今日は久しぶりに暑かったね。夏のぶり返しってとこ?
車の中が蒸し風呂になっていたよ。
富士山検定
模擬問題(登山編)
第1問 富士山頂に大日寺を建立したといわれているのは誰?
①聖徳太子 ②末代上人 ③武田信玄 ④長谷川角行
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正解 ②の末代上人
登山の歴史
~聖徳太子の伝説から大衆登山まで~
古代の富士登山については多くの伝説が伝えられており、最初の登山者は
明らかになっていない。
古くは、聖徳太子が甲斐の名馬「黒駒」を駆って登山したという伝説や、
修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)の登頂、秦の国からやって来た
力士・徐福が、不老不死の霊薬を探しに富士に登ったなどさまざまな伝説が
ある。
記録として残っている最古のものとしては、平安時代(794~1185年頃)
後期、都良香(みやこのよしか)によって書かれた『富士山記』である。
ここでは、登頂体験者によって語られた、富士山頂の噴火口の様子などが
詳しく説明されている。
平安時代末期には富士上人と呼ばれた末代が、山頂に大日寺(だいにちじ)を
建立。
信仰のために、修行を積んだ行者や僧たちが富士登山をはじめた。
鎌倉時代(1185~1333年)には、富士修験道が発展し、山伏たちが先達と
なって登山者も増加。江戸時代(1603~1867年)初期には富士講が大きく
発展。次第に組織的に富士登山が行なわれるようになった。
富士講では女人禁制とされていたが、1832(天保3)年に高山たつという
女性が、男装して富士講行者とともに富士吉田口から登ったといわれている。
また、1860(万延元)年には、英国公使オールコックが外国人としてはじめて
富士登山に成功。1867(慶応3)年には、同じく英国公使・パークス夫妻が
登山し、外国人女性初の登山者となった。そののち、1872(明治5)年には
富士登山の女人禁制が解かれ、富士登山は山岳信仰者だけでなく、大衆にも
広く行なわれるようになる。富士登山は、時代に流れとともにその姿を
変えていった。
〔富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著から