刺激を求めたり安らぎを求めたり

見えない心を見たい 自分を変えたい ?どのように変えたい??わからない.変えたい!! どうすればいいの!! 誰か...

天才ニコラ・テスラ 彼が居なければ、、、

2022-02-08 14:38:43 | 天から頂いた才能

テスラ エジソンが恐れた天才
ニコラ・テスラ


癒しツアー > 学者・発明家の偉人 > ニコラ・テスラの名言・格言 https://iyashitour.com/archives/49827/2#2 より

ニコラ・テスラの名言(1)


わたしのアイデアを盗まれても気にしない。
わたしが気になるのは、彼らが自分自身のアイデアを一つも持っていないということだ。

- ニコラ・テスラ -

今日の科学者は明瞭に考える代わりに深く考える。
人は明瞭に考えるために正気でいなければならない。
しかし、深く考えて完全に正気を失うこともある

- ニコラ・テスラ -

わたしたちの長所と短所は、力と物質がそうであるように切り離せないのだ。
分離すれば人は存在できない。

- ニコラ・テスラ -

愛とは作るものではく、与えるものである。

- ニコラ・テスラ -

わたしの母は人間の本性をよく理解し、人を叱ることはなかった。
彼女は、他人の努力や抗議によって、人をその愚かさや悪習から救うことはできず、本人の意志によってのみ救われることを知っていたのです。

- ニコラ・テスラ -

あなたの憎しみを電気に変えたら、世界中を明るくできるだろう。

- ニコラ・テスラ -

文明の広がりはたき火のようなものだ。
初めに微弱な火花、次にちらつく炎、そして強烈な火炎と、スピードとパワーが増え続ける。

- ニコラ・テスラ -

わたしの手法は違う。
わたしは性急に実際の作業を進めることはない。
アイデアが浮かんだら、まず想像の中でそれを構築する。
構造を変え、改良を加え、そして発明品を完全に頭の中で動かすのだ。

- ニコラ・テスラ -

宇宙の秘密を知りたければ、エネルギー、周波数、振動の観点から考えなさい

- ニコラ・テスラ -

ある者が「神」と呼ぶものを、他の者は「物理法則」と呼ぶ

- ニコラ・テスラ -


ニコラ・テスラの名言(2)


独りになれ。
それが発明の秘訣である。
独りになれ。
アイデアが生まれるのはそういう時だ。

- ニコラ・テスラ -

既婚男性によってなされた偉大な発明について、その名前を多くあげることはできないはずだ。

- ニコラ・テスラ -

一人の人間ははかなく、民族や国家は誕生し消滅する。
だが人類は生き残る。

- ニコラ・テスラ -

あなたの理解を超えた人為的な恐怖を、あなたは目にするかもしれない

- ニコラ・テスラ -

わたしたちは世間を沸かせる新しいものを切望するが、すぐそれらに無関心になってしまう。
昨日の奇跡は、今日のよくある出来事なのだ。

- ニコラ・テスラ -

わたしの脳は受信機にすぎない。
宇宙には中核となるものがあり、わたしたちはそこから知識や力、インスピレーションを得ている。
わたしはこの中核の秘密に立ち入ったことはないが、それが存在するということは知っている。

- ニコラ・テスラ -

よりによって、わたしは本が一番好きだったんだ。

- ニコラ・テスラ -

おわりです。

下に「偉人の一覧」、「人気コンテンツ」がございます。

 

 


ホンシェルジュ   https://honcierge.jp/articles/shelf_story/3930 より


ニコラ・テスラは、1800年代後半から1900年代前半に活躍した発明家です。我々が普段使っている交流電流や、日々の暮らしに欠かせない蛍光灯などを発明しました。そんな偉大な彼のことがわかる意外な事実と本をご紹介します。

発明家ニコラ・テスラとは
ニコラ・テスラは、1856年、現在のクロアチアにあたるオーストリア帝国で、セルビア人の両親のもとに生まれました。彼が5歳のころ、非常に優秀だった兄が亡くなってしまいます。敬愛する兄を超えるために、テスラは勉学に励みました。

1880年には交流モーターと交流発電機を考案し、1884年に渡米してエジソンの会社で働きます。

彼の最も偉大な功績は、交流電流の発明と言われています。いわゆるコンセントから流れてくる電気は、彼が発明したもの。また無線やラジオ、リモコンなどに使われる遠隔操作の技術も発明しました。

