米朝シンガポール・サミットの前後の動向は内外の多くのメディアが詳しく論じているが、本当の意味とトップ会談の中身は当事者及び関係者しか知りえないし、ましては中華人民共和国の習 平国家主席と金正恩委員長の数次にわたる会談の中身に至っては推測しようがない点も多い。
筆者は、6月12日の米朝のシンガポールサミットの共同声明「Joint Statement of President Donald J. Trump of the United States of America and Chairman Kim Jong Un of the Democratic People’s Republic of Korea at the Singapore Summit」を両国の英文で比較の上、駐日米国大使館アメリカン・センターサイトの公式和訳やNHKの和訳をも比較した。北朝鮮の英字声明文は同国政府の公式国際サイトである「韓国友好協会(Koren Fr.iendship association:KFA)」で見ることができる。KFAの国際的な活動内容の中身もさることながら、米朝関係を見るうえできわめて興味深い内容が明らかとなった。
ところで、共同声明の両国の遵守項目4の内容を読むと、わが国が重要視している「拉致被害者」問題につき米朝協議では全く埒外であったことが明らかである。すなわち、「米国がDPRKに求めたのは朝鮮戦争のすでに確認されている即時送還を含む戦争捕虜(Prisoners Of War:OW)および戦争行動・作戦中に行方不明になった人(MIA:Missing In Action)の遺骨の収容を約束する」という内容である。実は、この項目について、筆者は米国の法科学専門サイトである”Forensic Magazine”の詳しい記事を最近読んだ。
さらに、米国防総省(DOD)の外局である「JPAC(Joint POW/MIA Accounting Command:米国戦争捕虜及び戦争行方不明者遺骨収集司令部)」とのかかわりが、今回のトップ会談の米国側の中心課題の1つであることも明白化した。
結局、わが国は「拉致被害者問題」を独自に取り組まねばならない。さらに言えば、本文で述べるとおり、米国は”Apex Camps”といった、専門機関を有し、国を挙げた専門家によるこれまでの調査結果を踏まえて今日の共同声明で合意に至ったといえる。
一方、わが国の取組みを見ると、2018年5月3日、北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん=失踪当時(13歳)=の弟拓也さんと、田口八重子さん=同(22歳)=の長男飯塚耕一郎さんが3日、米ニューヨークの国連本部で開かれた北朝鮮の人権問題に関するシンポジウムに出席し、米朝の首脳会議でのテーマとされたい旨訴えたと報じられている。しかし、米国の国をあげた本格的なPOW/MIA問題の取組みと比較すると、わが国政府の取組は如何も頼りないし、心もとない。
単なるDPRKに対する経済援助といった無責任な対応に陥らないように課題を整理する意味でまとめたのが、今回のブログである。
なお、言うまでもないが本文で述べるとおり、朝鮮半島の東西の対立は米国の世界戦略と相俟って常に緊張関係が絶えない。朝鮮戦争は国連軍(米国が中心)と中国人民志願軍の戦争であった。その意味で、トランプ政権が行おうとしている経済対立は、明らかに1950年の緊張関係の再来であるし、ましてはトランプ政権の国際的孤立戦略(国連人権理事会の離脱等)の行きつく先はどうなるのか、「パンムンジョム宣言(Panmunjom Declaration)と今回のトップ会談の身で朝鮮半島ひいてはわが国の安全保障・平和が確保されたとみるのは、いかにも「平和ボケ」といわれよう。
今回は2回に分けて掲載する。
1.米朝共同声明(シンガポール・サミット)のポイント
(1)ポイントは、1)4月27日の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の「板門店:パンムンジョム宣言(Panmunjom Declaration)」の追認と2)朝鮮半島(北朝鮮ではない)の完全非核化であろう。その意味でパンムンジョム宣言の内容を正確に理解するとともに、国際的な政治慣行から見た疑問点も上げるべきであろう。
パンムンジョム宣言の和訳例は多くある。例えば日本経済新聞「2018/4/27 板門店宣言全文」である。その逐一の紹介は略すが、この内容をもって朝鮮戦争がすべて終結したと解したら世界の笑いものとなろう。
