小説部屋の仮説

創設小説を並べたブログだったもの。
今は怠惰に明け暮れる若者の脳みそプレパラートです。

<十字を背負う者達> 第6話 ズィリハの呼吸

2011年08月20日 | 小説

辺りは雨雲が立ち込めているというのに、不自然なほど乾いた風がからかいながら走っ
ていった。薄く大地を覆っている雲はゆったりとした動きで、風に踊らされながらも
聖地イェルサレム北東部のスコープスの山々へ流れていく。スコープスの山々は
少しばかりの草原が、ほずれたカーペットの毛玉程度にあるばかり。他は絹のように
さらさらとなびく乾いた砂でおおわれた広大な大地だ。その稜線の起伏もあまり
激しくなく、まるで無限の地平まで続いていきそうな平らで神秘的な山地。雲が
その上を走っていく姿はなんとも形容しがたい神々しさを生み出していた。

イェルサレム東方には小高い丘のようなオリーブ山がゆったりと足を延ばしていた。
その名の如く小高い丘のような山は香りのいい翠色のオリーブの木々で覆われて
おり、それはここに地を築いた賢明なるギリシアの先人たちにより受け継がれてきた。
今もなお搾取のしすぎは街の掟で厳しく定められている。

されど度重なる聖戦でそのオリーブの木々からは数度、香ばしく上品な匂いは途絶え
る危機を被ったこともあった。何人をも魅了する上質なオイルを持つ木々は見事に
焼き打ちの対象となり、無慈悲な炎が放たれる。十字軍の時には逃げ惑う異教徒達を
追撃しようと多くの馬馬がその山を、轟音と共に、そして無作法に駆け抜けていった。
だが、そんな事があっても幾度となくオリーブ山はスコープスの山々の息吹を受け、
昔のように清々しい青葉をその葉に宿してきたのである。


小雨がぱらぱらと片顔を弾いていく。テンプル騎士団の戦士達が聖戦へ赴く
その道のりは今や、このけったいな空気と雨で一様に表情に曇りがかかっている
ように見えた。小雨はただ戦士達の顔をハーブの弦を弾く演奏者のように繊細
かつか細い動作を生みつづけるが、そこから生まれるのは耳に心地よい
宮廷音楽師ではなく踊りながら民衆を、国を、そして人を煽る皮肉屋で風刺家の
道化師だ。

彼らはオリーブ山とスコープスの山々の丁度真ん中にある、ときたま白塗りの土壁で
できた家が散々と立つ道を行進していた。道は馬車の車輪などで適度に踏み固められ
、きちんとしたイェルサレムへの交通網が整備されている事が伺われる。そして同時に
ここらに異教徒達が侵攻をしていない、すなわちこのテンプル騎士団ら十字軍の
置き土産達がまだまだイェルサレムにおける砦の戦力という事を示唆していたのだ。

ここらはドレクール家、すなわちギャストン卿の領有地となっていた。同時に没落
したパイアン家、シルヴェストルの僅かな領有地にもなっているがこれは若き騎士の
諸侯には任せておけぬ、とギャストンが同時に領主を務め管轄しているのだ。それは
イェルサレム周辺の諸侯の領地のおよそ4割を占めており、ドレクール家の支配が
凄まじい壁だという事が垣間見ることが出来た。ここに従軍している十数名のギャストン
の従士達も、普段はこの領地かイェルサレムの市街地に住み農業や職人などに気を
傾けている。

軍団の先頭をいくギャストンは自分の領地を抜ける際、懐かしき視線をやり従士達も
また先ゆく不安な世界の光を避ける事が出来ずに、暗い目線と僅かな涙を頬にため
ながら戦いへ赴いていった。その光景を見て、テンプル騎士団達全ての戦士達は
帰るべき自らの故郷を想い、尊い自分の命を聖戦という名の天秤に架けて、測りを
よみとる。たったその読み取りのだけに彼らは俯き、同時に値をいうだけなのに
歯を食いしばったりして、目からでる遥かな故郷の想いを小雨のせいにしたのだった。


小雨に打たれる軍団の真ん中あたり、シルヴェストルは無口にただひたすらに馬を
ひいて歩いていた。重い騎士の格好は昔からの修行でこのまま後ろに一回転できる
くらいには慣れており、歩く事には全く持って違和感すら覚えなかった。むしろ背中に
十字の紋章が入った盾を背負い、腰のベルトに剣を差す事には一種の心地よささえ感じた
のである。

右手には四角い鉄兜を持ち、左手にはアハルテケであるウォーチャントの手綱を握って
いた。彼はときたま美しくたくましい栗色の毛並みをもつウォーチャントの方を振り
返り、その賢そうな鼻梁に軽く息を吹きかけてやったりして、楽しみながら行軍を
続けていた。周りの他の諸侯たちの従士達は何処か不思議そうな目で彼の事を
みている、いや、不思議というよりこの若々しい青い騎士がいる事に少々の新鮮さを
感じていたのだろう。

だが、ドレクール家の領地を超える辺りになると皆一様に故郷の事を想い初めてか、
感慨深そうな表情をしはじめていた。シルヴェストルもイェルサレムの母の言葉を、
心の内に反芻させた。自らの信じる道をお生きなさい。そうすれば必ずや、自分の
答えを見つけられるでしょう

