ー誕生日お祝いメッセージの交換は家族交流のよい機会ー
先日、25日は、家内の誕生日であった。孫たちが次々に「おばあちゃん誕生日おめでとう」と電話でメッセージを言ってくる。家内は、そのたびに嬉しそうに対応していた。
もちろん、子や孫たちの誕生日には、こちらからも、メッセージを贈ることにしている。
ところが、先日の夜、神戸の孫から電話がかかってきた。家内が電話に出てさかんに誤っている。「ごめんなあ、今日電話をせんなんなあと思っていたのだけど、忙しくてつい忘れてしまって。こめんね」と。
「どうしたのだ。」「今日はたく坊の誕生日なんだけど、おめでとうと電話するのを忘れてしまっていて。」「ああそうだったなあ、今日は、たく坊の誕生日だったなあ。」
その後、「お祖父ちゃんに代わるよ。」と私に回ってきた。
「今晩は、今日はたく坊の誕生日だったねえ。それでいくつになった。」電話の向こうで、「9歳になりました。」「そうか、大きくなったねえ。それで、今年の四月からは、4年生になるのだねえ。早いなあ。遅くなったけど、たく坊、誕生日おめでとう。これからも、元気で一生懸命に勉強や運動をして大きくなるんだよ。」「はい。」「それからねえ、誕生日というのは、おめでとうと祝ってもらう日なのだけど、もう一つ、今日まで大きくしてもらったお礼を、お父さんやお母さん、そして、家族の人にいう日でもあるんだよ。お礼を言って、これからも、よろしくと家族の人に言おうね。」「はい、分かりましした。」
それでは、春休みには、また豊岡に帰って来なさいよ。」といって、電話を切ったのである。
今、誕生日おめでとうのメッセージを送る範囲を、子供10人(5夫婦)と孫10人の計20人にしている。1年間に20人の誕生日は忙しい。ついつい忘れてしまうので、カレンダーにきちんと書き込んである。それでも、多忙でついうっかりと言うこともある。それゆえに、気がついたら、前日でも「おめでとう」ということもありにしている。
このように誕生日お祝いメッセージの交換は家族交流のよい機会になっていることを強く感じるのである。
―「数え年」の発想は、生命を大事にする心が基―
そもそも、私たちの子供ころは、誕生日を祝うと言う習慣はなかった。
数え年で年齢を数えた。数え年といのは、母親のお腹にいる10月10日の間を一年と数えたのである。だから、生まれたときが1歳、お正月が来たら数えの2歳になる。つまり、お正月を迎えることによって、誰もが1つ年を取ることになるので、家族一斉に「おめでとう」なのである。
お正月と言うのは、「新しい年を迎えておめでとう」という意味と、「一つ年をとっておめでとう」と意味が重なっているのである。
戦後は、アメリカの思想を押し付けられて、家族全体を祝うというのでなく、一人ひとりの誕生を祝うという個人主義的な発想により改められたのである。と同時に、お母さんのお腹の中で生命が芽生えたという発想が消えてしまった。つまり、受胎直後は、生命と認めないことから、わが子を堕胎するというようなことが行われるようになってしまったと思われる。戦後の思想がどうであれ、心ある日本の父と母は、授かった子供は全て尊い命としてこの世に送り出し、さらに生まれてきた子供たちを緊張しながら成人まで育て上げたのである。しかし、戦後の思想に翻弄され、経済的理由からわが子を堕胎した親も多く、戦後堕胎された胎児の数は、年間、百万とも二百万ともいわれた時期があった。
現在はその数がどうなっているか分からないが、それでも、堕胎は続いている。法律が許しているからである。生命を大事に、生命を大事にと言いながら、一方でわが子を堕胎して闇から闇に葬る行為をしているとするならば、以心伝心、子供たちが生命を大事にしない原因がここにもありそうである。