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HiroGのフォト&トランペット

写真とトランペットに関する個人的雑感記録です。

メッセンジャーズ3:F.H.

2010-06-10 | また聞きジャズ薀蓄
アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズに所属したトランペッター第3弾は、フレディ・ハバードです。
 故郷のインディアナポリスにいた頃、メッセンジャーズに憧れてレコードを聴きながら、同じ曲を練習していたフレディは、ニューヨークに出て彼らの出演するクラブに入り浸り、レパートリーを全部覚えてしまいました。21歳になった1961年のある日、ブレイキーから声がかかり、リーの後継としてメッセンジャーズの一員になったフレディは、長年の夢がかなった興奮でしばらく眠れなかったそうです。
 今では伝説となった偉大なプレイヤーも、メッセンジャーズに憧れてニューヨークを目指した一少年だったんですね。何だか親近感が湧いてきます。

メッセンジャーズ2:L.M.

2010-06-08 | また聞きジャズ薀蓄
ケニー・ドーハム、ドナルド・バード、ビル・ハードマンが築いたメッセンジャーズのトランペットパートの存在感をさらに際立たせた立役者が、天才リー・モーガンです。入団時17歳だったモーガンが如何に傑出したプレイヤーだったかは、数々の賞賛の言葉がなかったとしても、演奏を聴けば明らかです。「モーニン」のソロは誰がやってもモーガンスタイルから抜け出せないほど、強烈なインパクトがあります。
 このモーガンについて、長らくパートナーだったサックスプレイヤー兼コンポーザーのウェイン・ショーターが面白いことを語っています。「彼は作曲するとき、けっして助けを求めず、自分ひとりで努力していた。人に教えてもらったら、自分本来の曲でなくなり、不自然になってしまうのが分かっていたんだと思う。だから、彼は知識不足のまま書き続けた。」モーガンの作曲スタイルに関する貴重な証言です。見事な即興演奏をみせる偉大なプレイヤーでも音楽理論は乏しく、作曲が苦手だったことを知って、何だか安心しました。音楽理論の乏しさなら私も負けていませんから、ソロにも少し光が射した気がします。作曲にもちょっと心が動きますね。

メッセンジャーズ1:K.D.

2010-06-04 | また聞きジャズ薀蓄
ジャズメッセンジャーズは、アート・ブレイキーのパワフルなドラミングに負けず、張り合うようなトランペットの存在感を強く感じますが、グループ結成当時のトランペッターが、あのリリカルでしっとりした演奏をするケニー・ドーハムだったことを、私は認識していませんでした。
 一見奇妙な取り合わせに思えますが、後年のトランペッター達はケニーを高く評価しています。「ケニーはきわめてメロディックな資質をもったプレイヤーだった。(テレンス・ブランチャード)」、「アートが繰り出すグルーブに導かれて吹く、最初の一音で彼だと分かる。とても軽快で優美なサウンドだ。(チャック・マンジョーネ)」、「彼はコードチェンジが巧みだった。(フレディ・ハバード)」、「彼は本物の創造性をもっていた。ミュージシャンとして成長する過程で、私がもっとも影響を受けたプレイヤーのひとり。(ブライアン・リンチ)」、「彼にはあふれんばかりのソウルがあった。(ウィントン・マルサリス)」
 もう一度、聴きなおしてみたいプレイヤーですね。1955年頃のブルーノート盤です。

天才養成講座

2010-06-01 | また聞きジャズ薀蓄
アート・ブレイキーが多くの若手ミュージシャンを起用し、育てたことは有名です。世界中を演奏して回りながら、見所のあるミュージシャンには、人種を問わず自分のところへ来るよう誘ったそうです。ジャズメッセンジャーズに正式加入したトランペッターだけでも実に13人に上りますし、共演したトランペッターなら、その何倍もいたことでしょう。顔ぶれも凄く、ケニー・ドーハム、ドナルド・バード、リー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリス等等、後に超一流となったトランペッター達の多くが、若い頃にアート・ブレイキーの元を訪れていたことになります。まさに天才養成講座だったわけですが、これは分け隔てなく素晴らしいものを素晴らしいと認めるブレイキーの人柄によるものだと思います。

