小説部屋の仮説

創設小説を並べたブログだったもの。
今は怠惰に明け暮れる若者の脳みそプレパラートです。

<帝国の灯> 第7話 抗う者の誇り

2010年10月21日 | 小説
インドネシアの島々は個々に美しい状景を持つ。それはたとえ小さな小さな
島、それだけではなく岩礁、浅瀬、それぞれが素晴らしい芸術のタネであった。
夕日を浴びるそれらの細く、しかし長い影は揺れるインドネシアの水面に身を任せ
フワフワと漂う。影は水面近くを泳ぐ魚達を誘惑させ、ときおり夕日の赤い水面は
キラリキラリと小魚たちが舞う反射光で、一層その魅惑を引き立たせていた。

そんな中、それらの光景とは不釣り合いなほど不自然的な物体が荒いエンジンの音
とともに波を切り裂く。赤い夕日は水面と同じように均等に芸術的な光を、
コウコウと届けるが残念ながらその物体はそれにこたえることはなく、ただ鈍い
金属質の反射光だけを水面に投げて去っていく。
水面近くを泳ぐ小魚たちは突然の来訪者に今まで影と光、両者とともにダンスをしていた
ことはすっかりと忘れ、いつものように集団で何も考えずに海に潜っていった。

不自然な物体―もとい甲、蔵助、ベリー、テドラデ、ダミアンの5人を乗務員と
して乗せた細身のフォルムをもつ高速船は、先の戦闘で若干後方が傾き傷ついていた。
それにより早急な修理が必要なのだろう。傾いたところは痛々しく機関砲の弾丸が
めり込んだような跡があり、応急処置の溶接もあまり完璧には
覆い尽くしていなかった。

ボートは太陽の光にいざなわれるかのように、じょじょに落ちていく影が並ぶ水面を
進む。あたりは岩礁が多くなり、海流の流れも大洋に比べると変化があった。
その変化は緩やかながらも、最終的には劇的なのだ。

………………………………………………………………………………

ボートの操縦席は2席あり、それに雑務をこなせるゆとりがある副操縦席と、おもな
操縦を任せられる操縦席はいろいろな機器が詰めあわされたようなタイプであまりゆとりが
なく、無駄のない。
そして、副操縦席にはフランス人の銀髪白色恐怖顔面恐怖空気をまとうダミアンと、
ブロンドの肩程度まで伸びたショートヘアーであいらしい顔立ちのベリーが
メインの操縦席に座り、どうもちぐはぐだな。と甲は思った。
操縦席の後ろでは蔵助がふんふん鼻歌を歌いながら、フロントディスプレイから外の
様子を眺め、その隣で甲は船室の壁に下手にスイッチを押さないように場所を
とりながらもたれかかって、眺める、というより傍観をしていた。
実際、ベリーはそこまで腕に筋肉や力があるようにはあまり見えなく、どうやって
この大きな船を動かすのかひどく疑問に思っていたのだ。

すると、ベリーが振り返る。彼女は操縦桿を握りしめなおしながら、少し
落ち着かない様子で船室の隅にある時計を眼を細くして凝視した。甲が見ると
時刻はおそらく現地時刻だろう、6時40分をさしていた。
甲は驚愕する。なんていったってジャワの空港に着いたのはもう半日も前だったのだ。
この間、自分は意味もわからずレジスタンスの仲間になっている。
あの今までの居心地が悪い高校とは違うのだ。担任に嫌われ、親を侮辱され、
意味もない忌の視線を浴びせられることもない。その事実と、今の意識が
甲を妙に興奮させた。

「さてティトーまでもう少しだね。ささ、急ごう急ごう。
 ライトを点けるのも危ないし。」
ベリーは明るく言って、眼前の美しい海と太陽にさもスピードを求めるかのような、
見る者をドキッとさせる魅力的な視線を投げた。

「急ぐのは良いことだ。」蔵助は息をつくような声で言う。若干、その言葉は震えて
いるようにも甲は思えた。
「君の操縦はあまり見ないから何も言えんが……。もう少しゆっくり岩礁の中に
 侵入してくれないか。正直、こちらはハラハラもんだ。ただでさえこの船、
 あまり健康体じゃないんだぞ。」
彼の言わんことはすぐに甲は分かった。前方に目を凝らすとどうも、この船はほぼ
エンジン全開かつすぐそばを小さな水面から突き出た岩岩の間を通り抜けていた。
まるで岩が高速で横をすり抜けている、と錯覚するほどそれはスリリングなものであり
暗くなり始めた海であると一層、恐怖感をあおっている。