世界の多くの国々から指摘されている、DPRKの1)非民主主義的政治体制、2)生物化学兵器等への固執、3)サイバー攻撃による大規模破壊行為、4)国際テロ組織の暗躍関係、5)アフリカや中南米の後進国への資金供与等あげればきりがない。これらの大きな問題は「非核化」の一言で片づけられるべきでないことはいうまでもない。
(2)わが国の大手メディアの和訳文やKFAの声明の英語訳文のおそまつさを示す例
以下、訳文の問題点を例示する。なお、当然のことながら駐日米国大使館アメリカンセンターの和訳文が最も正確であるといえるが、これも、現時点では同センターでは見ることはできない。
1)NHKの6月12日の夜のニュースの「米朝共同声明」全文和訳を見ておく。なお、このサイトは現時点で見ることはできないので、あえて本ブログで再現する。
【NHKの和訳文の問題点】:
① 金正恩委員長の肩書は原文では”Chairman of the State Affairs Commission of the Democratic People’ s Republic of Korea”である。朝鮮労働党委員長はわが国流にいうと「自由民主党総裁」である。国際的な共同声明文書の署名者は「内閣総理大臣」であるはずである。仮に朝鮮労働党委員長の肩書を使うにしても中国の新華社通信の日本語版で見るとおり、「朝鮮民主主義人民共和国国務委員長・朝鮮労働委員長」の肩書を併記すべきであろう。
② 前文の「深く・・・協議を行った」という訳語である。原文は”in-depth”である。徹底的、綿密なという意味であり、NHKの訳文は誤訳である。機械翻訳でも「堅固」「強固」という訳語が出てきても「深く」という訳語はありえない。
③ 「ゆるがない決意を確認した」とあるが、原文は”reaffirmed”である。「再確認した」と訳すべきであり、この「再」を入れるのと入れないのでは、法的に意味が明らかに異なる。
④ 4月27日の「パンムンジョム宣言」と訳しているが「板門店宣言」と訳すのが常識である。
⑤ 戦争捕虜や行方不明者の遺骨で身元が判明した遺骨の迅速な返還を約する。原文では”immediate”となっており、この点は米国の強調している点であり、誤訳と言えよう。
2)駐日米国大使館の和訳文
ここでは、あえて補足しない。
3)KFAの英文の共同声明も読んだ。蛇足であるが1カ所、文法的に誤った箇所があるので、引用しておく。
・The DPRK and the United States commit to hold follow-on negosiatiins led by the us Secretary of State Mike Pompeo and a relevant・・・・
2.KFAの実態とDPRKの国際戦略の中身とは
KFAのHP から公式な海外拠点を見ると以下のとおりである。解説文を仮訳する。
韓国友好協会(KFA)は、2000年11月、朝鮮民主主義人民共和国との国際的な関係を構築することを目的として設立された。 120カ国からなる登録会員がいます。 KFAは、朝鮮民主主義人民共和国政府から完全な認知を得ており、サポーターの世界的な主要組織である。 KFAの会員は世界120ヵ国にわたっており、海外事務所がある国は韓国、チリ、スペイン、イタリア、USA、ボリビア、ブラジル、アイルランド、ポルトガルであり、それぞれリンクが可である。
3.米国JPAC(Joint POW/MIA Accounting Commandの基本的役割と世界中で戦争を行ってきたの国が負わざるを戦後処理
の大きな課題
(1) JPACの概要
JPACはわが国でも紹介されている。例えば「国立国会図書館レファレンス2006年10月号 福好昌治「再編される米太平洋軍の基地」から一部を抜粋する。
「太平洋軍司令部の直轄部隊には、JPAC(JointPOW/MIA Accounting Command)という部隊もある。 朝鮮戦争やベトナム戦争で行方不明や捕虜になった米兵の捜索を担当している部隊で、JPACを実態に即して訳せば、 「統合捕虜・行方不明米兵捜索コマンド」 となろう。2003年に、行方不明米兵捜索隊 (Joint Task Force-FullAccounting)と米陸軍中央識別実験所 (U.S.Army Central Identification Laboratory)を統合して、JPACが編成された。 所在地はヒッカム空軍基地で、 人員は425人である。」(以下略す)。
また、「JPAC(Joint POW/MIA Accounting Command:米国戦争捕虜及び戦争行方不明者遺骨収集司令部)の主催によるシンポジウムに参加しました」から一部抜粋する。
