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flute_papa のひとりごと

音楽を愛する還暦すぎのじいじが世の中のことをブツブツ。音楽のネタが少なくなっていることが気がかりだったりして(^^;)

oyajiのあしあと 高校時代の1

2004-06-07 | My Autobiography
今日は、「大仏と鹿」を聞いてます。軽やかなとってもいい曲ですよね。でもこの曲は振りにくそうだな~。

それでは第2ステップの話を始めさせて頂きます。
ですが今回は、音楽の話に入る前段階を・・・

私は都立高が第一志望でした。理由は簡単で学費が安いから。それに都立に入ったら、楽器を買ってもらう約束を親としていたからです。だから私立は受験すらしませんでした。そして、絶対に合格できるレベルの都立高を受験したのです。私が受験した頃の都立高の受験制度は群制度といって、2~3校がグループになっていてグループを受験するようになっていました。学力の平均化だかなんだか知りませんが、訳の分からない誤った制度だったと思いますね。それが証拠に今はその制度がありませんからね。

私の受験した13群は3校が組になってました。当然ながらどの学校に入学するかは三分の一の確率です。どうやって決められたのか知る由もありませんが、早い話くじ引きみたいなもんですよね!)
幸いなことに、思惑通り合格することができましたが、入学が決まった学校のことはそれまでまったく知らなかったんですよね(今にして思えば不謹慎極まりない!)。

実際のところ、どの学校に入学するのか発表されるまでわからないなんて、あんまりですよね。なので私は前もって、どの学校に行きたいとか思わないようにしていました。どこでもいいやということですね。そうしないと、くじにはずれるとショックですからね。

だから発表を見たときには、合格したという事実には喜びましたが、入学の決まった学校でよかったとかそういう喜びはその時にはありませんでした。当時の都立の受験生には、そういう人が多かったんじゃないかと思いますが如何でしょうね。

 でも入学から31年たった今、心の底から声を大にして言えることは本当にいい学校に入れてもらったということです。同じ年に13群を受験してたまたま同じ高校に入学した生徒は三分の一の確立の積み重ね(というか掛け合わせですかね)で同窓生になったわけですが、きっとみんな同じ思いだと信じています。

くどくどと書いてしまいました。ですが、当時の受験制度を通過して都立高に入学した多くの方々の気持ちとして、こんな思いを持ってる方もいるのではないかと思ったもので。お許しください。

音楽の足跡については次回にまた。

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