母上はまるで、父上の行く末を知っているかのような素振りで話していたっけ……。
そして父上も選択をした、自分の道を往った、という上から全てを眺めていたかの
ような事も話していた。そう、シルヴェストルはふと、母の言葉につっかかりを
覚え始めていたのだ。その深慮深くて、深すぎてもはや空洞の瞳は何色の光を
みているのだろうか、何を見てきたのだろうか、父の事を知っているのだろうか。
いやそんな深い疑問と母の言葉を胸に雨と共に刻みながら、足を踏みこんでいったが
彼はその踏みこみ方にすら疑問を抱きはじめていたのだった。

手綱をとるウォーチャントが、首に鎌を下ろされたかのようにうなだれ考え込み
始めた彼を深慮してか、ブルルルウと低く鼻を鳴らす。その声ではっと一瞬我に
帰った彼はよしよしと手綱を持った手で眉間を撫でてやり、目の前にある聖戦への
光だけを見つめようと大きく息を吸い込んだ。
こんなのではだめだ、これから待ち受けるのは戦い。半端な心じゃすぐに馬から
槍で突き落とされ、身ぐるみを剥がされ、異教徒の残虐な仕打ちをうけることと
なってしまう。いつも言い聞かされてきた事だ。だが大きく意気込んで目にぐっと
力を入れたものの、彼には入ってきた小雨が酷く痛いように感じた。



その日は何事もなく、地中海地方からふきぬける乾いた風に助けられ雨雲は乾いた
温暖な空気に変わり、雨もあがった。夕日が地平に沈むときには美しい斜陽の輝きが
ちょうど聖地と重なる、その時には一同、思わず感嘆の声を漏らすほどであった。
夕方のミサを小うるさい雨の中でやる事を免れた彼らはほっと息をつきながら、
夕日の聖地へ神父を兼ねるギャストン卿が背を向け、皆が顔を聖地へ向けてミサを
執り行った。ちょうど彼らがズィリハの地まで来たところである。

ミサの後、ギャストンの号令によってこのイェルサレム東方の地にあるズィリハで
野営を取ることが取り決められた。ズィリハはよく羊飼いが訪れた土地として知られ、
至る所には馬達が食むことのできる草原がごろごろと大きく転がる岩岩の間に広がり、
見晴らしもよく野営には丁度いい場所だったのである。

幾人かの諸侯たちの命令によっててきぱきと、ペルシュオン種の馬が引く大きな荷台
から革で張られた丈夫なテントが従士達によって、下ろされただちに組み立てが始まった。
テントはゲルマン地方由来の丈夫なものであり、野営では信用が高いという。
シルヴェストルがぼぉと馬飼いのようにウォーチャントの馬草を食んでいる姿を見ていると、
いつのまにやらテントは立ち、辺りでは数は制限されながらも、たき火も始まっていた。


夕闇に取り残されたようにここだけ光が灯っていた。辺りを見渡せば光も何も無い、夜。
暗闇。辺りは人家もなく、ここらはかつて今より荒んでいた、辺りを治めるアラビアの
諸侯たちの古戦場だったという。今にもこの草原の土を掘り返してみれば多くの帰り
どころを失った骸が、何も見つめない深い眼窩を光らせる事であろう。


シルヴェストルはギャストンがいるたき火に招かれた。
ここらはギャストンがもつ領土が出身の16名の従士達が薄暗い闇の中、領主ギャストンを
中心にしてたき火を囲んでいた。各々この時だけは武具を野営のテントに中に置き、
まず神への感謝への祈りから始まった。その後には談笑したり、こくりこくりとカップを
もったまま眠る者もいる。皆、騎士や従士であるが前に修道士なので全て穀物などの粗食で
済ましていた。勿論、アルコール類の摂取はこの節制のために控えられている。

シルヴェストルもギャストンの近くに居座り、周りの従士達と談笑していた。
久々のこのような機会に彼自身も笑みを絶やす事は無かったのであった。少し頬こけた
大人びた顔にときたま少年のような明るく快活な表情すらやどしたのである。

「ああ、あのいつもギャストン様に、まるでウシアブの様ついて回っていた騎士見習いの
 少年が……今やシルヴェストル様も立派になりおった、ハハハ。
 愛馬のアハルテケの相応しいパートナー、あんな飛び回っていた頃も懐かしい」
顔にいくつもの古傷をおった年配の従士は乾いた声で笑いながら、懐かしそうな表情をする。
その言葉にシルヴェストルは若干、口に含んだバターミルクを吹きだしそうになって、
なんとか堪えた。口に少し苦みの入ったミルクの味が隅々まで行きわたっていることを
感じる。

「そんな時もありましたっけなぁ……」とぼけたような表情をして、また口にバターミルク
の入ったカップをもってって誤魔化す。しかし従士はいたずらっぽく笑った。
「ありましたよ、ハハハ。いつの日かなんて家畜小屋の柵を壊してしまい、豚や鶏達が
 街中を走り抜けていった時なんて、泣き泣き真っ暗なお仕置き部屋で一晩を過ごしてた
 じゃないですか」
「あ!俺もそれは知ってるぞ、あの時のギャストン様の顔といったら!
 俺達もそぉぉおら怖かった」
向こうで炒ったエンバクの実を口に運んでいた従士も陽気な笑い声を出しながら、会話に
混ざってきた。周りの従士達も、ああ、そうだな、と懐かしげな吐息を漏らしながらまた
話を続けていた。

「や、やめてください、そんな昔のことなんて……」
顔を赤面させながら彼は俯く。そんな彼の方にギャストンは振り向き、勢いよく
いつもの通り突然、シルヴェストルの肩をバンッと叩いて少々周りをどよめかせた。
だが相変わらず彼にとってはいつもの事なので、その程度ではびくりともしない。

