いろどりひかる☆☆

ブログ版、日時計日記。
過去記事を少し整理しました。

講話メモノートより~永遠の楽観主義

2011-09-27 | 生長の家 白鳩会
神の子のみなさま~~~ありがとうございます♪


私の大切なお友達が子どもさんのことで辛い思いをしているらしく、昨日の記事は彼女にあてたものでもありました。
今日のこの記事も、彼女に届くように書いています^^
お~~~い、◯◯ちゃん、見てるかい??


9月4日に相愛会の熊本教区大会が行われました。
熊本県教化部をメイン会場として天草道場と人吉会場でも中継され、スカイプ画面で地元天草で受講することが出来ました。
天草道場に夫を車に乗せていって、そのまま受け付けやお茶のお手伝いをしながら、お話を拝聴することが出来ました。
本部講師の相愛会の渡辺先生のお話が素晴らしかったので、講話ノートを皆様にも御紹介しますね。
渡辺先生には、これをブログにアップしていいか尋ねてませんが、きっと笑って許してくださるでしょう(え?)

1永遠の楽観主義
   大きなマイナスに一本、縦(たて)の線を入れると大きなプラスになる。
   成功するか否かは楽観的にものを見れるかどうか。
   どんなものを与えているか。
   悪いものはひとつもない。一見悪く見えても善が現れるプロセスである。
   全ては自分がつくる。

2声の力を活用する
   コトバが変わると心が変わる
   心が変わると運命が変わる
   声は心のハンドル(柄)
   声は心把(こえ)
   運命ラジオのアナウンサー
   牝鹿の足 前足と後足の一致(現在意識と潜在意識)
   声のトーン 右上がりで声を使う
   
既に神の世界が完全であることを知る。
すでに成っている。

3すでに完全なる神の国と神の子が実在するという自覚
   すでに救われている。病気、経営、環境もそこから出ている。
   分からなくても続けていると心が動き始める
  
神の真・善・美の御徳を讃える祈り
実相世界の素晴らしさを現象世界に引き出す
地上天国実現 一仏一切仏
現象の背後に本物 少しずつあらわれようとしている
実相を表現する道具としてコトバを使う
自分が変わると世界が変わる
家庭を天国にするところからスタート
当たり前の出来事+感謝=ありがたいこと

天国は今、ここにある。
自然流通の神示(日時計日記によいことを50個書く)
万歳するしかない世界に住まわせてもらっている。
誌友会を続けていく。

などなど。
お手伝いしながら聞いていたので、抜けているところも多いと思いますが、素晴らしい御講話でした。
また渡辺先生が奥様のことを「可愛いんですよ」とニコニコと話される姿はとてもステキでした。


ある講師のお宅の話☆これも楽しかった^^
奥様が子どもさんのテストの点を見て「こんな点を取って!」と怒っていたとか。
その御主人は向かいから見て「なんだ、81点ってすごいじゃないか、何故、怒る?」と聞いたら「あなたは裏から見てるからです!これは81点じゃなくて、18点です!」と言われたとか。
裏から見れば81点・・・なんとも笑ってしまいますね。


うちも息子が世界史の成績が良くなくて「どんなにがんばっても40点しか取れん」と嘆いていた時。
私が「何点満点ね?」と聞くと「100点満点」としょんぼりしていました。
すると夫が「良か良か。野球の打率なら4割たい!立派なもんだ!」と言いました。
私は「野球とテストの点は違うでしょ」と言いましたが
息子は「そうか!そうばいね!4割ばい!」と気をとりなおして、また勉強をはじめましたとさ。

永遠の楽観主義、ステキです。



そして「日時計主義」で宝探しをしましょう。というプリントをもらいました。
以下です。
(前略)「日時計主義」で自分の中にある宝物を探すのはもとより、周囲の家族、人々、全てのものの奥にある「宝探しのゲーム」をしてみてはどうでしょうか。下記のように呼び名の変換をして、物の見方が変われば、一見不都合に見えることも善きことに変わってビジネスチャンスもつかむことが出来ます。

<仕事>
失業→卒業  
不況→富強(自分の強みを磨くチャンス)
産業廃棄物→未利用天然資源
出来の悪い社員→出来の悪い服を着たスーパーマン
後期高齢者→光輝高齢者

