小説部屋の仮説

創設小説を並べたブログだったもの。
今は怠惰に明け暮れる若者の脳みそプレパラートです。

Fall rain rain rain  第4章

2010年04月27日 | 小説
俺はポケットからある女に渡すはずだったブローチを取り出し、片手でそれをそっと、包み込んだ。

ああ、もう終わったんだ。これからは列車の時間はずらそう。もしあの電車でまた会ったら何を考えるか、分からない。
降りる駅が近くとも離れなければ、俺はどんな行動をするか分からないからだ。
もう……終わったんだ、俺。
俺はスーツの袖で目から滴るたったの一滴の涙をぬぐい、ふっと息を吐いた。
その時。

パァン。乾いた銃声。
俺の耳に届くのは混乱。心臓が、急に激しく動き出す。体中がざわざわと鳥肌が立って、視界が狭まったと錯覚する。

俺はついさっき閉めたドアを勢いよく、押し倒さんとばかりに開けた。
開けた瞬間、俺の鼻腔をつくのは立ち込める火薬のにおい、そして血の臭い。俺は思わず顔を歪めた。嫌悪と、悲しみの二つか、
俺はどちらか、この時に自分では判断できなかった。
ベッドの上には、自らの頭を血で塗らせ拳銃を握ったまま絶命する、エミリーがいた。彼女の顔からは
じょじょに生気が失せていき、血液はそれと相対的に濃度を濃くしていってベッドを真っ赤に装飾する。
それでも、彼女は美しい。

頭から血を流している以外は瞳を閉じ、口も閉じ、ほっそりとした手足も適度に形を造り、とても壮絶ながら美しい死だ。
だが、自ら、命を断つなんて、愚かなこと。不男は口をパクパクさせて俺の事とエミリーの事を交互に見る。
何がどうしていいか、分からないようだ。それはそうだろう。金を払って体を売りに来た女に突然、その男がやってきて、
ひと騒ぎして落ち着いたかと思うと、いきなりの拳銃自殺。普通、ありえない。

俺だってわからない、が、こうして冷静に見てられる自分が一番よく分からない。
何故、悲しめない。何故、冷静だ。仮にも内臓が絞め上がるほど愛していた女、なのに。
俺はいつからこう、なっていった。自分に哀しくなってくる。

俺は、エミリーの事を見つめる。彼女は何を思い、体を売り、何を思い、命をたった。
俺には何も分からないし、その手がかりは何も残されてはいない。
ただ、一つだけ言える事は、彼女はこの人生に嫌気が差した、という事だけだ。

俺は彼女が握っている拳銃を手に取る。触れたとき彼女の手はひどく冷たく、血のりがべったりだ。
拳銃は握っただけでも手のひらは真っ赤に染まる。この血は彼女の血、俺にはまだ流れてはおらず、この汚い
不男に流れている。俺は何とも思わないのか。

すると、突然、俺の横で不男が狂ったかのように叫びだし始めた。何を狂喜している。パニックなんて起こせるか。
「こ……こいつが……こいつがじ、自分でやったんだ……。
 オレは……オレは悪くないぃっ。こいつが……狂ってたんだ……
 ハ、ハハハ、ハハハハハ……」
その瞬間、俺の中で何かが吹っ切れた。そこから先は、覚えていない。

気が付いた時には、俺は血の海の中に立っていた。スーツはびっしりと血糊で汚れ、綺麗に整えた髪の毛は乱れ、
逆立ち、視界はぼやけている。ぼやける視界の中に映るのは血の海の中で胸の数発の銃創から血をドクドクと噴きあげて
いる、あの不男の醜く死んだ姿。
俺はなにをやってまったんだ……。いまさらする後悔。冷静にはなれない思考。
ガチャリ、俺は血の染み込んだフローリングの床に拳銃を落とした。血飛沫が跳ね、俺の顔にピチャリ、とかかる。

その瞬間、俺は改めて2つの死体を見た。
一人はオレが愛した女、もう一人が愛した女を犯した男。何故、俺は男を殺した。疑問を探究していく内に、俺の脳の中に
あの男の嫌な声と彼女の声が、反芻していた。
「ハ、ハハハ、ハハハハハ……」
「ごめんんさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
何故、あの男は笑った。何が面白い。何が、何で……。俺はこみ上げる感情と疑問の波にもまれていた。
心がかき乱される。俺は下唇を噛んで、スーツのすそを片手でグイッと引っ張る。
このままじゃ、このままじゃ……このままじゃ……。何かが俺の中で音を立てて崩壊していく。
それは理性 ? 、心 ? ……いや、どうでもいい、そんなもの。

俺は汚れていた。その手で人を自殺まで追いやってしまい、そして人を殺める。また、手のひらを見た。
この血糊には男と、エミリーという女の血が混ざっていた。何とも言えない、後悔とは違う、そう「憂い」だ。
全てにおいて俺はもう何も感じず、何もしたくはなく、ただ憂いだけが心を支配する。さっきとは大違いだ。
俺は居るだけで耐えられなくなり、この汚らしく埃まみれの灰色の家を飛び出した。

いつの間に外ではポツリポツリと小雨が降っている。空は月をも姿を見せず、俺を照らすものはない。
路地を歩く足取りはふらつき、何回も足元に散乱するゴミ箱に脚を取られた。だが、気にする事はなく、
俺は無心で歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。

気が付くと、俺の脚はあるところに向かっていた。雨は本降りになり、スーツは乾くという行為を一切捨て、ただただ
いらない水分を延々と吸い続け、俺の体温を奪っていく。雨は俺から体温だけではなく、血の臭いを体から捨てさせ、
嫌な感情を追い出してくれた。
そして、俺の脚は立ち止まる。はた、と気が付いて前を見るとそこはエミリーという女の家の玄関だ。
俺は特に何も考えずにノブを回して、家に入る。鍵はかかっていなかったのだ。何故、俺は最初に来たんだっけ。
思い出せない。いや、思い出したくはない。では、何故俺は今家の中に入った ?

俺はまるで最初から分かっていたかのようにこぎれいな家をフラフラと夢遊病者の様に歩いて、すぐに彼女の
部屋と思われる所に入ってしまった。モダンなベッド、整理整頓されたウッドデスク、とてもこじんまりして
アイツらしい部屋だ。そんなところを、俺は赤く染まったスーツと靴であがって、まるで彼女の心を汚している
ようであった。……いや、そんな事は昔だった。もう、俺は何も考えたくはない。感情をすべて丸ごと捨てて投げてしまいたい。

俺は彼女と最初の出会いを思い出そうとする。だが、思い出せない。ただ、メトロの発射音だけが耳にむなしく残り、
そして思い出そうとするたびにベッドの上で裸で頭から血を流しながら絶命していた、彼女の映像が。
俺は思わず目を閉じ、耳を手でふさぎ、何も無いと分かっていながらも外部から物事を遮断した。
もう、ヤダ。もう、ヤダ。もう、ヤダ。もう、ヤダ。
だが、俺の願いはかなえられる事はなく感情はオレから出ていこうとしない。こんなに苦しいなら……いっそ……。

そう思いながら、俺は何気なくこの部屋の片隅に目をやる。全てを拒否していた目を何のために開けたかはわからない。
すると、床の上には一つの箱とメモ用紙、それと手紙が置いてあった。
俺は何かに引き寄せられるかのように、それらを手に取った。箱は一辺10cm程度の立方体でズッシリと、重みが
手のひらに来る。それを開封する事はなく、俺はまた床に置き、今度は手紙らしきものを手に取る。
まだ短い文面だけあり、封筒の中には入れられていない。
そこには、こう書かれていた。

”貴方へのプレゼントです。愛を込めて、エミリーより”

俺は次にその横に置いてあったメモ用紙を手に取る。メモ用紙には細かい文字がビッシリと書かれ、目を近づけ
なければ良くは見えなかったが、最初の一文だけは読み取れた。そして、俺はいまさら忘れた感情を呼び起こす事になる。
”M・ケンバー ノードウェイ33番街8-09 200 $ 34¢”
それは、体をうった相手の名前と、その受け取った金額。

悲しみに打ちひしがれた。忘れ去りたい感情が、また俺の中にため込まれていく。やめろ、止めてくれ。
俺の心の叫びは虚しく、心の中には悲しみが満たされていく。やがて、心の叫びは押し寄せる感情の波に口を開ける事すら
ままならないまま、溺れていった。止まらない、悲しみ、哀しみ、カナシミ。

俺は膝をがくりと付き、手に持っていた彼女の手紙をグシャリと手で握りクシャクシャにする。
彼女の”愛を込めて”が一体、どれだけ俺の事を想っていてくれていたのだろう。体を売ってまで、彼女は金をためていたのか。
それが、俺のため ? 俺は自分の手が、胸が、体が、ガタガタと震えているのが分かった。