するとギャストン少し笑みを浮かべながらからかうように。
「シルヴェストル卿、君が昔騎士見習いだったころは、へまばっかりだったものな」と言う。
「ええ、まぁ……まぁ。
 でも、あの時はへまするよりも、騎士道修練のためと街中の女性に騎士として接する。
 今思えば。いいや、今もですがあの時が一番私にとっては苦痛でしたよ」その言葉で
周りの従士達が一同に笑いながら、俺は羨ましかったがな、いいよなぁ俺達は全然だぜ、
だの愚痴をこぼす。気付けばシルヴェストルはこのたき火のグループの中で、真ん中に
いたのだ。その事実に心の内で驚きながらも、彼はなかば本当に体がここにあるのか、
不必要な疑問を覚える。よく言えば意識があるか分からないこの浮遊感が気持ち
良かったし、悪くいうと安定しない心がどうしようもない不安を生みだした。

小さな会話がぽんぽんと周りで生まれすぐに消え、少しずつ、皆は口数を少なくして
いく。気付けば火の中にくべられた枝木が火に手を取られ、パチパキッと爆ぜる音だけ
夜の楽譜の中に刻まれていった。周りの諸侯たちのたき火も薄明かりになりかけ、
白い煙が小さく立ち昇り始めている。

「ギャストン卿、もうそろそろですね」
「……ああ、そうだな。他の領主にも全ての確認事項を伝えといてくれないか?」
「……と、申しますと?」
「このズィリハの地に陣地を置くとする」
「はっ、わかりました」ギャストンと、彼の右腕らしき従士が眉間にしわを寄せながら
会話をし、その後従士はいつも通りといった様子で立ちあがり他の諸侯たちが囲む
たき火の方へ歩いていった。従士を見届けると彼は間を少し開けて、空の金属カップを
もち立ちあがる。
「さぁ、皆明日への戦いへ備えもう休もう。
 すまないが、ブーグローとあー…ダンドリグ。2人は少しの間見張りをしてくれ。
 その次はファビウス、エストレ。クロックル、ブイヨンと順に頼む。
 火をあまり弱めないでくれたまえ」
「わかりました」「はい」

次々と事務的な指示をくだしていき、一通り終わると夜のお祈りを済ませ、体を休める
者と見張りをする者に分かれ始めた。皆体を伸ばしたりしてリラックスした後、眠そうな
顔をしながら張られた白革のテントの中に入って行き、くたびれたような顔をした見張りの
従士はまた座りなおす。

シルヴェストルも自分の使う共同のテントに入ろうとしたとき、ギャストンがふっと
こちらに歩み寄ってきた。鎧も外しているので音もなく歩み寄って行く彼は、その身の
巨大さと夜の静けさから感覚を緩めていた者にとってはどきりときたのだ。

「あ、ギャストン卿。おやすみなさいませ」シルヴェストルは目をぱちくりとさせながらも
挨拶をする。しかし、彼は蓄えた黒い髭を少し口角をあげて奇妙に震わせる。憂いた瞳を
たき火のほうに向けながら、口を開いた。

「過去とは史実の賢人たちも利用してきた万能な、いわば定規だ。それにすがって一生を
 生きていくこともできれば、それを捨ててまた違う過去を生む事もできる。
 私は、私の定規は歪んでいたかもしれない。いつから誤っていたんだろうか。

 ただし今、この戦いに身を置く事ができてとても幸福だと思っている。神は未来を創造
 し、過去を裁いていく。だから過去にしか携われない人間のような私が関わる事が出来て、
 とても幸せなのだよ。

 ああ、シルヴェストル。神はこんな私も許してくれるだろうか。いいや、必ずとも
 許してくれるであろう。ユーク、ああ、すまない。」

彼は笑みを浮かべているが、薄明かりではよく分からなかった。一瞬、暗闇の荒れ地の
向こうでカーテンが翻していくような、揺らぎが見えた。シルヴェストルはそっちに
気を取られ光もない所へ目を凝らす。だが、そこにあるのは広がる広大なズィリハの大地
であった。月も、星も出ない古代ギリシアの神々の時代かららも見はなされた古戦場の呼吸は、
時に人にカビ臭い考えと言動を与えるのだろうか。

気付くと、ギャストンがまたしっかりと足取りでテントへ入って行った。

<十字を背負う者達> 第5話 律上の舞台

2011年08月14日 | 小説

熱気を身にまとって戦士達はソロモンの神殿から冷たい雨の降り注ぐ、外気に触れた。彼らはいそ
いそと雨の降り注ぐ中、戦いの準備を始めはじめていた。まず騎士に仕える従士達も、その自身の
主君の家が掲げるレリーフや紋章が織り込まれているサーコートなどを身に纏い、槍、刀剣、弓、
盾などをその有り余る力を持って、どこかか神妙に握る。

多くの古くからの神殿、美しい教会が多くある″神殿の丘″から、小脇に豊かな草原の
ある道を下ると神殿の騎士達の常駐する館や教会、自由市民が住まう住居が立ち並ぶ市街地に
出る。その市街地の中には周りの家から少し離された距離に、大きな馬小屋があった。
だが、そこにいるのはどっしりとして太い足や、固くボサボサと生え切った飾毛、重々しく
太い蹄をもつ農耕用の馬などはいなく、まるで彫刻のように引き締まった肉体、猛々しい
毛並み、凛としてどんな相手にも憶さない瞳。彼らは全ての人間から見てもその勇ましさは
目を奪われるほどであろうが、それは農耕用の多くの馬やロバ達からみても同じであろう。
彼らは戦いのための馬だった。