<治病・悟り>
症状→病気を治す働き
雑念→心を澄み切らす働き
迷い→深く迷うときはついに悟りに至る

<家族・教育>
ひきこもり→天才予備軍
不良→未良
バツイチ→プラスイチ
奥様→仮面をかぶった慈母観音

<時代>
地獄→これから天国になるところ
変化→実相が現れるチャンス
不幸な人→幸せ予備軍
浮浪者→路上哲学者

以上です。
個人的にプラスイチと路上哲学者に大爆笑しました~~いいな~~。


そして、一番のヒットだったのが、渡辺先生が講話中に言ったコトバ。
「お釈迦さまだって6年も引きこもってたんですよ!大丈夫です!!」

友人の◯◯ちゃん、大丈夫。
あなたのお子さんは素晴らしい神の子です。
もしかしたら、釈迦を超えるかもしれませんよ??

あなたの為に祈ります。
あなたのお子さんのため、あなたの家族の幸せを祈ります。
大丈夫、大丈夫。

◯◯ちゃん、悲しまないで、笑っていてほしい。
みんな、救われずみの神の子だからね。大丈夫だよ。


長くなりました、読んでくださってありがとうございました。
渡辺先生、ありがとうございました^^

今日も神様にいただいた素晴らしい日を過ごしています。
みなさまもどうぞ善き日をお過ごしください。






巧みな忘却~Aさんへ送ります

2011-08-02 | 愛する夫のこと(車椅子で出かけよう)
神の子のみなさま~~~ありがとうございます♪

昨夜から、続いてみっつめの記事です、本人もびっくり。( ゜ Д゜)
一週間、更新しなかったから、自分の中に貯まって(あえて、この字を使います)いたのかな~。
長文ですので、お時間のある方、良かったらおつきあいください。

「巧みな忘却は人生を洗う石鹸なり。

過去の事を思い煩うな。未来のことを心配するな。思い煩いと心配とはあなたの神経を病的に刺激し、つい生理的不調和を惹起こし或いは抵抗力を弱めて病気に到らしめるのである。過去は過ぎ去ったのである。思い煩うは愚かなことである。未来はまだ来らないのである。心配するのは愚かなことである。結局、悩む者は、過去を今に持ち来し、未来を今に持ち来し。今の幸福を想像の中で汚してしまうのであるから、そんな愚かなことはしないが好い。「今」を喜べ。過去を忘れよ。未来を忘れよ。この忘却はあなたの人生を清める石鹸の働きをするのである。
   「新版 幸福を招く365章 P61」



皆さまにも再々、申し上げておりますが、ウチの旦那さまには「短期記憶障害」と「見当識障害」という後遺症が残っています。
・・・いやいや、もちろん「短期記憶障害」と「見当識障害」の奥に、完全円満な彼を観るのでありますが、ここまで来るには、けっこう辛いこともありました。


今、話したことをすぐ忘れちゃうし。(´・ω・`) 
先のことも、全く分からないのです。しょぼん。


ずいぶん前のこと、オムツが取れて間もないころに、彼と一緒に外出した時、トイレ(の小さい方)が間に合わなくて、大きなスーパーで失敗しちゃったんですね。
お店の人に謝って(とてもよい方々で、とても親切にしていただきました)床を掃除して、夫を着替えさせる間(その頃、常に着替えは持ち歩いてました)、彼はずっと「情けないなぁ、ごめんなぁ。」ととても悲しげでした。
「よかよか、大丈夫よ。お店の人たちも分かってくれたし、着替えもしたし、お詫びとお礼に沢山、お買い物をして帰ろう!」と言い、気を取り直して、たっくさん買い物をしました。
買い物を済ませて帰る頃、20分後くらいでしょうか・・・夫はもう、自分の失敗を忘れていました。


その時に、私は「今、この人に記憶障害は必要なのかもしれない」と強く思いました。
今でこそ、磨かれた素晴らしき神の子ですが、以前のプライドが高く「俺が一番」と言っていた夫には、失禁は耐えられない出来事だったことでしょう。


忘れていいよ。大丈夫。
もう終わったことだから、イヤなことはみんな忘れてしまおうね…そしてまた、新しく始めていけば良かよ。。。。としみじみ思いました。

私の大切なお友達のAさんの御主人さまも脳卒中で倒れて、記憶障害が残っているそうです。
夫が倒れてもうすぐ9年、私には日にちの積み重ねがありますが、彼女はまだ日が浅いので、きっと辛い思いをしているだろうなぁ~と昔の自分を思いだしています。


