アメリカ原爆開発の発端  アインシュタインの手紙

2016-08-30 | 第二集

被爆証言を遺そう!ヒロシマ青空の会 2集「アメリカ原爆開発の発端」

 
アメリカ原爆開発の発端  アインシュタインの手紙
                                     五十嵐 勉
 核物理学は一九二〇年代になって最先端科学として急激に発達した。それまでのニュートン力学を超える新たなエネルギー理論と方法が次々に登場し、アインシュタインをはじめ、パウリやハイゼンベルクなどヨーロッパの天才青年科学者たちによって華々しい新理論の論文が咲き誇った。これはそれまでの科学の世界を根底から覆すほどの革命的な理論を内蔵していた。

                    
                 アルベルト・アインシュタイン

 その道筋を辿るように、一九三〇年代になって原子核関連の実験と構造の解明が進むにつれ、原子核そのものが変化することが明らかになってきた。それまでは元素は絶対不変のものであり、元素の中核をなす原子核は変わりえないものとされてきた。しかし一九三二年の中性子の発見に伴い、イタリアのフェルミなどによって、原子核に中性子を当てるとどう変化するかなど原子核反応の実験が進んだ。原子核そのものが分裂したり結合したりして、他の原子核になりうることが予想されるようになった。
 ウラン原子に中性子を当てるとバリウムができ、これが原子核の分裂(フィッション)によるものであることが実験で確かめられたのは、一九三八年一二月のことである。ドイツのハーンとシュトラウスマンによって報告されたこの事実は、翌年一月にマイトナーとフリッシュによって確かめられた。マイトナーはユダヤ人でドイツのカイザー・ヴィルヘルム研究所にいたが、ナチスの迫害が身辺に及んだため、デンマークのボーアの研究所に身を寄せていた。この論文ノートが、一九三九年一月にちょうど渡米直前だったボーアの手によってアメリカへ運ばれ、米国の科学者の間にセンセーションを巻き起こした。まもなく「ネイチャー」誌に発表されたこの論文には、次の驚くべき事実が示されていた。
 一つの核分裂で生じるエネルギーは、なんと二〇〇メガボルトというすさまじいもので、これはこれまでの火薬などによるエネルギーの数万倍それ以上のエネルギー指数を示していた。しかも原子核は1立方センチのなかだけでも無数にある。これが同時に核分裂したときのエネルギーは膨大なものになる。さらに驚くべきことに、一つの核分裂で中性子がいくつか飛び出すので、それがまた他の原子核に当たって核分裂を引き起こす無限の連鎖反応を起こすことになる。このエネルギーの総和は、これまでの常識を超えるとほうもない力を生じる……。
 科学者たちは、この膨大なエネルギーが利用できるようになれば、人類にとって画期的な新エネルギー源となると同時に、もしこれを兵器として爆弾に利用するならば、とてつもない爆弾が生まれることを予測した。
 原子物理学者たちを興奮の渦に巻き込んだこの核分裂連鎖反応の発見は、戦争に巻き込まれていく当時の世界情勢と奇妙に表裏をなしている。
 当時ドイツではナチスが世界戦略を全面に押し出して、ゲルマン民族の帝国建設を実行の段階に移しつつあった。東方への国土拡大を実施するその前からすでに、ヨーロッパ全土に散らばって住むユダヤ人を経済の寄生人種として徹底的に排除する政策を実施していた。
 ナチスの魔手から逃れるために、多くの核物理学者がアメリカに渡っている。アインシュタインをはじめ、フェルミ(妻がユダヤ人)、シラード、テラーなど、ユダヤ人関連の核物理学者は多数にのぼる。のち彼らがアメリカの原爆製造に間接、直接にきわめて重要な役割を果たすことになる。
 原子爆弾の誕生は当初から戦争と表裏をなす数奇な運命の影をまとっている。核分裂連鎖反応の発見はナチス・ドイツの膝元で行なわれつつ、ユダヤ人の迫害といっしょにアメリカへ飛び火する。第二次大戦の勃発と進行とともにナチスによる原子爆弾の製造を恐れたアメリカが逆にその製造に成功する。
 核分裂連鎖反応の発見がほぼ一九三九年であり、原子爆弾の製造が一九四五年であることを考えると、原爆の誕生はほとんど第二次世界大戦の期間と一致する。ある意味で、原爆を誕生させるために第二次世界大戦が存在したかのような悪魔の罠にも似た影の色彩を孕んでいる。少なくとも、ある血塗られた深い影の宿命を帯びてこの世に生まれたと言っていい。
 それは第二次大戦全体が人類に意味するものと根を同じくする。原爆の影とは、破壊の力をあまりに巨大にしてしまった人間の文明そのものの影であり、科学文明の発達とともに欲望を無制限に解放してきた自らの罪の影にほかならない。これを乗り越えることができるか否か、滅びに至る道を人類はいま試されている。むしろその重荷はバイオテクノロジーや環境問題をはじめ、さらに多くの領域に広がることによってますます大きく、危険になっていることを知らねばならないだろう。