しかし、その時気が付く、いくら、哀しみに感情がおぼれていても、俺は涙を流してはいなかった。
心は悲しんでいても、体は悲しんでいない。

「歪んでいる……君も、俺も……」

外では雨の音が鳴り続く。
止まぬしんしんとした音に、機械的なサイレンがまぎれていた。

Fall rain rain rain  第3章

2010年04月25日 | 小説
俺の目の前には派手なコート、赤いハイヒール、いつもの清楚な格好とは比べ物にならないぐらいの
、凄まじいというか、インパクトの強い、表わすならまるで有名人の様な格好だ。
後姿から察するにエミリーであろう。だが、彼女が何故こんな恰好を?
俺は軽い好奇心からなる衝動によって彼女の後を付いていくと決めた。他の人や車道を走る車から
観れば下手すればストーカーとして見られそうだが、彼女とは相思相愛、そう思っている。
特に問題はないだろう。ただ、なぜあのような格好をしているか突き止めるだけだ。

彼女とは約10mほどの距離を保ったまま、夜道をつけていく。淡い街灯の光に照らされている道路は
鈍いインターロックの色を反射させ、彼女を下から妖しく照らす。いつもとは違う格好だけに、
これはこれで美しく見える。正面からは見ていないが可愛らしく幼い蒼い眼と金髪のショートヘアーを
みれば違った美しさを見せるだろう。
気が付いたらそんな事を考えており、俺はブンブンと頭を振って街路樹にたまに身を隠して、彼女の
後ろを行く。

グリニッジ・ヴィレッジの大通りを行く事、約5分ぐらいだろうか。俺の靴やスーツは街路州の植え込みや、
雰囲気の良いレンガの家の玄関の影などに身を潜めていたため、家を出ていった時に比べひどく汚れている。
エミリーは不意に俺の視界から消えた。突然、消えたので俺は驚き慌てながら急いで歩調を急がせ、
彼女が突然消えた辺りに辿りつく。

すると、そこは細い路地であった。モダンな家と家の間は少し普通の路地よりは広くなっており、
大人が2人ほど並んで通れるほどだ。細い路地にはマンホールの蓋が点在し、壁にはエアコンの室外機が
グオングオンと回って生暖かい風が路地を吹き抜ける。地面はニューヨークの路地の様に酔っ払い達の
ゲロで汚れているという訳ではないが、俺の足元をネズミがつつつと横切って行った時は、さすがに
足を引いてしまった。

エミリーは路地を入って15mほど進んだところでギクシャクした様子で歩いていた。初めての場所の様に、
コートやハイヒールが汚れるのを嫌がっているのか、体を小刻みにくねらさせて歩いている。
俺は足元に散乱しているごみやバケツなどを踏んで音を出さぬよう細心の注意をしながら、路地を進もうとする。

だが、路地はまるで俺の事を拒否しているかのようだ。
駄目だ、踏み込んではいけない、戻れ。そう言ってるかのように涼しい夜風がブリザードのように、
俺の肌をうちつけていった。しかし、戻るわけにはいかない。
俺はどうにも嫌な予感しかしなかった。さすがに危機感をも察する。
しかし、真実を知る必要があるかもしれない。そう、俺は決心して路地のに入った。

路地から20mほど進んだところ、エミリーと俺の距離は10mほど、彼女は突然右を向いた。
俺は急に冷や汗が噴き出はじめ、急いで脇の家の陰に飛び込み、恐る恐る彼女の視線をうかがう。
幸運にも彼女は気付いていない。俺は一安心してスーツのすそがすぐ横のパイプによって油まみれに
なる事も恐れずに、心臓をバクバクと言わせて隠れる事と彼女をうかがう事に専念する。

彼女はコートの内側からメモの切れはしの様なものを取り出し、じっと見つめたかと思うときゅっと
口を締め意を決心したような表情になる。そこには可愛らしくいじらしい彼女はいない、孤独で、
冷たくて、何に対しても我慢をする、そんな表情の彼女が居た。
俺は急に何か心に穴が出来たような虚しい感情の渦に巻き込まれた。
今、ここで彼女に声をかけたら彼女はどう反応するだろうか。しかし、考え始めた俺に既に時間は与えられていなかった。

エミリーは2度、扉をノックをする。すると、ほとんど間をおかないと思うほどすぐさま扉が内側に開き、
彼女はそのとたん、開いたドアの奥に向かって微笑む。人は本当に笑う時は目も感情に合わせて笑う、そして
今、彼女が実際に笑っているか、ここの俺からは良く分からない。
そして、何か会話を始めたが俺には聞こえなかった。ただ、今の俺には心臓の音が孤独に反響するだけである。

すると、開いたドアから手が彼女の方に触れ、中に誘った。その瞬間、彼女から凄まじいオーラを感じた。
空気が変わる、そんな感じだ。どんよりとした灰色の路地がどす黒く染められていくのを俺は肌で感じ、
鳥肌が全身に立つのがわかり、ドキリとする。いつもの可愛らしいエミリーではない。

彼女は手に誘われるように、開かれたドアの奥に消え、それは閉じた。
やはり、この危機感は終わる気配を見せなかった。俺は今度は一切の迷いを見せずに、彼女が誘われたドアに向かい、
正面から対峙する。そこはまるで路地裏に安くばった売りされている物件だ。こういう所は常にドブネズミが道を
闊歩し、ゴキブリ達が住居内にコロニーをつくる。
ニューヨークのグリニッジ・ストリートの安アパートを借りてる俺にとっても、最悪で劣悪な環境、こっから
朝を迎え、通勤するためにさらに吹かんかかるメトロなんぞに乗りたくもない。
ニューヨークでこういう所に住んでいるのはよっぽど金がないか、悪い職に就いているか、
もしくはハッカーと決まっているものだ。

俺はドアを見る。いや、ドアというより只の鉄板の枠にノブを付けたような感じだ。赤さびがそこら中にはびこり、
下手にここでけがをしたら破傷風にでもなりかねない。
ノブも形だけのようにしか見えず、鍵穴もたいして役に立っているようには見えず、中まで赤さびは
生活範囲を広げていた。

俺は駄目もとで、ノブに手をかける。その瞬間、俺の手に軽い感触と振動が伝わったかと思うと、カチャリ。
「っ……! !」
なんとドアは、ギィっと低い音を立ていとも簡単に開く。
鍵が錆びで壊れているか、はたまたエミリーを向かい入れた時に嬉しくて鍵を閉め忘れたか、今の俺には関係ない。
落ちているドル紙幣程度はがめるかもしれないが、セント硬貨ぐらいは募金箱に入れる生粋の常識人。自分が他人の家に
勝手に上がり込むなんて考えた事もない。
だが、不法侵入がなんだ。俺の彼女が居るんだ、そんな法律の一つや二つ、関係あるわけがない。
俺はなるべく音をたてずに彼女の消えた家へ入った。その時から、まともな思考回路のタガは外れていたかもしれない。

外から見た見た目通り、中も非常に汚く薄暗い。そこら中にゴキブリの卵があるなんて容易に想像が出来る。
玄関からは直接、キッチンとトイレ、シャワー室が目に入った。どれも掃除は頻繁にされてるとは思えず、灰色だ。
天井や床、壁には埃がびっしりと付着し、床には開いた缶詰、食べかけのスナック袋、そして相当な量の雑誌が
そこら中に散乱している。その雑誌を見ると、なんと全部ポルノ雑誌だ。
俺は心の底に嫌な感情がぐいぐいとツナミのように押し寄せ、かき乱す。
どう見ても、この家の主は男、それも相当なポルノ雑誌の数を考えるとそうとう性質は悪い。

俺は玄関から向かって左側の扉の隙間から漏れる電気スタンドの様な光をみつける。
中からはガサゴソ、そして人がささやくような声。迷いはない。
俺は勢いよく、左側の扉のノブに手をかけを開けた。

「だ……誰だぁぁはおめぇは ? 」
「・・・・・・え ? 」

頭が真っ白にあった。まるで俺の脳味噌が全て雲海にほおりだされ、思考回路だけは地上に残される。
俺の思考回路は一人歩き、止まる事を知らず、はじけ飛ぶまで暴走しそうだ。
いや、これを考えられるという家はまだ安泰なのかもしれない。

嫌な悪夢というものは、現実にあるものだ、俺は初めてその言葉の意味を理解できた。
汚らしい部屋、部屋の真ん中に置かれた味気のないアルミ製の安い簡易ベッド。
そしてベッドの上には、一人の男、一人の女。2人とも裸だ。

エミリー、彼女は薄い布をはおい、ベッドの上で男に馬乗りにされている。
ブサイクな男は卑しそうな表情と驚き慌てふためいたのを交互にさせ、目を白黒とさせる。

「おい、あんたいきなり俺の家に入ってきた何なんだぁっ ? 」
男は陰鬱な物を下半身にぶらぶらさせながらベッドから飛び降りて、俺の胸ぐらをつかもうとするのか、
ずいずいと近づいてくる。俺はそんな事はお構えなしに、エミリーのほうに視線を向けた。

彼女は恐怖に目が開き、おびえた仔羊の様にガタガタと体を震わせている。俺の心臓は張り裂けそうだ。
辛い、それは俺だ。怒りにも似た感情が押し寄せてくるが、それと相対してやってくるのが、”哀しみ”。
俺は自身の今一番あふれてくる感情を表情ではなく、しっかりと目線に乗せ、彼女の事を見つめる。

