ひろ爺の日々

鹿児島から東京に引っ越して、つれづれの感じ

久しぶりに

2012-06-28 19:36:26 | Weblog
 「居は気を移し,養は体を移す」と、古語にあるとおり、
人は養、いわゆる肉体のよりよい方への変化と、嗜好の
満足感を味わうため、食内容の変化を求めがちである。

 このための在り方として、外食を選ぶ、というのもひとつの
方法。「我田引水」かもしれないが、理由づけをここに求めて
楽しみを味わうことにしている。

 6月25日、18:30から、家族で久しぶりに北品川の
「居残り 連」にて夕餉。

 メニューは
    
   
 
 ○ 前菜(グルース ケッタ)  ○ オードブル 
 ○ 生ハムと香味野菜のサラダ  ○ スズキのカルパッチョ
 ○ ナスとモッツアレラ チーズのパスタ

 等々を肴に、 甲州ワイン(アワムラサキ)
          焼酎(トウモロコシ原料)
で、楽しい夕餉のひと時を過ごした。トウモロコシ原料の
焼酎はお初の経験であったが、結構いける味のアルコール
との感触であった。
 
    
 

箱根に遊ぶ

2012-06-16 17:26:20 | Weblog
 6月12日、大崎駅発の湘南新宿ラインで、12時14分に小田原着。
駅前商店街をしばらくぶらついてお昼。夜に備え、軽くソバで済ます。

 旅行案内所で、バス発車時間、13:40を聞いて停留所に。5分ぐらい
したらバス到着。乗車して13:30に発車。このとき、発車時間に10分
の差があると思ったが、気にしなかった。

 出発してから、湯本・宮の下・小涌園と進んだあと、大涌谷が
こないのに疑問を感じたものの、路線違いまでに思いは至らず、芦ノ湖
の直近にきて、はじめて違ったことに気づく。

 運転手の方に相談、箱根園発のバスで姥子へ。今回のハブニングは、
発車時間と路線の確認を怠った点にミスがあり、改めてノホホンの性格、
思慮不足を反省することしきり。

 16:00に仙石着。しばらく休憩ののち入浴。久しぶりの温泉浴、広い
浴槽にただ一人。昔日、九州各地の温泉地を訪ね歩いた頃を思い浮かべ
ながら、ユッタリ気分に浸る。泉質・色合い・温度、申し分なし。

 18:00から夕餉
    
               
 ○ ホタテ磯辺揚げ等前菜  ○ 焼き物(イサキ雲丹ムニエル)
 ○ 刺身(三点盛り)    ○ ステーキ
 ○ 揚げ物(海老アーモンド揚げ・ほか)
等を、ワインなど他酒を交えないお酒だけの肴として、心からの満足感を味わう。

 明けて13日。早朝入浴(06:00)。物音ひとつしない、静かな浴槽に
ただ一人。文人・歌人ならば一句といくかもしれないが、その素養なし。
温泉浴ができることに、ただただ感謝、そしてゆっくりと。

 07:30 朝餉
          
 ○ 小付(切り干大根)  ○ 長皿(角焼・出し巻き卵等)
 ○ 鯵の焼き物  ○ 煮物(焼き豆腐・木耳・隠元)……等々
を美味しくいただく。

 有難いことに、2日目は、昨日と打って変わっての好天気である。
テーブルについて窓外に目をやると、真っ白の雪を戴いた冨士の
お山がくっきりと姿を現している。秀麗・秀峰というか、その言葉を
知らない。見ることによって、心の財産を得たような気持ちになった。

 また、前回もお世話になった、心優しいSさんにお会いでき、
懐かしさでいっぱい。今回も玄関を辞するまで面倒をおかけした。
Sさん、有難うございました。

 9:20に仙石を辞去。緑いっぱいの木々の森、静寂の森に美声を
競い合う、鶯のホーホケキョー、ケッキョ・ケッキョの谷渡りに
耳と心の喜びを感じつつバス停留所着。

   鶯の身を逆にはつねかな        其 角 
   箱根路をホーホケキョーに送られて  詠人知らず

 10:02のバスに乗車、小田原へ。同所で若干の買い物を楽しんだ
あと帰路につき、15:00、我が家に帰着した。配慮不足による
ハブニングはこれからの糧にしたい、と思っている。

                     


 

 

季節の便り

2012-06-10 19:38:03 | Weblog
 今年もはや六月、年のなかばに入った。今日(10日)は
所要のため、戸越銀座に行く。途中、個人住宅玄関前に
真っ白い花の「アジサイ」を発見、しばし見とれる。
    
 考えてみると、梅雨の時期だ。小雨にうたれる花も
風情があるが、陽に照らされる花も、見ごたえのある
ものだ、との感を深く持たされた。

 この白が、青から赤紫色と変わっていくことから、
移り気、無情、浮気、冷淡などの花言葉が言われて
いるが、この言葉は脇に置いて、目前の花の色彩に
心うたれ、しばらくは立ち去りがたし、だった。



着地点

2012-06-09 15:36:13 | Weblog
 6月6日付けの読売新聞7面。
  鉄の女 「変節しない」 サッチャー元英首相  
      世論の反発に折れず。

 の記事が掲載されていた。内容は
  時の国情に対応する、政治のあり方や舵取りを
 如何にすべきかについて、確固とした自己の考え
 を推し進めたサッチャー。

  いわゆる「鉄の女」の代名詞をもって、評された
 宰相である。その「鉄の女」ぶりの表現として

    サッチャー氏は、妥協を習い性とする
   外交官を信用しなかった。82年、南米の
   南端の沖に浮かぶ英領フォークランド諸島が

   アルゼンチン軍の侵攻を受けて占領されたとき、
   外務省は無論、閣内でも「交渉解決」の声が
   主流だった。

   米国を始め、世界もそう見た。だが、同氏は
   迷わず、諸島へ英軍を送り、武力で奪還を
   果たす。

   この戦勝で、英国の国際的地位は向上したと
   される。

  を、一例としてあげている。この記事の目的は
 なにか……?。説明に、国家指導者に必要な資質に
 ついて、日本と海外の事例から具体像を掘り下げる。

  の事例として、挙げられている内容のものである。

  ひるがえって、日本の現状は、消費税・原発・年金・
 医療保険等々、いろいろの問題が論議されている。そして、
 その着地点についての予想ができえない状況下にある、

  ということから、この記事の掲載となったのではと、
 推察している次第。よりよい着地点発見を祈りたい。