エジソンとは確執があり、彼が推す直流電流と、テスラが発明した交流電流とで、電流戦争と呼ばれる争いがくり広げられましたが、最終的には交流電流が全世界で使われるようになり、この争いはテスラに軍配があがりました。

後年は無線技術について研究し数々の業績をあげましたが、次第に資金繰りが悪化し、段々と貧しくなってしまいます。さらに精神障害を患い、1943年にニューヨークで亡くなりました。

ニコラ・テスラの意外な7つの事実
1:幼少期は空想と強迫性観念に囚われ、成人後は異常な潔癖症だった。

幼少期に兄のデン・テスラが亡くなってから、彼は空想と強迫性障害に囚われてしまいます。しかし、この空想のおかげで、自分の頭の中に思い浮かんだ発明を具体化させることができるようになりました。

また、貧しかったテスラは大学を中退して働かなくてはならず、その時にやった仕事の影響で感覚異常になり、さらには潔癖症になってしまいます。そしてそれは、生涯治ることはありませんでした。

2:環境問題に熱心で、再生可能燃料を推進し、研究していた。

彼は石油などの化石燃料がなくなってしまうことを懸念し、再生可能燃料を推進していました。実際に彼は自分の実験室で、雷のような大量の電流を作り出すなど、地球のエネルギーを使った再生可能燃料の実験をしていたと言われています。

3:テスラは人間中心主義であったため、人の生活を豊かにするのは金ではないと考えていた。それゆえ、多くの発明や社会貢献をしたにも関わらず貧しかった。

彼はヒューマニストであり、人を豊かにするために発明をし続けました。金のために研究をするような性格ではなかったために、貧しくなっていきます。そして86歳のとき、ニューヨークのホテルでひとり寂しく亡くなりました。

4:彼は記憶力に大変優れており、書籍の内容を非常に詳細に覚えていた。

彼は本を1度読めば、その内容を最初から頭の中だけで読み返すことができたと言われています。本のページを写真を撮ったかのように覚え、それを再生できるといった特異な才能を持っていたようです。驚異的な記憶力と想像力があったため、思いついた発明品などをメモせずに、頭の中だけに止めておけるほどの天才でした。

5:若い少女を好きになる傾向があったが、研究の妨げになると考え、独身であることを選んだ。

彼は長身でルックスも良かったため、非常にモテていたと言われていますが、若い少女を好きになる傾向があったようです。発明の資金援助をしてくれていたJ・P・モルガンの娘に手を出してしまい、援助を打ち切られたという話もあります。

6:テスラは多くの賞を受賞しているにも関わらず、ノーベル賞を受賞することはなかった。

テスラとエジソンが同時にノーベル賞の候補に選ばれたとき、2人には確執があり、同時に受賞はしたくないということで辞退をしたためです。

7:1日2時間しか寝ていなかったので、その分多くの時間を研究に集中した。

彼は1日2時間しか寝なかったそうです。それが感覚異常によるものなのか、意図的なものなのかは定かではありませんが、その分多くの時間を研究に費やしていました。

彼の発明品や設計図は数トンに及び、現在はセルビアの首都ベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管されていて、ユネスコ記憶遺産にも登録されています。


 
天才発明家、ニコラ・テスラの生涯とは
本書では、天才発明家といわれた二コラ・テスラの生涯に光を当てています。

多くのベンチャー企業が彼を尊敬し、電気自動車会社であるテスラモーターズにも名前が使われています。あのエジソンとライバル関係にあった彼の生涯とは、いったいどんなものだったのでしょうか。

電気のない生活というのは、想像もできない方が多いのではないでしょうか。私たちが家庭で使っている電気のほとんどは、「交流」という電気の種類です。

その他にも数多くの発明をした彼の、アイディアの源流に迫ります。

天才が自身の身をもって伝える未来予測とは?
テスラの頭のなかでは、いったいどのような思考がされていたのでしょう。
本書は彼の回顧録になっていて、全身全霊をかけて研究に臨んでいた様子がわかります。


本書には、テスラの研究の着想や未来予想などが書かれていて、天才発明家と言われながらもヒューマニストだった彼の考えや主義をうかがい知ることができます。

研究に取り組む真摯な姿勢が随所にあらわれていて、それが時が経っても読者に刺激を与え、メッセージを残してくれているのです。

ニコラ・テスラを知るならまずコレ
セルビア人であったことは、テスラの人生に大きな影響を与えたと言われています。
実際に、偉大な発明家の肩書きはエジソンのものになり、無線の発明者という称号もマルコーニに譲ることになってしまいました。しかし彼の能力はエジソンを超える天才と評されています。