ビクリ、と彼女は華奢な体を震わせ俺から視線を外した。そして、何かブツブツとつぶやき始める。
乱れた金髪の髪からは輝きが薄れ、目も虚ろ、掴んで体を隠していた毛布もどんどんと、その意味を無くしていた。
彼女はもう、心も、体も、全て表情が現われ裸同然であったのだ。
可哀そうに。
こんな酷い劣悪な環境でゴキブリのよな生活を送る男に、その綺麗な体を売っていたのか。なにが不満だったのか、
俺は理解できない。謝るならいくらでも謝る、だから戻ってきてほしい。だが、彼女は眼を合わせない。

「おい、なんとかいったらどうだぁっ ? 」不男の臭い吐息が俺の顔面に噴きかかる。その時、考えてみれば俺の何かが
ふっきれたのかもしれない。
後ろに手を伸ばすと、俺の手に何かが触れた。とがったような鋼鉄の様な感触から始まり、下におろしていくと
人の手にしっくりくるような感触……グリップか。
俺はそれを素早く手にとって、目の前の不男に突きつけた。拳銃だ。不男の顔から明白に血の気が引くのが分かる。

「…………」俺は無言で拳銃の安全装置を外し、不男の頭に突きつけた。ペイント弾も撃った事無い俺が、
銃なんて無論撃った事もない。だが、今の俺なら何でも出来そうな気がた。
何でもできる、何でもできる、俺の女を犯した男を撃つ事も。容易な事だ。

「あ……あ、あんた……や、やめ……やめろよ。
 あ……ああ、お、女か。返す……返すから……」
不男は切れ切れの言葉で呼吸を荒くして、ベッドの上でブツブツと何かをつぶやく虚ろな目をしたエミリーを指差した。
彼女は呼ばれた時、ビクンと体を震わせ、初めてオレの持っている拳銃を見て恐怖に悶えた表情をする。
彼女の目はうつろから、少し生きた心地をくみ取る事が出来た。

俺はそれを見たとたん、銃なんて撃てない。そう、思った。俺が人間のうちに、こんなものは止めるべきだ。
人間は罪を犯した瞬間、人間ではなくなる。
俺は銃口を男の額からずらし、腕を下げ、拳銃をゆっくりと後ろの机の上に置いた。そして、男の表情も
伺わないまま、耳に何もいれずにノブに手をかけ、その場を去ろうとする。

駄目だ、こんなの……耐えられない。俺は……何をしていたのか。
付き合っていた女が娼婦でも、なんでもやっていけると思ったが、無理だった。なんて弱い心だ。
なんて脆弱だ。これで、一人の女を幸せにしようとしたんだ……笑える。

「……ごめんなさい」俺の耳に蚊の鳴くような声が届く。俺は振り向かない。
「ごめんなさい」また、エミリーが俺の耳に呼びかける。それは彼女の悲痛な叫びであった。
だが、俺にとっても苦痛、叫び、悲鳴。止めろ。
心の中で抑制する。そうしなければ、今にも拳銃をまた取りそうだ。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……
 ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……
 ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

俺は部屋を出た。
気が付くと、俺の目には涙が浮かんでいた。ああ、なんて哀しく虚しい一日だったんだろう。
散乱する雑誌を踏みつけることも、天井から埃が俺の方に積もろうとも、俺の心には止まない灰が降る。
その灰は俺の内側を、埋め尽くしていく。
けれど、埋め尽くした灰はだんだんと俺の芯を冷やしていく。

彼女がどれくらい前からこんな事をしているかは知らない。
ただ、彼女に対して愛おしく想う気持ちはどんどん膨れ上がり、中は埋め尽くされ、そして今は限界。
俺の芯は今、冷たくなっていっていた。
たとえ、俺のせいで彼女がそうなったとしても、今の感情はなかったことにはできない。

俺はポケットからある女に渡すはずだったブローチを取り出し、片手でそれをそっと、包み込んだ。

Fall rain rain rain  第2章

2010年04月23日 | 小説
あの後、俺は2時間ほどあのバーで話をしていた。マスターは遠くの客を相手にして空気を読んでいたようだが、
チョイチョイと視線をこちらに投げかけてくるのは俺は長年の経験上、分かっていた。
さしずめ、部長のご機嫌取りをうかがう感覚の有効利用と言ったところか。
そしてエミリーは俺の話をときには頷いて楽しそうに聞き、ときには俺の親身になって哀しそうに聞き、とても俺の心を
安らかに和ませてくれた。その時の俺は自然と笑顔がこぼれおち、彼女を抱きしめたいという衝動を抑える
はめにならなかったためとても大変だ。

恥ずかしながら、彼女と外で会うのはこれが初めてであった。彼女と交際を始めた日、それはつい2週間前の事だ。
彼女とはメトロに乗っている時、いつも出会っていた女性だった。2車両目の2つ目のドア、
いつもそこのドアのすぐそばに俺は乗っていて、彼女によると、ほとんど同時期に乗り始めたらしい。
俺は初めて会ったときから彼女の事を自分でも気が付かないうちに愛おしく想っていたかもしれない。

揺れるメトロの揺れに身を任せ、チョコンと肩掛けカバンを持ち吊革に手をかける彼女。揺れるたびに彼女の
金髪ショートヘアーの髪の毛は揺れ、俺の心も揺れる。ぎゅうぎゅう詰めのメトロの中でも視線はしっかりと
彼女の凛とした表情を見つめてた。何日も、何日も・・・・・・そんな日が2カ月ほど続いたある時。

あの時は雨の日だった。冷たい雨がしんしんとニューヨークの街を包み込み、地下鉄入口までも冷たい霧雨がぱらぱら
と入り込んでいた。俺はスーツを雨で濡らしながら傘をたたみ急いで地下鉄の階段を下りていきながら、腕時計に目を
やる。腕時計は7時9分。出る電車は7時10分、これに乗れなければ俺は会社を遅刻し、あのブサイクで女性社員に
セクハラを行う紳士とはかけ離れた部長から陰湿な嫌がらせを受ける事になるだろう。

やばい、俺の焦りが最高潮に到達する。だが、1分あれば地下のホームまではたどり着く。いつ通りに電子財布を
改札機に軽く触るように押し当て、人々がごった返すホームを疾走する。学生時代にやったアメフトの血が騒いだか、
わざと人の間を通り抜けていくと、列車がホームに就いた事を示すアナウンスが俺の耳に届く。発射まで20秒。

俺は勢いよく階段を下りていく。ちょうど最後の客が列車に乗り込んだあたりの様だ。
ふう、これで今日も安泰だ。そう列車を見た瞬間、思った。そう、それが俺の失敗でもあったが
良い意味で人生を左右する失敗だった。

ガクッ。俺の革靴は多数の靴の濡れた客が踏んでいった階段で、まるで車が凍り道でスリップするかのように思い切り、
これでもかという具合に滑った。喜劇の一瞬。道化師が階段からリズムをとり降りていき、最後のオチで滑り落ちる
かのように、綺麗に鮮やかに階段を滑り落ちた。そして、2mほどずり落ちたかと思うとケツから思い切り、
プラットホームにどっすん着地。あまりの激痛にしばし周りの目を考える事も忘れた。
しかし、数秒経って周りを見ると通勤のサラリーマンやOLにクスクス笑いが飛ばされてる事に気が付くと、凄まじい
ほど恥ずかしいと思う感情がこみあげ、それゆえに列車が既に行ってしまい遅刻する事も忘れてしまったほどだ。

俺はパンパンとスーツの埃を払いながらいつもの2車両目2つ目のドアの定位置につく。列車を利用する客は
つい先の列車でほとんど乗ってしまい、ホームに居るのは俺や後から俺と同じように乗り遅れてきたサラリーマンだ。
こういう時、女性は雨の事を予想し早めに家を出るのだろうが、あいにく俺や他の男たちはいつもと変わらない。
その証拠にこのホームには女性がまだ居なかった。
俺はやっちまったとばかりにメトロのプラットホームの淵ギリギリに立って、溜息を吐く。
俺は遅刻するのは構わない。だが、あの似非紳士部長になじられ目立つのが嫌いなだけだ。でっぷりとした腹、白い禿げに
豚の様にちょこんと乗った金髪。

ため息は白く済んだ空気となってプラットホームの上にのぼっていき、人々の熱気が立ち込めているところに到達すると
またたくまに俺からは見えなくなっていき、口の中にはただ後悔と会社に行く倦怠感だけが残った。
ああ、やってしまった。そう思い一服しようかとポケットの中の煙草をまさぐる。が、その中には何も入っておらず
虚しさだけしか俺はポケットの中から取り出すことしかできなかった。

向かいには客がごった返す。皆の顔は混雑していてつらそうだったが平穏としていた。
そして、向かいのプラットホームにライトを光らせメトロがすーっとブレーキをかけながら入って、業務的で
いつも繰り返された飽きる動作でドアを開け、客を詰め込み始める。
俺は列車のパンダグラフを見つめ、ああ、と心で呻いた。

