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書道は漢字文化から発生した東洋の文明=哲学文化遺産であり、芸術=ARTよりも奥が深い。(2014.2.13記載)

 「河田一臼遺作展」について

2006-06-28 10:36:44 | 河田一臼遺作展

               「河田一臼遺作展」   

河田一臼先生は、岡山県立岡山朝日高等学校の書道教師の傍ら、日本書道会において活躍され大きな足跡を残されました。その河田一臼先生の教え子が中心になって、「河田一臼の書とその生き様」をもっと広く世の中に知ってもらいたいとの思いで「河田一臼遺作展」を企画し(平成19年秋頃の予定)、準備委員会を設立することとしました。 

 河田一臼先生は、大原桂南、上田桑鳩に師事、戦後の芸術運動の高まりの中、墨象・前衛書の草分けとして活躍され、河田一臼独自のスタイルを生み出されました。日展特選(昭和27年第八回展)他、書道芸術院展・奎星会展・毎日展等の数々の受賞と審査員を歴任されましたが、昭和43年をもって書団体の役職、審査員といった地位・名誉・権威と敢えて決別し、自ら苦難の道を選択することにより、ありのままの人間河田一臼として自らが納得できる創作活動に没頭されたのであります。

 昭和45年、「芸術は創造なり」を信条として、審査制を否定し人間尊重を基盤とした芸術の広場としての「玉龍会」を創設されました。 先生の作品は常に新しいものを求めて変貌されていますが、真摯に自己と向き合い葛藤と模索の過程で生み出されたように思えます。
 昭和41年に墨彩展を開催した頃は、書の世界をはるかに超え抽象絵画をも凌駕する勢いであったのに、その後は色彩を全く用いなくなり白と黒の墨の世界に戻っていかれました。そして晩年にはアートっぽさの否定と東洋独自の書の精神性にたどり着いたのではないかと推察されます。
 平凡を希求し、侘びや寂の世界に河田一臼ならではの独自の表現を求められていたのではないかと思います。 

 河田一臼著「かえりみれば」に次のような記述があります。『何時も笑える私になりたい。私は宗教家ではない。地位、名誉、金、権力に縁のない、凡くら凡の人間でありたい。自分の書も亦、平凡でありたい。其の時に東洋の芸術の「簡素深遠」にひょっとしたら、突き当るかも知れない。
 人間には澄みきった心境の名人がいる。又私のように悩み続ける、迷人もいる事が判然とした私なのである。極意はあって、瞬間に消えるものかも知れないし、厳然とあるのかも知れない。心なしに水は流れ、雲は去来している事実をこの眼で何度も直視したい。生かされている私として』 

 作品を創ることに純粋であり続けた、明治生まれの一人の書家の生き様を作品を通して多くの方々に観ていただき、混迷の社会や現代の書道界・美術界に一石を投ずることができれば幸いです。 

 皆様方のご賛同とご支援を賜りますようお願い申し上げます。     

      平成18年6月     

    河田一臼遺作展準備委員会  代表 : 山崎 信義       

       幹事 : 曽我 英二 久松 俊昭 佐々木 禅 後神 直子       

       総務 : 岩崎 寛 香曽我部 義則       

       委員 : 植野 加枝(会計担当) 藤原 準三 北村 博典

    事務局  〒700-0953 岡山市西市811-1 シンキホーム㈱内 
                TEL&FAX  (086)241-1390                   

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            「河田一臼遺作展」       (H19年秋 開催予定)       

               出展作品を探しています!!  

 一臼(一丘)先生の作品をお持ちの方、また、お知り合いで先生の作品をお持ちの方がおられましたら、お手数ながら下記調査票により、ご連絡くださるようお願い申し上げます。  

○原則として全紙大以上の大きさの作品  

○墨象(抽象)作品は、作品の大小に拘わらずお知らせ下さい。       

     河田一臼遺作展準備委員会               

                 代表  山崎信義    

                 幹事  曽我英二(英丘)  

    事務局 〒700-0953 岡山市西市811-1 シンキホーム㈱内

※※ 「書の深遠河田一臼の世界とその流れ展」 として開催されました。

    





     



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