危険を予知しその危険に近づかせないことが保護者の責任―
もう、随分年月が経つがいまだに検察への再審査請求等で結審していない事故に、明石の歩道橋事故がある。11人の尊い命が失われている。明石警察や、明石市当局の当時の責任者の責任が問われている。それはそれで責任を追及されることも当然である。
しかし、もう少しいうならば、そのような雑踏に小さい子供を連れて行くことはどうなのであろうか。つまり、そのような時の親の責任はどうなのであろうか。
私は、沢山の子供を育ててきた。そのような機会もたびたびあったが連れて行ったことは皆無である。なぜかと言うと、そのような雑踏では、何が起きるか分からないという危険性があるからである。危険性のあるところには近づかない。これが親の責任だと思っている。前にも書いたが責任は保護者が持たないと、当局も主催者も持ってくれはしない。
つまり、生命は保障してくれないのである。いくら賠償金をもらっても生命は戻らないのである。
何が1番大事かというと、危険を予知してその危険には近づかせないことであり、自然災害等であるならば、出来る限りの対策をして犠牲を最小限にすることであろう。
そう思っているときに、また別の同じような事故が起きた。やはり車に残され子供が、やはりライターを玩具にしていて誤って火が着いたということであるが、幸いにも気づくのが早く、子供は助かったようであるが、クルマは全焼した。もう少し保護者が気づくのが遅れたら、前日の北海道の事故の二の舞である。
諸外国では、クルマの中に子供だけ残すだけでも処罰の対象になるそうである。子供だけで家の留守番をさせることでさえ、法律で禁止じているそうで、そのときには、ベビーシッターを置いて外出することになっているそうである。
これが本当に子供の命を守ることなのだろう。
日本では、そのような法律ができないものだろうか。両親がそれによって子供の生命を真剣に守ろうとする姿勢が育つのではないだろうか。生命を守るということは、そういうことではないのだろうか。