その時である。
「あの……いつも一緒の車両に乗ってますよね?覚えてます?」
俺の横でか弱く、だがとてもかわいらしい声が呼び掛けた。左の方を見ると俺の方ほどのところに金髪の美しいショートヘアー。
160もない身長で上目づかいで見つめる青くくっきりとした目。こんなにもはっきりと彼女の顔を見たのは初めてだ。
いつもはごった返す人の波の間に垣間見る天使として見ていたあの美しくかわいらしい女性が、
俺の横で話しかけてきてくれている。

「あなたも遅刻?フフ、偶然ですね」

俺はその時から彼女と親しげに話し始め、この次の日には人の多いプラットホームから彼女を少し引き離して
駅の改札口近くで大勢の人が居ながらも、いままでの想いを伝えた。
列車の中で君を、ずっと、見つめていた。今、この衝動を抑えられるだろうか。こんな本気の感情はいつ振りか。
大学の頃の遊びの様な感覚ではなく、ハイスクールの時の同級生に似た想い。

彼女はとても驚いた顔をしていたがすぐに顔を赤らめ、なんと俺の想いを受けてくれた。
その時の喜びと言ったら、天に昇るなんてものではない。審判の日まで持ち込む勢いであった。
これが彼女、エミリーと俺の出会いと付き合い初めだった。

俺はあの一夜から帰って、グリニッチ・ストリート沿いにある自宅アパートのベッドに倒れ眠りの底へ落ちた。
彼女と酒を飲みながら話してとても楽しかった。アイリッシュ・コーヒーなんて飲んだのは久々、女性と2人きりで
バーで話すのはもっと久しぶりだ。とても、とても、楽しく、楽しく。
それだけだ。とてもぐっすり、悪い夢を見ずに寝る事が出来た。
と、思ったのは思い違いだったようだ。その夜、俺はうなされた。忘れることもできない夢である。

俺の目の前にベッドでエメリーがいる。裸だった。華奢な体がベッドにくくりつけられ、彼女は陶酔した
表情で天井をみつめている。彼女の顔はとても赤く、可愛かったがいつもとは違う妖艶な笑みだ。
その時、俺の後ろからぺたぺたと足音がする。俺が振り向いた時、何ものかが俺の事を通り抜けて
エミリーの居るベッドに向かっていったと思うと、いきなりベッドの上に飛び乗り彼女の事を犯し始めたではないか。
あまりにショッキングで一瞬の出来事により、俺は思考が停止する。
彼女は輪郭がぼやけて何かはっきりしない男に黙って犯される。
止めろ、彼女に、触れるなっ……だが、俺の言葉は喉で押し返され発する事の出来ない。

彼女は延々とギシギシとなるベッドの上で嫌な顔はせず、やりたい放題で犯されている。
しかし、悦びに入った顔ではない。何処かうつろで陰鬱な表情だ。じっと天井を見つめている。
俺は不思議と興奮した感情は湧きあがらず、ただ嫌悪感だけが押し寄せてきていた。

そして、俺は目が覚めた。汗はだらだら、カーテンも閉めない窓からは寝ない街の明かりが
ギラギラと入り込み俺のベッドを明るく照らす。
今でも、あの光景は焼き付いている。ああ、嫌な物を見た。俺はそう思うとまたベッドに倒れ込んだ。
窓の外で蛾が一匹、まるで何かをしっているかのようにひらりひらりと踊り美しく汚らしい街の光にとけこみ、
空へ昇っていき、そして向かいの街灯の上に泊まったかと思うと、消えた。

俺が彼女に買った給料1カ月分のブローチを渡していない事に気が付いたのは、一晩明けてからの事だった。

朝起きて枕もとに転がる時計を無造作につかみ見ると6時、自分でも何時間寝たかはよく分からないが
昨日の酔いは完全に冷め、気持ちの良い朝だ。俺はギシっとなる鉄製のベッドから降りて、崩れたスーツのまま
伸びをして、頭をかきむしる。昨日のムースの感覚がまだ手に染みついていた。

外を見ると相変わらずニューヨークの街は自動車の光化学スモックでうっすらと曇っているようだが、
上空の太陽は隠れようとはせず、すぐに良い午前を見せることだろう。お向かいのアパートに住んでいる
ご婦人殿は既に朝の支度をしているのか、換気扇が回ってカーテンも開いている。

その時、右の内ポケットに変な違和感を感じる。その瞬間、俺は朝の快活感は何処ぞへ消えたか、
やってしまったな、と後悔の念が胸に込み上げてきたのだ。ポケットから取り出すとそれは案の定、
彼女に渡すはずのブローチだ。昨日、酔いどれで結局渡していなかったらしい。

「あああぁぁ……」ドジ、のろま、デレデレ野郎。俺は自分を罵りながら、はたと気が付く。
そうだ、これをチャンスに今日は彼女の家に行こう。住所は既に彼女から聞いている。
グリニッジ・ヴィレッジの34番街1-1-2、あのバーからすぐのところだ。昨日はきちんと送ったんだから
たぶん、向こうに行けば分かる事だろう。
俺はまた気分を取り戻し、会社でご機嫌取りと給料をもらうために従事する事に専念をしはじめた。

夜、太陽もすっかりと落ち、今は午後9時を回った所だ。
グリニッジ・ヴィレッジの大通りはいくら古風なダウンタウンと言っても交通量は多く、車のヘッドライト、
タクシーのランプ、自転車の照明、カーテンの隙間から洩れる光。
マンハッタンほどではないが人工の光が明るく道を照らしており、上にあがる27日の月は申し訳な下げに
暗闇でポツリと輝く。
俺は街路樹が造りこまれた歩道を会社帰りそのままの姿で歩く。季節は5月、申し分ない涼しい夜風であり、
通気性の良いスーツを着る者にとってはまさに天国だ。

今、エミリーの家を目指す俺は鼻歌を唄っていた。何故だかわからないが、気分が高揚する。
彼女にプレゼントを渡す事が嬉しいのだ。が、しかし、俺は今違う欲求を持っていると自覚する。
彼女の家に行く目的を持つ事自体を幸福と感じているのだろう。
人は愛する者のためなら変態にも、宇宙人にも、スーパーマンにもなれるとはよく言ったものだ。

今日はまだ彼女の事は見ていない。電車の中で見てないからだ。彼女の携帯電話に連絡するも、
電話は留守電話サービスになって音信不通、なにかたいへんな用事でもあるのだろうか。
それがわかったら、家に就いてさっさとお暇させてもらう事にしよう、そう俺は考えていた。

彼女の家の住所はあと少し先だった。俺は歩きながら横の家の番号を見る。1-1-0 、もうそろそろ着くはずだ。
この古風なグリニッジ・ヴィレッジの住宅街はどれもお金持ちそうに見える、一軒家が多い。彼女も
アパートなど集合住宅でなければ……いや、良からぬ考えを持つのはよそう。そう、勝手に考えて
女の家に行って自滅した童貞は星の数ほど、世界中に居るんだ。俺は童貞じゃない。
と、心で思いつつも内心、彼女の家に近づくにつれ心臓はバクバクと早鐘をうっていた。
今の俺にとっては、道端のインターロックに生える苔でさえ、こびりついたチョコレート同然。
食って食って食いまくる事もできると変な気分だ。

1-1-1 、よしこの隣の家だな。俺は勇んで家族の笑い声が漏れる家の前を通り過ぎようとした。
その時である。

ガチャ、俺の目の前でドアを開閉するような音が聞こえる。
俺は何故か、反射的に街路樹の陰に隠れ、揺れる風に身を任せるように気配を消すようにした。
コツコツコツ、玄関前の階段を降りる音が聞こえてくる。ハイヒールの様であった。
息を殺し、音源がくるのをまつ。

すると、街路樹の枝の隙間から玄関を下りる音源の姿をとらえる事が出来た。
そのとたん、歓喜を上げるはずが何故か俺の顔の血の気が引いた。ざぁぁぁ、車が横を通る音ではない。
本当にそういう音が聞こえたのだ。
春の風はついさっきまで俺の高揚した気分にリズムを乗せてくれる楽しい存在であったが、いまや冷たくなった頬を
さらに冷たくする最悪な連中になり下がる。

街灯に照らし出された派手な毛皮のコート、赤いハイヒール、そして特徴的な金髪のショートヘアー。
1-1-1 の隣の家、1-1-2 の玄関から降りた人物、後姿だがあの可愛い姿は紛れもない最愛の女性、
エミリーであった。


Fall rain rain rain  第1章

2010年04月22日 | その他
これは、ある脆弱な男の、不幸で、哀しい、物語。

Fall Rain Rain Rain

アメリカ合衆国、ニューヨーク、マンハッタン。
ここはアメリカ随一の繁栄を誇る街。
昼間は人々がコンクリートを歩く高い音、笑い声、歌い声、陽気な場所で素晴らしい。道という道では
大道芸能人が己のパフォーマンスを競い合い、売れない画家も必死にと自己をアピールし売りさばき、
セールスマンは道を切羽詰まった顔で歩いていく。