そんなAさんに、この「巧みな忘却は人生を洗う石鹸なり。」を送りたくて、今朝の記事にさせていただきました。

Aさん、大丈夫だよ!
忘れることで御主人さまも、うちの旦那さまも人生をきれいに洗っているんだよ!
それに、記憶障害も慣れれば楽しいよ!同じビデオを何回みても新鮮だし、同じギャグで何回も笑ってくれるし。同じお菜が続いても「うまいうまい」と食べてくれるし。一粒で何度も美味しいからね(・・・と、みなさん、ここは軽く笑いとばしてくださいね)。



そして、ホントに大事なことは、きちんと潜在意識に入ってるからね。
神の子だから大丈夫、大丈夫。お互いに顔晴っていこうね!

さぁ、今日も善い日になりそうです。
みなさまもどうぞ善き日をお過ごしくださいね!


追伸;夫に「トイレの失敗の話、ブログに上げて良かね?」と聞いたら「昔のことだけん良かぞ~それがAさんの励みになれば良かなぁ」と笑って言ってくれました。
ありがとう、あなたの懐は天のように大きいね。感謝合掌。


賛嘆日記のコトバをどうぞ^^

2011-06-22 | 祈りの言葉
神の子のみなさま~~ありがとうございます♪

「讃嘆日記のコトバ」を教えていただきました。
平成元年に当時の白鳩会長だったK先生が仰ったコトバだそうです。
と~~~~っても素敵だったので、みなさんにもお裾分けならぬ「お福分け」しますね^^ 
とても有名な言葉なので、知ってらっしゃる方もいるかも・・・ですが、良いコトバは何回、聞いても良かでしょ。(・∀・)


賛嘆日記のコトバ
1 わたしは私が大好きです
2 わたしは神の子神聖受胎です
3 わたしのお父さんお母さんは神様でした
4 だからわたしは光り輝いております
5 わたしは神の子です
6 わたしは愛深く、やさしく、美しく、清らかです
7 わたしは智慧に輝いています
8 わたしは生き生きと光っております
9 わたしは無限の愛に輝いております
10 わたしは無限の冨に満たされております
11 わたしは喜びにあふれております
12 わたしは全ての人々と調和しております
13 わたしは日本一素晴らしい妻です、母です
14 ああ わたしは幸せです
15 主人公、主人公、主人公と三回 毎日ホンモノのわたしを呼び出します

以上の言葉を、又思い浮かぶ讃嘆の言葉を日記に「100日」書いてください。貴女の運命は輝く運命となります。     以上です。


「書くことによって、認める力が大きくなり、皆さんは必ず一層お幸せになります。」とY講師はにっこりと御指導くださいました。

私も昨日から日時計日記に書き始めました。
さぁ~みなさんも御一緒にレッツ、ライト!(あれ?こういう時はレコードなのかな?)

さぁ、今日も素晴らしい日が始まります。
みなさまもどうぞ、よき日をお過ごしください(^_^)






信仰を持つ人の強さ(Aさんの話)

2011-05-28 | 真理の立証(感動した体験談集など)
神の子のみなさま~~~ありがとうございます♪


一昨日、誌友会で聞いてきたお話が大変、素晴らしかったのでみなさまにお福分けします。


参加者のAさんという72才の女性のお話です。
今から25年前。47才の時に癌が見つかり、患部の摘出手術を受けました。

癌が分かってから手術まで、抗がん剤の治療を受けていたそうです。
副作用で吐いて吐いて吐いて。髪の毛も全て抜けてしまった彼女の、その時の信念はただひとつ、「これでよくなる、ありがたい」だったのだそうです。

輸血も何度も受けながら「どこのどなたか存知ませんが、血をくださってありがとうございます」と念じ、
「点滴さん、ありがとう」「お薬さん、ありがとう」「お医者さま、看護婦さん、ありがとう」と常に唱えつづけました。
ご自身の調子が良い時には、もっと大変な人のお世話をし励まし笑わせ、 食事の後、食器を返す時には必ず「美味しかったです、ありがとうございました」「これで私は元気になれます」とメッセージを添え、 腹水が溜まり、肺が圧迫され、息も絶え絶えになりながらも「まだ祈れる」と合掌して「ありがとうございます」と唱えていたそうです。