ハンク・ジョーンズ死去

2010-05-23 | また聞きジャズ薀蓄
5月16日に、ジョーンズ兄弟の長男でピアニストのハンク氏が亡くなりました。昨年、90歳の来日公演が行なわれたとき、これが見納めだと思って、日程が合わず観に行けなかったことが残念でしたが、今春に91歳の来日公演のお知らせをみて、このおじさんはメチャメチャ元気なんだ、きっと又来るに違いない、なんて勝手に考えてました。これで、モダンジャズの誕生期を現役で生きてきたミュージシャンは居なくなってしまったかも知れません。少なくとも日本まで来てくれる人は、もういないでしょう。
 謹んでご冥福をお祈りします。

ガンボとジャンボー

2010-05-21 | また聞きジャズ薀蓄
ジャズフューネラル(葬式行列のジャズ演奏)の街ニューオリンズで名物料理といえばオクラのたっぷり入ったスープ、「ガンボ」です。とくに新鮮なエビ入りのシーフードガンボが絶品だそうで、いかにも港町らしいですね。同じ港町であるここ東総の名物料理は、何といってもアジで作った「ナメロウ」、これも一度食べたら止められなくなる絶品です。
 ところで、東総にも葬式で楽器を鳴らす習慣がありました。私は全く経験したことがありませんが、昭和30年代半ばまで土葬だったこの地域では、葬列の先頭でシンバルのような楽器を打ち鳴らしていたらしく、その音が「ジャンボ・ジャンボ」と聞こえたことから、葬式自体を「ジャンボー」と読んでいたそうです。風習にも呼び名にも、何となくニューオリンズと似た点をみつけて、ちょっと面白く感じました。

ミントンズの臨場感

2010-05-20 | また聞きジャズ薀蓄
Hearing what happened at Minton's and Monroe's is as profound an experience as if we could listen to a recording of the young Beethoven moving music from Mozart into the future.

1941年にミントンズとモンローズのセッションを記録したアルバム「After Hours」は、直接レコードに録音され、何度も再生された後にLPへダビングされたらしく、音質は残念ながら良くありません。しかし、スイングジャズからビバップへ移行していった数年間に発売された唯一の音源です。ミュージシャンの出演機会を守るためのレコーディングストライキによって、バップ誕生の記録が殆ど残っていないため、このアルバムは大変貴重なものだと言われています。
 ようやく手元に届いたこのアルバムは、演奏の合間からミュージシャンの笑い声、足音やグラスを傾ける音、おまけにタバコの煙までみえてきて、すごい臨場感です。

Moanin' Blues

2010-05-18 | また聞きジャズ薀蓄
My music is as varied as my feelings are. One composition of one kind expresses only part of my music. The greatness of jazz is that it is an art of the moment. It is through the successive relation of one composition to another in my music.
This record presents only one part of my musical world, the blues. I agreed that blues can do more than just swing. In Moanin', each musician plays separate lines, simple blues lines. We played down to earth and together, and I think this music has a tremendous amount of life and emotion.
by Charles Mingus, 1959.

 アルバム「Blues & Roots」に載っているミンガスのコメント(抜粋)です。とても共感できる言葉だと思います。モーニンがブルースだとは思いませんでしたが、改めて聴くとブルースの奥深さを感じさせてくれます。

Moanin' and moaner

2010-05-14 | また聞きジャズ薀蓄
アート・ブレイキーの「モーニン’」もチャールズ・ミンガスの「モーニン’」もファンキーな名曲です。とくにミンガスのは、何物にも代え難いバリサクの魅力満載で、絶対に自分では出来ないなあ、と思いながら聞き惚れています。
 ところで「モーニン’(moanin')」は「うめく」とか「(死者を悼んで)悲しむ」という意味ですが、ニューオリンズの葬式には「モーナー(泣き屋)」と言われる人がいます。葬式の行列に参加しながら大いに嘆き悲しみ、人々の涙を誘うのだそうです。悲しみの演出には欠かせないモーナーですが、墓地からの帰り道では、一変してノリのいいジャズが演奏され、人々は踊り歩き、死者が天国に召されたことを祝うのだそうです。
 暗いメロディーで始まり、ファンキーなアドリブへ発展していく両「モーニン’」は、ニューオリンズの葬式行列をイメージして作曲したのでしょうか。いずれにしても印象深いカッコいい曲です。