 連鎖反応の可能性がきわめて大きくなった一九三九年の後半、核分裂に関する論文がほとんどの科学雑誌からぱったりと消えた。このことは、核分裂を使った新たな爆弾の開発が、ドイツをはじめ各国政府の報道管制下に入ったことを意味する。また原爆の材料となるウラン鉱石もドイツ占領下のチェコスロバキアにおける販売がストップした。チェコはヨーロッパではソ連を除いて唯一ウラン鉱石が採掘される地である。これもドイツが原爆の生産に向けて動き出したことを意味していた。
 これらを憂慮したユダヤ人核物理学者たちは、大御所アインシュタインを担ぎ出して、アメリカ大統領ルーズベルトに直訴する。八月二日付の手紙は、そのときにはまだ開かれることはなかったが、ドイツがポーランドに侵攻し、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まったのちの一〇月一二日、大統領と懇意にしていたアレクサンダー・ザックスの手紙に添えられて、ついにルーズベルトの前に開かれる。

「大統領閣下
 E・フェルミとL・シラードによる最近の研究論文が原稿で私のもとに届けられましたが、これは近い将来にウラン元素を重要な新エネルギー源に変えうるという期待を私に与えてくれます。すでに起こっている事態のいくつかの側面について、政府は警戒するとともに、必要ならば機敏な措置をとらなければならないように思われます。したがって、私は、閣下に次の事実と勧告に注目していただくことが私の義務であると考えます。
 最近四カ月の間に、米国のフェルミやシラードだけでなくフランスのジョリオ(・キュリー)の研究によっても、次のことが有望になりました。すなわち、大量のウランのなかで核連鎖反応を発生させることが可能であり、それによって巨大なエネルギーとラジウムに似た新元素が大量につくられるという可能性です。近い将来にこれを実現できるのは、まず確実であるとみられます。
 初めて発見されたこの現象は結果として爆弾の製造にもつながります。それほど確実ではありませんが、これによってきわめて強力な新型爆弾を製造することが考えられます。この型の爆弾一個を船で運び、港湾で爆発させれば、それだけで、港湾全体のみならず、同時に周辺地域の一部をもたぶん破壊するでしょう。しかし、このような爆弾は、航空機で運ぶにはおそらく重すぎるでしょう。
 米国には、きわめて質の悪いウラン鉱石が多少あるにすぎません。カナダとかつてのチェコスロバキアには良質のウラン鉱石が多少ありますが、しかし、最も重要なウラン産出地はベルギー領コンゴです。
 このような状況から考えると、政府と米国で連鎖反応について研究している物理学者グループとの間で何らかの恒常的な接触を保つことが望ましいと考えられます。これを実現するために考えられる一つの方法は、閣下の信頼を受け、かつ、おそらくは非公式の立場で仕事をやれる個人にこの任務を委嘱することでしょう。その任務には、次のような事項が含まれるでしょう。
(a)政府各省に出入りし、今後の開発について絶えず情報を提供するとともに、政府の措置に資する勧告を提言し、米国が必要とするウラン鉱石の供給確保の問題に格別の注意を払う。
(b)もし資金が必要であれば、喜んでこれを寄付しようという個人との接触を通じて資金を提供してもらい、また、必要な設備をもつ企業の研究施設の協力を得ることによって、現在、大学の研究室の予算の枠のなかで行なわれている実験作業を加速する。
 ドイツは、同国が接収したチェコスロバキアの鉱山から産出するウランの販売を実際に停止したものと思います。ドイツがこのように早めの措置をとったことは、ドイツの国務次官の子息であるフォン・ヴァイツゼッカーがベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所に所属していること、米国で行なわれた、ウランに関する研究の一部が現在そこでも繰り返し行なわれていることを考えれば、たぶん理解できるでしょう。
        アルベルト・アインシュタイン」
『マンハッタン計画』(大月書店)岡田良之介・訳