数多くの馬馬が従士達によって馬小屋から連れ出される。その多くの馬がその体に鈍い色を
重々しく放つ、何枚もの荒い鉄板から成る鎧が着せられていおり、鎧は主に眉間、首、
胸、腹などの箇所によくなめされた革製の上から、きつくベルトで縛りつけられていた。
そしてその鎧の上からはさらに各々の騎士達の家の紋章などが、美しく、目立つように刺繍
されているサーコートが着されられる。

サーコートは馬の肩にまで届くほど長く、歩く度にまるで踊り子の衣装のように、身を
軽々と踊らした。その姿で戦場を走る彼らは騎士の姿あいまって、見る者すべての心を
奪うであろうほどだ。風になびくたて髪、竜骨すら想起させる筋の入った筋肉の躍動、
猛るいななき、耳に残るような重い音を立てて護る鎧の擦れ、巻き上がる激しい砂塵すら
優雅な流れと変えるサーコート。馬上には盾を構え、槍を突き出す騎士。彼らは戦場で
戦いながらも自らの誇り高い心と共に踊っていたのだ。

巨大で重装備にも耐えられるペルシュロンは馬具は少なく、逆に様々な戦いの貨物を
運ぶための大きな馬車を引っ張れるよう、丈夫な縄がつけられる腹帯が巻き付けられた。

どんな戦にも連れてこられもっとも数が多いセルフランセは、標準的な鎧を体の
弱点となる部分に重く付けられ、その上からはさらに馬具としてのサーコートが
着させられる。彼らはこれで武芸が卓越した従士達と群れをなし、異教徒と交戦を
するのだ。

さらに数は少ないが素晴らしい動きと俊敏さを持つアハルテケ。今のイェルサレムには
ほんの4頭しかいない、すぐれた身体能力をもつ貴重な馬は従士でも美しさに惚れぼれと
した目で見られた。シルヴェストルの馬、ウォーチャントもアハルテケの中にいる。
彼らは素晴らしい能力と引き換えに、あまり重い甲冑を身につけているわけではないが
その速度が必要性を消していた。

連れ出された総勢50余の馬達は少数を除いて、ほとんどはイェルサレムの外に領地を
構える騎士達やその従士達が連れてきた馬である。長い長い乾燥した道、いつ何処から
武器をもった蛮族に襲われるかも分からない道、街も井戸も何日もない道を歩き、
まだここで体を休めて半日と経ってはいないはず。だが彼らの目は何処か上を見上げ、
来るべき戦いをじぃっと見据えているようにも見えた。


馬達は従士達に連れられ、雨の降りそそぐ中、神殿の丘へのぼっていく。姿を見せない
太陽が東の空からちょうど南の空に照らす場所を移したほどの間に、ソロモン神殿の
周りには多くの人、貨物が集められていた。

ペルシュロンなど大型の馬が運ぶ馬車の荷台には、水に濡れないよう革がピッチリと
屋根に張り付けられている。中には簡素な食料、武具、薬草などが詰められたビンな
どが多く載せられて、そのような馬車が2つ。また戦場付近で野営陣地を張るための
丈夫な白革が使われたテントが詰まれた馬車など。総勢160人ほどの戦士達は大所帯となっていた。

従士達、騎士達もみな正式な格好をしてしんしんと冷たく降り注ぐ雨の中、空を仰い
でいた。従士達は身軽な格好の上に家家の紋章が織り込まれたサーコート、クルズィート
などの軍衣を纏い、鋭い槍や弓、盾をもつ。それに比べて騎士達は従士達のように軽い
格好ではなく、全身を包む鎖帷子の上に軍衣を着てさらに、美しく力の象徴でもある剣
や巨大な槍を凛として握り締める。マントやクルズィートは雨に濡れているというのに、
鎖帷子の腰の辺りをさらさらと風もなく揺らいでいた。

続々と神殿前にあがってくる、馬達を彼らは眺めながらこの聖地から発つ、その刻を
静かに瞼の上を雨で濡らしながら待つだけである。降り注ぐ雨を全身に受け、軍衣を
纏おうとも流れる滴を鎖の一つ一つを撫でて行こうとも、従士達が憂いの顔をときたま
のぞかせようとも、騎士達だけは真っ直ぐにその聖戦への道のりとなる地を丘から
じぃっと見つめていた。神殿の丘からはよく、イェルサレムの地全体を視界に収める
事が出来る。

日のでる方角を見れば十字架を天に向けて立たせる教会に囲まれて、ひと際美しく
雨に濡れても光輝く聖墳墓教会がそびえ立つ。日の沈む方角を見れば、哀しみの
過去を人々と歴史が音階となって奏でる聖なる前イェルサレム神殿の一部、嘆きの壁。
日が至らぬ彼方に目を向ければ雲で見えなくとも、聖なるヘルモン山から流れる
ヨルダンの川が静かに聖地へと慈しみの水を流す。日が回る南を見れば、今頃
太陽が見えるだろうが厚い雲に覆われて拝む事は出来ない。しかし、その元にはこの
聖地を古くから護る巨大な城壁があった。

