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豊文堂日録

日々の事柄に対する感想意見等

「南無大師遍照金剛」「南無阿弥陀佛」・・・は、魔法の言葉

2010年04月01日 22時49分07秒 | 豊岡の街

    ー孫たちの「南無大師遍照金剛」にびっくり―   
「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」・・・・・
神戸の孫たちが帰ってひっそりとした我が家に、真言宗の「南無大師遍照金剛」が聞こえてきた。先ほどまで沢山の従兄弟がいて賑やかであったが、その従兄弟たちが帰ってしまい、残された格好になった娘のところの孫三人が、仏壇の前に座って手を合わせている。ちょっとびっくりした。我が家は浄土宗で「南無阿弥陀佛」であるが、娘の嫁ぎ先は真言宗で「南無大師遍照金剛」である。ただ、娘たちの家族は、両親は大屋に住み自分たちは日高に住んでいる関係で、我が家に仏壇はない。にもかかわらず、孫たちの口から自分の家の宗旨の「南無大師遍照金剛」が、仏壇の前に座ったときに自然に口をついて出てきたと言うことは、きっと父親の里に帰ったときには仏壇の前に必ず座ってお参りをしているのだろうと推測できるのである。そのことは、大変結構なことでこの孫たちがこれから人生を歩んでいく時に大変大事なことだろうと思ったのである。
     -「南無大師遍照金剛」は、母の口癖であったー
ところで、久しぶりに真言の「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」を聞いた。実は、私の母の里も宗旨が真言である。従って、私の小さい頃には、何かあると「南無阿弥陀佛」ではなく、「南無大師遍照金剛」だったのである。私が成人した頃には、母も我が家の宗旨のお寺に行くようになり、私が気づいたときには、「南無大師遍照金剛」が「南無阿弥陀仏」に変わっていたのである。
子供の頃、腹痛が起きると、母が「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」・・・と唱えながらお腹を摩ってくれた。すると不思議に腹痛が治まってしまうのである。その威力は子供心に凄いと感じたのである。
そのように母は、何かあると「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」・・・である。
「南無大師遍照金剛」が、生活に活かされていたと言っても過言ではない。
私が、今、一番印象深く覚えているのは、平成21年12月21日午前4時19分に発生した昭和南海地震(南海道地震)のときである。(と言っても私の記憶にあるデータは、昭和21年で月日が分からない。母が方の祖母がなくなった年と言うこと。その法事に母の里に父だけが出かけ、母の里に泊まったので、私のうちは、母と、兄と、私とそれに6月に生まれた弟の4人がいて、父の留守に起きた地震であったこと。1階の寝室で寝ていたということなどが記憶にあり、それを手がかりにインターネットで調べると、昭和南海地震に行き当たったのである。)かなり長い時間、激しい揺れであったことをいまだに体が覚えている。記録によると、震源は潮岬沖40kmキロほど沖の海底で、M8.0 の大地震で同時に津波も発生し、1443名もの死者を出している。)
その時にはかなり激しく、しかも長時間揺れたような感じが残っている。その時に母は、兄と私とそして生まれて6か月の弟を抱いて壁際に寄り、その時に母の口から発せられたのが、真言宗の「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」・・・・・だったのである。
時間が12月の午前4時19分ですから、真っ暗な中で、揺れを感じながら、それでも、大きな恐怖心が残っていないのは、母の唱える「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」のお陰であったと信じているのである。
平成7年1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災のときは、確かに大揺れがした。そのとき、長男は神戸に、二男は京都に、長女と三男、そして、二女と私の両親は一緒に住んでいたのであるが、家族の者は大変よく揺れて、怖かったと異口同音に言うのであるが、私はそれほど恐怖を感じなかったのである。怖くなかったし、そんなに長かったとは思わなかったのである。
これはきっと、小さいときの経験が大きかったので、今回の地震が大きかったにもかかわらず、それほど大きく感じなかったのではないかと自分なりの結論を出している。
それぞれの宗派には、「南無大師遍照金剛」「南無阿弥陀佛」「南無妙法蓮華経」「南無釈迦尼佛」といった言葉がある。そして、これらの言葉はそれぞれがみな大きな威力を持っていると思えてならない。きっと本当に大きな力を持っている。言わば「魔法の言葉」に違いないと思うのである。