矢島慎の詩

詩作をお楽しみください。

母は運が悪かった

2005-04-29 18:04:28 | Weblog
母は古い時代の古い女だったものだから

見合いの話がきた時深く考えもせず父の処へ嫁いだ

それからずっと家事と畑仕事がすべての毎日だった

父が怠け者だったのでその分余計に働いた

末っ子の私が物心つき始めてから大きくなる迄

母から聞かされた話といえば父に対する愚痴ばかりだった

まるで母には楽しい事など一つも無かったように見えた

父は酒を浴びるほど飲み女遊びはするし母を殴ったりもし

仕事には身を入れなかったから母にとっては良くない夫だった

時には余りの悲しさから里へ泣いて帰った事もあったが

里の両親や兄弟がこぞって早く夫の処へ帰れ

と言ったもんだから母は泣きながら父の家に帰った

当時世間では見合いで結婚した夫婦のいくらかは

幸せな生活を送ったという話を聞くにつれ

つくづく母は運が悪かったのだと思った

母が若かった頃まわりの者は美人だと言っていたし

働き者で優しいところもあったので

もっと幸せになっていたとしてもおかしくないと思っていた

それに私の事をすごく可愛がってくれたので母が好きだった

父はと言うといつも酒ばかり飲み怒鳴り散らすもんだから

私が中学の時父に飛びつき畳の上に押し倒した事があった

父の怒りに満ちた眼を怖いとも思わず

僕なりに何やら叫んでいたことを覚えている

しかし母に対しては畑仕事に出かけるため

手押し車を引く時は後ろから押してやったし

夕食後には時々肩を叩いてやった

母は苦労の中で生活していたようなものだったが

父が死んでからは少しは自由になり笑い声も聞かれるようになった

それから数年後母も後を追うようにして死んだ

しかし母にとって自分の死までが父によってもたらされていた

父が小銭を持ち女遊びをしていた頃

母にまで悪性の病気を移していた

母は暫く病気の再発はなかったのだが

年老いてその病気がもとで神経をやられた

死ぬ間際の頃は咽が麻痺したため自分の言いたい事が喋れず

病床で母の言いたいことは枕元の鉛筆と紙切れが唯一の手段だった

二月の小雪のちらつく明け方母は息を引き取ったのだが

私はそのあと独り白くなった道を歩きながら

見合い結婚は時として不幸を運んでくるものだなと思った

母は古い時代の古い女だったものだから

自分の好きなようには生きられなかっただろうし

やっぱり母は運が悪かったのだなと思った