希望の党に合流しようとする前原・民進党の混乱で、結局、それぞれの候補者は、「国民ファースト」ではなく「当選ファースト」になっているのじゃないか。こんな疑心暗鬼が生まれても不思議じゃない状況です。こんな状態の今回の選挙で、投票はよしておこうという人が増えるのではないか。ツイッター上にも積極的に棄権することを呼びかけるツイートが流れる(もっともこの呼びかけには多数の批判が書き込まれていますが)など、投票棄権の呼びかけが一定の影響力を持つことが心配です。。
そもそも投票を棄権することは、現実の政治の批判になるのか。答えはノーです。
誰かが棄権しようが・・白票も同じ・・しまいが、選挙で当選して議員になる人は必ずいます。棄権あるいは白票は、選挙の結果に何の影響も及ぼしませんので、選挙の結果をそのまま信任してしまうことにしかならない。そういう意味では、消極的賛成派になってしまいます。
実際、今日の毎日新聞に、日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介氏の一文が載りました(全文は次のリンクにあります)。
時代の風「白ける解散・総選挙=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員」
藻谷氏は、今回の解散・総選挙に大義がないことを述べながら、こう指摘しています。
「政治は信じないので、投票には行かない」とか、「抗議の意味で白票を入れる」とか、胸を張るやからが増えるかもしれない。だが棄権も白票も現実の世界では「当選者への白紙委任」でしかなく、組織票と、有権者の2割程度と思われる熱烈な首相ファンの票の威力を相対的に強めるだけである。(毎日、10月1日付)
政治に不満があるならば、その不満を解決するために、丸ごと考えが一緒という人は難しいかもしれないけれど、できるだけ多くの考えが一致できる、あるいは考えができるだけ近い人を国会に送り込んで、その人に、自分の思いを代弁してもらうことが必要なのではないでしょうか。
最近、欅坂46の「サイレント・マジョリティー」という曲を聴く機会がありました。
ただのアイドルグループと思っていたけれど、その歌詞を見て、聞いて、驚きました。
とても挑発的です。
どこかの国の大統領が
言っていた(曲解して)
声をあげない者たちは
賛成していると・・
選べることが大事なんだ
人に任せるな
行動しなければ
Noと伝わらない
(中略)
誰かの後
ついて行けば
傷つかないけど
その群れが
総意だと
ひとまとめにされる
君は君らしく生きていく自由があるんだ
大人たちに支配されるな
初めから そうあきらめてしまったら
僕らは何のために生まれたのか?
夢を見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
Yesでいいのか?
サイレントマジョリティー
使っている言葉は違うけれど、先の藻谷氏とこの歌が若者(我々というと「大人からの支配」の「大人」のイメージから、我も入るの、どうなの・・という意見が出るかもしれないので、とりあえず自分は外しておきます)に呼びかけていることはほぼ同じ。「声をあげない者たちは賛成している」「人に任せるな 行動しなければ Noと伝わらない」。自分が行動しなければ、自分の意思はどこにも反映されないよ、と呼いるのです。そしてその行動が若者の自由を拡大していく。
政治では、何か法律が通れば、その法律に全ての国民が拘束されてしまう。労働基準法が悪くなって、労働時間が長くなったり、賃金が減ったり、派遣労働法で正規職員になれずに、派遣労働で安くこき使われるなど、多くの人が自分は賛成していなかったはずの法律に苦しめられています。
さらに、安全保障法制で海外での武力行使が可能になりました。これまで以上に戦闘行動の自由を拡大し、武力行使で日本が国際貢献できるように、ゆくゆくは憲法9条をはじめとした平和憲法を変えてしまおうとしています。この戦争に、最初に動員されて戦争に送り込まれるのは若者たちです。
平和を望もうとも、平穏な生活を望もうと、法律や仕組みを作られてしまったら、その仕組みがどんなにひどいものでも、その仕組みの中に組み込まれることを強制されてしまう。だからこそ、サイレントマジョリティーで呼びかけられるように、投票に行くこと、自分の意思を示すこと、その行動を起こすことが大切なのでしょう。