そして、夜は危険だ。だが、昼間とは違った陽気さを見せる事が出来る。
大通りにはタクシーのヘッドライト、ビルの電飾、オフィスの光、上空には旋回するヘリ。とても、とても
幻想的で素晴らしい、100万ドルの夜景とはよく言ったものだ。

が、下は違う。
路上には浮浪者、大麻たばこを吸う若者、派手な衣装を着た踊り子たち。とても汚く、目にも移したくない光景。
しかし汚れはこの街では必然、これが真のニューヨーク、そして真の人間の欲の姿。

そんな中、俺は下水道や酔っ払いが吐いた吐しゃ物の悪臭が立ち込める路地を一人、歩く。
足元には変に変色したコンクリート、きっとオイルかゲロだ。俺は革靴が汚れるのを嫌がり避けて歩いて、
代わりにそこに口にくわえた値段が上がった高価な煙草を捨てる。煙草は地面に落ちても、数秒、輝いていたが
すぐに地面の色に飲み込まれ俺には見えなくなった。

今日のいでたちを見る。
ピッチリと着こなされた高いが、派手ではなく無難なスーツ。
首元までにしっかりと結んだ落ち着いた色合いのネクタイ。ワイシャツの袖もとめてある。
俺はこの路地にある窓を見る。上からのビル街の明かりに照らし出され俺の顔が映った。

前髪はきっちりと上にあげられ、乱れた若者ではなく少しはねた癖のある白髪の混じった髪。
きっちりと蒼い剃り残しのない顎。凛とした瞳。締まりのあるキュッとした口元。
少し年季の入ったヴァイオリンの様な顔のしわ。

よし、完璧だ。俺はそう、自画自賛してズボンのポケットの中にある箱をギュッと握る。
その中にはブローチが入っている。俺の1カ月分の給料をコツコツと貯めて買った品だ。それも少しはまけたんだ。
宝石もの展の親父は困った顔をしていたが、俺が「恋人に渡すんだ」というとあっさり負けたよ。

そう、これは恋人に渡すものだ。
名前はエミリア・ミッドエル。俺とは10も年下の25の娘だが芯はしっかりとした一緒に居ておもしろい子だ。
彼女はすぐにオレのハートに火を付け、瞬く間にとりこにしてくれた。あの優しい笑み、広い心。
いままであってきた最高の女性だ、そう俺は確信した。そして、付き合うという所まではすぐに行った。

自分で言うのもなんだが俺は昔から、その容姿によって女性にはかなりモテた。大学の時代には3又くらいは
平気でして女遊びにふけったかなりの悪ガキだった。だが、社会の厳しさを知って真面目に生き、今もこうして
きちんと会社に勤めて、その給料でプレゼントを買う、まるで普通の事だ。

俺は路地から出て、彼女と待ち合わせるグリニッジ・ヴィレッジの大通りに辿りついた。
ここから50mも進めば待ち合わせのバーにつくはずだ。
グリニッジ・ヴィレッジはニューヨークのダウンタウンにある古風な住宅街であった。街路樹は夜の街灯に照らされ美しく、
道端に落ちる缶や座り込む浮浪者たちをも、何処となく感情的な想いをこみ上げさせる。

そんな彷彿とした気分でさまよっているとふと、腕時計を見る。
やばい、もうそろそろ待ち合わせの時間ではないか。歩調を急がせ、だが革靴が下の変色したオイルに浸からないように
細心の注意を払って待ち合わせ場所のバーへと急いだ。

あっという間だった。10秒も歩くと別に派手でもなく、この古風な街によく染み込んだ落ち着いたバーに到着した。
レンガ造りの壁にはツタ植物が互いに絡み合い、風雨にさらされた赤いレンガは独特の味を醸し出す。
ここは彼女行きつけのバーの様だ。
俺は彼女のセンスに称賛してバーの扉を開ける。カランコロン、良い音だ。木製の鈴が店の中に来店を告げた。

あまり広くないバーの中では落ち着いた音楽が流れ、誰かがピアノを生でひいているようだ。美しいリズムが俺を既に酔わす。
「いらっしゃい」バーカウンターの奥でグラスを磨きフンフンと鼻歌を唄う皺くちゃの50代半ばのマスターが、
そう言って会釈をし、俺は彼に会釈をし返した。

バーの中に人は多くなかった。1組のカップルがテーブル席に座り窓際の美しい外の光景に酔いしれながら話し、3人のネクタイを
緩めた親父達はL字型のバーカウンターの端で、細々とロックカクテルをカラン、とやっている。
客は4人、それだけしか見当たらない。

俺はコツコツと木製の床板を通ってマスターの方へ向かい。
「エミリー、いやエミリアという女性は此処にいないか?」
と、尋ねる。彼は酒の準備をしようとしていたが突然の質問に少し焦っている様子だが、すぐに優しく落ち着いた顔になって。
「ああ、彼女の事かい」と皺くちゃの顔を笑わせ、「ミッドエルさん、貴方にお客さんですよ」とこの室内の
端にドンと構えている大きなピアノの方へ向けて呼びかける。
すると、ピアノの音は止み、その影から一人の女性が出てきた。

「まぁ!待ちくたびれましたわ!」
俺の心臓が一瞬にして跳ね上がり、歓喜のダンスを踊った。ピアノの陰からは今まで演奏していたエメリーが出てきて、
ててて、と俺のもとへ駆け寄った。

すると。
「おい、もっと弾いてくれよぉ。楽しんでたのにぃ」ほろ酔い状態の親父3人が彼女に呼び掛ける。
どうやら肩飼ってるわけではなくて本当に楽しんでいたようだ。その証拠に、3人の一番端に座って飲んでいる
眼鏡のショボショボとした親父は、何を思ったか涙ぐんでいる様子が見受けられ天井の雰囲気の良いダウンタライトの
淡い茶色の光に彩られ、輝き皺に染み込む際もとても美しく見えた。

「ごめんなさい、ちょっと待ってね」彼女は愛想よく親父たちに笑顔を向けると、親父たちは何処か
懐かしげな優しい表情で、うんうん、と頷いてロックをグイッと喉に入れた。
まるで愛娘を見る感じだ。そして、親父たちは視線を俺に向けるとニヤニヤと下品な顔をしやがった。

次に彼女は何かを要求するようなクッキリとした目で俺の事を見つめる。
「すまない。道に手間取ってな」
俺はそう冷静に言ったが、心臓はバクバクといっていた。
その答えに彼女はフンフン、と頷いてじぃっとこっちを見た。……なるほど、了解した。
短いショートヘアーの金髪、蒼くくっきりとした瞳、吸いつけられそうな小ぶりな唇。
可愛い背丈で俺の胸元程度だが、上目づかいに見つめる彼女はとても美しく、可愛い。

俺は彼女の背中に手を回し、カウンター席へ誘導する。彼女はウフフ、とかわいらしく微笑みながら
「貴方の手・・・・・・大きくて優しいわね・・・・・・」と顔を赤らめながら上目で俺の事を見て言ってきたもので、
「そ、そうか」とついうろたえたような口調で返してしまった。
これではただのヘタレだ。気を取り直そう。

席につくと彼女はちょこんとカウンターに手を出して、マスターに向かい。
「私いつものね」と馴れた口調で言うと、マスターははいはい、と皺くちゃな顔で頷いてやさしい笑顔を彼女に
向け「モスコー・ミュールね。相変わらずだなぁ、冒険はしないのかい?」と笑いながら言って、カクテルをつくり始めた。
ミキシンググラスをバーの下から取り出し、ウォッカ、ライム・ジュース、ジンジャービアを次々に丁寧な持ち運びで
グラスの中に静かに注いでいくと思うと、今度は激しく、優しく、まるで春の波のように緩急をつけてバー・スプーンで
かき混ぜ始める。

「あなたはどうするの?」
ハタとして視線を戻す。俺はマスターの素晴らしい手さばきに見とれていたようだ。
「そうだなぁ・・・・・・アイリッシュ・コーヒー、作れるか?」俺はお気に入りのカクテルを一つ、リクエストする。
これはアイリッシュ・ウィスキーをベースとしたカクテルで、それを仕入れている店ぐらいしか作れないものだ。
ただ、そのウィスキーを置いているバーはかなりの強者だろう。

俺はそんな気持ちで試してみたのだ。すると、マスターは皺を寄せ、クックックと面白そうに笑いながら。
「お前さん試してるだろぉ?安心しな、作ってやるよ。
 サービスで少しウィスキーを多くしよう。なんてったって、ミッドエルさんのお客さんだからなぁ」
と、父親愛に似た表情をエミリーに見せウインクをする。彼女は「もう、マスターったらぁ」とかわいらしく笑って
マスターにこたえた。

彼女はここの常連や、マスターに素晴らしい愛を受けているようだ。羨ましい、そうとも俺は思える。
俺は全然違う。会社では無粋な顔をして淡々と業務に打ち込んでいるだけだ。ただ、おばさんたちは何かと
コーヒーのお代わりをしたがりだが俺は紳士的な態度とは裏腹に、そこまでは嬉しくはなかったと思う。
常連のレストランが特にあるというわけでもなく、お気に入りのウェイトレスが居るという訳でもなく、お気に入りの
常連客が居るという訳でもない。それが今まで俺の中で普通だった。

