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宝生久弥 Hisaya Hojo

音楽家、サウンドデザイナ、メディア・アーティストでありDJの宝生久弥です。
ブログを引っ越しました。

メディア芸術祭 贈呈式

2006-02-24 15:55:06 | ■DIARY&COLUMN
昨日は平成17年度[第9回]文化庁メディア芸術祭の贈呈式が、恵比寿のウエスティンホテル東京で行われた。僕たちが一昨年、暮れに国際フォーラムで行った『スノーメール』(2004)が今回の芸術祭のアート部門 インスタレーション 審査委員会推薦作品選ばれたので僕も参列させていただいた。昨年暮れに2004をさらにエンターテインメントにパワーアップ、ドレスアップさせた「スノーメール2005」をやっているので、ついつい頭の中では2004じゃなく、2005を連想。


現在、東京都写真美術館にて今回の受賞作品や歴代の受賞作品が展示されているんだが、いろいろな作品を直に見て、触れることができる。(スノーメールはVTR放映のみ)僕らも式のあと、さっそく行ってみた。僕が感じたのは「音」の在り方、とらえかたがすごくユニークな作品が多いということ。僕自身、視野、聴野を拡大していなかいといけないなと痛感。そして来年は、大賞で参列してやる!!と、気合入りました。


文化庁メディア芸術祭受賞作品展
最新テクノロジーを駆使したメディアアートからエンターテインメント、アニメーション、マンガまで、世界44の国と地域からの応募1,797点から選ばれた作品180点を展示。

日 時 : 2月24日(金)~3月5日(日)
会 場 : 東京都写真美術館




答えを出すこと、きっと全てではない

2006-02-01 02:31:04 | ■DIARY&COLUMN
一瞬の描写を思い出すときがある。それは、においだったり、音だったり、見るものだったり味だったり。すごくいとおしいものが記憶だと思う。あの瞬間にもどりたい。もどれない時間に人はいとおしさを考えるんだと思う。心からその瞬間に戻りたいと思ったら、戻れるのならいいのに。

世のなかのいろいろなものに答えを求めすぎるということは、ある種の不幸なのかもしれない。答えを出すことは、きっと全てではないし、真実を知らないことの美しさもある。

幼い頃の実家の居間を思い出す。あたたかい風景。素直な気持ちになれる。においも思い出せる。やすらぎがある場所。未来を空想する時間を思い出す。

音楽を作っているときに頭に見えている日がある。僕の祖母の家の居間で親戚が語り合っている風景だ。あと、会社を辞めるか辞めないかの頃、自分の軽自動車で中島美嘉さんのDVDを観ながらドライブしていたとき。やけに色のない夢を見る。

なんか色の見える、絵を描くような音楽を作りたい!曲を聴いただけで、見える景色、戻れる時間、たいせつ。たくさんの人にとっての、それぞれのための景色に戻れるような音楽がつくりたい。

地球が幸せがなくならない場所であってほしいと思う。自分の立場的にとか、お上がどうとか、左だ右だとかそういうことではなく、ただひとりの人間として、それを思う。


しばれる

2005-12-17 13:27:35 | ■DIARY&COLUMN
先週から今週は岩手に帰っておりました。地元放送局IBC岩手放送のかたたちとミーティングしたり(極秘!)、DJ、SEで参加している、ロックバンドhatifnattでの久々のライヴをしたり!いろいろなことが新しく回り出している息吹を感じてまいりました。

12月だというのに盛岡は雪で真っ白!(日本海側ではない盛岡は大雪が降り、雪が積もるのは例年は2月くらい) 今年は早いらしい。
冬の夜のキーン・・・っていう感じとか、やっぱりいいな~って感じました。あれこそ東北の冬!



DJとして

2005-12-04 12:10:39 | ■DIARY&COLUMN
昨夜12月3日はお世話になっている事務所の5周年パーティ。僕はDJと会場のPAを担当したんだが、このふたつの両立は初会場だと、なかなかしんどく、久々テンパリまくった。はじめての会場のときって、けっこう想定外!っていうのもあったりで。。。(言い訳ですが)それをどう乗り切るかも含め、それがイベント(パーティ/ライヴ)だなって思う。すごく勉強になりました。

お客様、関係者の皆様、お店の皆様ありがとうございます。

なにはともあれ、5周年おめでとうございます!



遊歩道に置き去りのロッキン・チェア

2005-12-02 21:32:34 | ■DIARY&COLUMN
時代性はポップという言葉の中ですごく大切な要因のひとつだと思う。その時代にとってのスタンダードなものは人々の生活にも入っていきやすいが、こと、新しいことというのはなかなか入りずらいというのが現実だ。でも、新しいことっていうのはすごく意味がある。いわゆる発明がそれだ。昔から自分も人のやっていないことをやる、まだ誰もやっていないことをやるっていうのは、創作活動また、自分の人生にとって大切にしていることのひとつなのだが、新しすぎて誰にも理解不明な、傲慢な新しさでは意味がない。そうではなく、時代性を強くもった新しさっていうのが新しいことをするにあってすごく大切だと思う。誰も新しいと気づかない新しさは当然、誰にも伝わらないし、又、本当の意味での『新しい』という意味そのものの機能はみたしてはくれない。新しさにはわかり易さ、伝わりやすさもすごく大切である。それはポップという言葉イコール時代性という部分にもすごく繋がってくる。と、僕は思う。

東京に出る前に4年弱サラリーマンをしており、そのときにしていたお仕事がシステムエンジニアだった。システムエンジニアというと、かなり広い意味になるんだが、(デザイナとならぶくらい、意味がひろい。。。)僕がやっていたのは、いわゆる工場にある生産ラインの工業ロボット/自動機の設計、製作である。「お客様が求めるスペックを満たす。」これも、またその工場に「新しいものをもたらす」という意味では同じだと思う。お客様の要望に対し技術的、予算的に可能なことをするという中にも新しさっていうのは必要で又、重要だったりもする。