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You May Meet

有楽町・目黒・三鷹を去って

お別れ

2009年07月31日 | 思い出
 青森の前会長古川さんが亡くなられました。
 29日が葬儀と水産経済新聞に報じられていることを、本会の専務から伝え聞きました。

 昨年の秋深く突然病に倒れられて入院治療を受けられ、今年の5月には退院・自宅療養されていると聞いていました。
 快方に向かわれているものと察し、お見舞いの便りを出さなければと思っていましたが、まさか亡くなられるとは。大変驚いています。

 謹んで哀悼の意を表したいと思います。

 2週間ほど前に、1年前の全国漁民大会の帰りに浜松町駅で一緒のモノレールに乗ったことを記したばかりです。そのときに見た、若々しく元気な姿と笑顔が、いまだに脳裏に焼きついています。
 会議では隣の席で、とても親しく話しをさせてもらいました。 

 古川(こがわ)さんという読みを憶えて、1年数ヶ月ほどのお付き合いしかないと思いますが、全力で走り続けている方という印象を持っています。

 東京會舘での食事のときだったか、古川さんが愛用されていたタバコを見せてもらったことがあります。携帯のカメラに撮っていたのを思い出して、いま探し出して携帯からメールで受けたところです。
 そばにいても煙たくなく、よい香りがしていました。国内では販売されていないらしく、旅行のとき自分で買ってくるか知人に買ってきてもらうとお聞きしました。


 優雅に一服されている姿を思い起こして、あらためて、古川さんを偲んでいます。
 短い間でしたが、お付き合いさせていただき、ありがとうございました。 

 ご冥福をお祈りいたします。





  

ワインと漬物

2007年07月21日 | 思い出
 20年前のスケジュールノートが出てきた。
 といっても、飲食の記録が多い。
 例えば7月12日の日曜日のメモ
 「昼 冷奴、そうめん、目玉焼きとキャベツ、茄子の漬物。
  夜 豆腐焼き、漬物(茄子、白瓜、かぶ)、いり玉子、柿の葉ずし、
    きゅうり、かいわれ、紫玉ネギ。ボジョレ赤。」
 当時は茅場町のワンルームに単身赴任していたので、
 食べ物の半分以上は近くのデパートで買ったものだろう。
 歩いて15分ほどで日本橋高島屋があった。
 今と違いコンビニもなく、古いスーパーが1分ほどの所に
 あったが、週末は休みというのんびりした時代。
 土日の食料買出しはデパートしかなかった。

 7月5日は富山に帰っていた。
 魚津でN君の結婚・披露宴13:00に出席。
 彼も今年で20周年を迎えたことになる。

 さて、多分ボジョレを1本飲み切ったであろう日曜日の
 翌日は、全オンセンターの設立総会。
 11:00信用部会・発起人会
 13:30総会、14:30取締役会
 15:30記者会見
 16:00祝賀会
 その前日に、漬物でワインとは
 なんとも、地味な酒飲みだったことが
 うかがえる。

 
 
 


特別の日

2007年06月17日 | 思い出
 6月15日は、やはり特別の日である。
 風化して語られることも少なくなった。
 思想や主義・主張を正面から述べる時代では
 なくなっているとも思えないが、
 この片田舎で平凡な毎日を過ごしている身に
 とって、同じ感性や考えを持つ人と語る機会は
 そうはない。
 身近な同世代、同時代を生きてきた
 仲間としては、府中のKK君しか思いあたらない。

 家人も身近な同世代であり長年の仲間。
 二人にとって6月15日は
 31回目の結婚記念日でもある。



フットワーク いま・むかし

2007年06月10日 | 思い出
 1986年の手帳には、6月末(27の金曜日)に、北陸4県の事務研究会が開催されている。11時30分に開始16時15分までの会議だったようだが、時期的にみて、やはり全国共同オンラインシステムの検討に関する情報交換会だったと推察される。
 宿泊者として、新潟の佐藤さん、石川の菊さん、京都の水上さん全漁連浜口さんの名前がある。4県プラス京都の事務研究会に当時の専務(参事)が集まったようだ。全漁連浜口さん(当時三重から出向)から、全漁連システム化対策事務局への出向予定県を聞いたのだろうが、「長崎、鹿児島、静岡、三重、富山」とメモされている。
 全オンセンター創設期の信漁連からの出向者は、最初4名というイメージが強いが、実は三重の浜口さんが、信用事業推進部本体への出向者として、農林中金と全漁連と信漁連をつなぐ重要な役割を担っていた。そのときだと思うが、浜口さんから聞いたのは、「出向は5~6年覚悟しなければならない。」だったが、本会の上司には1年半ぐらいとの説明がされていた。浜口さんは「毎日夜中の2時3時まで眠れない」と聞いたが、毎夜泥酔して遅くとも23時には眠りについていた僕にとっては、信じがたい話だった。結局、そのとおり深夜まで眠れない(飲み会が長引いて)日々が続き、以来、断酒以後も、今日までその生活リズムは変わらない。
 