「本当に愛されてるんだな、君は」そう俺が確信して言うと彼女は「そう?」と言って。
「私は愛されてるとは自分で自覚した事はないわ。けど、皆の事愛してるわよ?」と俺と、そしてマスターに向かって
ウインクをまじえて、笑顔を降り注いだ。
天使のような笑顔はオレのほおを緩ませて、愛しい気持ちを一層膨れ上がらせた。
失いたくはない、こういうのを独占欲というのだろうか。俺は、今まで俺の事を散々欺いてきた女の事を思い出そうとしたが、
今はエミリーの事でいっぱいの頭は、受け付けず、俺はそれが分かるとすぐにあきらめエミリーの美しい横顔を見つめる。

「その愛を受け止めてやんなきゃなぁ、あんさんよ」
とマスターは笑みを含めて言い、俺は視線をマスターに戻す。彼は
「はいよ、モスコー・ミュールとアイリッシュ・コーヒーさ」
彼は俺とエミリーにカクテルを差し出し、意味ありげな視線を俺に向け、俺は愛想笑いを返すことしかできなかった。
しかし、それで彼女に対しての愛は伝わったのだろうか、彼はまた笑って。

「今日は私の付けだ。存分に飲み、語りたまえ」
と、言って酔いどれ親父たちの方へ向かっていった。
エミリーと彼の事を見つめると、彼女は俺の事を無垢な青い瞳で見つめ、またドキリとさせる。そして。
「今日は・・・・・・フフ、何を話しましょうかぁ?」
まるで子供のような純粋な笑みを見せ、俺は少し、恥ずかしながら、戸惑った。


日記?いいえ、雑記です -大事なお知らせ-

2010年04月21日 | インフォメーション
こういう形で更新するのは久しぶり。
あーだって・・・ねぇ

色々あるんです、きっと。
で、本題は。

いままで1年以上も何で投げ出したりしないんだ!って自分でも突っ込みたくなってくるほど、
長く書いているバイオ(以下略ですが。
もうそろそろ終わる気配が見られます。

なんだよ、40話近いじゃないか。
正直、僕が飽きてるから回りなんてとっくのとうに飽きてる頃合い。

てな、わけでどーせ話もクライマックスの事だし。

別の、違う中編小説を4日間、アップします。
題名は
「Fall rain rain rain」

ジャンルは、シリアス、現実、それと・・・恋愛です。

第39話  失われた希望 (第38話です)

2010年04月16日 | 小説
5人が苦痛に呻きながら地面に倒れて行く中、ケビンはその中で一人茫然とたたずむ。
地響きは当然感じる、だが自分の体に特に異常は感じられない。
何故だ? その問いの答える者は当然おらず、その疑問によって彼の脳はしばし混乱状態に陥っていた。
だが、ハタと助け出さなければと気が付き銃を地面に置いて、すぐ隣のマックに駆け寄った。

マックは頭を押さえ膝を地面についていつもの破天荒で陽気な彼は何処へ消えたか、仔山羊の様に
迫りくるオオカミの声から逃れようとしている。
「おい、どうした!?おい!!」
「うぐ・・・・・・ああ・・・・・・あぐっ」
ケビンの怒鳴り声にもうめき声しか彼の口からは出ず、手はガクガクと痙攣し持っているショットガンも
とり落とし、ガチャリという音はまたやってきた軽い地響きによって波のように相殺される。
他の彼以外のシェイバー司令、ペイル、エイモス、ジャクソンも同じように痙攣したように体を震わせ、
呻いて苦しみに悶え続けていた。

「どうすれば・・・・・・」
ケビンは茫然としながら呻くマックの事をそっと手から離し、虚空に答えを求めるように
目を泳がせるが、無論、その中に彼が求む答えがあるわけでもなく時間だけが残酷にも彼の周りを
飛び嘲笑っていく。

三度目の地響きが苦しみと共に訪れ、5人はまたも呻く。
資材の一部がガタリと音を立てて地面に崩れた。茫然と何もできる事もない無力なケビンの足元に舞う
土埃は体を撒いていき、地を低く這っていく。

その時であった。
”脆弱なものだな、人間は”
不確かだがはっきりと、まるで真実めいた夢を見ているかのように彼の頭に突然、”それ”が流れてきた。
ケビンは突然の来訪に驚き、すぐ近くで呻いていた5人から視線を外し周りを警戒する。

「・・・・・・誰だ」彼が周りを威嚇するような低く、冷たい声で呼びかける。
しかし、”それ”は彼の言葉に耳を貸そうとしなかった。”それ”は最初は彼の前面から響き、じょじょに
側面へ、そして真後ろへと周り嫌な感覚が続々と彼を襲う。不協和音が体全体に伝わり骨がわなわな震え、
鳥肌が全身に立ち、凄まじい寒気が彼を覆った。

彼の畏怖した様子を感じ取ったか、”それ”はまた流れケビンを嘲笑するかのような口調で話し始めた。
その口調はまるで圧政をかける王が市民との代表と話す際、酷く見下した感じであり、強欲な狂人とも
いえる”それ”は人の心に圧迫を掛けているようであった。心の王、とでも言えるか。
感情をつかさどる王、ただ喜びや愛しみ、楽しみがあるわけではない。
恐怖、憎しみ、恨みで作られた卑劣でイヤラシイ人間の本性の王だ。

”お前も選ばれし人間なら違うと思ったが・・・・・・まるで見当違いだ。
 他のクズと同じか?我ら高尚な一族に滅ぼされる運命、そうとは思わないか、お前も?”

ケビンは反論をしようと口を開こうとする。だが、動かない。何故。
彼は口を開こうにもがたがたと震え舌はもつれ、考える事だけが精いっぱいの自分にようやく気が付いた。
手を動かそうにも硬直し地面に落ちた銃もとる事は出来ず、足元で仲間たちが苦しみに悶える声が耳の中に
延々とエンドレスで入ってきている、凄まじい苦しみだけを得ていた。

”ッハハハハハハハハハ・・・・・・”
”それ”は一つ、侮蔑の感情を込めた高笑いをした。
ケビンは唇をかむ事も出来ず、ただ逃げ場のない感情の渦に溺れていた。憎しみ、憎悪、怨念・・・・・・
気が付いたらそれだけの感情だ。”それ”に支配されている事を彼はまだ気づいていなかった。

「動けない、か・・・・・・無理もないな」
いつの間に”それ”の声は実態になっていた。
そして、声はケビンの後ろからやってくる。彼は後ろを振り向こうとするが、体は動かない。恐怖による物。
脳で生まれた恐怖心が好奇心を軽く上回り、体に振り向いてはいけない、と無意識にストップをかけていたのだ。

カツンカツン、足音がすぐ後ろで鳴る。軍用のブーツではない、何か固い靴であった。
だが、人の言葉を発している。そして、その言葉はケビンの脳を強烈に刺激した。
聞き覚えがある、それ以上に凄まじい感覚であり聞きあきた、という言葉が近いかもしれない。
いや、逆に嫌悪感を覚えたほどだ。

「人類は愚かだ、そうとは思わないか?」
節々に攻撃的な邪気を纏った言葉はケビンの周りをまわっていき、耳の奥に吸い込まれるように消え
あとは怨念だけの負の感情がたまった余韻がじわり、じわりと脳を浸食して嫌悪を通り越した、
半ば恐怖心を煽るだけの存在へと化す。

だが、恐怖心とは裏腹に、あの戦場で感じる恐怖とは違う。
心臓は平然と通常業務に就き、興奮しきった眼ではない。自分でもわかるほどに。
ただ恐怖、という2字の熟語だけが脳に焼き付き離れない。手が震え、口は動かず、人間の深層心理に
働きかけるような特殊な恐怖心だ。

ふと、ケビンは自分の意思で動かない視界の端に映る”マイブリス”に目をとめ、そのとたん、ハタッと
ある事に気が付いた。カツンカツンカツン、靴音が後ろから左へいく。”それ”は彼の視界には全く入らず、
いや彼のゴーグルから見える視界を知っておいてるのか、入ろうとはせずに左へ左へ足音が交差していき、
不意に彼の視界の端に人の腕らしきものが現れた。

「・・・・・っっ!!」
ケビンは開かない口で必死に悶える。腕はまるでEMの戦闘服を纏っているようだ。
毒々しいほどの真っ黒な色合いで、目立った突起物もなく川が砂底を触っていったあとの様に、ゆるいラインが
引かれ服の下の筋肉、筋、血管の一つ一つが浮きだって見えるぐらいにピッタリと密着していた。
皮膚が浮き立つ様子がまるで土に入れたばかりの死体のように、いやに冷たい根が生えているようであり、
見る目も背けたくなるほどだ。

