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大根おばさんの泣き笑い人生(その時どう動くか?)

おいでませ
ふっても、てても日々是好日
泣いても笑っても
今日が一番良い日

今日の一言(人の事は自分のこと??)

2011年08月27日 06時33分48秒 | 生きる

昨日昔の仕事仲間と食事会を。。

とは云っても貧乏人の主婦たちの集まり??なので

ガストでの食事とお茶

3ヶ月ぶりの皆での集まりです

そこと思った事。。

縁あっての仲間ですが、、、其の中でも一番私の心を散乱させる人が。居られる

私より10歳年上ですが

とにかく見栄と供に生きてるような人

気にならない人からすれば些細な事でも私に取っては一言一言が感に触るのであります

なぜかと言うと其の方の持っている心を私自身も持っているからです

(そう教えて頂きます)だから大きく写してくれる友の言動です

会話の中で、、、

其の方は足が悪いので仲間の一人が

「○○さんの車に乗せてもらったら」

と問いかけに

「あら!そう?じゃそうしてもらうわ」

其の会話を聞いていなかった一人の主婦が

「Bさん自転車で行くの?」

の問いに

「○○さんの車に乗せて行かせて貰ったらえってAさんが云ったから○○さんの車で行くわ」

極普通の会話のように思いますね。。

けれどこの会話の中にはBさんの上目線が見えます

Aさんが言ったから○○さんの車に乗るのよ

ではなく。Aさんに対しても感謝の心を持たないとね~~

当たり前のように会話していても其の中から夫々の個性が出ます

Bさん会話はすべて万事がそうなんですね。。

プライドを持つ事もいいけれど一つ間違えるとみんなに嫌われる。。

邪魔になるプライドは捨てちゃ~~すてちゃえ

要は慇懃無礼な会話をするBさんの言葉に反発する大根おばさんでありました

 

 

 

 


きょうの一言(感謝の心で聴く)

2011年08月06日 09時03分23秒 | 生きる

今日は宗教の話です

一般宗教と言えば新興宗教。という言葉の中で、何々学会。何々協会。何々。。と

沢山の種類の呼び名があります

けれど本来の宗教とは大元の教えからの師の主張の違いで分かれたと聴きます

大元の教えとはお釈迦様の教えに基づいているようです

仏教もです

  そのことを踏まえて昨日ある人と会話した事を回想です

 

この方は幼い頃から心の寂しさを味わってきた方のようです

(本人に曰く)

自分の(6親眷族ははろくな者は居ない者ばかり)が口癖のように語ります

なぜなのが?話を聞くうちに自分なりに(なるほど)と解釈して居ます

けれど(辛い生き方をする人だな~~)と思うことも事実です

会話、、

(幼い頃ある学会の人がおじいちゃんを誘い入会させたことから○○家の不孝が始まった)

(おじいちゃんが学会に入ってことで家にある先祖に戒名過去帳だの全部分ブン投げた)

(裕福だった家もだんだんと沈んでいきおまけにじいちゃんは女を作って隣村に住み始めた)

(おばあちゃんの私はそのおじいちゃんと女が住んでいる家をそっとのぞきに行った其の女からもお金がなくなり始めると捨てられた)

家から笑い声が聞こえた其の風景が今も残っている)

当然おじいちゃんの死に際は誰も相手にしない寂しい物だった

けれどおばあちゃんは最後まで面倒を見ていた

このような情景を見て自分は宗教の教えに尽く逆らってきた

この気性はおばあちゃんが辛い思いをしてきたことに対して何かにすがる事を許さない

先祖の声だ)  と

最後に言って言葉が

(私は何かに縋る事よりも自分の人生たとえ地獄に落ちても自分人生だから人様に迷惑をかけなければそれでいいと思う)

。。と言い切る

私は彼女の生き方と自分の生き方を照らしてみて自分の先祖の安らぎに感謝させて頂くばかりでした

そして最後に

(宗教はどれもこれもみんな一緒よ入会させる時はニコニコとして入らないといえば急に態度も変るそして止めると云えば究極顔つきが豹変し(ばちが当る)と言う

要は押し売りと同じよ、、

と言う

この彼女とは20年来の付き合いです

彼女の口の端々から感じられる異様な強気な生き方

願としたものを持って生きてきた友からは

(身を縮めて小なりき)

の如しを教えてもらっている大切な友である

浅墓な女人は(私)は時にして大柄な心が出ます

其の心をきちんともとの鞘に収めてくれる最高の修業の相手です

恩師おかでさまです

今月はお盆月です

先祖の供養をさせて頂きましょう

先祖の悪口は自分の悪口を言っているのと同じかな

 

そして彼女の一言一言を感謝の心で聴くことを師から教わります


色情の苦しみから解放(慈しみの心で聴く)

2011年08月05日 07時10分56秒 | 生きる

慈しみの心を持って聴く

 

我が子を慈しむ。。

我が子悩みは親としては慈しみを持って聴きます

他人様の話も慈しむ心で聴きたいものです

昨日の事ある人から云われました

(貴方は人の悩みを聴いてあげる事に自己満足をしているのでは?)

