それは一瞬の出来事だった。
そろそろ帰ろうかと席を立ち出ようとした、その瞬間。
腕を引っ張られたので“ん?”と振り向いた、一瞬だった。
智のその綺麗な顔が近づいてきたかと思ったら
ちゅっと唇にキスされた。
それはほんの一瞬で、最初何が起こったか理解出来なかった。
だけど唇には柔らかな感触が残っていて
驚いて智を見ると智はにっこりと妖艶に微笑んだ。
“え? 今、何を?”
そう我に返った時には既に智は部屋から出ていこうとしていた。
もしかして今キスされた?
ドキドキが止まらない。
でもこちらのドキドキした思いとは裏腹に智は何事もなかったような顔をしていた。
そして店を出ると、翔くんはサラリーマンだから土、日が休みだよね?
と智はやっぱり何事もなかったような顔をしてそう聞いてきた。
そして自分は休みが不規則で分からないからまた連絡すると
そう言ってタクシーに乗り込むとそのまま行ってしまった。
その姿を呆然としながら見つめた。
そしてまた翌日からいつものように仕事から帰ると、
智の出ているDVDやテレビを眺める日々を過ごす日々が続いた。
DVDでの智はキラキラしていて、たくさんのファンの声援を浴びていた。
その声援に応えるように智は手を振ったり笑顔を見せている。
ここにいるファンの子達が羨ましいなと思った。
それは自分の知らない智をずっと見てきた事への羨ましさなのか
あのダンスや歌声を実際に目にしている事への羨ましさなのか
声援に応じ笑顔を向けられているのがただ単に羨ましいのか
自分でもよく分からなかった。
本当にこの人と一緒にいたんだっけ、
そしてご飯を一緒に食べたんだっけ、と
智を画面で見るたびに不思議な気持ちになった。
そして…
キスも…。
やはりとても信じられない、とその姿を見つめた。
ただ、あいばっていう人とも頬とはいえキスしてたから
自分が考えるより智にとってはそれは特別な事ではなかったのかも知れないとも思った。
それでも何日もたった今でもあの唇の感触は残っていて
画面でその顔を見るたびにドキドキした。
そしてまたあの綺麗な顔をもっと見たいと。そして、逢いたいと思った。
逢いたくて
逢いたくて、
もう限界だと、そう思った時、智から連絡が入った。
律儀に前回、自分のせいでお墓参りができなかったから今回は自分が付き合うと言う。
そんな事気にしなくてもいいのにとも思ったけど、わかったと伝える。
ただ逢えるだけで理由は何でもよかった。
そして約束の日。
智は既に到着していてキャップを目深にかぶってそこにいた。
そこにいる智は画面から溢れ出るキラキラなオーラを見事に消していた。
土曜でいつもより訪れている人も多かったけど誰もその存在に気づかない。
そして自分の存在に気づくとニコッと可愛らしい顔で笑った。
その笑顔を見てずっとどんな顔をして逢えば、と悩んでいたのにその心配は直ぐに消えた。
そしてやっと逢えたのだと実感し、嬉しくなった。
笑った顔はやけに可愛らしくてやっぱりアイドルなんだと感心する。
歌やダンスもそうだけどこの笑顔を見るとあれだけのファンが夢中になるのが分かるような気がした。
そしてお墓の前に立つと一緒に手を合わせた。
その姿を横目で見ながらやっぱり可愛い顔をしていると思った。
そしてそれが終わるとちょっと行ってくるね、と言って一人であの場所に向かった。
その様子を盗み見る。
そこに佇む智はやっぱり儚げで綺麗で初めて逢った日の事を思い出した。
早く智のそばに行きたくて早々と自分のを済ますと智に近づいていく。
気配に気づいた智はゆっくりと顔を上げた。そしてニッコリと笑った。
やっぱり可愛い顔をしているなと思う。
「どんな人だったの?」
「……」
そこには男の人の名前が刻まれている。
智は質問には答えず無言のまま正面を見続けていた。
「あ、ごめん。言いたくなかったら言わなくていいから」
「……んとねぇ、犬?」
言いたくないのかも知れないと、慌ててそう言うと
智はちょっと考えるような顔をしてそう言った。
“疑問形だし”
「犬?」
「うん、犬。柴犬」
「柴犬?」
「うん、そう。柴犬」
智は満足そうにそう言うと、んふふっと笑った。
その顔があまりにも可愛くてついつられて笑ってしまう。
“可愛いけど全然意味がわからないよー”
でもこれ以上聞いても求めている回答はとても得られないだろうと聞くことを諦めた。
そしてお墓参りが終わると、ここから翔くんの家って近いんでしょ、と智が聞いてきた。
だから歩いて10分位だよと答えると智が行ってみたいと言った。
オーラを消してるとは言え人目につきたくないんだろう。
じゃあ家で飲みますかと聞くと智は嬉しそうに笑った。
“自分の家に智がくる?”
自分で言っておきながらとても信じられない気持ちだった。
そして智と一緒に歩いていると自分との身長差が丁度恋人同士のようで
まるでデートしているみたいだと思った。
男の人相手に一体何考えてるんだと、自分の思いに苦笑いをした。
そして部屋の前につくと智が表紙の雑誌やらDVDが出っぱなしだった事を思い出し
ちょっと待ってほしいと言って慌てて部屋に入り押し入れに突っ込んだ。
何も知らない智は別に散らかってても気にしないのに、と笑った。
そして部屋に入ると、翔くんの部屋だぁと言って嬉しそうな顔をする。
可愛いな。もう、自分でも何度呟いたかわからないくらいつぶやいた言葉を心の中で呟く。
智と自分の部屋で過ごす、ゆっくりとした時間。
でも。
智との時間はゆっくり流れているようでいて
それでいて不思議な事にあっという間に時間は過ぎていく。
そんな中、時折見せる智の何か言いたげな視線を何度も感じたけど智は何も言わなかった。
そして自分も何も言わなかった。
11時になると智がもう帰らなくてはと立ち上がった。
もっと一緒にいたかったけど智にも用事があるのだろう、
途中まで送るからと一緒に立ち上がると智はその綺麗な顔をゆっくりと上げ上目遣いで見た。
“その顔は反則だから〜”
そんな綺麗な顔で、しかもそんな目で見つめられるとあの時のキスをどうしても思い出してしまう。
思わずその唇にキスしてしまいたくなる衝動を何とか抑えた。
そしてなぜか智は綺麗な顔を向けたまま何か言いたげな表情で見つめてくる。
その視線に何も言えなくなった。
しかも日常の方も読みたいと言ってくださるとは。
日常は自己満足だけじゃないだろうかと(他のもそうですがこれは特に)
結構お蔵入り?にしちゃっているんです。
だから読みたいと言っていただけると凄く嬉しいのです。
まさかあんな自己満足な話をそう言ってくださるなんて。
嬉しい♪
しかも8の話まで。感激です。ありがとうございます。