富士と女優

美しいものを見て感性を潤いたいな。

今日の富士山

2023-10-30 15:25:38 | Weblog

   

今日の庭先に咲いた河津サクラ🌸

      

 

富士山検定
   模擬問題(歴史編)

    第4問 富士講がもっとも盛んだった時代は?

     ①平安時代 ②鎌倉時代 ③室町時代 ④江戸時代

    




   ……………………………………………………………………………………


    正解 ④の江戸時代
 

    江戸時代
    江戸時代(1603~1867年)は、富士講が隆盛をきわめた時代である。
    1646(正保3)年開祖である長谷川角行が生涯を閉じると、弟子たち
    は講祖となって独立をはじめる。これにより各集団は枝分かれをはじめ
    「江戸八百八講」といわれるほど多くの講がつくられた。
    各地で富士山をまねして造営された人工の山や塚・富士塚もつくられ、
    1849(嘉永2)年、幕府によって富士講が禁じられるまでの間、庶民
    の富士山への信仰は深くなっていった。
    1707(宝永4)年には富士山の三大噴火のひとつである宝永の大噴火
    が起こり、山麓に膨大な被害をもたらした。これにより、荒ぶる山を鎮め
    ようという願いも加わり、庶民の富士講への信仰はさらに高まることになる。
    1831(天保2)年には、葛飾北斎の「富嶽三十六景」が完成。数多くの
    浮世絵の題材として描かれたことからも、この時代、富士山が江戸庶民に
    親しまれた山であったことがうかがえる。

   富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著2006年発行から


☆富士講
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

富士講(ふじこう)は、富士山とそこに住まう神への信仰を行うための集団である。
浅間講ともよばれる。広義には富士信仰に基づく講集団一般を指し、
狭義には江戸を中心とした関東で流行したある富士信仰の一派によるものを言う。


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