「JPACとは、米国防総省の指揮下にあるもので、過去の戦争や紛争によって戦争捕虜(Prisoner of War:POW)及び戦争行方不明者(Missing in Action :MIA)となり、かつての戦闘地またはかつての敵国領内にいまだに眠っている米兵の遺骨の所在を探索し、遺骨を収集する事業を担っている組織です。歴史学者、考古学者、人類学者 などの様々な分野の専門家及び米軍各部隊の専門家によって組織され、米兵遺骨の所在の捜査及び分析(Investigation&Analysis)、発掘(Recovery)、身元確認(Identification)、そして、家族のもとへの返還と完了(Closure)までの一連の過程を担っており、現在は第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争及び冷戦時のそれぞれの米兵捕虜及び戦争行方不明者の遺骨を捜索しています。」
以上見たように、いまだに世界の警察、軍隊を名乗る米国の政治的、軍事的、経済的負荷の大きさが理解できよう。
さらに、筆者はdpaa.mil(米国・戦争捕虜及び戦争行方不明者遺骨収集司令部)サイトをあらためて検索してみた。州別の戦争捕虜/戦争行方不明者リストが確認できる。以下で、カリフォリニア州の例を見ておく。
(2) 米朝共同声明の遵守項目4に関する2018年6月13日のForensic Magazineの記事「Korean War Remains: Will Trump-Kim Talks Bring Them Home?」の主要部を仮訳する。なお、筆者はフォレンジックの専門家でなない。できるだけ正確な訳語に努めたが、誤訳・補足などは専門家の指摘を期待する。
「公式には決して終わっていない戦争(朝鮮戦争)で犠牲になった約5,300人の米兵の遺骨が北朝鮮の地に残っており、ドナルド・トランプ大統領と金正恩(キム・ジョンウン:김정은、)北朝鮮国務委員長の新たな協議は、シンガポールで数時間続いた。 最終的には、朝鮮半島が完全に非核化され、米国と韓国の合同軍事演習が中止された。
また両国間で約束された目標の中には、1950-1953年の朝鮮戦争(1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断されたままとなっていた)からアメリカの犠牲者全員の遺骨等を集めて米国に持ち帰ることが含まれていた。遺骨等を返還することは、歴史が裁判官であれば、他の戦略的目標と同じくらい難しいかも知れない。
トランプ・キム共同声明の遵守項目の最後の部分では、「米国と朝鮮民主主義人民共和国に残る(POR / MIA)の遺骨の回復を約束する」と述べている。
DPAA(Defense POW-MIA Accounting Agency)は、海外の戦争の死者の帰還を担当する米国の機関であるが、ほとんどすべての遺体が発見される場所をすでに知っているが、地球上で最も孤立した国(DPRK)に10年以上アクセスすることができなかった。
朝鮮民主主義人民共和国の一連の場所には、行方不明者と推定された死者の大部分が収容されていると考えられている。
DPRK内の数十人以上の捕虜収容所に、それぞれ数百人に収容されている。アユックス・キャンプ(Apex Camps)、ヤル川の南岸にあるキャンプ5 、プーチン・タリゴル、バレー#1コンプレックス、スアンキャンプの村などがあり、正確な位置は謎である。これらのアメリカの死者の大部分は、1950-1951年の特に厳しい猛烈な冬の間に死亡した。
長津湖 (note1)や雲山とChongon川の紛争地域を含む戦闘地域は、さらに何千もの遺体があるといえよう。 DPAAによると、これらの2箇所だけで約2,800人の遺骨ある可能性がある。 (note2)
また、南北間の非武装地帯からも1,000人もが回収される可能性があるという。
以前の交流の遺物を集めようとした共産主義者の努力にもかかわらず、米軍と国連軍を後退させることによって、北朝鮮に残された軍事墓地は残っていた可能性がある。
人類学者や歯科専門家を含む約600人のDPAAの専門スタッフが、DPRKの地面に法科学チームを結成すれば、彼らより先に多くの仕事をすることができる。
事実上、60歳の遺体の状態に応じて、すべての作業は骨のDNA解析作業になる。しかし、内耳の骨および長骨の中心からのより小さい生物学的試料の配列決定における最近の法医学的突破口は、これまで以上に20世紀の戦争犠牲者の特定を可能としている。今週、第二次世界大戦の3人の退役軍人(そのうち2人は米国のオクラホマ州出身)と一緒に、さらに2人の元朝鮮戦争兵士が占められた。