「あら、そんなにクラって小心者だったっけ?」彼女は小悪魔のような笑みを浮かべ、
蔵助のことを見上げる。
「安心しろ、ベリーはまぁやらかさんだろ。」ダミアンがつぶやくように援護する。
「まぁ、じゃなくて”絶対”よ、ダミアン。私、この航路は目をつむったって
 覚えているところよ。no problemだわ。それにあんまり遅いとヴィヴァー爺さんに
 怒られちゃうわよ、いいの。」
「そうか、まぁ……わかった。ただ、要人が乗ってるってことを忘れないでくれよ。」
蔵助はそう言いながら甲のほうにちらりと視線をやった。
甲は要人、と言われ自分がこの中にまだなじめていない、そう直感した。今の蔵助の
視線からもわかる。彼の眼は明らかにまだ”緊張”を解いていなかった。だが、それは
甲にもあった。つい先の気を失う要因の一つに大きなわけがあるだろう。

「そうえばテドラデは?」不意にダミアンが口を開く。
「ああ、ついさっきボートの上で火器のメンテナンスやってたぞ。
 ……甲さん、悪いがやっこさん呼んできてやくれないか。」
甲はその言葉に驚いた、が、すぐに蔵助がなぜ、自分にそれを呼びつけたか甲自身
なんとなくわかった。
(話でも…させるつもりなのかな。)
そう、蔵助はどうやらテドラデと話をさせたいようなのだ。
にわかに不安定な感情がふつふつとわきあがる。
そうすることで何を得られるか、甲はわからなかった。もしかしたら怒鳴られる
かもしれないし、失望された目で見られるのかもしれない。もっと状況が
悪ければオーストラリア海軍の兵士を殺したように、銃口を向けるかも
しれない。
それはない、と思いつつも変な思いが立ち上った。いつものひどい考えだ。
ポジティブに行こう。彼は自分に言い聞かせ不安げな面持ちを隠しながら、
従順に返事をして操縦室から出て行った。


甲は船の甲板に出た。暖かい夕日はほぼ水平線にしずみかけ、今はただ
夕闇がじょじょにインドネシアの海を支配しようと、じわりじわりと手を
のばしていた。その様子に甲は美しさを感じながらも、同時にのみこもうと
する夜に恐ろしさを感じた。
(もうこの日本から外へ出て、夜が暮れていく……。
 オレって……どうなっちゃうんだろう。
 おじさんの家も……でも……。)
彼は一人悩ましく思う。日本には自分を両親代わりに養ってくれる叔父叔母も
いる。彼らは自分に愛情に近いものはあった。事実、2人とも子供はできなかった。
だが、それは親の愛とは違う。甲は育っていくにつれ、そう考え始めたのだ。
彼が一番痛感したのが自分の両親がスパイ容疑で連れ去られ、真実を告げられた
時。その瞬間、両親と叔父叔母夫婦、その壁が感じられた。
どこか無機質めきながら彼らは甲の両親のことを非難していた、そう感じたのだ。

甲はひとしきり、外の情景をながめ思いにふけったのち、思い出したかのように
テドラデを探しに甲板のほうへ歩み寄った。
彼はすぐに見つかった。こちらに背を向け座り込み、何かを持ちながら
ぼぉっと海を眺めていた。よく見ると銃を持っていたようだが、手は止まって
いてメンテナンスなどしている様子はなく、ただ上の空で眺めているだけであった。
どうやら甲が背後から近付いていることも気が付いてないらしい。

甲は一つ、呼吸を吸い。
「テドラデさん」と、呼びかけた。
すると、テドラデは特に驚く様子もなく、ゆっくりとこちらを座ったまま
振り返った。実は気が付いていたのではないか。
「ああ、コウか。もう、体調は大丈夫なのか?」
「……ええ、はい。大丈夫です。」
テドラデの表情には微笑が浮かんでいた。まるで慈悲のような。だが、
その顔にはどこか不自然なところがあった。無理に笑っている、そう甲は
思ったのだ。夕日に照らされて彼のグルジア系独特の彫りの深い顔には、
深淵をのぞくことができない真っ黒な影が作られ、そこに何か甲とは
持っているものが違う、何かがうずまいている。
彼は薄茶色の短髪を風に自由にもてあそばれながら、甲から目線をはずして
おっとりとした目つきで荒れることのないおとなしい夕闇に沈みつつある
海を見て「きれいな海だ。」と、ぼそりとつぶやいた。

(え……。)
突然のその言葉に、少々驚きながらも。
「操縦室で蔵助さんが呼んでいますよ。行きましょう。」と。呼びかける。

しかし、テドラデは甲の言葉がまるで入らなかったかのように、話し始めた。
「だがな、コウ。このきれいな海はすべて容姿端麗って訳じゃないんだ。」
彼は突然口調を変える。彼は甲のことを見た。夕日の陰で、瞳は見えない。
まるですべてに絶望したかのような、あきらめきった無気力な声だ。
ついさっきまでの美しい海を眺めた時の、詩的な思いをはせている彼とは
まったくの豹変ぶり。甲は黙って彼のことを見つめる。

