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HiroGのフォト&トランペット

写真とトランペットに関する個人的雑感記録です。

Duo album

2010-10-12 | また聞きジャズ薀蓄
"TUTU" 1986 Warner Bros. Records Inc.
Trumpet:Miles Davis
All other instruments by Marcus Miller
Photographs by Irving Penn
Art Direction by Eiko Ishioka

 ペンによるジャケット写真が気になっていたものの聴くチャンスのなかったアルバム「TUTU」を、今更ながら聴き始めました。クレジットをみたら、なんとトランペット以外の全ての演奏をマーカス・ミラーが担当しているのですね。つまりマイルスとマーカスのデュオアルバムというわけです。内容はラウンド・ミッドナイトを彷彿とさせるミュート・トーンで、ビッチェス・ブリューを更に洗練したような演奏をしています。いわば今までの集大成のようなアルバムですね。アパルトヘイト廃止運動でノーベル賞を受賞したTUTUをタイトルにしているのも、人種差別を強く批判していたマイルスの意気込みを感じます。
 発売後四半世紀を経たアルバムですが、これからゆっくり楽しんでいきたいと思います。

Three Wishes 6 ; Louis Armstrong

2010-07-21 | また聞きジャズ薀蓄
One year off my horn to listen to all the tapes I've collected and index them, so I can write a few things. The rest will do me good.

That I go back to the world and see the fans, and play for them again.

That I live a hundred years, so I can enjoy what the next generation's doing, same as I do this one.

ちょっと立ち止まって振り返る時間も欲しい、でも現実には進み続けるしかない、とてもよく分かります。若い世代がどう生きるかを見守るのが楽しみ、大物ならではの深い答えだと思います。

Three Wishes 5 ; Sonny Rollins

2010-07-20 | また聞きジャズ薀蓄
Money.
To be able to do what I want to do on the horn.
To have a closer affinity with nature.

 ロリンズほどの名人に、「もっと思い通り吹ける様になりたい」、
と言われても謙虚なのかジョークなのか、よく分かりません。
 テレビで、80歳代のパイロットが「去年より上手くなったところがある。」
と言ってました。
 やっぱり、いつまでも向上心を持ち続けることが大切なんですね。

Three Wishes 4 ; John Coltrane

2010-07-19 | また聞きジャズ薀蓄
To have an inexhaustible freshness in my music. I'm stale right now.
Immunity from sickness or ill health.
Three times the sexual power I have now. And something else too: more natural love for people. You can add that on to the other.

 音楽に対する情熱を失ったことなど、本当にあったのでしょうか。3倍の精力は音楽のため??謎です。

Three Wishes 3 ; Art Blakey

2010-07-18 | また聞きジャズ薀蓄
That you loved me.
That Art Junior gets through this shit that he's in.
That I get divorced and we get married!

多くの人を愛し育てた、メッセンジャーズリーダー、パワフルドラマーらしいコメントです。リップサービスも加えた、お洒落な大人の対応ですね。

Three Wishes 2 ; Dizzy Gillespie

2010-07-14 | また聞きジャズ薀蓄
Not to play for money.
Permanent peace in the world.
A world where you don't need a passport.

60年代のジャズは徐々に芸術と認められ、アーティストとしての評価は上っていった反面、ロック人気に押され興行としては衰退していました。
 最も売れていたトランペッターですら、咄嗟の質問に経済状況と自由が出てくるところが、当時のニューヨークジャズミュージシャンの生活を物語る気がします。

Three Wishes 1 ; Thelonious Monk

2010-07-13 | また聞きジャズ薀蓄
Nica婦人と最も親交の厚かったセロニアス・モンクは、白いおしゃれなソフト帽をかぶってスイングしていた身体を止めて、こう答えました。

To be successful musically.
To have a happy family.
To have a crazy friend like you.

ニカは、"But, Thelonious! You have those already!"と言いましたが、モンクはにっこり笑って再びリズムを取り始めたそうです。

Three Wishes

2010-07-12 | また聞きジャズ薀蓄
An Intimate Lood at Jazz Greats
ニューヨークのジャズ界を代表するパトロネスである、パノニカ・ド・ケーニッヒウォーター、通称ニカ婦人の記録を編集した伝説の1冊「Three Wishes」が届きました。
 1960年代に婦人の邸に出入りしていた約300人のジャズアーティストたちの、「今願いが3つ叶うとしたら、何をお願いする?」という彼女の質問に対する答えが載っています。又、夫人が撮影したポラロイド写真もあります。雑誌やアルバムジャケット用の写真と違って、リラックスした普段の素顔と、アーティストたちが何を願っていたかが分かる興味深い資料です。幻の本だと思っていたら、新品が普通に売っているのを知ってビックリしました。ちゃんとした出版社ですが、印刷は中国だそうで、装丁の割には安く、お買い得感があります。
 これから、ゆっくり読んでいこうと思っています。