城壁の外からは荒野まで一本の道が続く。しとしとと降り注ぐ冷たい雨にまみれて、
道は遠くの、まるで誰もが忘れ去った枯れたオアシスのようにぽつんとあった。
だが、水を求める者にとって枯れたオアシスでも、遠くからは安らぎの幻想を
残酷に見せる。騎士達はその道を、神聖な聖戦に続く道として、じいっと見つめ
ていたのだ。そしてシルヴェストルも、そんな騎士達の一人である。


シルヴェストルはローブを被っていたが、それでも雨に濡れていた。神殿前の大きな
石柱の傍で、坂道を多くの馬馬が従士に引かれてのぼっていくのを見つめている。
数多きペルシュロンやセルフランセの群の中に、自分の馬はまだ姿を現さない。
こんなことなら自分から引き取りに行けばよかった、と彼は心の内で後悔していた。
しかし、迎えにいこうとする彼をギャストンは「威厳が無い」と止めるのである。
どうやら現聖騎士団長である彼にとって、亡き初代騎士団長の息子が張り切り
ながらも自らの手で聖戦の準備を行う、という行為は騎士として相応しくないと
いう。その事はシルヴェストルがぽんっ、と恐ろしく強く肩を彼に叩かれた瞬間悟った。

ああ、騎士ってなんだ……。
ふと、彼は戦の準備を淡々とこなす従士達を見て、騎士、とはいったい何かと戦いの
直前になってからまるで夢事のように考え始める。
騎士とは忠実に主君、ここではイェルサレム王と神に仕える。それは、去年の
騎士叙任式を思い出せばすぐさま鮮明に目の前に浮かび上がってきた。薄暗く巨大な
ソロモンの神殿の礼拝堂と、その巨大な空間すら冷たく埋め尽くす厳かな空気。多くの
騎士達が見守る中、イェルサレム王から直々に美しく装飾が施された剣の刀身で
肩を2回、跪くシルヴェストルを軽く叩いた。
王は静かな声で「汝我に仕え、高貴な教えと神への尊ぶか」と……。彼は近くとも
遥か空の遠い雲の記憶に想いを馳せた。

その時の感情を思い出そうとするが、やはり彼はやめた。思い出したら何処かに
美しい光景が華麗にステップを踏みながら、届かぬ世界へ行ってしまうのではないか、と
恐怖したのである。清冽なあの世界はもう訪れる事は無い、そう確信していたのだ。

「あの時、騎士になって僕は見習いから晴れて脱却し、今までのあの木でてきた薄い
剣、木でてきた槍、そんなただの修行用のモノではなくなったんだ」

手に吸いついてしまいそうなほどの重く十字の柄。凄艶過ぎて逆にこの世界が
曲がって見えるのではないかというほどにまで思える、肉厚な刀身に入った溝。
それを神々しい啓示と洗礼の光を後ろに見た瞬間、彼の内から沢山の想いが溢れ出た。

けれども、騎士っていったいなんだ。こんな事ばかりでいいのか。
またもや同じ疑問が脳裏をよぎった。だが、その疑問もまだ自分が戦いを見ていない、
そう心に言い聞かせることにする。もやもやする陽炎のような疑問を頭に残しながら
懸命に忘れようと、彼はした。けれども陽炎の模様は消えただけで熱を帯びて蠢く
地平線はただひたすらに傾く事はない。

彼はぐるぐるとその場を歩き回った。歩くと体にずっしりとくる鎖帷子の格好だが、
実際あまり重みが感じないように思えた。彼は少しだけ気をよくして、ちょっとそこで
ロングソードの使う時の足さばきをする。勿論剣は持たない。
右半身を後ろにし左半身を前に向ける。左手で剣のリカッソ(剣の根元の切れない部分)
を掴むように空に腕を上げ、右腕も柄を持ちあげるようにし両手で構えた。
重心を後ろにして、体を後方へ傾かせる。相手を突くための足だ。

「華麗な剣技の舞いの中、失礼を。あなたがシルヴェストル卿?」
彼は突然、後ろから声をかけられる。急いで彼は足を閉じ、振り返るとそこには雨を
滴らせながら緑色の十字が入った、ローブを被る騎士がいた。顔立ちはよく見えない
が、どうやら騎士は同じくらいの年らしい。奥から覗く八重歯が元気そうに頬を
緩ませていた。

「はい、あの、そうですけど。…あっと、あなた―」
「わぁおそうだよなぁ、俺の事覚えてるかい?……まぁ随分と変わっちまったからなぁ」
怪訝そうな顔をするシルヴェストルを差し置いて、男ははきはきと訛って言いながら、
フードを少し上げて顔が見えるようにした。そこにはセミブロンドの髪を短く刈り込み、
何本か欠けた歯で笑顔を覗かせる青年が居た。

その砕けて訛った喋り方、言葉の被せ方。全てにおいてシルヴェストルは思い当たる
節があった。突如として懐かしい記憶が今までの忙しい日々のヒビから湧水のように、
溢れ出て、瞬時に思い出が鮮魚のように踊る水たまりを創る。
ほんの少しの間だけ時を共にして、騎士見習いの"あいつ"は遠くの地、ゲルマンの地へ
と行ってしまった。黒き森の城で修業をすると残して。一人、イェルサレムで残された
シルヴェストルとまた会おうと誓い合った遠き騎士見習い同士の友達。初めての
男の友達だった。

「……テオ……?」
「ははっそうだぜ、テオだぜ。シルヴェス、ほんと久しぶりだ―」
シルヴェストルはその言葉をテオが言い終わらないうちに、こぼれる笑顔を抑えずにお互い
騎士の格好で思い切り抱きしめた。テオも少し戸惑ったがにやっと顔に笑顔を讃えて、
思い切り鎖帷子の上からばしばしと腕を回してたたく。