 この手紙の中には、目立たないが注目すべきことが一つある。それは、ウラン鉱石の供給地にまで触れている点である。アインシュタインのような理論学究肌の人間がなぜウランの供給地にまで精通しており、それへの対処を匂わせているのかと疑問を覚えずにはいられない。
 実はこの手紙は、シラードの草案が元になっており、シラードはもっと詳細に原爆供給地の問題を、例えばチェコのウラン鉱石の埋蔵量を一五〇〇トンというふうに書いている。このほかにも政策的関与が必要であるとも述べている。シラードはのちに水爆の父となるテラーと協議して積極的に政治家に訴え、開発を実現させようとしていた。そのためにアインシュタインを担ぎ出し、アレクサンダー・ザックスにコンタクトした。
 シラードもテラーもユダヤ人である。だから科学者としてだけでなく、ナチスの恐さを知る者として、よりいっそう危機感を深め、なんとしてもナチスがこれを先に手中にすることを恐れ、それ以前にアメリカが開発するようにしむけたかった。ユダヤ人だからという切迫性は理解できる。しかしそれでもこれだけの広範な対策を、一人や二人の考えで練ることができるのだろうか、とさらに疑問が湧く。おそらくここには他のユダヤ人、例えば銀行家や鉱山業などに携わっている資本家などが参加して、その総意のもとにシラードやテラーを動かし、大統領へ向かわせたというのが自然だろう。ここにはナチス対ユダヤ人の潜伏した激しい戦いが見て取れる。
 添えられたアレクサンダー・ザックスの手紙の中にも、ほぼ同じことがもっと詳しく勧告されていた。アインシュタインの短い手紙で大統領の関心を引き、そのうえで詳しい文面をさらに読ませるという周到な手配だったと想われる。
 すでにナチスはポーランドに侵攻し、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告をした。とほうもない戦争が始まっている。そのような状況下での、これまでの常識を破る爆弾の可能性は、ルーズベルトを困惑させたにちがいない。
「たった一つで港湾全体のみならず、同時に周辺地域の一部を破壊する爆弾」とはいったい何か。こんなとほうもない爆弾がほんとうに実現するのだろうか。科学者たちは絵空事を言っているのではないか……。ルーズベルトの胸に去来したものは、まず現実主義者としての疑いであろう。しかし同時にこの非凡な政治家は、すぐにこれが現実に立脚していることを直感した。それはドイツがチェコスロバキアのウラン鉱石を販売禁止としたことである。ドイツの科学力なら、ひょっとしたらそれが可能かもしれない。ドイツはその科学力をふんだんに生かした最新兵器をもって、破竹の勢いでヨーロッパを侵略している。ドイツの野心は大きい。ヨーロッパを席巻しつつある。もしヒトラーがその爆弾を手中にしたら……
 ルーズベルトは「手を打たなければならない」と決断した。
 書面を極秘ファイルに保存することを指示し、アインシュタインに次のような返礼の手紙を送った。
「アンシュタイン教授殿  一九三九年一〇月一九日
 先日のご書面ならびにこのうえなく興味深く、かつ重要な同封資料について、お礼申し上げたいと存じます。
 同資料はきわめて重要であるとの認識から、ウラン元素に関するご提言の実現性について徹底的に調査するため、標準局の局長および陸・海軍の各選抜代表から成る委員会を招集しました。
 さいわい、ザックス博士がこの委員会に協力・協同してくれますが、当該問題に対処するには、これが最も実際的かつ有効な方法であると思います。
 重ねて衷心よりお礼まで。
        フランクリン・D・ルーズベルト」
      (同)
 アインシュタインの手紙が、アメリカ合衆国の原爆開発の扉を開いた。それはまだ人類が手にしたことのないとほうもない力、太陽そのもののエネルギーにつながる、新たなプロメテウスの火だった。ルーズベルトの決断は、一瞬のうちに一つの都市を壊滅してしまう悪魔の火をこの世に生み出すことになる、大きな決断だった。
 この時点で、ルーズベルトはアメリカも大戦に巻き込まれていくことを覚悟したにちがいない。どのように準備し、どのように参加していくか。このようなすさまじい破壊力を持つ爆弾がどのようにして世界に登場し、どのように人類の未来を変えていくのか……ルーズベルトの胸中は不安の渦を濃くしていたはずである。
          



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