 遥か21年を経て、今月29日(金)に北陸4県専務・参事の集まる「広域信漁連設立検討委員会」第1回目を開く予定で日程調整に入っている。現在の全漁連には、オンラインの時のように、「浜口さん」の役割を果たす専任の職員がいない。部長自らに時間を割いて臨席してもらうことは非常にありがたいが、多忙な人だけに日程調整のフットワークは軽くない。
 
 

デビュー 1986年6月

2007年06月04日 | 思い出
 この年の6月13日金曜日、山口県下関市漁協(参事・主任)と山口県信漁連の米田推進課長が来会。午後「富山の薬」製薬会社を見学・紹介したまでは覚えている。おそらく見学を終えたところで解散。
 翌14日土曜日に信用事業職員全員研修会。場所は大沢野パレス。この頃は1泊2日の研修体系。土曜日も現在のように休業日でなく全員半日勤務の時代。
 全員研修では、当時の若手職員N君にシステム関係の講師を任せた。それから2ヶ月後には、僕は全漁連へ出向することが分かっていたので、N君に仕事を引き継いでもらい後を任せるつもりでの試みだった。多分、本人に講師担当を告げたのは直前の2~3日前ぐらいだったと思う。酷なことをしたものだが、N君はスイスイと説明し十二分に期待に応えた。

5年先は読めない

2007年05月27日 | 思い出
 東京からKさんとTさんを迎え、15時から情報交換会。
 全国システムや4県システムの今後の課題などについて意見を交わした。
 夜は、半年ぶりに、「You May Meet」3人での分科会。
 全オンは先日のテストを終え、Ⅰ部長もようやくひと休みらしい。
 全オン設立から20年の歴史のなかで、ぼくが直接関わったのは
 最初の5年間余りだが、その頃の記憶がよみがえり、
 昔話に花が咲いた。仕事の事よりもっぱら、どこで飲んで
 どういうことがあったという、他愛の無い話題提供しか
 できなかったが。
 その後の15年より、昔のことばかり覚えているというのは
 やはり、その5年間で20年間以上の重みを経験し、
 髪がすっかり抜け落ちるほどの思いをしていたことの証し
 なのかと、今振り返っている。
 現在の全オンの課題は送られてくる会議資料などでしか
 読み取れないが、この先5年もすると、どういう方向に
 進むのかよく分からない。
 「その頃には、この業界にいないかも知れないけど」と
 言いながらも、気になるところではある。

 Kさんは7月中旬に、品川のKさんと離島訪問するそうで、
 同行したい気持ちもあるが、年末以降にとっておこう。
 夏場の週末は混んでいて、なかなか飛行機のチケットも手に
 入らないそうだ。

 22時過ぎにTさんの宿泊するホテルで分かれた。
 羽田からの最終便と思われる航空会社の制服姿の
 女性たち10人ほどが、ちょうどタクシーに分乗し
 ホテルに入るところに出くわした。
 すばやくフロント受付を済ませ、
 僕とKさんが、地下駐車場へのエレベーターを
 待っているとき、その人たちも
 隣で上りエレベーターに並んでいた。

 「幸楽」だったか、三鷹で一番通ったお寿司屋さんが
 閉店となったそうだ。閉店前にもう一度行って
 2度も痛い思いをした「しめ鯖」を味わいたかった。
 ナベさんなど、夜中に救急車で運ばれた事もある。
 Ⅰさんと僕とナベさんの3人が大当たりし、
 食べた翌日、水産部での打ち合わせ会で、冷や汗を
 流して呻いていたこともある。
 当たったのはお寿司屋さんのせいでない。
 まだ締まっていないにも関わらず、わがままを言って
 食べたわれわれに責任がある。

 レッドソックスの松坂が昨日の試合で先発し
 お腹を押さえながら、顔をしかめ冷や汗を出していた。
 肉体を使って激しい仕事するスポーツマンとは違うし、
 原因も全く別だろうが、腹部の苦しい気持ちは理解できる。
 
 

  
 

 

金沢へ行くには

2007年05月06日 | 思い出
 金沢のOさんからコメントをもらった。
 全オン出向時には、会議に上京されたOさんと
 全オンメンバーが一緒に飲んだ記憶がある。
 酒豪・酩酊状態のメンバーが、
 さぞや迷惑をかけたことだろう。

 このところ、今週の1冊は途切れているが、
 4月末に大学病院で、「金沢・街歩きベストガイド」を買った。
 連休も終わった来週末あたりに出かけて見たいものだが、
 土曜日は全漁連からの決算監査があり、日曜日しか機会はないようだ。
 家人は週末東京出張の様子で2週連続、静かな日々を送ることになる。