そんな彼女を見守っていたお母様とお姉様は、ある夜、御自宅で泣きながら神様に祈りました。
「神様、あの子を生かしてくださってありがとうございます。あの子の魂の生長に手術が必要ならば受けさせてください。ただ、今のままでは可哀想なので、痛みを少しでも和らげてやってくださいませんか。」と祈りつづけたそうです。

その数十分後、Aさんが「あれ?息が楽だわ?』とフトお腹を見ると、腹水でパンパンに膨れていたお腹が、平たくなっていたそうです。

…腹水が消えていたのです。
看護師さんを呼び、ドクターも飛んできて、調べましたが、その腹水がどこに消えたか分からないままでした。
ドクターは「不思議だなぁ~~~吸収されたのかなぁ」と首をかしげられたそうです。


その後、患部の摘出手術を受け、抗がん剤治療も続けた後、お元気になって自宅に帰ってこられました。

それから25年、今、Aさんは支部長を引退した後、近くの方々に和顔、愛語、讃嘆を添えて普及誌をお渡しし、お世話をしています。
「何を食べても美味しいし、何を見てもきれいだし、何をしても楽しい」と朗らかに笑うAさんは年齢より、うんと若く見えます。


「私の身体はね、あの時に癌のおかげで全部、生まれ変わったとよ。」とにっこり。
「あの時期でホントに良かったわ~子どもたちも協力してくれたし、主人も若くて元気だったし。」

今、お子さんたちはそれぞれに家庭を持っているので、看病にきてもらうことなど出来ないし、御主人も体力が落ちてきているので「あの時で良かった」と笑っています。
消えた腹水のことを「不思議よね~~~神様ってすごいよね~~」ともおっしゃってました。


消えた腹水もすごい。
吐きながら「これで良くなる、ありがたい」と念じ、25年前の癌のおかげで新生した
という、その思いがすごい。
皆でAさんを「25才ですね!羨ましかな~~」と誉め讃えました。

いつもはニコニコと皆の話を聞いているAさんの、素晴らしい昔話を聞けてホントにラッキーでした。
信仰を持つ人の強さを見せていただきました。




では、みなさま~明日も素晴らしき日をお過ごしくださいね。



夕陽が教えてくれたこと(Tちゃんの話)

2011-05-20 | 真理の立証(感動した体験談集など)
神の子のみなさま~~~ありがとうございます♪




「今!お伝えせねば!!」ふつふつと湧いてきたエピソードを御紹介します。


ウチの教区のお友達のTちゃん、大変に仕事が出来る方でした。
一時期は御主人の何倍もの月給を稼いでいたとか。
本人は「それでね~~私ね、主人のことを『この人、いらないかも』って思っちゃったのよね~~そんな生活してたらね、私の直腸にたっっっくさんのポリープが出来ちゃったのよ。直腸、直接の長、つまり夫に心が合ってないからよね。」と笑っていました。
放っておくと進行してガンになるので手術しましょうということになりました。

お母様はある教区の白鳩会連合会長もされ、兄弟みな生長の家だった彼女は「練成で治そう!」と思い、休暇をとって、飛田給の一般練成に10日間、それから宇治の練成にも10日間、参加したそうです。
浄心行をし、先祖供養もし、祈り合いの神想観にも出て、聖経三昧の日々を送りましたが、ポリープは消えませんでした。


「手術はしたくない!」というTちゃんと「手術を受けろ」という御主人。
たくさんたくさん話しあった結果、手術を受けることにしました。


明日、手術という日の夕方、Tちゃんは病院の屋上に上がりました。
「お母さんは他人は沢山、救えたけど、娘は救えなかったのね~~なんて見当違いな事を思いながら(と、Tちゃんが言ったんですよ)屋上に上がるとね、素晴らしく美しい夕陽が見えたの。」
その息が止まるような美しさに感動し、Tちゃんは暫く夕陽を眺めていたそうです。

なんと美しい太陽なんだろう。
神様はなんと、美しい太陽を創ってくださったんだろう。
…そうだ、私も太陽も、神様のひとついのちだったんだ!