本書は彼の伝記で、セルビア人だった彼の人生を深く掘り下げていきます。


不遇な発明家、二コラ・テスラは、様々な面を持ちあわえていました。食通であり、詩人もあり、また名講演者でもあったそうです。また彼が友人に送った手紙にはジョークの効いたものが多く、多彩でユニークな人物であったということがわかります。
読みやすい伝記になっているので、発明家としてではなく、ひとりの人間として彼のことを知りたい人はまず本書から読んでいただくことをおすすめします。


 
ニコラ・テスラの発想力はどこにあるのか
ニコラ・テスラの天才的な発想は、いったいどうやって培われたものなのか、本書ではその源泉を辿っていきます。

彼は1856年、現在のクロアチアで生まれ、幼いころから空想の世界に浸ってきました。もしかしたらそれが、彼の発想力のもとなのかもしれません。


空想やオカルティックな部分も強調されていますが、彼は生涯、精神異常や強迫性障害などさまざまな病に悩まされてきたと言われているので、そういったことが発想に影響を与えているのも頷けます。

テスラに関する他の本には見られない切り口から人生を読み解いているので、彼についてさらに詳しく知りたい方におすすめです。

今回は、エジソンと並ぶ天才発明家でありながらも、あまり知られていないニコラ・テスラについて様々な角度から読み取れる本を紹介しました。偉大な発明をしたにも関わらず不遇な人生を送り、寂しい最期を遂げた彼からカタルシスを感じたい方にもおすすめです。

 


スインギンドラゴンタイガーブギ と ブルージャイアンツ ジャズ

2022-02-03 04:15:14 | 心に響くもの

日本を元気づけた歌声とリズム 歌手 江利チエミ・笠置シヅ子
849,686 回視聴2020/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=TsYGkS8GgQ8

一時間40分


スインギンドラゴンタイガーブギ
と言う漫画で戦後のジャズを知りたくて見ました。
スインギンドラゴンタイガーブギの主人公は江利チエミ・笠置シヅ子どちらを
選んだのか?江利チエミ 70% 笠置シヅ子60%  と言うところか?ミックスですね

色々なドラマをしりました。ビールがすすみました。美空ひばり、雪村いづみなどみな
ボーカルでは素晴らしい。
時間が進んでいます  えっもう4時!!!

ブルージャイアンツ???

心 に響く ジャズが好きです。  もちろんジャズ以外も 心 に響けば

 

 

 


怖くもあり 有難くもある お話の続き

2022-02-01 23:24:12 | 心に響くもの

怖くもあり 有難くもある お話の続き


ためになる お話が 多い

NPO法人岡山県木村式自然栽培実行委員会 
https://www.oka-kimurashiki.jp/


◆なぜ、肥料をやらないのに作物が育つの?

土の中ではおそらく、ありとあらゆる生物がある一定の関係性を持ちながら、小宇宙を作っているのでしょう。自然界には生き物が過不足なく生きて行くためのシステムが最初から備わっていたのですね!

この窒素固定してくれる小さな生き物たちを農薬や肥料等によって追いやることのないよう(※)

 

「虫がつくのはそれだけ美味しいから」というのは詭弁で、実は 過剰な肥料分が虫を大量発生しやすくしている一因なのではないか といわれています。実際、バランスが整い安定している自然栽培の作物や圃場にはあまり虫が寄り付きません。自然栽培の圃場では、生態系の範囲内で上手に牽制し合いながら、共生できる分だけの数の虫しかいない、といった様子が見受けられます。


硝酸態窒素を多く取り込みすぎたメタボな植物は、病気に弱くなり、早く腐敗しやすくなるといった現象も起こります。冷蔵庫の中で傷んでしまった野菜が、ものすごい異臭を放っているのは、有機物質の腐敗臭ともいえます。

木村さんの動画にもありますが 比較すると ドロドロに溶けていきます、本来は枯れるはずが!!!
木村さんの本は10年ほど前に1冊買って もってます。今はいっぱい本が出てますね。


