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HiroGのフォト&トランペット

写真とトランペットに関する個人的雑感記録です。

Stablemates

2010-04-01 | また聞きジャズ薀蓄
本来は「同じ厩舎の馬」という言葉ですが、ジャズにもStablematesという曲があります。作曲したベニー・ゴルソンによると、ボストンにあるクラブ「Stable」で共演したトランペット奏者ハーブ・ポメロイのために書いた曲で「クラブ・ステイブルで出会った友人」と洒落たそうです。ポメロイはこの曲を録音しませんでしたし、その頃までゴルソンが他のミュージシャンに渡した曲も殆ど日の目をみることはなかったそうです。
 ところが1955年にマイルス・デイビスが新曲を探していることをコルトレーンから聞いたゴルソンが、Stablematesの譜面を渡したところ、1ヶ月以内に録音が終了し、発売されたアルバム「MILES」に収録されました。すると突如ゴルソンは作曲家として認められ、多くのミュージシャンがゴルソンの曲を演奏するようになったとのことです。
 もともと曲の出来が素晴らしかったのは間違いありませんが、マイルスの影響力は凄かったんですね。

ジャケットの主張

2010-03-31 | また聞きジャズ薀蓄
「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」、「マイルストーンズ」、「カインド・オブ・ブルー」など50年代に作られたマイルスのアルバムジャケットは自身のクールなポートレイトで飾られています。60年代に入ると笑顔のマイルスや奥さん、ガールフレンドの写真が登場し、やがて黒人のイラストへと変っていきました。これらのデザインはレコード会社が決めるものだと思っていましたが、マイルスは自分で選んでいたそうです。「黒人は白人を喜ばせるために音楽をやっているんじゃない、アメリカは白人だけの国ではない」と、白人に牛耳られたアメリカ社会に対する強烈なメッセージをジャケットデザインに込めていたようです。その反面、音楽に関しては才能のあるプレイヤーなら人種を問わず共演していたところにも、音楽と社会に対する明確なスタンスを感じます。

Second great quintet

2010-03-21 | また聞きジャズ薀蓄
1963年に新しいグループの結成を目指していたマイルス・デイビスは、テナーサックスのジョージ・コールマン、ベースのロン・カーターとともにロサンゼルスで録音を開始し、数週間後に17歳のドラマー、トニー・ウィリアムスとピアノのハービー・ハンコックが加わってニューヨークで録音を継続、"Seven Steps to Heaven"を発表しました。
この新たなリズムセクションは同じレパートリーを演奏しながらも、次々と演奏スタイルを発展させていき、1964年にウェイン・ショーターが参入してSecond great quintet(黄金のクインテット)と呼ばれるマイルス最強で最後のアコースティックバンドと成りました(ちなみに"First"は50年代にジョン・コルトレーンらが参加していたクインテットです)。この様子は"Four and More (1964)"や"E.S.P. (1965)"で知ることができますが、実は"Seven Steps to Heaven"の中で、1曲おきにSecond great quintetの斬新な演奏と、コンベンショナルなロサンゼルスでの演奏が繰り返されていて、興味深く比較しながら聴くことができます。

クラシックセッション

2010-03-18 | また聞きジャズ薀蓄
記事からの引用ですが、スコットランドのパブで一杯を楽しんでいたお客さんたちが、楽器を持ち寄ってセッションを始めています。楽器を持っていない人たちはダンスで参加しながら、トラディショナルな曲を楽しむそうです。セッションはジャズだけではないんですね。どちらも酒場でやるところが興味深いと思います。

デーセン

2010-03-16 | また聞きジャズ薀蓄
様々な業界に隠語があるように、バンドマン言葉というものがあります。例えばお金の数え方は、ドイツ語の音階名(ツェー・デー・エー・エフ・ゲー・アー・ハー)を転用して「1万円」を「ツェーマン」、「2千円」を「デーセン」と呼びます。もちろん国内専用語です。
 また、出演料をギャラといいますが、アメリカのバンドマン言葉では「bread」というそうです。「little bread」は「ギャラ、安いな。」ということですね。お金の話を音や食べ物にしているところがお洒落でアーティストらしい気がします。

Sound bad!