そうだった、そうだった!
私は神の子で、この素晴らしく美しい太陽と同じ、神様が創ってくださった完全な存在だったんだ!

…そう気づいたTちゃんは踊り出したくなるような悦びに満たされました。
その夜は嬉しくて嬉しくて、病気や手術の不安など、どこかに飛んでしまって、ただ「神様、ありがとう。お父さん、お母さん、ありがとう。旦那さま、ありがとう、子どもたち、ありがとう…」と周りの人に物に事に御礼を言い続けたそうです。
嬉しくて眠れなかったというくらいですから、Tちゃんの悦びはどのくらいだったか、想像出来るでしょ?


そして翌日。
「全て神様にお任せ」の心境になったニコニコTちゃん、手術前の検査を受けたら…主治医が横に居た看護士に「君、この患者に何をした?」と驚きながら尋ねたそうです。看護士さんは「なにもしてません」と答えました。

ぶどうの巨峰のように連なっていて、一回の手術では取りきれないと言われていたTちゃんのポリープは一晩で、跡形もなく消えていたそうです。

Tちゃんは「練成に参加したことが大事だったのよ。練成で神の子の自覚が高まって、そして病院の屋上で、神様が私に教えてくださったのね。」と笑っていました。



「神の子なんだ、嬉しい!みんなありがとう!」という心境になった後、神様が整えてくださったんですね。
Tちゃんの場合は手術の前日でしたが…それがいつになるか、どういう形で現われるかは、きっと人それぞれで、そこは全て神様にお任せなんでしょう。
私達は悦んで嬉しく生活していけばいいんですね、ね、神様!

え~~と、Tちゃんにはブログに載せていいか、聞いてませんが、きっと彼女のことだから「いいわよ~~」と笑ってくれるでしょう(おいおい)。

猛スピードで書き上げました。乱筆乱文、お許しください^^



みなさまもどうぞ、すばらしき日をお過ごしくださいませ。

「神の子だったと気づくこと」それが私の切なる願い

2011-05-18 | 日々の暮らし
神の子のみなさま~~~ありがとうございます♪


最近、よく相談の電話が掛かってきます。神様、ありがとうございます。
家庭問題が殆どですが、昨日は「鬱病と判断されたお子さんを病院に連れていくべきか否か」という電話でした。


病気は無いと頭では分かっている。
御主人さまは病院に連れていけと言う。
周りの生長の家の先輩方は「行かなくていい」と言うが、本人は不安で仕方ない。先祖供養も始めた、神想観も習ってがんばっている・・・と、延々と話を聞きました。


思わず出てきた言葉が「行っていいと思いますよ~病院のドクターだって、娘さんを思って診察してくださるんだから、ありがたく診察してもらえば?」でした。
「薬だって感謝して飲めば大丈夫ですよ。お母さんであるアナタが『娘さんの神の子』をしっかりと見据えて、ドクターの言葉に揺れなければ大丈夫ですよ。御主人も行けとおっしゃるなら、今回は感謝で行けばいい。」と言うと

「そうですね~~天地一切に感謝ですもんね、気持が軽くなりました!」と声が明るくなり「今日はドクターに感謝の気持で行きます」と電話を切られました。



病気は本来ありません。
現われたから、もう後は消えるだけ。

「病気はナイ!」とこの一声で病気が消えた人はたっっっっくさん居ますが、「病気はナイ!」にとらわれてしまった方も数々います。
「病気はナイ」からと一切の治療を断り、病気が消えないのは自分の「神の子の自覚が足りないからだ」と思い、痛みに苦しみながら亡くなってしまった方を知っています。残された家族は生長の家に近寄らなくなりました。

いろんなタイプの講師が居ますが、私は「病気はナイ!」と一喝するのではなく、まずは「大丈夫よ。」と義父の想いをすべて受けとめて安心させてあげたいと思います。(誤解が無いように言っておきますが、これは常に人時処で、人によっては「病気はナイ!」の一喝がぴったり来る人もいます。)

そこから御教えに誘って、義父が練成に参加し、講話を聞き、行を経験し「俺、神の子だったんだ!」と気づけば、必ず悦びが湧いてくると思います。
居てもたってもいられない嬉しい思いに満たされたなら、後は完全円満な神の子が現れるだけですよね。


病気が消えることを祈っていますが、それが目的ではありません。
「神の子なんだ、生まれてきて良かった、みんなありがとう!」という心境に達すること、それが私の切なる願いです。

病院にも感謝。ドクターにも感謝。薬にも感謝。
みんなみんなありがとう、という気持になれば、病院もドクターも薬も要らなくなるよ。
それはいつなのか??…そこは、神様にお任せしましょ^^



今日も素晴らしい日の始まりです!
みなさまもどうぞよき日を!

