長良川温泉 ホテルパーク

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加納城散策

2021-09-26 15:54:00 | スタッフ日記
天下分け目の関ヶ原合戦に勝利した徳川家康は、大坂城の豊臣氏に対するため、合戦直後、加納に城を築きます。その場所は戦国時代の城館の跡で、東・南は荒田川、北は清水川に囲まれた場所でした。さらに西には長刀堀(なぎなたぼり)を掘り、四方を川と堀で囲まれた、水に浮かぶ城を造り上げました。  






 初代城主には長女亀姫(かめひめ)の婿である奥平信昌(おくだいらのぶまさ)を任じ、10万石を与えました。その後奥平氏3代、大久保氏1代、松平(戸田)氏3代、安藤氏3代、永井氏6代といずれも譜代(ふだい)大名が城主となり、明治を迎えます。明治5年から6年にかけて、城内の建物は取り壊されてしまい、その後堀も埋められてしまいましたが、本丸周辺や二の丸の北側など石垣が残り、当時の姿を偲ぶことができます。 






 本丸は東に出っ張りを持つ、凸の字形をしています。これは出枡形(でますがた)という防御施設を、本丸の正門に設けたものです。この形は初期の徳川の城に見られる特徴で、加納城はその初現にあたることから、「加納城型」ともいわれています。  






 昭和58年本丸が国の史跡に指定されて以降、発掘調査を実施しています。平成11年度の発掘では、南門の土塁(どるい)の跡が見つかると同時に、江戸時代の加納城の下に戦国時代の城館の土塁が見つかりました。言い伝えの裏付けができた大発見といえます。平成16・17年度には、大手口北の堀から堀障子(ほりしょうじ)が見つかりました。今まで全く想定されていなかったもので、新たな事実が明らかとなっています。














平成19年度には、大手口の石垣や櫓門(やぐらもん)の柱を支えた礎石(そせき)が発掘されました。石垣はこの部分だけ綺麗に平らに割った石を使っており、本丸正門の美観を意識したものと見られます。  












 現在の二の丸は北側を除き、石垣が埋められてしまっているので正確な範囲が分からなくなっています。発掘調査で、東側の石垣や厩曲輪(うまやぐるわ)との通路の石垣が見つかり、範囲が明らかになっています。また二の丸には城主が暮らす御殿がありましたが、平成12年度の発掘調査で、その一部と見られる礎石が発見されました。

岐阜市に コウノトリ飛来しました

2021-09-25 15:06:00 | スタッフ日記
国の特別天然記念物のコウノトリが20日、岐阜市の金華山
上空を通過した。足環の一部が写っていたことから、兵庫県での放鳥由来の個体で、市内では4年9カ月ぶりの観察例とみられる。






 飛来したのは、20日午前10時過ぎ。岐阜市自然環境アドバイザーの梶浦敬一さん(79)によると、水道山展望台でサシバの渡りを愛好家仲間と観察中、岐阜城の方から大型の鳥が近づいてきた。

 羽の黒さからコウノトリと直感。南西の空に飛び去っていく姿を写真に収めた。「200メートルぐらい上空を優雅に飛んでいった。
を祝って飛んできてくれたのかも」と喜んだ。

 コウノトリは国内での野生絶滅に伴い、人工繁殖された個体が2005年から兵庫県で放されている。兵庫県立コウノトリの郷公園のホームページによると、8月末現在の野外確認は263羽。日本野鳥の会岐阜によると、岐阜市内では2012、14、16年にも確認されている。

岐阜新聞記事より
転載させて頂きました。


2016年12月04日

コウノトリようこそ 岐阜市に飛来【岐阜新聞2016年12月4日】


翼を広げ羽ばたくコウノトリ=3日午後2時21分、岐阜市内 国の特別天然記念物コウノトリが岐阜市内に飛来し、その姿を一目見ようと親子連れや野鳥愛好家らが訪れている。 兵庫県立コウノトリの郷公園(豊岡市)によると、足環から今年4月に人工の巣で生まれた雌と確認された。





8月に豊岡を飛び立ち、京都、高知、和歌山、三重を経て、11月21日に豊岡から180キロ離れた岐阜市に来た。渡り鳥の習性を持つが、餌が豊富な場所ではとどまることもあるという。 3日は近くの川で餌を探したり、広場で羽を休めたりする様子が見られた。同園は「離れた場所から観察し、餌は与えないでほしい」と話している。

