心が散乱する
【仏】心が対象によって散り乱れ。定まらない事
唯識で云う随煩悩の一種
自分が受け入れらない言葉や態度を観た時におこる心の動き
人間とはイザトいう時は弱いもんです
ま=~~ね自分の事ですが
何事もない時はあれやこれやと覚えたての法話を使って人様に話すんですが。。
その時が来たらどうだろう?
必ず右往左往する自分がいます
事が他人さまでの出来事ならば
その時に【動じ賜わず】ですね。。と
自分に弱い自分ですね
大根おばさんの仲間に。。
いつも仲間の事ばかりですが【これも己の懺悔かなと思いつつ】
仕事常の事とも思えませんが両手に大きなカバンを持って移動する人がいます
一人での車での移動にはさほど邪魔にはならない訳で
人数での車の移動の時は、友の荷物だけが幅を取る
ほかの人は出来るだけ小さくまとめるようにと気を使っての自分の手荷物
その入れ物も形式は崩れない堅くて大きな物を、
ある時おばさんが友に行った
【ね~~いつも大きなカバン持ってるけれどそんなに大切な物が入ってるの?
二泊旅行でもするつもり?)
友しゃら~~と
【うんみんなが同じ事言うのよ~~)。。と云って笑う
先月の事我が家の狭い座敷での集いの時も彼女だけが大きな荷物とコートを持って入って来た
【ね~~コート隣の部屋に置いてくれない】
ま~~ねこの時期ダウンのコートだからねかさばる訳です
それにまして図体も大きい訳で.。
両手に持ったカバンの中には先輩としての過去の記録を書いたノートが何冊も入っている訳で
そして集いの時の質問に答えなければならない訳です
ノートをめくって。。
ほかに人はノートを取るにしても一冊持ってるだけ。。
人の業生とは色々です
人の上に立って教える事が好きな友、けれども身で行う事は嫌いな訳で
そこで活躍するのが過去に書いたノートに頼るしかない訳です
何十冊もの書きとめたノートを持ち歩く友。。
仲間の人が言います
【あの方は両方の手に業生の荷物を持って生きているんだね重いだろうにね】
大根おばさん
【体が大きいから重さを感じないのかも】
そして荷物を持つってるその友は云う
【私ってすごい物【業生】もってるのよ】。。と
云ってキャキャと高笑いをする
人それぞれの価値観です
おばさん達の仲間と長年付き合って居ると其々個性が解ってくる
ある人はブライドを勝てに生きている
ある人は人に依存しながら生きている
ある人は人の様子を気にしながら生きている
私??
この私は仲間のおばさん達の欠点を少しずつ持って生きている
様は容量良く生きているのかな?
けれどその中で一番嫌われるのがブライドの高い人
おばさん達はその人の生活状態を知っている訳です
その中でブライドを高く保って居てもそれはあくまでも虚栄心でしが映らない
でもでも
やっぱりそのおばさんに取ってはブライドは捨てられない訳なんでしょうね
辛いでしょうに
何を捨て?て何を得るか?を判断できるおばさん達なのにね
ま~~ね~~せっかく生きるんだったらいい歳を重ねたいと思った訳でした
昔の人は云うました
男らしさ女らしさ。。と
では男らしさと女らしさとは何でしょうね?
一つ確実な事は
男は産ます力を持って生まれ女は産む力を持って生まれた事
此処では 【私は俺はその力さえ与えられて無い)
と思われる方達の医学的な分別は置いといて。。
お陰さまでおばさんは産む力を先祖から受け継ぎました。。
。。がそのほかに女人としての様々な要素は置いてきたようです
有る御仁が私に苦言を
【女人として生まれて来た訳は解るかな?)
おばさん
【?????】
それは前世が男だったから次は女性としての修業をして来いと背中を押されてこの世に出て来たんだ)
と、、
そういえば自分自身思い当たる気質ばかり。。
女人としての幸せの日々を夫と共に磨がかせて頂こうと思う
念頭に思ったのだが?
どうなる事やら。。
新年の御挨拶を申し上げます
今年が貴方様にとて良いと思われる年で有ります事をお祈りいたします
昨今何時の頃からお正月の門飾りを飾る家が少なくなった来ました
有る人はいいます
(そんなもの飾るのにお金が勿体無くって)。。と
そうは言っても1000円前後で買える事ですし100円ショップでも売っています
勿体無いの意味の使い方の価値観も様々ですね
門飾りにはそれぞれの意味が有ります
だいだい → 先祖代々
ウラジオ → 裏先祖の事
ゆずり葉 → 次の代に譲る
此処に飾ってある門飾りには譲り葉が有りません
作り手も手を抜いているようですね?・
そしてお正月の正の字です
正とは一に止める事
そして一とは原点
一とは自分
一とはこの私
自分が人間としての原点に止まる
自分が原点としても人間を守る
では人間としての原点とは??