ハードバップ

2010-07-10 | また聞きジャズ薀蓄
ハードバップというと、1950年代に流行したスタイルで、ビバップより編曲の要素が多くなり、より親しみやすいソフトなイメージがありますが、アーティストによっては、ビバップでも緻密に編曲していたり、ハードバップでも個人のインプロビゼーション主体だったりと、両者の境界は明確ではありません。録音技術の違いによって、ビバップ時代は1曲の演奏時間がせいぜい3分以内だったというのが、一番分かりやすい差です。
 では、ソフトなイメージのバップが何故「ハード」と呼ばれるのか、一説にはビバップ時代に西海岸で流行し始めたクールジャズに比べてハードだから、とも言われています。西(ロサンゼルス)がソフトなクールジャズだったから東(ニューヨーク)はハードだ、という対抗意識みたいなものも働いたのかも知れません。ただし、ハードバップを演奏していた本人たちは、そんな言葉を知らなかったそうですから、評論家やメディアが勝手につけたものなのでしょう。結果的にハードバップは、ビバップのインプロビゼーションにクールジャズの編曲性がブレンドされて、バランスのとれた聴き易い音楽になりました。
 私も、曲を楽しむときはマイルスやクリフォードの50年代アルバムを手に取ることが一番多いです。でも、フレーズを覚えたいときはチャーリー・パーカーですかね。

メッセンジャーズの白鳥

2010-07-09 | また聞きジャズ薀蓄
24歳でジャズ・メッセンジャーズに参加したサックス奏者ハンク・モブレーは、すでに成熟した品格溢れるプレイを繰り広げていました。マックス・ローチとの共演を経験していた彼は、轟音を鳴り響かせるドラマーに対して、スムースな奏法に徹した方がいいことを理解していて、メッセンジャーズにリラックスした感覚をもたらし、ブレイキーとの緊密なインタープレイを展開しました。ハンクを「優雅な白鳥」と言った評論家もいます。
 ハンクは、また優れた作曲家でもあり、彼らしいスムーズでリラックスした曲を書き上げています。素晴らしいソロが出来る人は、同時に作曲も得意なのはよく頷けます。

ハイタッチorラード

2010-06-20 | また聞きジャズ薀蓄
マンテカはスペイン語で「ラード」を意味します。かつてスペインの植民地だったジャマイカで、野生豚から取ったラードを船積みしていた町は、ちょっと訛ってモンテゴといいます。また、カリフォルニア州にはマンテカという町があるそうです。
 あるジャズ解説書で、マンテカは喜びの時に手を合わせる、という意味のスラングだと書いてありましたが、だとすると結婚式に相応しい曲かも知れません。「ラード」だと?ですが。今日は披露宴でこの曲をやる予定です。ビッグバンドだとかなり喧しい演奏になるので、披露宴かライブか分からなくなりそうです。

メッセンジャーズ6:T.B.

2010-06-17 | また聞きジャズ薀蓄
ニューオリンズ出身のテレンス・ブランチャードは、大物ウィントンの後釜だっただけに、入団当初は何かと比較されて大変だったようです。そんなテレンスを育てたアートのことをフレディ・ハバードはこう見ています。「テレンスは私と同じ罠にはまっていた、つまり必要以上に強く吹きすぎていたんだ。アートは肩に入っていた余計な力を取り除いてやった。」
 アートは多くの一流ミュージシャンがやっていることは、現実的で、自然で、達成可能なものだということを、一言「ローマは一日にして成らず」と、教えたそうです。
 私自身には、まだピンと来ない言葉ですが、精進したミュージシャンには共感できる教えなのでしょう。

メッセンジャーズ5:W.M.

2010-06-15 | また聞きジャズ薀蓄
ウィントン・マルサリスは1980年代のメッセンジャーズに1年ほど在籍しました。17歳のとき、ニューオリンズからニューヨークに出てきた彼は、メッセンジャーズのライブを聴きに行って飛び入り演奏をしたのですが、本人は何も演奏できなかったと言っています。そのときアート・ブレイキーは「さんざんだったな。でもそれでいいんだ。」と声をかけてくれたそうです。もっとも、それから1年もしない内にメッセンジャーズに加入したのですから、特別光るものを持っていたのでしょう。19歳でバンドを離れ、ソロ活動を始めたウィントンの活躍は、リアルタイムで私達の記憶に残っており、今も継続中です。
 そんなウィントンは、アートをジャズの本質だったと言っています。スウィングする演奏が廃れていった80年代にもジャズを信じ、それを死守していたし、いつも堂々と演奏していた、と。アートは若いウィントンにこう言ったそうです。「ジャズを演奏したければ、魂を込めて、力いっぱい吹かなきゃならない。これは遊びじゃないんだぞ。」
 あのパワーは、こういう心から生み出されていたんですね。

メッセンジャーズ4:V.P.

2010-06-13 | また聞きジャズ薀蓄
メッセンジャーズに憧れてニューヨークを目指したのはアメリカ人ばかりではありません。1973年にソヴィエト連邦から亡命したヴァレリー・ポノマレフは、アート・ブレイキーの眼鏡にかない、1977年にメッセンジャーズ入りを果たしました。演奏を聴けばクリフォード・ブラウンばりのご機嫌なハード・バップなのですが、世間は彼を「ロシア(旧ソ連)人のトランペット奏者」としてみていました。音よりも冷戦の敵国人という、肩書きや外見のイメージが強かったようです。先入観は恐ろしいものですね。ブレイキーを始めメッセンジャーズのメンバーは、もちろんヴァレリーの素晴らしさを認め対等のミュージシャン仲間としてみていました。