ひろ爺の日々

鹿児島から東京に引っ越して、つれづれの感じ

言葉詮索も楽し

2010-05-31 18:47:23 | Weblog
 28日に楽しんだ築地。「坪半」で賞味した宮崎産焼酎銘…《いいな》…のネーミングの意味はなんだろうか‥?と考えてみた。
 ○ 産地は宮崎、都城を中心とした南部地方だろう
 ○ 南部地方としたら、藩政時代は日向地区として薩摩藩に属していた
 ○ 薩摩・大隅・日向のいわゆる三州では、言語・生活慣習などが一緒だつた
 ○ 日向地区でも焼酎は昔から醸造されていた。ただし、焼酎ブーム以前は
   度数が25度でなく20度のようだった。いまは25度
 ○ 藩政時代の名残が今も残っており、言語もその例外ではない。知事の
   「どげんか、せんといかん」も、名残の一例では……?
 ○ 方言でも、比較的に標準語に近い表現である

 など、これまでの歴史の流れと、「いいな」の表現を考えあわせたとき、その意味は、「それはいいこと」の、いわゆる…賞賛・納得・許容・賛成・許可・承認…に通ずる言葉ではないかと思われる。

 とした場合、焼酎は飲食物。「この焼酎は美味いですよ」との味の表現を、「いいな」に凝縮したもの。PCで探しても、そのものズバリは探しえなかった。あたるも八卦、あたらぬも八卦だ。
   言語探訪、また楽しからざるや………の気持ち。 
  
     

築地に遊ぶ

2010-05-29 17:11:54 | Weblog
 28日の夕べ、久しぶり築地に遊ぶ。入る早々「坪半」の屋号に興味を感じ、マスターに質問。答えは…1階が5坪半 2階も5坪半 3階が物置…と、半端な間取りからこの屋号をつけた、とのこと。カウンター10席ほどで満席(2階は別)。マスター・シェフお二人の笑顔での応対に満足感を覚え、お二人の手さばきの合間を見て、質問を連発。

 壁の一幅の絵、マスターの話し振りに、なんとなく風流人の香りを感じ、聞いたら「三味線と小唄」を嗜んでおられる、とのこと。どうりで、言葉・所作そして味覚の醸成のありかたに、なんとなく考えさせられるものがあると感じ方だった。

 提供された品々
 

イチジクサラダ    ポテトサラダ      煮もの
 
泉州水ナス       小松菜オヒタシ     コハダ揚げ

 のほか   0 ユリ根豆腐の煮付け  0 ビーフシチュー  0  ホタテ八丁ミソ漬け   0  トマトのデザート などなど。
 味付けは、アッサリとして鹹すぎず甘すぎず、カラッとした舌ざわりの、ほどよい各料理。酒は、「土佐鶴」と宮崎焼酎「ないな」で楽しい夕べを過ごした。



         

 

北品川の夕べ

2010-05-16 08:41:54 | Weblog
 14日の夕べは北品川に。目的地は「居残り・連」。時間の関係でタクシーを利用したが、道筋に詳しくなかったのか、同一箇所周辺をぐるぐる回りの末に到着。運転手さんも途中で計器をとめるなど、気の毒な思いだつた。18:30ごろから食事にはいる。
 主たるオーダーは
 

   前菜モリ合わせ     真鯛・金メダイのサシミ   大山鶏のハーブ焼き
 
   ニンニクうま煮   生サクラエビと春キャベツのパスタ  マグロ茶漬け

 など等。酒は白ワインひとすぢで料理を味わう。特に、ニンニクうま煮の舌ざわり、マグロ茶飯の味つけの良さは、満足感この上なし。この夜は、忘れるぐらいご無沙汰していた「スナック」なるところも久しぶりに訪れ、昔日の思いを新たにさせられた。

 味覚に併せ、心の安らぎというか、慰めを感じさせられた夕べでもあつた。
 

西荻窪の夕べ

2010-05-04 18:45:44 | Weblog
 5月2日、元薩摩おごじょのバースデー。同僚の方たちのご好意によってひらかれた。場所は西荻窪の「のらぼう」。薩摩おごじょの伴侶、大正のお兄さん、昭和のお姉さんも参加し、美酒を酌み交わしながら楽しい夕べをともにした。西荻窪は初めての地。昔の面影と近代化がマッチしたような、静かで心の休まる街の感じを受けた。もっとも、夕方から夜にかけての時間帯だったからかもしれないが。「のらぼう]…の屋号は野菜の名。店舗も重厚感があり、心もお口も満足の至り。
    
    揚げ春巻き       のらぼう菜     キャベツ・アサリの蒸し煮  真アジの刺身
    
    ゆばのさしみ       だし巻き       カレイのてんぷら       鯛ごはん
 などなどを肴に、日本酒「久礼」を味わいながら、楽しい懇談の時を過ごすことができた。元薩摩おごじょも、心優しいお友達に恵まれて幸せなこと、大事にしなさいね。との思いと、末長い交友を祈りつつ西荻窪をおいとました。
 
 
 
 
 

初めての水戸

2010-05-04 09:26:38 | Weblog
 東京に住んで数年。周囲の地で訪れていない県は茨城県だけ。徳川光圀を初めとする歴史の流れ、幕府と御三家の一つ水戸家との関係、特に幕末当時のありかたや動きなどに興味を抱き、いつかはとの思いでいたが、4月30日家族の協力によって、思いを達することができた。  短時間で少しでも余分に知識を吸収するには、と考えた末、梅花の時期は過ぎたがやはり偕楽園だとして、水戸駅から真っ直ぐに向かう。11時、表門から入る。すぐに梅・梅・梅の木立の続き。100品種、3,000本が植えられている、とのこと。手入れ、管理のありかたにホトホト感じ入った次第。                                            梅林を過ぎて好文亭に入る。亭前あるいは周囲には、桜や霧島ツツジなど多くの木々が、花を、そして緑を懸命に競いあっているようにも見えた。      好文亭は復元建築ながら 0配膳用昇降機 0回転式雨戸 0辞書代わり板戸 などを初めとする、人の起居・生活・接客・催しなどへの対応に、細かい配慮が施されているのには「感嘆措くあたわず」の思いしきり。                 特に・・茶の湯会待合席の建築物は初めて。  亭の眼下には、千波湖を初めとする緑ケ岡や、山林・原野等が広がり、現在の姿とは想像できない自然の景観が眺望できたのでは・・・・。斉昭公の偉業に尊敬の思いをいだきつつ亭を辞去して南門へ。しばらくして通路脇斜面に 俳人正岡子規の…「崖急に 梅ことごとく 斜なり」…の句碑が建てられていた。事実、附近の梅の木は、斜面に沿うかのかのように、句のとおりの形状を呈していた。              13:00に同園を辞し、園外の川に遊ぶつがいの黒鳥に、しばし目をとめた後・・徳川博物館と映画「桜田門外の変」のオープンロケセット記念展示会場・・を見学。当時の若人達の思いに心をはせながらおいとま。  19:35東京に帰着。短時間の旅ではあつたが、偕楽園の建築・施設等で薩摩との繋がりがあったのでは、との思いを持たされたようである。楽しい旅だつた。