明日にすれば

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葛山信吾さん/bricks関連メイン

「天地人」安部政吉の最期

2009年05月13日 01時53分01秒 | 信吾番★TV★
ちょっと落ち着いた。
ので感想など。

第19回は、なんだか時間の経過が把握できず、またちょっとした疑問に引っかかってるうちにガンガンナレーションとともに物語りは進んでいき、のめりこめないままに魚津落城を迎えてしまいました。

必死に敵を追う様や、逃げ切られて悔しがる兼続は良かったんですが、その後春日山城に戻ったあと、与板に戻って休息?、既に「魚津のお仲間を見殺しに」と終わったことのようにおっしゃってましたが、春日山と与板と魚津の距離感がわからず、魚津に駆けつけない理由がよくわからない・・・

そしてどのくらいのタイムラグがあるのかわからないが、舞台は本能寺へ。
なぜ、最初っから信長はあきらめちゃってるのか、これまた疑問・・・。
いままでとキャラが違うじゃないさ

信長はさっぱり魅力を感じませんでしたが、明智さんは良かったです!

なんといっても語るべきは、謙信公(亡霊)と信長のご対面です。
ともに49歳でその生涯を閉じた二人が会ってたらどうだったんだろうね?と、内藤Pと作家さん(小松さん?)が話していて「会わせちゃおっか。」ってことで会わせちゃった、と魚津のトークショーの時に、内藤さんが話していました。

描かなければならなかった「本能寺の変」に、「上杉の義」を描く「天地人」を絡めるならナイスな手法だったのかも、と思えなくもない。
が、一方で、誰でも知ってる本能寺なんだから、魚津城の攻防や兼続の戦いぶりを中心に描いて「そのころ京都では本能寺の変が起こり信長は死んだのでございました。」ってなナレーションだけでも良かったんじゃないか? と思えなくもない。

それくらい(本能寺の変がどうでもいいくらい)魚津の最期はすばらしかった。吉江様、安部殿の壮絶な最期は見ごたえありました
魚津のトークショーのとき、最後に立て篭って木札をつけた吉江様と安部殿のツーショット写真が出ました。
そのお写真を見ながら、信吾さんが「原作では自分の名前を書いた木札を耳に穴をあけてつけるのですが、撮影ではさすがにそれはできないので、髪の毛に結んだんです。」と。
山本圭さんが、「当時の武将は首を持って帰ると手柄になった。我々は討ち取られたのではない、自ら死んだのだということを示すために木札をつけたのです。」とその意味を説明してくださいました。
「自分は負傷していて手が使えなかったので、吉江様がつけてくださったんです。」とその時のシーンを信吾さんも説明してくださったのですが、実際の放送ではそんな木札の深イイ意味、わかりませんよねぇ。これは残念でした。

最後の最後まで追い詰められて、もはやこれまでと覚悟を決めて、木札に名前を書いて義の戦士としての生き様をまっとうする。
圭さん、信吾さんは、そんな最期をすばらしい演技で表現してらしたと思います。
吉江様は謙信公への忠義を胸に、安部殿は兼続に未来を託し、上杉の侍としての最期を迎えました。

幼いころからの仲間であった与六と仁介の絆と信頼は、最期の回想シーンや安部殿の言葉によく表現されていたと思います。
第18回の放送で、降伏を拒否したあと、二人が兼続に言葉をかけるシーンがありましたが、新潟のトークショーでこのシーンについて「何ておっしゃられたんでしたっけ?」とアナウンサー氏に聞かれて信吾さんが「これ以上は言えません。」と言っていたのが、「殿を・・・。」でした。
「殿を頼む、与六。」とそれまで「兼続」と呼んでいたのに、ここだけ「与六」と呼んだことに、演じてた信吾さんも思い入れがあったのではないか、と思います。

このときの吉江様は、「あの山が招いておるわ。」と立山を見ておっしゃいます。
これについて圭さんは、「今日美しい立山連峰を見て、『先に見ていればあの台詞ももっと違った感情で言えたのではないか』と思った。」というようなことをお話しされていました。

         

ということで、天地人第一部のクライマックス、魚津城の戦いは終了です。
時代は大きく変化し秀吉の天下に移ります。

安部政吉=葛山信吾 は、良い役でした。
信吾さんにとっても、とても良い出会いだったし。
これからの役者人生にも大きな意味を持つと確信できます。

信吾さん、お疲れ様でした