魔法のスパイス

2010-05-12 | また聞きジャズ薀蓄
ニューオリンズの人気ライブハウス「プリザーベーションホール」には、1990年代までディキシーランドの創始者たちが出演していたそうです。つまりルイ・アームストロングと同世代ですね。すでに80歳を超えていた老ミュージシャンたちはステージに颯爽と登場したりはせず、スタッフの手を借りて椅子に座り、背を丸めてのろのろと楽器を取り出していたとのこと。しかし、いったん演奏が始まると、力強く若々しいリズムとハーモニーが轟き、生き生きとした表情でユーモアたっぷりのメッセージを聴衆に送り続け、老人たちはいっきに何十歳も若返ってみえたそうです。まるで魔法のスパイスを降りかけられたように変身する彼らも、21世紀を迎える頃までに櫛の歯が欠けるようにいなくなっていきました。
 20年前なら私も、ジャズ創始者たちの演奏を聴くことが出来たかも知れなかった、ということを知るにつけ、貴重な時間を逃してしまった、と感じています。

Social Art

2010-05-07 | また聞きジャズ薀蓄
東北の店で秋吉敏子さんのポスターをみかけました。その店でも何度か演奏されたそうです。秋吉さんは「ジャズはソシアル・アートだと思うのです。」と仰っていますが、共演者次第で演奏が変りうるということでしょう。だからこそ、渡航が大変な終戦直後に、しかも女性にもかかわらず、日本人初(たぶん)のジャズ留学を敢行されたのだと思います。今では伝説となったバッププレイヤー達の渦中に飛び込み、自らを磨きながら日本人らしいジャズを確立して行った、素晴らしいアーティストです。
 私などはバップの真似事をするだけで一生かかりそうですが、彼女の生き方は本当のジャズが何かを教えてくれる気がします。

cattin' with …

2010-05-06 | また聞きジャズ薀蓄
catには「猫のような行動をとる」という意味があり、忍び足で歩くとか、意味もなくじゃれる、という風に使われるそうです。そして「見境なく異性を追いかけまわす(cat around)」という意味もあり、dogも同様に使われます。きっと「さかり」から来ているのでしょう。
 いろいろなプレイヤーとセッションする姿をcattin'と呼んだのは、まさにピッタリだと感じます。「Cattn' with Coltrane and Quinichette」は1957年に行なわれたセッションの録音で、正統派バップフレイズを奏でるポール・クイニシェットのテナーサックスに怒涛のようなジョン・コルトレーンが絡む、非常に面白いアルバムです。まさに「誰でもいいから俺の相手をしろ!」とコルトレーンが叫んでいるようです。

音楽の力

2010-05-03 | また聞きジャズ薀蓄
17世紀に始まった奴隷貿易で連れてこられた黒人は、音楽を禁じられていたそうです。江戸時代の農民も同様で、これは贅沢をさせないためだと思っていましたが、実は反乱を防ぐ目的でした。音楽には生きる力や一体感を生み出すパワーがあるからだそうです。確かに一緒に演奏をした人とは仲間意識が芽生えますね。
 奴隷がいた地域の中でも、フランスが統治していた州では比較的規制が緩かったらしく、それがニューオリンズで黒人音楽が盛んになったきっかけとなったようです。ジャズ誕生は寛大なフランスのおかげなんですね。政治的には失策だったのかも知れませんが。
 後に、ニューヨークで虐げられていた黒人ジャズミュージシャンたちを暖かく迎え入れ、活躍の場を与えてくれたのもフランスでした。フランスには変な偏見や権利意識はないようで、アメリカより良い国にみえます。

トレインちがい

2010-04-14 | また聞きジャズ薀蓄
練習中の曲のお手本としてエルヴィン・ジョーンズの「ソウルトレイン」を勧められました。わたしは最初コルトレーンの「ソウルトレイン」にエルヴィンが参加していたのだと思いましたが、エルヴィンも同じタイトルのアルバムを約20年後にリリースしていたようです。
 ところが、これも私の思い違いで、コルトレーンは「Soultrane」、エルヴィンは「Soul train」でした。勝手にカタカナで考えるととんでもない間違いをするものです。

haunting melody

2010-04-08 | また聞きジャズ薀蓄
“Manha de Carnaval”
Bonfa作曲の美しいこの曲は、1959年の映画「黒いオルフェ」のテーマソングです。タイトルの表現どおり忘れられないメロディは、多くのアーティストが手がけていますが、ウェイン・ショーターのアレンジによるフレディ・ハバードの演奏はフォービートの心地よいリズムの上で、パワフルでいて気だるいソロが繰り広げられ、とても切ない気持ちになります。私は映画自体を観ていないのですが、楽しいカーニバルの中で悲しげな映像が浮かんでくる気がします。
 学生時代、ファンキーでパワフルなトランペッターだと思っていたフレディも、改めて聴くと、優しくて美しい音色を持つアーティストだったことがよく分かります。惜しくも昨年亡くなられましたが、偉大な人だったんですね。