すると、彼は不意に目をそらし手元にあった懐中電灯を手にとって、
スイッチを入れ点灯させて、夕闇に染まりつつある海に照らす。
「いいかな。ここに照らされた光は、美しい、端麗、鮮やか。
 そういう表向きな面さ。一つのこの丸いところしか、まずは見ない。
 円から外は見向きもしないところさ。」
ボートの進んだときに発生する波が懐中電灯から発せられる、まるい光の
スポットライトにあてられる

「けれど、ここから少しはずすと。」彼はそういいながら、ついさっきとは違う
方向に光のスポットライトを当てる。
「そこにはどん欲なエゴ、支配、恐怖、欺瞞が回っている。」
そう言って言葉を切った。語調は強くはない。だが、静かな静かな口調は
スポットライトの切れた海の中では、重く深く、のしかかる。

「どういう意味かわかるか?」
テドラデは甲のことを再度見つめた。
彼はただひたすら黙ってテドラデの目を見つめる。
何となく彼の言わんとすることがわかっていた。

「所詮、この世界は端麗な世界とその外側には目も見せられない邪悪ってのがある。
 すべて二極性なんだ。
 それを理解したうえで、俺の話を聞いてほしい。ちょいと昔話になるかな。」
彼はそういいながらポケットから煙草を取り出し、火をつけおもむろに口にくわえた。
日本ではかぎなれないきつい刺激臭とも香料とも、なんとも不可思議なにおいが
漂い甲のことを包み込む。
彼の語りはまるで2人を色のない霧で包み込んだかのような、見えずらく、だが
出ることができない空間を作り出したのだ。

「俺はな、最初からこのレジスタンスに志願して入ったわけじゃないんだ。
 3年前、ここの前はグルジア軍の通常陸軍から選抜された、特殊任務を
 専門とする部門にいて、そら毎日血を見るかのような地獄だった。
 訓練、訓練、訓練。ケツが4つほどに割れるんじゃないか、とも思っちまった。

 訓練生時代を卒業すると3か月おきに必ず任務通達はやってくる。
 それは毎朝、5時の訓練の前。常に毎朝、戦々恐々の日々を送っていた。

 要撃任務、暗殺任務、そんなブラックオプス(公には乗らない事件)
 はザラだ。ひどい時にはナイフ一本だけ持たされて、ジャングルの
 中のイタリア軍将校を暗殺しろ、なんて命令をも下された。
 武器はもちろん、現地調達。
 サバイバルだった。毎日が生と死のはざまの極限状態だった。
 なにせ成功しなければ死に、撤退を許されることはない。

 そんな俺に3カ月毎の任務調達が早朝、やってきた。
 すさんだ気分で俺は任務通達専用の全方位コンクリート固め、照明も
 ない部屋に通されて、新しい任務に着こうとした。

 だが、それは間違いなく今までとはまったくもって異質だった。
 長官らしき男は俺に、いつも通りの口調でこう言ったんだ。
 
 『反枢軸体制のレジスタンスへ素性を隠し潜入し、情報をこちらへ提供せよ』
 ……俺は耳を疑った。なにせグルジアもロシアと並びに半枢軸体制の国家だ。
 なぜ同じ状況下の組織をわざわざ秘密裏に、監視、するような行動をするのか。
 それはきっと、お偉いさんの事情らしいが、どうもキナ臭い思想があるんだろう。
 信用できない、けっして味方ではない。だから俺を情報収集、スパイとして
 よこしたんだ。

 いろんな思惑をはせながらも、俺はこのレジスタンスに入った。
 入った時、それは俺にとって苦痛かと思った。違う文化、違う宗教、違う
 人種。すべてにおいて違うところへ向かうのは、苦痛かと思っていた。
 こんな中で軍務を果たせるのだろうか。いいや、果たせなければ
 それは死を意味していたし、果たすつもりだった。

 だが、違った。同じ思想のもと、同じ覚悟のもと、同じ旗揚げをしていくものたち
 の中で生活することは、すばらしく充実な毎日だった。
 その中で任務をこなしていくことこそ苦痛だったが、それでも俺は毎日、
 グルジア軍にレジスタンスの動向をちくいち連絡した。

 レジスタンスでの生活に慣れ始め、いろんな奴らともつるめる様になってから
 少したった時。今から1年ほど前、枢軸の正規軍にたいして襲撃作戦が決行された。
 内容はインドの南部にあるドイツの集団農場、まぁコルホーズってやつか。
 集団農場では非人道な労働、劣悪な労働条件下で奴隷的な経済生産が横行してたって
 もんで、そこでレジスタンス達の出番だった。