2010-03-09 | また聞きジャズ薀蓄
演奏後に"You sound bad."と客から言われたら、喜んでいいそうです。
アメリカの聴衆はライブ後にプレイヤーに声をかけるのが普通ですが、それがgoodでもbadでもterribleでも気にすることはありません。演奏が気に入らないときは黙って途中で店を出て行くので、最後まで聴いて声をかけた時点で楽しんだ証拠だということです。
 アメリカ人の言葉も状況に応じて真意を汲み取る必要があるということですね。

必殺!影の仕掛け人

2010-03-03 | また聞きジャズ薀蓄
NYのジャズクラブは入れ替わりが激しく、長い間安定して経営することが難しいと言われています。とくに最近は音楽ビジネス全体が低調になりつつある中で、毎晩世界中から人々が集まってくるジャズクラブがあります。「毎日あらゆる音楽を聴き、ジャズがこれからどのような方向に向かっていくかを察知する。有名なアーティストだけをブッキングするのではなく、次世代のミュージシャンを育てていくことも店の役割」。こういう仕掛け人もNYのジャズを支え、繁栄させてきたのでしょう。セントラルパーク南西のコロンバス・サークルにある「ディジーズクラブ」のディレクター、トッド・バルカンは、「いいミュージシャンはどこにでもいるよ。」と言っています。高い料金を払ってブルーノートなどに行かなくても、次世代リーダーの熱演に生で触れられる、NYはやはり凄い街ですね。

レコード芸術

2010-03-02 | また聞きジャズ薀蓄
私がマイルスのアルバムで聴く機会が多いのは、何と言っても「Kind of Blue」です。冒頭のSo Whatは、最近動画でもみることが出来るようになり、マイルスのオーラを感じながらクールな吹き方に見とれ、聞き惚れています。
 このアルバムは私の生まれた年に録音されているだけに尚更愛着を感じていますが、実はジャズファンばかりでなく、多くのロックファンにも愛されていたアルバムだったことを知りました。60年代に入るとビートルズを初め多くの人気ロックバンドが登場し、ジャズはどんどん下火になっていきましたが、「Kind of Blue」だけは別で、ロックファンやロックミュージシャンも絶賛していたそうです。今のように音源入手方法がいろいろある訳ではなく、LPレコードを買うしかなかった当時、みんながアルバムジャケットのマイルスを眺めながらSo Whatを聴いて感動していたんですね。
 ライブ演奏の一発録りが当たり前だったジャズアルバムに対して、スタジオ録音であることを意識して、緻密な構成でLPという一つの芸術作品を創り上げていく、その発想自体が斬新だったから、ジャンルを超えて受け入れられたのでしょう。
 製作されてから50年、私が聴き始めてから30年経つのに、さらにクールに響く作品です。

To be white!

2010-02-25 | また聞きジャズ薀蓄
50年代以降、NYのジャズシーンに度々登場するニカ(男爵)夫人は、多くのジャズミュージシャンを生活、活動面でサポートしました。相当なお金持ちだったらしく、ホテルのスイートルームにミュージシャンを住まわせたり、グランドピアノを贈ったり、邸宅を買い取ってジャムセッションを開いたりしたそうです。夫人は邸宅を訪れた約300人のミュージシャンたちに3つの願い事を聞いており、死後に家族が「Three Wishes」として出版しました。マイルス・デイビスもニカ邸を訪れこの質問に答えています。ただし、3つのはずの願い事はたった一つだけ、"To be white!"。最も成功していたアーティストから出た一言で、当時の黒人ミュージシャンの境遇が分かる気がします。

Play a head

2010-02-24 | また聞きジャズ薀蓄
楽譜や指揮者に頼らないで、共演者間で臨機応変に演奏することを「耳でやる(play by ear)」といいます。また、予めアレンジやリハーサルをせずに、その場で簡単に打合わせることをhead arrange、そしてステージ上で実践することを「頭でやる(play a head)」と言います。通常はコンボの話ですが、気心の知れたビッグバンドがplay a headすることもあるとか。音楽は想像力と耳が勝負ということでしょうか。

