prs. 29. März 1827.
Mein Neffe Karle Soll alleiniger
Erbe seyn, das Kapital
meines Nachlalaßes soll jedoch
Seinen natürlichen oder testamen-
tarischen Erben zufallen. –
Wien am 23. März 1827
Ludwig van Beethoven mp.
私の甥カールは、私の唯一の相続人であり、よって私の遺産全部は、必然的に、またこの遺言の指定により、彼の所有となるものである。
ウィーン、1827年3月23日
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
書き終えたベートーヴェンは、これをブロイニング(※)に渡しながら、「これで書くこともおしまいだ」と言った。その後「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」とブロイニングとシンドラーに言ったのだという。
これを絶筆として、彼は三日後の3月26日に56年3か月の生涯に幕をおろした。
※ Stephan von Breuning(1774-1827) 台本作家でありベートーヴェンのボン時代からの友人。3月23日にベートーヴェンを訪れ遺言書を書くよう説得した。ベートーヴェンの死の数ヵ月後に彼も亡くなった。
(出典:音楽之友社『ベートーヴェン研究』昭和45年、近衛秀麿著『ベートーヴェンの人間像』昭和45年。一番上の prs. 29. März 1827 の意味がわかりませんでした)
。。。自分の名前を何度かなぞっています。字を書くのも辛かったんでしょうね(泣)。
prs. が何の略か分かれば解決できるのでしょうが……。
返信遅れてすみません。
8年越しのミステリーが解けました!
裁判所によるサインなのですね。筆跡の違いには恥ずかしながら気が付きませんでした。
残されたナゾはprs.ですね。
通りすがりさま、今後ともよろしくお願いいたします。