一年の中で一番好きだった11月...
今は一番悲しい月。
一年前の今日、クロとお別れしました。
クロが亡くなった事は
今でも私の中で一番悲しい出来事です。
私は子供がいないけど
子供を亡くしたくらい悲しいんじゃないかと思います。
オーチャンを迎え入れて
クロと過ごしたような日常が取り戻せているけど
それでもやっぱり時々泣いちゃう日もあります。
それだけ私にとって大きな存在でした。
東大に入院中、毎日お見舞いに行きました。
大きな装置を付けないと生命を維持できない状態でした。
病名が付けられないから、治療もできなくて、
結果、延命措置だったんだな...と思います。
それでも私たち夫婦は最後までクロの生命力を信じて
応援し続けました。
クロも辛かったと思うし、痛かっただろうし、
私たちと一緒に居たかったと思うけど、
この状態で退院も許されず、ただ弱っていくのを見るしかなかった。
これがクロが生きてる時の最後の写真。
最後まで目の力はありました。
家に帰りたかったんだろうな~
私たちと一緒に居たかったんだろうな~と思います。
クロとの闘病はとっても大変で辛かったけど...
でも嫌な思い出にはなってません。
それもクロとの思い出の一部。
大切な宝物です。
時々、クロがうちに帰って来てる気配を感じたり、
オーチャンがクロと同じ事したり、
まだまだクロと一緒に居られると思うと嬉しいです。
クロ、遠慮しないでたくさん帰って来てね!
今は一番悲しい月。
一年前の今日、クロとお別れしました。
クロが亡くなった事は
今でも私の中で一番悲しい出来事です。
私は子供がいないけど
子供を亡くしたくらい悲しいんじゃないかと思います。
オーチャンを迎え入れて
クロと過ごしたような日常が取り戻せているけど
それでもやっぱり時々泣いちゃう日もあります。
それだけ私にとって大きな存在でした。
東大に入院中、毎日お見舞いに行きました。
大きな装置を付けないと生命を維持できない状態でした。
病名が付けられないから、治療もできなくて、
結果、延命措置だったんだな...と思います。
それでも私たち夫婦は最後までクロの生命力を信じて
応援し続けました。
クロも辛かったと思うし、痛かっただろうし、
私たちと一緒に居たかったと思うけど、
この状態で退院も許されず、ただ弱っていくのを見るしかなかった。
これがクロが生きてる時の最後の写真。
最後まで目の力はありました。
家に帰りたかったんだろうな~
私たちと一緒に居たかったんだろうな~と思います。
クロとの闘病はとっても大変で辛かったけど...
でも嫌な思い出にはなってません。
それもクロとの思い出の一部。
大切な宝物です。
時々、クロがうちに帰って来てる気配を感じたり、
オーチャンがクロと同じ事したり、
まだまだクロと一緒に居られると思うと嬉しいです。
クロ、遠慮しないでたくさん帰って来てね!