怖くもあり 有難くもある お話

2022-02-01 22:29:39 | 心に響くもの

木村さんの自然栽培講演 203,614 回視聴2016/08/29
 https://www.youtube.com/watch?v=syVBHEHp39M

非常に感動しました。こういった野菜、コメだけを食べたい。
肥料(チッソ リン酸 カリ)が 除草剤 がどれだけ土を痛め環境を痛めているか。人間の体に悪影響をおよぼしているか、癌、糖尿病、アレルギーなどの原因となっている。 植物の生命力を 引き出す農法、植物の持つ治癒力、自分自身を病気から守る力を引き出す。そういった食物を人間は食べないとダメだ。ドイツの世界的に有名なオーガニック(自然栽培)農場に行って指導までした、土の温度管理。 肥料を間違えた食物 キャベツなどは 自然栽培のキャベツと見た目は変わらないが、3週間ほど置いとくと片方はドロドロに溶けていき、自然栽培のものはそのまま少しずつ枯れていく。コメも同じく。この木村さんはNHKにも自然農法リンゴ栽培で取り上げられたほど有名で、私も本を持っているし米も5kg買っています。
 自分の奥さんがリンゴ消毒の影響で苦しんでいるのを見て、自然栽培 無農薬 無肥料を8年もの間苦しんでやっと成功させた人。
 食=病気 の根本を知って、変えた人。肥料、除草剤を使えば楽だが、、そのしっぺ返しは徐々に大きくなってきた。

 私は新潟の田んぼの真ん中で生まれ 二十歳から30年ほど関東で暮らし今新潟に戻ってきました。

 その時一番感じたのは ドジョウ、カエル、メダカ、タニシなどいたのが全くいない、、、どうなっているのだ、、、木村さんが言われていることは その時感じていましたが、今また怖く、恐ろしくなりました。、、、逃げ出したい。肥料会社、農薬の会社の 口車に乗って、実際 楽なのだが、、多分50年位、土を汚し大気をよごし、、普通の動物が住めないようにして、、、誰も不思議がらない。人間だったタダですむわけがない、必ず影響をうける、、、恐ろしい スーパーに行っても野菜を見て、、恐ろしくなっている今このごろです。上記の動画ユーチューブのコメントにあったのですが、「これ以上宣伝するなと、小切手を持ってきた人がいたが それを断った!」とのこと 正しいことをやろうとすると 妨害する人が出てくる、自分たちに不利益だと悪かろうが妨害する、その人に子供はいないのか?想像力に欠けた人が、、最近多い、、悪い事でもやってしまう。その中で木村秋則さんのような人は有難い。

 似たような話で(強力な妨害だが)、イベルメクチンがそうだ 新形コロナにかなり効果があるのに蓋をされ、一切記事にならない。それは特許も切れて安くなった薬、薬品メーカーにとってセンサイイチグウのチャンスに「そんなに安くて、効果があって、安全性もある薬がある」では世界の薬品メーカーが何億かけて開発研究したものが無駄になる、では困る、、妨害、、WHOまで飲み込まれて蓋をしている、日本のマスコミも黙秘しているのは 凄い話だと思う。。。私は個人輸入で、、十分手にしているが。知っている医者もいて推薦している人もいる、知らない医者もいる。

 

 

『自然栽培』のことをお話するときに、この人なくしては始まらないのが

“ 奇跡のリンゴ ”でお馴染みの、木村秋則さんです。


1949年青森県生まれ。世界で初めて、肥料も農薬も除草剤も使わずに、リンゴの栽培に成功したリンゴ農家。木村さんは、農薬に過剰反応し体調を崩す奥さんを案じたのがきっかけで、本格的に農薬を使わないリンゴ栽培を始めました。

しかし、リンゴの生来の性質上、農薬を使用せずに栽培することは非常に難しく、10年ものあいだりんごの収穫は困難となりました。木村さんはあきらめることなく、栽培方法の改良を重ねます。それは壮絶な苦労の連続でした。


これが ‘奇跡のリンゴ ’
 木村さんはやがて、試行錯誤していくうちに自然界に元々そなわっている自然の摂理に気づき、土壌や木の植生を生かしきる栽培方法を確立していきます。この中で、肥料を使うことによって病害虫を引き起こす確率を高くしていることに気づいたのです。木村さんは、施肥をやめることで農薬を使わないリンゴ栽培に成功しました。こうして出来たのが、『奇跡のリンゴ』と呼ばれる、今や入手困難といわれるリンゴです。

 

木村さんは、不可能といわれた肥料も農薬も除草剤も使わない自身の栽培過程を『自然栽培』と命名しました。現在では、リンゴだけにとどまらず、さまざまな農作物の栽培にこの『自然栽培』を応用しながら農業指導にあたり、各地を奔走されています。

NPO法人岡山県木村式自然栽培実行委員会では、この木村さんが培った知識と技術を正しく理解し、正しく実践することを、特に大切にしています。