選挙は10月10日公示、22日が投票日です。公示日の翌日からかな、投票日に投票に行けない人は、市内の期日前投票所で投票が可能です。「政治家が信用できなくなった」「抗議の意味で棄権する」--それは選挙結果への消極的賛成になることを心に刻んで、ぜひ一票で自分の意思を表明してほしいと思います。
そもそも投票を棄権することは、現実の政治の批判になるのか。答えはノーです。
誰かが棄権しようが・・白票も同じ・・しまいが、選挙で当選して議員になる人は必ずいます。棄権あるいは白票は、選挙の結果に何の影響も及ぼしませんので、選挙の結果をそのまま信任してしまうことにしかならない。そういう意味では、消極的賛成派になってしまいます。
実際、今日の毎日新聞に、日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介氏の一文が載りました(全文は次のリンクにあります)。
時代の風「白ける解散・総選挙=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員」
藻谷氏は、今回の解散・総選挙に大義がないことを述べながら、こう指摘しています。
「政治は信じないので、投票には行かない」とか、「抗議の意味で白票を入れる」とか、胸を張るやからが増えるかもしれない。だが棄権も白票も現実の世界では「当選者への白紙委任」でしかなく、組織票と、有権者の2割程度と思われる熱烈な首相ファンの票の威力を相対的に強めるだけである。(毎日、10月1日付)
政治に不満があるならば、その不満を解決するために、丸ごと考えが一緒という人は難しいかもしれないけれど、できるだけ多くの考えが一致できる、あるいは考えができるだけ近い人を国会に送り込んで、その人に、自分の思いを代弁してもらうことが必要なのではないでしょうか。
最近、欅坂46の「サイレント・マジョリティー」という曲を聴く機会がありました。
Uチューブから
ただのアイドルグループと思っていたけれど、その歌詞を見て、聞いて、驚きました。
とても挑発的です。
サイレンマジョリティー(抜粋)
どこかの国の大統領が
言っていた(曲解して)
声をあげない者たちは
賛成していると・・
選べることが大事なんだ
人に任せるな
行動しなければ
Noと伝わらない
(中略)
誰かの後
ついて行けば
傷つかないけど
その群れが
総意だと
ひとまとめにされる
君は君らしく生きていく自由があるんだ
大人たちに支配されるな
初めから そうあきらめてしまったら
僕らは何のために生まれたのか?
夢を見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
Yesでいいのか?
サイレントマジョリティー
使っている言葉は違うけれど、先の藻谷氏とこの歌が若者(我々というと「大人からの支配」の「大人」のイメージから、我も入るの、どうなの・・という意見が出るかもしれないので、とりあえず自分は外しておきます)に呼びかけていることはほぼ同じ。「声をあげない者たちは賛成している」「人に任せるな 行動しなければ Noと伝わらない」。自分が行動しなければ、自分の意思はどこにも反映されないよ、と呼いるのです。そしてその行動が若者の自由を拡大していく。
政治では、何か法律が通れば、その法律に全ての国民が拘束されてしまう。労働基準法が悪くなって、労働時間が長くなったり、賃金が減ったり、派遣労働法で正規職員になれずに、派遣労働で安くこき使われるなど、多くの人が自分は賛成していなかったはずの法律に苦しめられています。
さらに、安全保障法制で海外での武力行使が可能になりました。これまで以上に戦闘行動の自由を拡大し、武力行使で日本が国際貢献できるように、ゆくゆくは憲法9条をはじめとした平和憲法を変えてしまおうとしています。この戦争に、最初に動員されて戦争に送り込まれるのは若者たちです。
平和を望もうとも、平穏な生活を望もうと、法律や仕組みを作られてしまったら、その仕組みがどんなにひどいものでも、その仕組みの中に組み込まれることを強制されてしまう。だからこそ、サイレントマジョリティーで呼びかけられるように、投票に行くこと、自分の意思を示すこと、その行動を起こすことが大切なのでしょう。
選挙は10月10日公示、22日が投票日です。公示日の翌日からかな、投票日に投票に行けない人は、市内の期日前投票所で投票が可能です。「政治家が信用できなくなった」「抗議の意味で棄権する」--それは選挙結果への消極的賛成になることを心に刻んで、ぜひ一票で自分の意思を表明してほしいと思います。
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