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Tp・world   Tpの世界

Tの世界を遊ぶ
写真に心を込めて ファインダーからこの国の今を
真を見ていきたい 写心 それは心 愛

1311江戸川畔ウォーキング 10km

2013-11-09 16:46:32 | Weblog

厚く垂れこめた雲の下、江戸川を歩いた

一級河川の堤防のウォーキング

晩秋とはいえ歩けば汗が噴き出す

ススキの原にそよぐ風が心地よい

堤防の街側はのんびとり釣堀風景 

休日の河川敷は少年野球やサッカーの大会?で賑やか

小学校校舎の模型を盛んに撮影している若者に出会った

「設計して模型を作りました。学校の課題で明日提出なんです」


満面の笑みが眩しかった。希望に向かってまっしぐらの笑顔はいい!

がんばれ!!この街にこの国に世界にきみの設計した建物を造って!!

1311江戸川畔ウォーキング 10km

巣立ちが間近な綿毛が美しい

雲で覆われている空に渡り鳥の隊列がいくつも飛んでゆく

晩秋の河畔ウォーキング 10km

 


何かが 東京ゲートブリッジ

2013-10-13 09:40:19 | Weblog
東京ゲートブリッジ
 
 
 
 
天気晴朗なれど波高し 
 
強い南風 橋上は前に進めないほどだった
 
雲は矢のように流れてゆく
 
                                                ↑ムービーを!
 
 
着陸態勢ですれすれに飛ぶ飛行機は強風のためかゆっくりに見える
 
 
 
東京湾 海はここでも雄大な眺めだ
 
ここでたたずむと 何かが胸中に湧いてくる思いだ
 
 
 
 

上弦の月

2013-10-11 18:17:56 | Weblog
上弦の月
 
 
                                        上弦の月  月齢 6.1        17:45 撮影
 
静かに明るく中天に浮かんでいた
 
秋ですね 空を見上げよう! 
 
満月は19日
 

時空の歪み

2013-10-10 20:07:21 | Weblog

東京 商業施設の小さなショーウインドー 

 
異次元 ひとり言をいう 
 
異次元とは  我々が住む次元とは異なる次元ということになるのかな
 
球体?のディスプレイを見て なんでこんなひとり言を
 
 
「時空の歪み」の中心に己がいる
 
雑踏を歩きながら つぶやく 条理の世界に生きてるか 
 
 
それにしてもいま 不条理が満ちてはいまいか
 
「時空の歪み」の中に入り込んで もがく昼下がり 
 

グローバルフェスタで

2013-10-08 09:37:15 | Weblog
グローバルフェスタへ有志で参加
 
 
 
雨上がりの日曜日 足下がぬかる公園にたくさんのブース
 
朝早くから各ブールを廻った 悪天候か昨年ほどの混雑ではない?
 
※主催者から
 グローバルフェスタJAPAN2013は、
 雨にもかかわらず、
 約78,000人のご来場をいただき、終了いたしました。
 誠にありがとうございました!
 と告知されていた。
 
  
 
 
 
各国政府機関 NGO 自治体 大学その他各ブース要員
 
ボランティアはほとんど若者 国際交流 国際貢献を担う若者たち まことに清々しい
 
 
 
 
フェアは訪れる人が楽しく 見る人への意義ある啓発 広報
 
 
 
日焼け防止に頬に塗布するそうだ 
 
彼女は爽やかな笑顔でミャンマーを詳しく語る こういう交流が楽しい
 
 
 
数えきれいほどぎっしりの三つ編み長髪
 
我がメンバー 手に取りながら長い一問一答が続く
 
 
 
 
 
 
「コイン(100円)を埋め尽くす(1万円)と 子ども一人が1年間学校に通えるんです」
 
きみたちの笑顔が世界を 貧困あえぐ子たちを救う 理不尽な世界を動かす
 
清々しい若者の活動に心中落涙する思いだった 
 
 
 
50kgの水を子どもの力でも運べるこれ これもみんなの工夫発明から生まれた
 
水問題は途上国の大問題 こんなうれしい国際貢献にも触れられる
 
 
 
雲南省地方の正装 試着して笑顔 
 
 
 
I am a Girl  世界の女の子に、生きていく力を。 マララ・ユサフザイさんの写真を掲げながら
 
 
 
STAND UP TAKE ACTION
<立ち上がる。その行動が世界を動かす力になる。>
 ~スタンドアップ テイク・アクション2013
 
観たり聞いたり 問答したり 珍しい食べもに触れたり
 
楽しく回ってたくさんの思いを胸に帰途に就いた
 
 
「写真撮るだけで貢献になります」
「STAND UP!と云ったら TAKE ACTION !と云ってください」
 
彼は明るい大声で言いながらシャッターを切った
 

万世橋が

2013-10-05 15:44:00 | Weblog
秋葉原の直近に位置する神田川の万世橋
 
河畔に1912年万世橋駅が開業
 
東京駅を作った辰野金吾の設計で赤煉瓦造り
 
開業時はモダンだったのだろう その後鉄道博物館になり
 
2006年に鉄道博物館が大宮移り現在に至る
 
 
 
