沖縄に行った時の事スーパーでなつかしいインスタントカレーみつけました
若い人には解らないと思うけれど私くらいの年齢になるととっても懐かしい
大塚のボンカレーです
うん!
このパッケージまだあったんだ(^。^)y-.。oと
懐かしさのあまりについ買ってきました
うん~~このパッケー無くなってから何年になるかな?
沖縄の親戚の人達は普通に
(あッら?本土にはないの?)
な~~んて
「じゃ~~今度買って送るね」
「お願いします一箱100円です~~
有る人はカラオケに。。
ある人はお出かけに。。
有る人は様々な趣味に。。
有る人はボランテアに。。
と時間を対やしている
有るグロからの有る人の日記から思った事がある
彼はHIVのカキャリアで鬱を発症し日々の生活を模索して生きていた時期が有ったようで
介護の試験を受け介護師として頑張っていらっしゃる
此処まで道のりは大変だったようで他人には理解できないような経験も
そして今日の日記に
認知症のお年寄りの介護しながら己の心の受け止め方を学んでいる・・と
そうです
こんな言葉が有ります(法語)
(菩提心送ったつもりが送られて)
仏の教えには少しの嘘がない事を改めて知った訳でして。。
お陰さまでありがとうございます
http://smcb.jp/_ps01?post_id=2377733&oid=263743
夫曰くなつかしさのあまり車から降りで兄弟と
パッチリ


大きく言えば
宇宙自然の法則もプラスマイナスで成り立っています
新物好的な心を持っている大根おばさん67歳がツイッター成る処に登録してみた
最初は手探り状態で(@_@;)これも又楽しい。。訳でして
3ケ月目に入ってやっとその趣旨を理解し【自分なりに】構図にも成れいろいろと
ツイトしながら見知らぬ人のつぶやきに関心したり反感を覚えたり。。と
他人様の人間模様を解説している自分が。。
これまたおかしな状況ですが
ま~同じ狢と言えばそうですが
今民主党の小沢派と館派との戦いに命を掛けた政治家の先生たちのつぶやきの声が聞こえる
自分がホゥローしている人達は大方が小沢派で管さん陣営を批判然り
管さん側と云うと沈黙の戦い然り
と小さいコップに中での戦いを見せつけられます、、
ネット上ではおかしな現象を見る。
外から見るには大変おもしろいですが
人間とはやっぱり己の慾の塊なんですね
【自分も然り】です
沖縄生まれの夫は時々沖縄料理を作ってくれという
処が沖縄の生活を知らない妻はちんぷんかんぷん
今でこそ冬瓜やゴーヤやランチョンミートやくるくるふは一般的に知られるようになった
沖縄での何かの集まりでの御馳走は骨付き豚と冬瓜と昆布と豆腐の2時間余り炊き込んだ
汁もの
こちらでは炊き御米をジューシーと言い鳥肉が豚肉にかわる
そこで沖縄での買い物してこちらに送ることにした
ランチョンミートこちらでは500円が298円売り出しにかかると200円弱
【数に制限あり】
こちらでは500円のくるくる腑は何と3本100円
沖縄で一番好きなのがこのキッスチョコ
その時の会話
友
【○○さん週に3回趣味に出かけて忙しいそうよ】
【そう趣味ね趣味にもお金がかかる訳だし優雅でいいね~~】
私の友も同じ様な人が居る
毎日に様に出かける友。。
定年を迎えた夫婦が夫を置いて毎日にように出かける妻
優雅と言えば聞こえはいいのだが。。
一概にそうような事とも限らない
夫が定年を迎えて家におれない主婦が多いですね~~
趣味に没頭する主婦の心理。。
自分の居場所を外に向ける主婦の心理とはいかなるものなのか?
それぞれの生きてきた過程の最後の主婦の洗濯・・が
夫と静かに家で過ごす
一人で外出ばかりする主婦
と別れてしまう
あまり外出を好まない私はどうだろう??
・・と
ま~~パソコンで1日を過ごすのかな?
93歳の年齢を生きた義母は沖縄で戦争という辛い時期を経験した
同じ日本国沖縄での戦争経験者はそれとは又格別は経験をしてきたらしい
あえて(らしい)ち云わせてもらう
夫は24年生まれ。。沖縄から本土に来るときはまだバスポートが居った時期の就職だったという
あれから40年あまり夫も定年退職の年に成り親の死に沖縄に帰る
沖縄に残って親と一緒に暮らす長男達が語った親の戦争の記憶
母はあの(対島丸)の生き残りだという
今の時代(対島丸)といっても知ってる人も少ないと思う私もこの話を聞くまで記憶にはなかった
津島丸(船)は
米軍の沖縄上陸に備え漁船の動員、九州や台湾への集団疎開が始まり。学童をのせ津島丸などが沈んだ
その船が沈んだ時に乗っていた義理の母背中には3歳の夫の兄を背負って沖縄から大阪の夫に会いに行く際に乗り合わせた
助かった理由の一つには我先に乗る多くの人達の中一番後から乗った事のより沈んだ船の外側に居た為船と一緒に沈むことなく
外にほうりだされ浮かんでいた船にすがりついていた一人の男の人が手を差し伸べてくれて助かったようです
母はその男の方がどなたかも解らず戦後ずーと心残りだった様です
この記憶も語れないほどの辛い思いを抱きながら・・・
命の明暗は私達には理解が出来ないところです
同じの人と乗り合わせた6人中一人生き残った正確には背中の子供と、、
鹿児島まで行き生き残った母。。
お陰さまでその後5人の子供を産み育てるそな中の一人が我が夫で有ります。。
もう戦争経験者の人もだんだんと少なくなり又身体障害(認知症)の方も多くなっていると聞きます
戦争の善悪の解釈も有るでしょうが。。
それぞれの御先祖様が通らなければ成らなかった事態背景は忘れては成らない事のように思います
夫が沖縄でこのような本を買ってきました


