母は古い時代の古い女だったものだから
見合いの話がきた時深く考えもせず父の処へ嫁いだ
それからずっと家事と畑仕事がすべての毎日だった
父が怠け者だったのでその分余計に働いた
末っ子の私が物心つき始めてから大きくなる迄
母から聞かされた話といえば父に対する愚痴ばかりだった
まるで母には楽しい事など一つも無かったように見えた
父は酒を浴びるほど飲み女遊びはするし母を殴ったりもし
仕事には身を入れなかったから母にとっては良くない夫だった
時には余りの悲しさから里へ泣いて帰った事もあったが
里の両親や兄弟がこぞって早く夫の処へ帰れ
と言ったもんだから母は泣きながら父の家に帰った
当時世間では見合いで結婚した夫婦のいくらかは
幸せな生活を送ったという話を聞くにつれ
つくづく母は運が悪かったのだと思った
母が若かった頃まわりの者は美人だと言っていたし
働き者で優しいところもあったので
もっと幸せになっていたとしてもおかしくないと思っていた
それに私の事をすごく可愛がってくれたので母が好きだった
父はと言うといつも酒ばかり飲み怒鳴り散らすもんだから
私が中学の時父に飛びつき畳の上に押し倒した事があった
父の怒りに満ちた眼を怖いとも思わず
僕なりに何やら叫んでいたことを覚えている
しかし母に対しては畑仕事に出かけるため
手押し車を引く時は後ろから押してやったし
夕食後には時々肩を叩いてやった
母は苦労の中で生活していたようなものだったが
父が死んでからは少しは自由になり笑い声も聞かれるようになった
それから数年後母も後を追うようにして死んだ
しかし母にとって自分の死までが父によってもたらされていた
父が小銭を持ち女遊びをしていた頃
母にまで悪性の病気を移していた
母は暫く病気の再発はなかったのだが
年老いてその病気がもとで神経をやられた
死ぬ間際の頃は咽が麻痺したため自分の言いたい事が喋れず
病床で母の言いたいことは枕元の鉛筆と紙切れが唯一の手段だった
二月の小雪のちらつく明け方母は息を引き取ったのだが
私はそのあと独り白くなった道を歩きながら
見合い結婚は時として不幸を運んでくるものだなと思った
母は古い時代の古い女だったものだから
自分の好きなようには生きられなかっただろうし
やっぱり母は運が悪かったのだなと思った
見合いの話がきた時深く考えもせず父の処へ嫁いだ
それからずっと家事と畑仕事がすべての毎日だった
父が怠け者だったのでその分余計に働いた
末っ子の私が物心つき始めてから大きくなる迄
母から聞かされた話といえば父に対する愚痴ばかりだった
まるで母には楽しい事など一つも無かったように見えた
父は酒を浴びるほど飲み女遊びはするし母を殴ったりもし
仕事には身を入れなかったから母にとっては良くない夫だった
時には余りの悲しさから里へ泣いて帰った事もあったが
里の両親や兄弟がこぞって早く夫の処へ帰れ
と言ったもんだから母は泣きながら父の家に帰った
当時世間では見合いで結婚した夫婦のいくらかは
幸せな生活を送ったという話を聞くにつれ
つくづく母は運が悪かったのだと思った
母が若かった頃まわりの者は美人だと言っていたし
働き者で優しいところもあったので
もっと幸せになっていたとしてもおかしくないと思っていた
それに私の事をすごく可愛がってくれたので母が好きだった
父はと言うといつも酒ばかり飲み怒鳴り散らすもんだから
私が中学の時父に飛びつき畳の上に押し倒した事があった
父の怒りに満ちた眼を怖いとも思わず
僕なりに何やら叫んでいたことを覚えている
しかし母に対しては畑仕事に出かけるため
手押し車を引く時は後ろから押してやったし
夕食後には時々肩を叩いてやった
母は苦労の中で生活していたようなものだったが
父が死んでからは少しは自由になり笑い声も聞かれるようになった
それから数年後母も後を追うようにして死んだ
しかし母にとって自分の死までが父によってもたらされていた
父が小銭を持ち女遊びをしていた頃
母にまで悪性の病気を移していた
母は暫く病気の再発はなかったのだが
年老いてその病気がもとで神経をやられた
死ぬ間際の頃は咽が麻痺したため自分の言いたい事が喋れず
病床で母の言いたいことは枕元の鉛筆と紙切れが唯一の手段だった
二月の小雪のちらつく明け方母は息を引き取ったのだが
私はそのあと独り白くなった道を歩きながら
見合い結婚は時として不幸を運んでくるものだなと思った
母は古い時代の古い女だったものだから
自分の好きなようには生きられなかっただろうし
やっぱり母は運が悪かったのだなと思った