それは先祖を敬うこと(先祖供養ののことです)
私達は人間として生まれさせてもらった一つの意味にこの世に生まれる時に仏と約束したことが有ります
それは先祖供養をすることの約束でした
けれどおぎゃ〰と産声を上げた途端人間としての慾を身に付けます
そして日々の生活に追われてその慾を強欲に変えて生きていきます
先祖の事も忘れた日々を送ります
そしてせめて年の初めのお正月だけは門飾りを飾って自分達の御先祖様の事思いだしたいですね
上に書いた事はそれぞれの価値観での感情です。。。が
有る処に人間の知恵を使って賢く生きる人がいました
それは責任の転換を上手に使うすべを知ってる人でした
己の思いを通そうとする為に人を使っての行為。。
この心を使うときは必ず一対一の時です
A
「ねェ〰~貴女からあの人に云ってよ。あの人のやってること間違ってると思うよ貴方もそう思うでしょう?」
うん~~?と思いながらBはその事を伝える
確かにBの心もなんとなくAに近い物もある訳ですが。。
。。がBにとってはさほど重要ししなくてもいいような事。。
なのにAの言葉に心を奪われてしまう
そしてCに伝える。。そしてCからの反発はBが受ける
云いだしべのAは素知らぬ顔(-。-)y-゜゜゜でにこにこ
Aが悪いのか?Bが悪いのか?
これもお互い同じ狢的な人間関係です
そこから抜け出すためには己を浄心させないとね。。
けれど人を顎で使う心は出来るだけしない方が良いですね
仲間がだんだん減って行きます。。ね
確かに人とは裏切る者ですが???
仏からの苦言です
(たとえ人殺しの親を持とうと、その親の元に生まれて来なければなら無かった自分なのだ)
そしてそれが解ったら生きている内に己が先祖の供養をさせてもらえばいい
それは生まれる時約束させられてきた事だそうです
それを(おぎゃ~~と)産声を上げた途端忘れてしま我々だそうです
人間の慾と共に。。。(大方の人が、、)
獅子吼~~仏が説法する事(獅子が吼える)
けれど獅子が吠えれば元々持っていた仏心を思い出す人も居ます
けれど見逃す人もいます
親孝行とは~~
~~を教えてもらってそれを身で行い、それを見た我が子がまた親孝行を身に付ける
けれど今では親孝行はほっといて子供に子供にと心を移して育てる
それは(天上の衆生)と云うらしい
逆さまな事を行っているとも聞きます
廻り回って己に返ってくる。。。
良い物が帰ってくると良いですね。。
人を誉める時の心。。振り返った事が有りますか?
私は余り他人を誉めたことが有りません
誉める時は自分が本当にそう思った時にしか
処がやたらと人をもめる人に出会いました。
そして誉めたその人に逢う機会を貰って有って話をしたら
それほど誉めなくても、、と思う普通に生きておられる主婦
ま~~確かに私と比べたら上品さは勝っている方です。。が
〰~そんなにほめちぎるほどの方とも思えない風情に。。
誉めたこの人は何を感じさせようとして誉めてるのかな? て
そのような経験が再々有るとね~
誉めごろしと云う言葉を思い出します
最初は自分を謙虚に語り他人をほめられる此の方の考え方に共鳴した訳でして
処が長年の付き合いの中で思わせていただいたこと
それは他人さまを誉める事の心の違いでした
(私はこんなに人さまの事を理解して観ているのよ。私って偉いでしょう?)
そんな心が見え隠れ、し始めた事です
なぜかって言うとね
人とは頭で考える事は普通誰でも出来ますがそれを身で行う事は難しいですね
誰しもね自分をよく魅せ様とする心は有ります
が・・それが余りにもかけ離れていると人から反感を持たれます
よく魅せたい思えば思うほど皮がはがれてしまいます
生きるそれは自分の背丈に沿った生き方をすれば良い訳で
それはけして恥ずかしい事でも無い訳でして。。
もし恥ずかしいと思ったら身で覚えて直せば良い事ですね
それを出来もしないのに虚勢を張るからおかしな事に成る訳で。。
自分がトマトで有れば立派なトマトで有ればいい訳ですね
元々がトマトなんですから
それをメロンに魅せ様とするから人さまに反感をもたれる訳で。。
出逢う人から教わる事はいっぱいあります