「そうかぁテオ!久しぶりだっハハハハ」
「おいおい、おんみゃぁ変わってないなそこは。大広間でモめてた時でも凛とした
 姿勢を崩さない、立派な騎士だと思ってたのによ?」
「ああ、いやあれはちょっと鞘から抜いてやろうかなぁって思ってただけ―」
「おんみゃ相変わらず戦いになると物騒だなぁ普段大人しい癖に……」

テオはシルヴェストルから離れて、にやにやと笑いながら腰に帯刀している剣の鞘を
見た。剣はシルヴェストルの父親のものであるので、かなり古びてた物である。柄は
手入れされていても、どうしても所々無残にも禿げかけており、美しい黒木の鞘も
艶や輝きが失われているように見えた。だが、飾り気のなくても気品の漂う装飾は
凛とした美しさを誰にでも分かるように体現しており、また伝統的で精錬された
無骨さは見る者を一瞬でも引きつける。

「あ~俺もソード、騎士として構えたいわ。これでも一丁前だぜ?
 今どんは従士だって、ちょっと型はよく無いが持ってる奴もいるんだぜ。
 そうというのにディースターヴェーク卿は許しちゃくれねぇ。
 まったくなっちゃいない」
彼はそう言ってクルズィート(軍衣)をキツく鎖帷子の上から、バツの字になる
ように縛りつけている、ベルトを指でさし顔を膨らませた。
視線をやったシルヴェストルが見たのは、彼の剣のように無骨な、いいやさらに
武骨とまで言える、ちょうど従士達が扱うソードほどの長さの斧である。
ただしただの斧とは違うようで、刃がとても狭く普通のきこり達が使う斧の半分
程度の刃の狭さでありながら、さらにはその何倍もの硬さのようだ。
持ち手の部分にもよく銀の細く華奢な糸で装飾されており、これは騎士が使う
ようなちゃんとした戦斧と言う事がわかる。

「いいじゃないか。素晴らしい品、だと思うよ?それに新しい。今、騎士の誇りだ
 とかで真っ直ぐで綺麗な剣よりか幾分こっちのほうが、本当に誇りうんぬんより
 聖戦に命売ってると思うけど……」
「馬鹿、逆、古臭いじゃ。ディースター師匠はいうにはなぁ…あの形には深き森森
 の中で育ち、神の恵みを愚かな罪を背負う人間に与えてくれる礎なのだぁあああっ
 とか、ぬかしやがる。シルヴェスみたいな考え方は微塵もねぇよ」テオはそう言いながら
大げさに腕を広げ、声真似をしながら若干迷惑そうな表情をした。だが、別にそこまで
全力で否定する様子は見られない、とシルヴェストルは感じとってふふ、と小さく
笑みをこぼす。なんだよ、と不信そうな顔をするテオを彼はなんでもない、と
軽く受け流した。そして「信心深い、いい師匠じゃないか」と少しだけ羨ましそうに
言ったのだった。

「はっそうかぁ?俺はギャストン卿の方が、頼りがいがあるぜい。なにせ
 あの目の前の獅子すらも赤子の四肢のように軽々と扱う飛竜の息吹!
 あんな重そうな鎧をもマントを翻しながら、土を踏む猛々しさ!
 まっ、そんなことよりも剣をだな」
そういいながら地味にするすると手を伸ばす彼に、シルヴェストルは軽く小手先で
彼の頭をこずいて、笑いながら「やるかよ、ははは!」とこの雨の中にも関わらず
、どこまで続いてそうな晴天のように突きぬけた明るさで返す。

周りで準備をする従士達も何事か、と視線を2人に投げかけ始めた。なんだ、と思って
何事もなく通り過ぎる彼氏もいれば何処かやぼったい視線でみる者、見て見ぬふりを
しながら頬に微笑を讃えて通り過ぎる彼氏もいる。だが、どう反応していても
再開を喜ぶ2人の親友たちにとってはそれは重みもなく街に降り注ぐ雨よりも、
眼中にはない事であり彼ら2人の周りだけでは違う時間が生みだされていた。この
場所だけには雲の城壁を創ったかのように、鼻をむしり取るような血の匂いも、
目が泣き叫ぶほどの砂塵も、銀歯を光らせ首を狩る銀刃も、無かったのであった。



イェルサレムの街は十字架に押され、幸福の死への道を皆一様の瞳で歩き始めて
いる。その瞳を少しでも見当違いに輝かせたり、今の時点で濁らしてしまったら
それは聖戦に赴く瞳から一斉に睨みつぶされるという事であろう。
その証拠に、少しタイミングを間違えた教会の鐘が、白い雨のかかるぼやけた
輪郭の彼方で一つリズムを外して鳴っていた。三度ほど、リンゴーン、リンゴーン、
リンゴーン、と鳴いてから、その遠くの鐘の音はすぐさま聖戦への道のつたいを
間違えてた事に気付き、音は止んだ。おおかたそこの間抜けな修道士が気付き、
鳴り響く鐘に間抜けに抱きついてでもして必死に止めたのであろう。どんなに気高く
澄み切った和音でも、時を間違えればそれは律を乱す旋律として調律されるのであった。

間違いの鐘が止まって、たった数十秒後、今度は街中で一斉に鐘が鳴り始めた。
ゴウン、リイン、リイイン、ゴオン。空に大きな十字を切りながら、イェルサレム中
の教会という教会で鐘の音は清らかに謳い始めたのだ。それと時を同じくして、
テンプルの騎士達は神殿の丘、ソロモンの神殿から一斉に足並みを揃えて、
神殿へ参詣する使徒の如く歩み始めたのである。