 その中、俺も10名の仲間たちとともに参戦していた。
 襲撃の首尾は上々だった。先にスパイとして集団農場内に潜入していた仲間の
 一人がケツの穴がひっつきそうな顔して、労働者に説得し、なんとか
 内側から扉を開け、襲撃は開始された。

 ドイツ軍の連中はお粗末なもんだった。農場警護なんてたるい仕事をしている
 帝国主義者の犬どもにたいして、闇討ちとだけあって俺たちの奇襲はかなり
 利いた。すぐさま帝国に忠義な連中はこっちに反撃を仕掛けようとしたが、
 重火器を持ってしても、俺らの綿密な作戦にはかなわなかった。
 事は作戦通りに進み農民たちを逃して、とんずらをこく、そん時だ。

 俺は納屋のすみっこでガタガタ震えてるドイツ軍兵士をみっけた。

 奴はただただ小便もらしそうな顔で納屋にいた。武器も何も所持せず
 頭抱えて、母国語らしき言葉でつぶやいている。俺のことには気づいて
 いたようだが、こっちにはいっさい視線は送らなかった。
 ただ、作戦放棄した非武装の男だ。……が、俺はそいつを何もためらいなく。

 殺した。

 頭を拳銃の弾でぶち抜いてな。あたり一面に奴の頭蓋の破片が飛び散って、
 いつものありふれた光景が広がったさ。
 俺は作戦通り、帝国の犬どもを殺しただけ、だ。」

テドラデは言葉を切った。海風がそぉっと彼のくわえる煙草に空気を与え、
それは従順に少しの火と匂いをあげるだけだ。
甲はテドラデの顔をまじまじと見つめる。しかし、テドラデはただ煙草をくわえ
何を見つめているかもわからない、光の入らなそうな灰色の瞳で海を見つめ、
じっとしていた。
潮がべたっと顔に張り付くような感覚が甲にはあったが、今はそれを気に
することができないほどに、2人の間には語り手と聞き手の関係が成り立ち、
崩すことのできない”壁”が同時に立っていた。

「だが。」そして、テドラデは口を開く。
「だが、俺はその兵士を殺した瞬間、いきなり右頬を殴られた。
 強く重いパンチだったよ。今でも覚えてるさ、この感覚。それをやったのは、
 今のレジスタンスのリーダーだ。
 彼は俺のことをぶん殴った後、胸倉つかんで釣り上げるような形になった。
 俺はその時、抵抗しようと思い、右足をけりだしたが……奴はその前に
 血風呂となった納屋の床にたたきつけた。

 意味もわからなかった、といえばウソになるがどうも抵抗する気にはなれなかった。
 奴は俺をひどく鋭い、だが……悲しそうな目つきで睨みつけて、はき始めた。
 『貴様には”誇り”がないのか。生きる者としての誇りがないのか。
  変えるものとしての誇りがないのか。あるなら、ただ、むやみに
  誇りを汚すな。
  貴様がグルジア軍からのスパイってのはとっくにわかっていたよ。
  どっちかを貴様は選べ。そして、どっちかの”誇り”を胸に入れろ』

 その時から、俺は古巣のグルジア軍への通信をやめた。
 安直な話だろぉ?俺はただの臭い、臭い一言ですべてを棒に振ったのさ。
 まるでアメコミの世界だ。

 俺は国を裏切ったことにもなるが、もう、そんなものどうでもよくなったんだよ。
 本当のレジスタンスってのが、奴のおかげで少し触れることができたんだ。
 俺はコウにも、知ってほしいんだ、みんなも。抗う者、っていうのをな……。」
 
彼はそう言って、いきなり立ち上がった。
そして、つかつかと速足でキャビンの中に入って行く。その背中には何も、
感じることができなかった。思い出に浸った憂いもなく、ただの悲しみもない。
彼はただ、”語る”、その行為だけを甲に残した。

甲はその場に十秒近く、無心で立ちすくんだ。もう夕闇は確実に迫ってきており
あたりはオレンジのまぶしいほどの彩光は薄れ、暗い暗いものが背後にいた。
彼は思う。テドラデが何をこちらに問いかけたのか。
少し、わかった気がしていた。

革命だ、殺しもする。けれども、誇りを忘れるな。
レジスタンスもだ。甲は常に弱きもののために強大なものに向かって、
立ちあがっていく勇者たちの集団、その”端麗”な部分しか見ていなかった。
すべてを受け入れるのなんて、できるのだろうか。

甲は、苦悶した。決して顔には出さずに。