 
最近ショップ街に変身した
 
当時がしのばれるレトロな雰囲気
 
 
 
屋上にあたる場所が旧ホーム ベンチのすぐそばを総武線が走る
 
 
 
窓越しに上下線のすれ違いが望める
 
 
 
アキバでの買い物の疲れを「ホーム」にあるカフェで一服も一興かと
 
 

初秋の落日

2013-09-28 11:31:37 | Weblog
東京湾 
 
 
9/27 17:18:04
 
 
晩夏 いやもう初秋かな
 
心地よい微風の海辺に暫し時を過ごす
 
 
‏‎17:20:32
 
 
 
‏‎17:21:49
 
 
ここまで来ると瞬く間に落ちてゆく感じだ
 
 
‏‎17:22:26
 
 
‏‎17:23:23
 
 
‏‎17:24:10
 
 
17:25:24
 
 
‏‎17:25:49
 

川越で・・

2013-09-25 10:04:14 | Weblog
川越へ行った
 
お馴染みの家並 みんな笑顔でスマホを翳してる
 
 
  
 
そんな雑踏を初めての人を連れての観光 あっ<撮影実習>だった

時の鐘は? ここです

折よく鐘の音が午後3時を告げていて 初訪問の人が喜んだ 
 
 
 
五百羅漢(喜多院)多種多様の表情をカメラで追った
 
 
 
「笑顔を撮る」と笑顔だけを追う人も
 
芋入りうどんの遅いランチをとり
 
 
 
お菓子屋横丁でこの日を終えた
 

 


考える人

2013-09-17 10:38:11 | Weblog

日本を縦断した台風18号 各地に多大な被害をもたらして去った

空には月が煌々と

上野の美術館を遊んだ

常設のここでいつも腰を落とす

人もまばらな落ち着ける場所

窓の外に中庭が望めるカフェへ移動 ゆったりの時間を過ごす

そして

この人に出会うが いつもの流れ

いつになく深刻な顔に見える

福島第一原発の汚染水漏れ 

「我々はコントロールしている」の白けた言辞で 2020五輪を招致

16万人が未だにさまよってるフクシマ

原発 廃炉 核・・・パソコン タブレットにはそれらに関する研究 論文がぎっしり

どうするこれから 

深刻なのだ 

 


笑顔が原宿を席巻!

2013-08-29 08:42:29 | Weblog

 

原宿表参道元氣祭スーパーよさこい2013

<炎暑猛暑酷暑>今夏 この日 原宿表参道は熱気に包まれた

 

たくさんの観覧者の前を 幾組もの演者が滴る汗をものともせず力いっぱいに進んでいた

笑顔 えがお 弾ける笑顔

少しレンズで笑顔追っていた

真夏の祭典の大音響が原宿を覆っていた

 

 


8月15日

2013-08-15 11:06:28 | Weblog

今日”終戦の日”

 

1945年8月14日 連合国にポツダム宣言受諾を通告

 8月15日正午 終戦詔書放送により日本の降伏が知らされた
 
第2次世界大戦 死者5500万人 市民の死者3000万人という
日本は1941年12月の日本と米英と開戦 日本の死者300万人超
この数字(犠牲者)・・・これが戦争
 
当ブログは声を大にして云う
戦争はダメ 戦争はイヤ 戦争はダメ 戦争イヤ 戦争はダメ 戦争はイヤ 戦争はダメ 戦争イヤ 
戦争はダメ 戦争はイヤ 戦争はダメ 戦争イヤ 戦争はダメ 戦争はイヤ 戦争はダメ 戦争イヤ

 

☆少し前に書いた文☆

 

“火炎と火災風に追われて、隅田川の堤まで来た。
公園になってる一帯は、避難してしてきた人たちで溢れている。
その人達の荷物に火が移って、次々に火に倒れていく。ここも安全ではない。
炎の中に勇気を奮って父と二人して突き進み、堤の上にでる。
堤防の向こう、川の中に、小さな“島”があるのを知っていたので、そこへの逃避行である。
火が遮っていたので、さすがにそこにいる人はまばらだった。

だが、周りは、火を逃れて川の中に入った人達・・・、
その大半が溺死体になって浮いていた。200mほど離れたところにある小高い丘、
その上の由緒ある神社が真っ赤に燃えている。やがて強風に乗って、神社の大柱が大きな火の玉となって、
ここまで飛んでくる。鉄兜をそちらに向け頭をかがめて・・・・・。