そうだ 京都、 行こう

2010-02-22 | また聞きジャズ薀蓄
1993年からJR東海のCMに使われている「マイフェイバリットシングス」は、1959年初演のブロードウェイ・ミュージカル「トラップファミリー合唱団物語」の中で使われた曲です。翌年にはジョン・コルトレーンがカヴァーし、今ではスタンダードナンバーになっていますが、私が最初に聴いたのは、映画「サウンドオブミュージック」でジュリー・アンドリュースが歌っていた「私のお気に入り」でした。映画は1965年製作なので、実はコルトレーンの方が5年も早く演奏していたんですね。この曲はジュークボックスで人気となって、コルトレーンを一躍有名人にしました。軽快なジャズワルツに乗ってチャルメラチックなソプラノサックスが奏でる音は、一旦聴くと耳から離れなくなります。

http://www.youtube.com/watch?v=I_n-gRS_wdI

To be or to Bebop

2010-02-20 | また聞きジャズ薀蓄
甘い調べと軽快なリズムのダンスミュージックであるスイングとは対照的な、『踊れない音楽』ビバップは1940年代のニューヨークで生まれ育ち、今でも演奏し続けられています。語源は定かでなく、フレーズをスキャットするときの音(De-Be-De-Bop)あるいは人種差別に対する抗議行動の際に黒人が警棒で殴られる音から来た、などと言われているようです。華やかな賑わいと暗い影が寄り添う街、暑さも寒さも訪れる厳しい気候の街NYに何故か似合うこの音楽は、リズムやハーモニーがどんなにカッコよくても、100%明るくなりきれない、どこかひねくれた雰囲気を持っています。
 MJQのジョン・ルイスによると、「若手のミュージシャンにとって、黒人は人を喜ばすものだ思われていることへの反発だった。彼らは、自分たちが実際何をやっているのかということを念頭において音楽を聴いてくれ、さもなくば忘れてくれ、と言っている。」というようにビバップの精神を語っています。観客のことは気にせず自分のやりたいように演奏しているけど、本当は観客のほうから寄ってきて欲しい、という感じです。
 決して万人に歓迎されたわけでないビバップですが、好きになると離れられない魅力を持っていると思います。

Collective improvisation

2010-02-19 | また聞きジャズ薀蓄
Collective improvisation = Everybody in the band making it up as they go while playing "Music"

The term can be used for either older New Orleans Jazz where everyone in the group is improvising at the same time over a song structure to free jazz where everyone is improvising at the same time over no form at all.

 楽器同士がたがいに競り合い、その場その場の演奏をとおして曲がしだいに固まっていく形をとっていた初期のニューオリンズミュージックを集団即興演奏(コレクティブ・インプロヴィゼーション)と呼んでいましたが、やがて個々のソロパートをクロースアップする方向へ向かい、ジャズらしさを代表する「アドリブ」に発展していきました。そして、今度はリズムセクションも同時に即興演奏を行なうようになったフリージャズの演奏形態を再び集団即興演奏と呼ぶようになったとのことです。これは発展なのか、元に戻ったのか、聴く分には全然違うので発展なのでしょうが、根本的な精神は同じ様な気がします。

コールドターキー

2010-02-18 | また聞きジャズ薀蓄
ジョン・コルトレーン 51年4月、ドラッグまたは深酒のためバンドを解雇。
マイルス・デイヴィス 53年秋、父親の農場でヘロイン離脱。
ソニー・ロリンズ 55年9月、ドラッグ離脱のため入院。

 麻薬やタバコなどの薬物からの離脱を「コールド・ターキー」と言いますが、これはヘロインを急に止めたときにみられる悪寒と鳥肌から来ているそうです。ジャズ黄金時代に相次いで発生した巨匠達の麻薬問題、当時はまだ酒、タバコ、麻薬に対する罪悪感が少なかったのでしょう。それでも、皆一旦は仕事を追われ、活動休止を余儀なくされた上に、大変な努力をして離脱しています。そして麻薬を経験したことでアーティストとしてプラスになった話は聞きませんから、やはり最初から手を出さない方がいいですね。

ジャズの亡霊

2010-02-14 | また聞きジャズ薀蓄
丸玉の代わりに「×」印が付いた音符をghost noteと言います。実際には吹かないのに、フレーズの中であたかも存在しているように聴こえる音、あるいはスイング感の持続に必要な音です。息を飲むように吹くので、実際に音が出ているかどうか定かではありませんが、みんなには聴こえる音、まさにゴーストです。
 また、創立者がすでに亡くなった楽団をghost bandと言います。デューク・エリントン楽団、カウント・ベイシー楽団などがそうですが、伝統の名門楽団をghostと呼ぶよりはlegendの方がいいのに、と思ってしまいます。ただ、こういった楽団の演奏は新しいコンセプトに変っていく訳にいかないので、創立者の呪縛から逃れられない、とも言えます。その点ではゴーストが見え隠れするような…。Jazzの世界に潜む亡霊の話でした。