このような主要なフォレンジックの急展開の1つは、次世代のシーケンシング(DNAを構成しているヌクレオチドの塩基配列の決定(gene sequencing)、またはタンパク質のポリペプチド鎖内のアミノ酸配列の決定(protein sequencing)を行う手続き)であり、「大規模な並列シーケンシング(massively parallel sequencing)法」とも呼ばれる。例えば、最近報告された事例の1つでは、朝鮮戦争の上腕骨は、従来のSTR(Short tandem repeat)タイピング(STR typing)に7つの遺伝子座位しか産生しなかったが、次世代DNA検査手法では21のマーカーが産生され、別個のY-STR (note 3)とSNPが生成された。
歴史的に遺骨を送還しようと努力してきた。米国と北朝鮮、そして中国の同盟国間の休戦協定である「Operation Glory」 (note4)は、1954年後半に4,167個の遺骨箱を返却されたが、それ以来、断続的な努力が続いている。DPRKの一方的な遺骨の返還は、1990年から1994年の間に、そして2007年にも行われた。
Forensic magazine記事から引用
米国DPAAは、1996年から2005年の間にDPRKで独自の野外作業を実施したが、米国の労働者の安全をもはや保証することができないと述べると、その作業を停止した。また批評家はまた、北朝鮮人が、これは、2,000万ドルの費用で229セットの遺骨をもたらすベンチャーから利益を得ようとしていると指摘した。
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(note1) 長津湖の戦いは、1950年11月27日から12月11日にかけて、現在の朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道長津郡長津湖(韓国語版)周辺で行われた朝鮮戦争の戦闘の一つである。国連軍と中国人民志願軍が初めて交戦し、国連軍が戦史上最大の退却を強いられた戦いで、「長津湖戦闘」などの名でも呼ばれる。(Wikipedia から一部抜粋)
(note2) DPAAの遺骨収集作業の実例を挙げる。
2016.11.4 国防総省「Soldier Missing From Korean War Accounted For (Minard)」リリースを仮訳する。
国防総省の「米国戦争捕虜及び戦争行方不明者遺骨収集司令部(DPAA)」は、朝鮮戦争で行方不明の米軍兵士の遺体が確認されたことを明らかにし、アーリントン国立墓地での軍葬の礼(full military honors)により埋葬されたのち、家族に返還すると発表した。
当時、米国陸軍伍長である カンザス州フーリーのウェイン・ミナード( Wayne Minard)(19歳)は、2016年11月12日にカンザス州ウィチタに葬られる。 1950年11月下旬に、ミナードはC中隊、第9歩兵連隊第2歩兵部隊のメンバーであった、。ミナードらは北朝鮮に進行してきた中国人民志願軍部隊(CPVF)と軍隅里(Kunu-ri )の南で戦った。 敵軍は11月25日、忠清河沿いの防衛隊に配置された重砲と追撃法で大規模な攻撃を開始した。 翌日までに、敵の戦いが中隊を孤立させ、彼らは撤退を余儀なくされた。 ミナードは、1950年11月26日現在で行方不明と報告された。
(note 3)日本法科学技術会雑誌 10(2),157―170(2005)157頁以下「Y-STRタイピングキットPowerPlexYSystemの法科学試料への応用」参照。
(note4) 「Operation Glory」は、朝鮮戦争終結時に国連軍の犠牲者の遺骨を北朝鮮から移譲するための作業計画KCZ-OPS 14-54のコードネームであった。 1953年7月の朝鮮戦争休戦協定(Korean Armistice Agreement of July 1953)は、全犠牲者と戦争捕虜の本国送還を呼びかけ、1954年9月と10月にかけてグレイブ登録サービス司令部は約4,000人の死傷者を受け取った。1,868のアメリカ人の遺骨のうち848個は未確認遺骨として、ハワイの国立太平洋墓地に「未知確認のもの」として埋葬された。
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