加納城 彼岸花満開近いです

2021-09-19 11:23:00 | スタッフ日記
加納城跡で
彼岸花
曼珠沙華が咲きはじめました。

加納城(かのうじょう)は、岐阜県岐阜市加納丸の内にあった日本の城である。徳川家康による天下普請によって築かれた平城で、江戸時代には加納藩藩主家の居城となった。城跡は加納城跡(かのうじょうあと)として国の史跡に指定されている。





加納城は2重のをもつ、南北に細長い城(南北約550メートル、東西約400メートル)であり、城の大手門は北側にあり、中山道に面し、大手門前で屈曲する構成となっていた。






内堀は本丸を取り囲む形で配置され、少なくとも北堀は障子堀であった。外堀は東側が荒田川、北側が清水川、西側が長刀堀であり、南側の外堀は加納中学校付近にあった。





主要な部分は本丸を中心に、東に二ノ丸、北に厩曲輪・三ノ丸、南に大藪曲輪があった.

加納城(かのうじょう)は、岐阜県岐阜市加納丸の内にあった日本の城である。徳川家康による天下普請によって築かれた平城で、江戸時代には加納藩藩主家の居城となった。城跡は加納城跡(かのうじょうあと)として国の史跡に指定されている。









加納城は2重のをもつ、南北に細長い城(南北約550メートル、東西約400メートル)であり、城の大手門は北側にあり、中山道に面し、大手門前で屈曲する構成となっていた。内堀は本丸を取り囲む形で配置され、少なくとも北堀は障子堀であった。外堀は東側が荒田川、北側が清水川、西側が長刀堀であり、南側の外堀は加納中学校付近にあった。主要な部分は本丸を中心に、東に二ノ丸、北に厩曲輪・三ノ丸、南に大藪曲輪があった。この城の石垣には加工するにはあまり適さないチャートが使われている。

城下町・加納は、東に配置された武家地と、北側にある中山道53番目の宿場である加納宿であった。












この城の石垣には加工するにはあまり適さないチャートが使われている。








城下町・加納は、東に配置された武家地と、北側にある中山道53番目の宿場である加納宿であった。








ぎふ 金公園 芝生化

2021-09-13 08:01:00 | スタッフ日記
柳ケ瀬商店街すぐにある金公園(こがねこうえん)。岐阜の中心地にある公園は、様々な人々が行きかい、遊び場として利用されている。「金(こがね)」公園と読みます。“小金(こがね)”や“金(きん)”公園と言われることも。隣には金神社(こがねじんじゃ)があります、昔から金運、財運に利益があるいわれています。公園へ遊びに行った際は、お隣の金神社にも行ってみてください。






岐阜市の中心市街地に位置する同市金町の金公園を芝生化するリニューアル工事が10日、始まった。全面的な改修は37年ぶり。市は"セントラルパーク"として、住民の憩いの場とともに、柳ケ瀬と岐阜駅の間にある立地を生かして両地区をつなぐにぎわいの拠点にしたい考え。すぐ北側で建設が進む再開発ビル「柳ケ瀬グラッスル35」の完成予定に合わせ2022年度の再開園を目指す。






 同公園は1949年に開設され、面積は約1ヘクタール。84年の大規模な改修工事で、ほぼ現在の形となった。今回の工事では地面のタイルなどを撤去した後に、緩やかな傾斜を付けた芝生広場を整備する。憩いとくつろぎの場としての機能のほか、レクリエーションの場として想定している。





 芝生広場の西側には、休憩で座ったりイベントに使ったりできるステージを設けるほか、多目的広場も作る。芝生広場の周りの園路には
など車両も乗り入れできる。公園北側のからくり時計と南側の噴水は残す。

 10日は、業者が敷地の一部に工事用のフェンスと現場事務所を設置した。今後はフェンスの囲いが広がり、一般の人が立ち入れない区域が増えていくことになる。





 芝生広場を擁する公園は名古屋市の中心部、栄の久屋大通公園や東京都豊島区の南池袋公園が近年、にぎわいの空間として注目されている。岐阜市の担当者は「魅力的な空間に生まれ変わるので楽しみにしていてほしい」と話している。