-教育は時宜を得て受けないと取り返しがつかないー
もっとも学問の自由を尊ばなければならない大学人がその体たらくである。反対意見には聞く耳を持たない。いろいろな思想があり異なる意見を戦わせて発展があるのだと当時の私でさえそう思った。
この戦後30年間は無駄な時間であった。昭和40年代から50年にかけて天下の東大を始め、中央の有名大学に学ぶ者はその意味では本当に不幸であったのでなかったろうか。ほとんど大学で勉強が出来ていなかったようなのだ。
私が中学の校長時代に、「親子ふれあいコンサートを、毎年秋の夜長の時期に、夜間、体育館に保護者や生徒を集めて開催していたが、ある年に、ストローでいろいろな笛を作りそれで曲を演奏する演奏家を招待し2時間ほど聴いたことがある。その演奏家と校長室で話したことがあった。その方が昭和40年代初めに京都大学に在学して居られたという話から、専攻を聞いて驚いた。何と、「宇宙物理学です。」といわれたのである。「それで、全く関係ないことは初めから予測しながら、ストロー楽器と宇宙物理学との関係を聞いたら、「私たちの頃の学生は、大学紛争で勉強が出来ていないのです。だから、その頃の者は、私と似たり寄ったりのことをしているのです。」と意外な答えが返ってきた。
私は、その言葉にショックを受けた。当時、大学紛争の影響で学内での卒業式が出来なくて、学外の会館を借りて卒業式ができたのは、まだいい方で、卒業式を実施しなかった大学も多かったことは、当時のマスコミの報じるところであり私も承知をしていた。
しかし卒業したがその専門分野で全く役に立たなかったと聞いたのは初めてであった。文科系では
その点際立って分からないが、理科系では、受講時数と講義内容でも力が際立つことが想像つく。
1~2間の欠講ではない。大学紛争に明け暮れていたのであるから、力が付く筈がない。
大学紛争の犠牲者なのである。犠牲者は彼らだけではない。その時代をすごした国民もいろいろな意味で、大きなマイナスを蒙っている。
戦争反対を唱えながら、人の命こそ奪わなかったが、多くの犠牲を出したことには違いない。そのことによって、何が変わったというのだろうか。
大学で研究に勤しんで力を付けて、社会に出てその能力を発揮すれば、社会にどれだけの貢献ができたことだろう優秀な人材が学園紛争により、ただの人で終わってしまった。のである。
-昭和40年代の大学紛争の影響はまだ続いている?-
社会も大きな損失であり、その影響は、まだ続いているのではなかろうか。今、当時学生だった人たちが、年齢的にはまだまだ政治経済の中枢にいると考えるならば、当時の影響が今出てきているとも考えられる。
いつの時代でも、どの国においても、教育の大切なことが身にしみて分る時代である。その教育が戦後ずっと日教組に握られ、今まさに、その影響が絶頂に達していると見える。ヨーロッパでは、20世紀の後半に葬り去られたマルキシズムの火が、政治の力を借りながら、焼け跡の火が再燃するがごとくに燃え上がりつつある。どこかで、それを止めないと日本国が潰れると危惧するのは私だけではないはずである。