一つには
義母が対島丸の生き残りである事を知った
その時の事を思い出す事さえしたくないほどの辛い経験だったようで
母の記憶は次の日記に書きたいと思います
義母が以前認知症の成り始めに1カ月間我が家で暮らした事があった
その時友の介護師さんが云うには
「お年寄りの人の認知症の治療の一環として戦争の時の事話すと生き生きしてくる」
から~~なんて言いながら義母に
「お母さん戦争の時はどうだった?」
と;;
義母はとたんに暗い顔して「戦争は嫌い」
その時にも思ったが人の介護をする
この人が戦争の話に夢中に成ったからと言ってこの人にも・・
という道理はない
そもそも私達戦争の経験も無い人間が意図も簡単に戦争を語る事の計測さに
軽い心が疑える
戦争にもそれぞれに体験の深さがある
沖縄での戦争体験本土での戦争体験にも地域地域で違う
それをボケ治療に聞くからと言って話しを持ち出す介護師。。
我が知恵で語るその常識、、
戦争だけではなく経験者のみが知る事を引き出す事が治療で有ったとして介護師が
それを行う事はどうかとも思う
この事は一つの例ですが
私達が人との会話をする時に気をつけたい事は
「問わず語らず」
をしない事。。。
うん~~夫は20年ぶり(*^_^*)
故郷での夫の言動に些かな不満が残る
男の人の見栄と虚栄心が。。
男が(いえいえ夫が)故郷に帰りたがらない何かをなんとなく感じて訳で
かと言って一旦帰ればこれまた本土での成功の自慢、、らしき会話?
男とはしょうがない動物です(失礼)
沖縄の台風にも遭遇。。
が今回の台風は今までと違った様子とのこと
本来の沖縄での台風は3日から4日間続くとのこと
今回の台風は9時間の間の台風でしたが何と停電が1日。。
が。。
少し離れるとまる一日の停電。。
ま~~それも慣れたものなのか不服を云う人もいない
ここ本土では考えられないような事ばかり(生活習慣)
実家の裏庭で実った釈迦頭という果物です

海の近くの家の(妹)回りに溜まった砂(台風の後)


精神の病む、、とは
友のお見舞いに精神病院に行って、お年寄りの方が多いのに驚きました
そして精神を病んでいる事を身内の人が発見する事の難しさも感じた
友の例からだといきなり言動がおかしくなる訳ではありません
人の話を受け入れず自分の我を通す事は我々凡人が良く使う心です
が~~
今思えば心当りは有りました。
誰かの為に自分がしてやらなければ誰かはだめになる
と言って自分の能力以上の事を行う
そして自分の能力が付いていけない事に自分にイライラする
誰かの為に・・の心はともすれば有虚の心(自分をよく見せる)
家を今までよりも必要以上にきれいにかたずける
かと思えば壁にいろんな写真を貼り付けてみたり
最終的には洗濯を必要以上にする
そして水に対して執着を持つ
精神を病んだらなぜか水と何か関係があるのか私が知ってる例だと必ず水と関わるようになる
電話を掛けまくる誰かに自分の事を聞いてほしい願望があるかのように。。
当時の電話代が普段の何十倍にそして水道代も何十倍に増えたと後で家族の人は言う
今回の場合も結局は他人の仲間がおかしいと気が付く事になる
家族とは案外見逃すのかもしれません
と云うが気が付かないように逃げるのかも知れません
ノイローゼーと言われる病名もある友のお子さんの親御さん10年間認めなっかった例もある
回りの人はお子さんの言動におかしいと思っていてもなかなか親御さんに云えない事情もあったが
ここでの親御さんは生きる姿勢に有った訳で::。
結局盲腸炎になって入院して主治医から心が病んでいる事を指摘されて親御さんは認める
今心の病気を抱えている人が多い中、自分なりに思う事は
我が人より強い人が己が思うように成らなかった時に発生する事に気が付く
前期の彼も後の友のお嬢さん親子さんの生き方も、、同じです
かわいそうなのが親の犠牲に成った子供さん
我が強い人すべての人が発生する事はなと思う。それは個々持ってる元が違うからです。
元とは?
生まれ持ってきた因縁です
よく云う事
何かにの縁に触れて何かが起こる起こらないの分かれ道はそれぞれが持っている因縁だともいう
信じる信じないは各々の自由です。
が私は思う
自分も含めて生きていく上での不思議な体験を思い出す
病気の早期発見。一瞬の時間からの事故からの逃れ。時間と事故の遭遇
これらも自分が持ち合わせている何かの六感かも・
その時どう動くか?も個々の心次第です
出来るだけ幸せに成りにくい自我は捨てたほうがいいのかも