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漫画アニメより凄いことをやられた方が現実にいらっしゃる。生きるに真摯。

2019-03-03 18:32:18 | 心に響くもの
2年ぶりぐらいの投稿 投稿と言うほどのものではないが。
「生きて行く私」 宇野千代 を読んで。 宇野千代の自伝的小説

失礼な言い方かもしれませんが。漫画アニメより凄いことをやられた方が現実にいらっしゃる。こんなこと出来るの!可能なの!でした。これに近い事をやっている人を最近みつけました。宇野千代さんを知らないようですが。どちらの方も、普段は真剣に努力されているようですが、だからイザという時に可能になってしまうのでしょうね。運命が味方するようですね。旦那がいるのに、一目ぼれした相手にその日のうちに同棲しちゃう、、、なんでもアリの現代でも無理っぽい。

14歳で義母の姉の子(従兄)藤村亮一と結婚するが10日ほどで実家へ帰る。

17歳位 小学校の代用教員となるが同じ学校の男子教員と関係その後その関係がもとで退職、、、首。地元にいられず朝鮮京城へ行くがとんぼ返りで舞い戻り再度関係を迫るが、みにくくふられる。

19歳位 義母の姉の子(従兄)藤村亮一の弟・藤村忠と知り合い 同棲 結婚 北海道に行く。
     6年間
25歳位 尾崎士郎を紹介され、ひと目惚れし、そのまま東京で暮らし始める。  旦那と離婚してない。

29歳  尾崎士郎と正式に結婚

31歳   梶井基次郎との関係が噂となり尾崎と別居。
     6年間
33歳  東郷青児と知り合い同棲、尾崎と正式に離婚。
     4年間
37歳  青児と別れる。

39歳  『スタイル』誌を創刊。北原武夫と共同経営 当然おしかけ同棲

42歳  北原武夫と結婚。媒酌人は、吉屋信子と藤田嗣治。10歳年下

67歳  北原と離婚。
      ほぼ27年間
86歳  「生きて行く私」刊行。

98歳  急性肺炎のため虎の門病院において98歳の生涯を閉じた。

大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。
女流文学賞、1972年(昭和47年)に日本芸術院賞受賞[5]、同年日本芸術院会員。1974年(昭和49年)には『雨の音』を発表、1982年(昭和57年)に菊池寛賞受賞。その翌年発表された『生きて行く私』は自伝的小説として以後宇野の代名詞となる。1990年(平成2年)文化功労者。
女流文学賞
日本芸術院賞受賞
日本芸術院会員
菊池寛賞受賞
文化功労者

一部 ウィキペディア(Wikipedia)より

   結婚相手は著名人かつ イケメン 美男子 宇野千代も美貌だったようだが。多才で美女。
   青児と別れる原因となったのは 青児の絵を沢山買ってくれた山師の金持ちと関係があったせいですが、、、全体的に性に自由? 生きるに自由? 生きるに真摯。

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