馬車や馬などを隊列に交えて160余の軍団は、珍妙なほどに綺麗に街を下っていって、
人々が歓声をあげながら窓から身を乗り出していく中、真っ直ぐに進んでいった。
ざっざっざっざっ。鐘の音に合わせるかのように、戦士達の羽は厳かな和音と
なって羽ばたき、その和音を広げるかのように街の人々は黄色い音を送る。
そしてそこには、律を乱す旋律は元より流れていなかったのであった。


十字架の戦士達は重いはずの足取りを軽々と運ぶ。足元に死が口を開けて絡みつこうとも、薄い
雨が顔を濡らそうとも、彼らは背中を押されていた。しかしながらも、背中を押されていること
には全く持って考えの中には無いのである。凛とした顔の旗手が持つ十字の旗がばさり、ばさり、
と吼える度に胸で咽び泣く悲哀の獣を彼らはしまいこんで、猛獣の皮を被り聖戦へと赴く。
それが彼らの生き方であった。石の城壁を出る、この時ばかりは皆、道端に転げる群青の
口付けの味を忘れているのである。


<十字を背負う者達> 第4話 猛り

2011年08月10日 | 小説

ここが父が居た所、ここが選ばれた騎士が居た所、眼前まで迫る過去の夢は今や現実となって
手招きしている。その手から発せられる美しい花の香りは、緩やかに彼の体を包み込んで誘惑の
ステップを動かす足に覚えさせようとした。さぁゆっくり、足を右へ、左へ、前へ、後ろへ。
誘惑の舞踏曲が耳元で妖艶に囁かれる。

シルヴェストルは寡黙な面持ちな騎士の隣で、一番端の席に静かに腰を下ろした。喉まで出か
ける、欲望と野望を心で必死に振りほどきながら。駄目だ駄目だ。心の中でそう言い聞かせた
けれど。けれど……やっぱり……。すぐさま正直な心はリズムを取り始めた。
高揚する気分は野心と共に飛び上がって、道化師のように踊り狂う。心の演劇を見て彼はどう
にも含み笑いが出てしまっていたのだ。頬の緩みが隠せない。緩まないようにしても、あいつ
は数秒で赤々と織り込まれたカーペットの上で緩やかなリズムを。そしてじょじょに激しい
ステップを踏み始めた。

彼が野心に浸かるのを必死に押さえて頬の緩みが出ないようにして、腰をかける。
すると隣の騎士は厚く、深緑色の表紙をした羊皮紙の本をぱたりと閉じた。ラベルをみると聖書、と
流れるようなラテン文字で描かれていた。どうやら彼らは従士のような、少なくとも突然襲い掛かっては
こないのであろう、本物と称してもよい騎士達のようだった。

隣の騎士は不意にこちらの方を向く。
「私どもの部下がシルヴェストル卿とは露知らず、とんだ御無礼を謝らせて下さい。
 申し訳ございません」
内心、腹が立って立ってしょうがなかった彼だが、騎士の深緑色の瞳に導かれて自然に落ち着いて
いることに気が付いた。自分の胸に耳を傾けてみる。暴れる馬は深緑色の草を見つめていたのだ。
「い、いや、大丈夫ですよ……気にしませんから」
「つっかかってきた従士も戦を前にして精神を病んでいたようなんです。
 よく言い聞かせておきますよ、それにしても。
 貴方はとても若い……これがテンプル騎士団としての初の戦となる……かな?」
「ええ、まぁ。アハハ、笑えますよね。こんな年齢で傾きかけた貴族の当主なんて……」
乾いた笑いをあげたとたん、急に目の前に病んでいる母の姿が浮かぶ。彼女が向かう道、水面に触れる
と融けてしまいそうなほどに脆弱な足取りで道を歩く。細い桟橋を渡り、十字架の丘へ歩みを進める。
頭の中が急に黒く渦巻いていくのを、シルヴェストルは感じた。彼と彼の母との距離は歩を進める度に
遠くなったり、近くなったり、

黙り込んだ彼を一瞬不安げな面持ちで目をやりながらも、騎士は話を続けた。
「貴方の父が天に召された時、私は丁度、この騎士団へ参入を果たした。そうですね……たしか
 私はこの聖地で生まれた子で最初に騎士叙任式を経たんですよ。その時からは彼、ギャストン卿は
 テンプル騎士団の騎士団長を務めていたけれど、彼は本当に私によくしてくれた」
「それはそれはまた稀有な待遇ですね……ああ、彼は本当にすばら」
「けれど」
騎士はシルヴェストルの言葉を遮った。突然の切り返しにぎょっとして顔をまじまじと見つめる。
彼の瞳に目をやると、それはとても深い深い緑色。深すぎて底の見えない緑色。草苔の生え茂った
枯れた古い井戸の淵から底を覗くかのように、その緑は深い。神秘的なオーラ、とでも言うのだ
ろうか。……いいや。一瞬考えてから頭で否定した。それは神秘的とは無縁のまったくの何か
だったのである。いうなれば、流浪の旅を続けながらも何故か目的地を見失った、
ワタリガラスの様だった。

何かを訴えかけようとしたのか、騎士は口を開こうとした。だがそれに突然被せてくるかの
ように、血管の浮き出た力強い掌が口をふさぐ。中央の台座の方で、太い声が轟いた
のだ