腕は一直線に伸びていき、マイブリスに手をかける。マイブリスが一瞬ゆがんだ、そう錯覚した瞬間、
人類の希望を乗せた核爆弾は人の視界から消えた。

その絶望感とともに、同時にケビンの意識をも危うい状況になっていく。
気が付くと今までうめき声を上げ、まるで獣の様に理性を抑えられなかった5人は収まり、既に気を失っていた。
不気味な静けさの中で、今や彼の消えかける心臓音だけが規則的な物事をつかさどっている。

(駄目だ・・・・・・気を失って・・・・・・は)彼は自らの心に圧迫をかけるが、その意思とは裏腹にどんどん瞼は重く、
腕も下がり、体はとうとう力も入れるのが難しくなってくる。
視界の右端の地面に転がるのはアサルトライフル、たった数十cmの距離というのに自らの腕に力が入る事無く、
また手にとっても今の彼に銃撃の反動に耐えられるかすら、危うい。

そんな彼をしり目に、”奴”の声は後ろに回り、その声はガンガンと意識が遠のきそうな彼に響き、強心剤の
役割を果たすが終わらない苦痛が襲う。
「マ・イ・ブ・リ・ス・・・・・・これがそいつの名か。
 どちらにとっての”希望”か、その答えを試させてもらおうか」
”奴”はそう言ってまたコツコツ、と響くような足音をたて、ケビンはすぐ右のその気配を感じた。
その時、彼に限界がやってくる。
もう・・・・・・駄目だ・・・・・・。

彼の使命感が、いままでとは比べ物にならないぐらいに急速に堕落していく。
無気力、無感情、倦怠、もはや自らの悟性で彼の心情を支えることは不可能に近かった。
彼の頭に司令や仲間たちがよぎる。そして、地球。人類。
いままで支配していた人類は、たったこのワンシーンで全て崩れ去るのだろうか。
彼は問うが、今や自答する意思も彼には残されていない。

彼の視界が徐々に狭まる。ガスマスクを通したコヒューコヒューと荒い呼吸はじょじょに、やすらかで
規則的なリズムを持ち始め、瞼も徐々に目を覆い休息のひとときに入ろうとしていく。
薄れゆく意識の中、最後に彼が見たのは地面と、こちらを見つめ去っていく者の顔だけだった。

(お・・・・・・れ?)
「悪いが、この爆弾は我ら一族が有益に使わせてもらおう。
 ・・・・・・人間の言葉が久しぶりに使えて嬉しかったぞ、ケビン=ブライエン。
 いや、俺」
ケビンそっくり、いやケビンその物という方が正しいだろう。
身長、表情全てが同じのクローンの様な男はコツコツとマイブリスを運び、視界から消えた。
後に残るは虚しい空気、虚無感。地面の小石が風に吹かれ削られていく情景が見える。

そして数秒後、彼から視界と意識も消えた。

第37話  異常性

2010年04月03日 | 小説
天の声:今日は何日だ?
自分:4月3日です
天の声:最終更新日はいつだ?
自分:・・・・・・3月11日です・・・・・・
天の声・・・・・・・

ケビンは後ろに、今や完全に現役姿のシェイバー司令や、核炸薬マイブリスのキャスターを引きながら
進むジャクソン、その彼を援護するように付き添うマック。
それらの愉快で頼れる仲間達が付いてきているのを確認し、資材の陰に隠れあの小道に続く方を
銃火器を握りながらじっと見つめるペイルに近づく。
彼は微動だにせずに銃火器を構え資材と資材の間からゴーグルの端を覗かせていたが、ケビンの存在を
感じ取ったのか振り向かないで。
「敵はこちらへやってきていますよ。どう御もてなしを?」
と早口でありながらも冷静な声で言った。

すると、彼の肩が少なからず震えているのにケビンは気が付いた。
そうだ。さっきまで彼は一人、ずっとEMが接近してくるのを見ていたのだ。自然と恐怖は覚える。
恐ろしい形相をした化け物が武装をして自分たちを探している。
それは背筋が凍りつくような恐怖だ。ケビンも散々味わってきた恐怖なのだ。

すまない。
彼は心の中で述べる。口で言うのは彼にも悪い、そう思ったからだ。
そして、その後味の悪い思いが満たすのを誤魔化すように、ペイルの真横に来て。
「現在の数と距離は?」と尋ねる。

すると、彼はまるで事前に聞かれる事を準備しかかってたかのように感情を押し殺した、機械的な口調で
説明を始める。だが、その言葉の陰には少なからず安心感の兆しが見え隠れしていた。
「距離は約50。ちょうどこの大工場区画の入口に差し掛かっているところでしょうか?
 奴ら、あそこでもう死体に気付いています。
 ご覧になりますか?」
彼はそう言って、資材の隙間から身を引いてケビンに譲った。

狭い資材と資材の隙間。だが、ここからはかなりの範囲が見渡せる事が出来ると分かる。
EMは墜落したオスプレイの攻撃時に1匹が監視を行っていれば、自分達の奇襲攻撃にも対応できたことだろう。
隙間からは大工場区画の入口付近が一望できた。

左右に広がるのは無骨で無駄のない油で汚れた建物の壁。
そして、ここから約50mほど離れた正面には入口と思われるゲートが建造されていた。
自分達はここをくぐってきたようだが、あの時は特に気が付かなかったようだ。
しかし、今は違う者がくぐろうとしている。EMであった。

奴らは合計6匹。
通常の黒い戦闘服を着て武装をする、戦場で見かける一般的なEMが5匹。
そして、1匹が普通とは違った格好をしていた。

他のEMとは違って戦闘服は少し黒がかった赤だ。目に悪そうな色だが、何処かこの錆びのかかった色合いが
似合う工業区画にはしっくりときて自然な色合いを出す。
背中には大きなリュックか、バックパックの様な物を背負いそこからのびるチューブを、奴は片手に持って
歩いている。

そして、他ともっとも違うのは恐ろしい顔面はマスクの様な物でふさがれてる事だ。
まるで人間側のガスマスクのようなものなのだろうか、顔全体を覆っている。EM達に囲まれていなかったら、
人間とも言われなかったら錯覚していた事だ。陸軍のコマンド兵として新規参加と言われれば。

「何だあいつは?見た事がないな」
ケビンは思わずそう呟いてしまうほどだ。そんな、彼に。
「どいつだ?」と、シェイバー司令が後ろからやってきて小声で言い、彼は奴です、と言って
隙間を司令に譲る。いつの間に後ろにはマックやジャクソンが来ていた。

数秒、間をおいたと思うと。
「やっかいだな・・・・・・」と苦虫を噛んだかのような表情をした。目を細め口を曲げる彼の
口調は本当にその存在を忌み嫌っているかのようだ。そして淡々とした口調で呟き始める。

「奴らは戦争開戦時に中国で多くの兵士と民間人の命を奪って元凶とも言えるだろう。
 軍のコードはたしかEMー005/A、通称はエラーンド(使い)だ。
 攻撃方法は・・・・・・いや、見た方が早いだろう。全員、爆発物を用意しろ」

司令は隙間を譲る。その所にケビンやマック、ジャクソン、ペイルが狭いところを奪い合いはじめ
全員がようやく10cm四方の穴を四分割して見始めた。

エラーンドと呼ばれているEMは片手のチューブを、ホースで芝生に散水するかのように地面に付ける。
そしてチューブの横を押すような動作をした。
その瞬間、覗いていた全員は息をのむ事になる。ぞくっと嫌な感覚が彼の背筋を凍らした。
これは人間の生理的な嫌悪感だろう。

エラーンドが持つチューブから大量の何か黒い物があふれだした。まるでダムが決壊し勢いよく流れ出す濁り水のようで、
その凄まじい勢いは瞬く間にこちらと距離を詰めていき迫ってきていた。
ケビンにはそれには見覚えがあったのだ。こいつは倒さなければならない。そうしなければこの状況を打破できない。
そう感覚的に彼は察知していたのだ。

それはフィラデルフィア基地での戦闘で出会った衛生兵のブラッドと追いかけ回され、友軍の手も
借りてようやく撒いた最悪の生物兵器。
まるで黒い水が這って進んでいるかのように地面を進み、手当たりしだいに目のついた物は貪り食って殺す。
目の前で兵士はこれに包まれ10秒もせずに服も体も跡形もなく崩れ去った。

ジャクソンやマックは食い入るように見つめる。エイモスは襲撃時に基地で見かけた事があるのか、既に対処法を
行う方向へ体を動かしていた。前面のベストに装着されてるポーチから弁当箱程度のサイズの包み紙に包まれた、
アンテナの様なコードがのびる粘土を取り出す。それはC4爆薬、爆弾である。

「コードはggiE。グリービーグロウという名の生物兵器だ。
 弱点はわかってるな?対処を急げ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

黒い濁り水のごとく、突き進むグリービーグロウは同中の小石さえも飲み込みつつ、管理者である
EMのエラーンドから猛犬のように解き放たれ、今この場に居るとされている障害を排除し始めようと
していた。
その様子を確認したエラーンドEMや歩哨のEMは確実に任務を達成するための万事を尽くし、後はこちらが
動きを見守るだけであった。無駄な作戦以外の行動は極力避け、作戦の損失を抑える。
それが彼ら、戦闘種族の行動だ。人間を滅ぼす、そのための手段の一環に過ぎない。