。。。。。と

厳しい言葉を言われてハッとしました

半分当っているような気がします

半分は人情の心で聴き、後の半分は仏上の心で聴いているつもりです

、、がそう云った友は色欲に負けてしまう人に先祖供養の話をしても。。ね

と言います

確かにそうかも知れません

ある時はお経を読んでから彼(妻のある人)逢いに行くといいます

業色欲の人の常識(姓に対しての)は少し違う価値観を持っているようです

不倫が悪いとの意識は無い訳で子供の前で彼に逢いに行く事を当たり前のように言います

ま~~ねそれが悪いとかとは云いませんが。。

けれど仏の教えどうりやはり子供も親と同じ状況の中で結婚します

此処の家族と会話すると自分の方がおかしいのかとさえ思ってしまいます

そして確実に相手の奥さんや子供の生霊は頂くようです

それすら撥ね退けてしまうバワーは今若い時だけのようです

(自分が歳を取ったら色情は薄れるから今のうち)と言います

けれど先人達は言います

(色情とは厄介なもので80歳になっても無くならないと)

女人が歳を取ってから苦し色情なら今元気なうちに浄心したら?

。。と思うのは私だけなのかもしれません。。が

確かに。。 

色欲に走った人はこの仏上が目に。。イエイエ心に入りにくいようです

それほど業の色情とはすばらしくも身を亡ばす獣道の様です

仏の教えを伝えさせていただく事は罵倒も受けます

 それでも明日の幸せの為に伝えなければならない訳です

1億分の一人でも仏上の心が生まれれば。。と思っています

 

これって友が言うように憎上慢なのかも知れませんね。。

 

 

 


今日の一言〔新しい心で聴く〕

2011年08月04日 07時13分13秒 | 生きる

新しい心で聴く。。。とは??

心を空にして聴く

歳を重ねると大体の人は自分の意見を心の中に入れていて、相手の話を聴きます

構えて人の話を聴くと(聴くから聞くになります)

構えて聞く(我を持って)と相手の話を新しい心で聴くことがおろそかになります

心を空にして聴く事の重要さを今になって知りました

( 虚空蔵菩薩様の修業です)

凡その人は自分の都合のいい話は頭に残ります

けれど都合の悪い話は理由をつけて聴かなかった事にします

いえいえ聴くから聞くに変えてしまいます

新しい心で聞くとは心を空にして聴く事のようです

頑張ってみましょう~~

きっといつかウムウムと思うときが来ます

必ず。。。

そして分別が出来る人になりたいですね


今日の心の言葉〔広い心で聴く〕

2011年08月02日 07時46分22秒 | 生きる

おはよう

今日の心の言葉は〔広い心で聴く〕

聞くという字の意味は耳に門を構えて聞く事のようです

要は自分の都合で聞く事良し悪しを自分の我で判断する事のようです

けれど。。

聴くと字は耳に徳を持たせる。。〔恩師のお言葉では14の心で聴く〕

辞書では実を入れて聴くとあります

人の話を大きな心で聴きたいですね。。

夫々の心で頑張りましょう~~

 


自分への苦言〔明日の事は解らないが。。〕

2011年04月03日 17時37分22秒 | 生きる

この世の無常を見せ付けられた今回の地震です

けれど生きて行かなければなりません

いまこの時期私達は何を身に付けたたらいいのか?

考えなければなりません

夫々の価値観で。。

そんなこと云いながら今日は法話を聞きに行きました

 

そして久しぶりに着物を着てみました

これも表の持ち物です。。

 

 

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/d9/2da5eac8e095d18f286c8c611ba6c560.jpg


自分への苦言〔自分が一番かわいい〕

2011年03月09日 14時43分34秒 | 生きる

ある言葉から

〔同情するなら金をくれ〕

昔そんな命せりふが有りました

これは人は必ず裏切る。。と言う究極な時の事

普通人は人様に同情する時は自分に余裕があるときです

されとて人様の人情がないと生きていけません

生きる事とはそんなものですね

やっぱり自分が一番かわいい

訳です

 


自分への苦言(美しい心で聴く)

2011年02月25日 06時12分40秒 | 生きる

 

 一つには

         美しい心で聴く        

しい心とはどんな心だろう?

肉親への愛から小さいものへの愛にそして小さいもの美への愛に。

と意味が移り変わる(室町時代には、美そのものをあらわすようになった)

此処から見たら↑

美しい心とは愛しい心にもつながります

私は親の話し夫の話事もの話周りの友の話を美しい心で聴いていただろうかと。。?・

自我の心で聴いた居た様に思う;(今もかな??)

14の心で聴く法話を此処に来られた方におすそわけしたいと思います

生きて行く上で何時か何かが心に残ると。。信じて

経文の中に十句徳本(御経巻を拝読された方は御存じだと思いますが。。)

と云うものがあります

その中の一つを身に着けばすべてがつながると有ります

此処の14の心で聴くも同じことのように思わせて頂いています

 

そして

     美しい心で聴く

 


自分への苦言(自分にとっての堤婆達多とは?

2011年02月23日 08時40分15秒 | 生きる

人生67年生かされて思う事。。

今までたくさん人とかかわり合ってきました

すれ違いざまの人。。

その中から再度の再開の人。。

そして結婚した夫。。

人との遭遇は自分に取っての必然的な事で有る事をしみじみ知りました

余に云う腐れ縁、、??

男と女の関係。。同性同士の連れ合い等々。。

職場でも御近所さんでも必ず自分に添わない方って居られます

それって何ででしょう??と思ってみました

其れは自分を磨いてくださる唯いつ大切な方なんですね

その方から自分の隠れた嫌は部分を見つける事が出来ます

自分に意地悪して要るように感じますよね。。

相手はきっと意地悪的感情て接しているんでしょうが

それも自分とその方との間の何か目に見えない因縁がある訳です

自分が変わればその方は自分の前から去っていきます

そんな経験をしました

相手は自分を磨いてくれる(堤婆達多)の役目をしてくださる大切な方なんですね

今年も自分の魂を磨く相手を。。探しに・・旅に出ようかな??っと

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%90%E5%A9%86%E9%81%94%E5%A4%9A