「神と誓わされしテンプル騎士団の戦士達よ」
一瞬、空気がびりびりと震えるのが、シルヴェストルには分かった。手足の血管がまるで
一瞬縮まったか、と錯覚する。真っ白な皮のガントレット越しで目の前に持っていき、
凝視すると中で何かが暴れまわっているようにも思えた。

ギャストンの咆哮は広間を力強く駆け抜け、その刹那、規律の整った静寂が大広間を包み込んだ。
普通、静寂とは常にばらばらに、風に踊らされる小切れの雲のように拡散していくものである。
しかしながら、この白亜の大広間に等しく詰め込まれた戦士達はギャストンの打ちこんだ一発の
巨大な突風によって、まるで地下墓所のような厳かな雰囲気に包みこまれていったのであった。

「かの地、聖地イェルサレムに」彼は白銀のマントを翻し、礼拝台の前に立ってこの大広間全体を
見つめるかのようにして凛とした声を響かした。皆、彼に耳を傾ける。空気が張り詰め、ただ聞
こえる音というのは神殿に打ちつける雨音とたびたび聞こえる布の擦れる音だけであった。

「……かの地、聖地イェルサレムに我らがこの国を築いて既に数十年となる。幾ばくもの流星に
 見守られ、恒久の月と陽にも身を委ね、きび色の大地に堂々たる面持ちを構えてくれた
 この神の地。それ邪教の民から救い出したのは皆も知っている、あの高貴な騎士達が集った
 十字を背負っていた者達であった。

 遠征のち、今現在では18の騎士達が騎士修道院テンプル騎士団となり己の刃を敵の忌の身に
 切り付け、難を開いてきた。この場に集まっているのは13の騎士達とそれに続く150余の
 騎士団員達。遠くの領地から はるばる戦に身を投じる覚悟を決めた、騎士と従士諸君。
 特にゲルマンの地の一角を統べるディースターヴェーク卿等のはるばる遠方からの参戦には、
 心から感謝の言葉を述べたい、ありがとう」
ギャストンはそう言って、騎士の一人、ごつい熊のような大男のディースターヴェーク卿に
一礼と大広間の真ん中に陣とる緑色の十字が入った、従士達に一礼をした。彼は続ける。

「今やこの地で生まれ育ち、若き騎士となった者もいる。今回の戦ではこのテンプル騎士団
 創立に携わった私の盟友であり、よき理解者であり、そして、良き対立の運命に置かれた
 相手でもあるユーク・ド・パイアン卿の息子である者も共に闘う。……まぁ幾名かは、
 つい先の騒ぎを起こす前は、ビザンチンの盗賊街で騎士の格好を盗んだ、とまで言い出す
 不届きな輩がこの中にいたようだがな」
大広間の角で笑い声が上がった。その笑っている連中の中にあの若い男をシルヴェストルが見つ
けると、もう怒りなどでは無いどうしようもない気分になった。

「どんなことがあろうとも、私は共に聖地をその掌に収めようとする邪教の使徒と戦う者が
 いることは喜ばしい事と思う。このテンプル騎士団の時代、イェルサレムに近づく悪食を喰らう
 者を退ける機会はじょじょに多くなるだろう」
厳かな口調で、話を続けた。彼の声と共に神殿に打ちつける雨音はさらに強く、大きくなっていく
様に思えた。

「我々以外に、この聖地を護りぬけるだろうか?いいや、いない」
ギャストンは片腕を上げて、声を張り上げた。途端に、雨音が急に退いていくのを感じる。まるで
神殿の中だけ違う世界のようだった。大広間の中に熱い雲が流れ込んできたかのような、おどろ
おどろしい熱気が辺りを立ち込める。しかし視界は恐ろしいほど開けている。前に見えざる者が
立ちはだかっているはずなのに、ただただ前方にあるのは明るく、永遠にも感じられる明光。

その世界では金属の擦れる音が、心を鼓舞させた。

「我々以外に、この聖なるイェルサレムの栄光の時代を護りぬけることはできるだろうか?
 テンプル騎士団の戦士達、キリストの使徒達よ」叫んだ。
「君達は幸せだ。この聖戦でたとえ神の元へ召されようとも、必ずや眼前の光を絶え間なく
 受けることが出来るであろう」呶鳴った。
「今こそ、この戦場にグレゴリオの聖歌を轟かそうではないか。
 タンブランの音を身に纏い、十字の旗を背中に背負って、端麗な白刃を振りかざし、
 どんなに血の雨が地を覆い尽くそうとも」

彼は咆哮を上げた。拳を握り締め、天上まで届いていきそうなほどのその力強い突きは神殿の空気を
揺らす。柱を揺らす。そして人の心すら揺らした。大広間にいる従士達からも咆哮が拳を突き上げて
あがった。武器を片手に突きあげる者もいる。弓、槍、剣、盾、すべての武器が空を切り裂く。
全従士達が立ちあがり、叫ぶ。男達の咆哮は神の子の十字架さえも容易に震わせた。

ソロモンの神殿は地ごと震えあがる。

その時、ギャストンは不意に両手を上げた。それが制止の合図となり、また静けさが大広間を
包み込んだ。そして彼は最後の言葉を、まるで呟くように言った。けれどそれは千里の心根すら
貫く脅威をもつ槍となったのである。
「聖なる戦いに、逝こうか」

神殿が震えた。戦士達は哮り立つ。気が付くと、シルヴェストルも眼前の光を受け、片手を空に
突き出していた。