そんな地獄のような長い夜が明けた。どうにか生き延びた。

目は煙でやられてよく見えない。とぼとぼと歩き出す。
目を凝らすと、至る所に真っ黒な丸太がある。それを跨いで、また跨いで歩く。

ハッとする。丸太ではない、遺体だ。

 

 
        


黒こげになって横たわってる女性の目とぱったり合った。

やがてその人は瞳をとじた。今でもあの“目”が忘れられない。

私の東京大空襲

“川からあがると、朝日が煙にさえぎられて、鈍いオレンジ色に見えた。

たくさんの焼死体、死臭のなか、放浪者のわたしは~~。”                            

1945年3月10日未明、東京の下町の広い一帯は大空襲に見舞われた。
たくさんの米爆撃機は2千トンもの焼夷弾を落とし、非戦闘員の一般市民が10万人以上も犠牲になった。

東京に初めて空襲があったのは、1942年4月18日。それから少し間を置いて、

1944年11月末頃からは連日のように爆撃が行われ、1945年8月15日の終戦まで続いたのである。

中でも、1945年3月10日の空襲は規模は大きく、“東京大空襲”として人々に記憶されている。

東京、両国駅のすぐ近く、東京都慰霊堂がある。

大正12年9月1日の関東大地震の犠牲者の慰霊と納骨堂としてたてられ、

当初は東京震災慰霊記念堂とよばれていた。

東京大空襲の犠牲者は当時公園その他130数カ所に仮埋葬されていたが、

1948年~51年までに慰霊堂を拡張し、遺骨を納骨堂に納めた。

それから、“東京都慰霊堂”と名が変わった。
その脇に、“東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑”が作られ、

毎年ここで、3月10日に慰霊会が行われる。

そこの近くで、“東京空襲資料展”が開かれていたので出掛けた。

参加者は、3階の会場入り口まで長い列になっていた。

列に並んでいると、あちこちから“あの時おばあちゃんとはぐれ・・・

”“わたしは風上に向かって逃げて・・・”等々の会話が聞かれた。

 

「東京は100回を超える空襲に見舞われ、とりわけ1945年3月10日の大空襲により、

下町地域は壊滅的な打撃を受け~」の説明から始まって、様々な資料が展示されていた。

もんぺや軍服調の衣服、衣服配給券、羅災証明書、マッチ回数購入券まであり、

焼夷弾や爆弾の破片、惨状を目の当たりにする写真、融けた日用品等々・・・・・。 

心痛むものばかりだ。
参加者の多くがご自身、空襲の体験者とみえて、資料を見ながら生々しい話しをしていた。

下町周辺の地図が掲げられていて、
被災して部分が赤く表示されていたが、それは東京の大部分だった。これでは逃げようがない。
あまりに悲惨・・・・・・・・・。
我が父と長兄もまた、この中で九死に一生を得たのだ。
その父達が逃げ込んだ近く、・・・それは自分の子供の頃の遊び場でもあるが・・・を歩いた。
平和な春の日差しに、ハトやカモメが飛び回っていた。

向かいのお寺で、“すいとん”の試食会があった。

覗いてみたら、具だくさんの今風のもだったが、戦後の食生活の一端を体験できた。

つい半世紀前、この国にあったこと、そう遠い出来事ではない。こんな悲惨が二度とあってはならない。

“戦争はノー”を言い続けなければ・・・・・・・・・。    

 


夏はこうして

2013-08-14 12:01:00 | Weblog
猛暑続き とにかく暑い
 
ピンポイントで降るゲリラ豪雨もここは避けて 砂塵が舞ってる
 
だからビル上階のレストランへ
 
 
 
 
蝶が窓ガラスにピタリ 身を支えるホールド力の強さ
 
蝶を裏側から見たのは初めてかもしれない
 
 
 
 
このビルの大ホールで
 
 
 
吹奏楽のコンサート 高校3年 最後の演奏
 
熱演は広いホールに響いた
 
 
 
最後に3年生が前列に 後席の1 2年生は涙
 
夏はこうして時を刻んでゆく
 
 
 

あれから68年・NAGASAKI Peace

2013-08-08 11:18:47 | Weblog

1945年8月9日 11時2分

ナガサキ上空に閃光とキノコ雲が

人口(当時)24万 その内14万9千人が死没

                  TPC・研修inNAGASAKI Peace

この日を忘れない 平和を祈りに先年みんなでナガサキを訪れた

自分個人としてはナガサキ、ヒロシマ共に4回目の訪問

みんなで折った千羽鶴を捧げて 平和を祈った

世界中の人が例外なく平和を願ってるのに 

未だにこの地球上の何処かで紛争が絶えない 何故??

世界中にこの像を置いてみようか

みんながメディア みんなで平和を発信していこう

吉川浩司氏の書だ