グリービーグロウが地を這い、そしてケビンらが居た資材置き場の中へ入っていく。
EMはそれと同時に人間の悲鳴が聞こえると思っていたのだろう、すぐに踵を返して引き返そうとした矢先、
爆音が空気と地面、そしてEMの心臓を揺らした。彼らは蟲を放ち、すぐさま人間の喚き焦る声を聞き
蟲を収容して侵攻してきた人間の迎撃に向かうはずである。だが、想定外の出来事が起きてしまった。

彼らは自らが扱う生物兵器が爆発などの熱や炎に弱い事を十分に承知している。
それゆえの爆発。彼らに想定外という名の焦りと抹殺するという任務遂行への欲望が、内から湧く。
彼らは手に持つ銃火器を構え攻撃態勢を整えようと、その時のことだった。

カラン。
足元に聞こえる物音。彼らが認識した瞬間、視界を凄まじい音響とさく裂した光が覆い尽くした。
「グガァァ」「ゴオオオオオ」
うめき声を上げて彼らは初めて気づく、閃光弾と。
それは向こうのグリービーグロウが消えた方向からこちらへ投げ込まれたものであった。

そして、視界が晴れた瞬間、彼らは思う。
考えの浮かばない薄れゆく意識の中で遅れてやってきた耳鳴りが、じんじんと響いていき目を閉じると同時に
それは消えると同時に意識も消えていった。

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「目標を鎮圧完了。
 右に動作ナシ」
ケビンは右に警戒のまなざしと煙の吹く銃口を向け、クリアリングをしたかと思うと銃口は下ろさずに口を開き
状況確認のサインをとり、その言葉を確認したマックが。
「こちらも。左動作ナッシ」と彼はショットガンを再装填しEMの死体に開く風穴を無邪気な目で見つめ、
言う。その目は何処か狂気めいたとこがあるがケビンは慣れており、特に気にも留める様子はない。
一回りしていつも通りだ、という様子でった。
それは軽機関銃を構える老兵、シェイバー司令も同じく。
「左動作確認されず。
 よし、ジャクソン、来い」

すると、冷静に後ろの資材の陰で核爆薬『マイブリス』と共に待機するジャクソンに指示をし、彼は
ゴロゴロとマイブリスを車輪で運びながらやってきて、その後ろでバックアップを務めるエイモスとペイルも
アサルトライフルのグリップを力強く握りしめながら、周囲に警戒の縄をうち資材の間を縫って出てくる。

「・・・・・・・・・・・・」
ジャクソンの挙動は一挙一挙不自然であり、ぎこちなさが目に見えて先行した3人を少々イライラさせる。
だが、この戦争に終止符を打つことのできる核を運ぶうえでの当然の挙動かもしれない。

6人の前には彼らの銃撃で激しく損傷した6体のEMの死体が転がる。奴らはエイモスの仕掛けた爆弾の罠によって、
グリービグロウが攻撃を受けた事による動揺、それから生まれた心の隙にマックから放たれた閃光弾が炸裂して
司令、ケビン、マックは6体のEMを強襲した。
その制圧に要した時間、約3秒。彼らが老兵とともに凄まじく有能な兵士であるとジャクソンは、爆薬を運ぶと
いう役柄ゆえ痛感した。

シェイバー司令はEMの死体に開いた銃創を見て、懐かしの気分に浸っているのか、はたまた敵といえど
生命を気づ付ける行為に久しぶりと負の感情を抱いたのか、感傷的なため息をついて。
「・・・・・・ふぅ。
 よし、本隊と合流する。
 ケビン、無線は使えるか?」
と、いつもと違う力なさげに隣のケビンに指示を飛ばす。
するとケビンは胸のあたりのポーチからアンテナの伸びた無線子機を取り出し、スイッチをいれるが
そのとたん待ってましたとばかりに大量のノイズ音声が、彼らの耳に届く。
彼は苦い顔をしてすぐに無線機のスイッチを切った。

「だめです。俺達が救助行く前よりノイズが凄まじい。
 このノイズは・・・・・・奴らきっと電波ジャミングを出しましたね。
 俺らは有線か他の情報伝達手段があるっていう自慢でしょうか?」
「だろうな。
 スイス戦争の直後の話になるが、奴らの死体を解剖して脳の奥にメロンと呼ばれる
 超音波や高周波などが発生する器官が見つかった。
 まぁ、俗に言うテレパシーっていう奴か、まぁ内蔵型の無線みたいなもんさ」
「テレパシー?
 まじっすか、クールです―」
「マック、少し口を閉じてくれないか?」
マックがふざけたような口調で口を開こうとすると同時に、シェイバー司令の不機嫌でピリピリとした
口調で吐き出すように言う。マックは一瞬口をつぐんだが、すぐにふざけたような表情で周りの事を
眺め始めジャクソンとエイモス、ペイルからは冷たい視線が投げ付けられた。

しかし、ケビンはそんな彼を放っておいて司令と思案を巡らせる。
ここは敵基地のど真ん中。それに歩哨は倒し、こちらを差し押さえにやってきた敵部隊も返り討ちにして
、おそらく他の奴らも勘付いているはずだ。
一刻も早くここから脱出しなければならないことは明白である。
それは司令も同じ考えのようだ。

彼は軽機関銃を吊るすスリングを肩から下げ深く考え込むような表情で、周りをひっきりなしにヒントは
ないかと探るような目つきでひっかきまわし、その眼光は深く落ちくぼんだ眼窩でも猛禽類のように鋭い。
エイモスもそのような様子だ。ジャクソンやマックはどうも何も考えてはいないらしい。
だが、今、そんな奴らに突っ込む暇は彼らにはなかった。

その張り詰めた空気の中、司令が口を開く。
「誰か信号弾を持っていないか?」平然を装っていたが、早口の口調から彼はかなり焦っている。
「私が待っていますが」ペイルは胸のポーチからアサルトライフルに装填も可能な、主に救援を求む
意図で使用されている信号弾のケースを取り出した。

「よし、それを装填しろ。一刻を争う。これは賭けだ。近くに陸軍が居れば来るし、
 いなかったらEMが来る」司令はそう言った。だが、その言葉には力がない。

「しかし、リスクが高すぎます」
ケビンは思わず反論した。
「俺達は人類の希望を背負っている。それにはまるでみすみす敵を引き付けているようにしか見えない。
 陸軍がもしいなければどうするつもりですか?」

そう意見をしたケビンは不思議な感情にとらえられた。自分は今、本気であった。
これほどまでに自分を突き動かす物は何なんだろう。いままで司令に意見をした事はなかったのだ。

そして、彼の言葉に司令は黙った。そして数秒間、寡黙の時が訪れたかと思うと苦々しげな表情で。
「いや、俺が少し焦っていた。・・・・・・悪かった。
 ここを脱出する方が先か」
と呟くように言い、ケビンに普段人前では見せないような。いや、ただ普通の人は日常で見せるが、
彼が冷静沈着な人柄ゆえ、そう見えたかもしれない。彼は皺を寄せバツの悪そうな顔だった。
しかし、その表情はすぐに周りを警戒する猛禽類の目に移り変わって、軽機関銃の引き金にかける手袋が
ギュッと締まるような音を立てて軋む。

その時、司令はハタと気が付いたような表情をして周りをキョロキョロを見回す。
6人が居るところは工業区画のど真ん中、その危険性に初めて気が付いたように彼は急に修羅の道を進む、
阿修羅のような表情になり。
「おい、資材の陰に隠れろ。さすがに目立つぞ」と身振りで合図し、資材の影の方へ方向を示す。

その時であった。
地響き。地を揺らす波がこちらへやってきたのだ。6人の動きが止まる。
しかし、その中ジャクソンはキャスターを思わずがばっと抱きつく様につかんだ。
緊張の瞬間。

ペイル、エイモス、マック、司令、ケビンの握る銃のグリップが軋むかと思うほど、力が入る。
心臓が早鐘をうち、瞳孔が開くかと錯覚した。頬を伝う汗はゴーグルの内側を湿らせてゆき、
妖しい風が背中を吹いていく。

2度目の地響き。今度は最初よりもっと近くに感じた。だんだん迫ってきているのか。
それともこちらに恐怖を与えるだけなのか。
どっちにしろこちらが危険なのは変わりはない。

その危険を彼らの第6勘が感知した時、頭に声が流れた。それと同時に彼らを頭痛が襲う。
「ぐ・・・・・・は・・・・・・」「うはぁ・・・・・・なんだってんだ・・・・・・ぐっ・・・・・・」呻く彼らにお構えなしに、
頭の頭痛は激しさを増し、ついに彼らは膝をついた。
司令の顔は青白く顔に刻まれた皺は一層深く見え、マックもいつものヘラヘラとした顔が真剣な
苦悶に悶える。エイモスも無表情が一変し目をつぶり、必死に耐えていた。
ジャクソンはマイブリスにもたれ掛かり息を荒くし、膝をつくのがやっとのようである。

そんな中、自らの異常性に危惧を感じたのはケビンであった。