九州新幹線「祝!九州縦断ウェーブ」3分CM 再びアップします

2011-05-10 | 日々の暮らし
九州新幹線「祝!九州縦断ウェーブ」3分CM 2011 "Kyushu Shinkansen" TVCF



神の子のみなさま~~~ありがとうございます♪


この動画を上げたその日の午後、東日本大震災がおこりました。
翌日、3月12日に予定されていた九州新幹線の開通イベントは中止となり、静かに静かに新幹線は開通し、このCMはお蔵入りとなりました。


そして、その後、ちらほらとテレビでこのCMを見かけるようになりました。
でも3分と長いので、カットしたバージョンなんですね。


このまま埋もれてしまうには、あまりにも惜しい。
今の日本の姿、日本が向かっている姿が、このCMにはあります。


このCMを見られた東北の方が「青森から鹿児島まで作って欲しい」と言われたとか・・・私も何度も見てますが、見る度に泣けて泣けて仕方ありません。

だから、もう一度、アップします。

「あの日、手を振ってくれてありがとう。
 笑ってくれてありがとう。
 ひとつになってくれてありがとう。
 九州新幹線、全線開業します。
 ひとつになった九州で新しい力が生まれています。
 ひとつになった九州から日本は楽しくなるはずです。
 九州新幹線、みなさんと一緒に全線開業です。」


九州だけではなく、日本全体が重なって見えます。
「ひとつになった日本で新しい力が生まれています。
 ひとつになった日本から世界は楽しくなるはずです。」


まだの方、是非、御覧くださいね。
・・・って、私、JR九州の宣伝マン(ウーマン?)みたいですね(笑)・・・ちなみにJR九州からは、まだ(え?)何も貰っておりません(大笑)




いらない生命はひとつもない

2011-04-15 | 真理の立証(感動した体験談集など)
神の子のみなさま~~ありがとうございます。

今朝、ポスティングジョイで讃嘆楽団さんの「骨髄ドナー登録」のジョイを拝見して、私が敬愛する白鳩会のK講師のお話を思い出しました。


この話は以前、この旧ブログ(いろどりひかる☆)で御紹介し、K講師も総本山での母親練成会で発表されたので、聞き覚えのある方は「ああ、あの話ね」と御了承くださいね。


以下、旧ブログからの転記です(加筆訂正してあります)




K先生御本人にはブログに載せて良いと許可をいただきました。ただ、K先生がブログというものを理解出来ているかどうか・・・。
でも「きっと皆さんの役に立ちますよ」と申し上げましたら、快諾いただきました。

K先生には成人し独立した4人のお子さんがおられます。
先生は母親教室で「子どもは神さまからの預かりもの」と学び、明るく楽しく子育てをされてきたそうです。


4人目のお子さんの妊娠が分かった時に、御主人は「経済的な負担も増えるし、4人もいらないから中絶しろ」とおっしゃったそうです。御主人は無神論者で、奥様の生長の家の信仰は「嫁さんの趣味」だと思っていたそうです。
いつもは御主人に「完全ハイ」のK先生でしたが、この時ばかりは断然と「子どもは神様からの授かりものだから産みます。いらない命なんて、ひとつもありません。子どもは福田を持って生まれてくるので経済の心配はいりません。」と言い切り、その後、無事に出産されました。


最初は反対していた御主人でしたが「生まれてみれば可愛いかったとね~~~よく可愛がってくれたよ。」とK先生はコロコロと笑っておられました。
経済的に大変な時期もあったけれど、家族皆、元気で仲良く暮らして来ました。


そして20数年経って・・・皆が成人し、それぞれに独立した時に、一番上のお子さんが突然、急性骨髄性白血病になったそうです。
長いこと「病気はナイ!」と信仰されてきたK先生も、その時は大変なショックを受けました。それでも気を持ち直し「大丈夫、大丈夫」と長崎総本山、宇治別格本山などあらゆるところに神癒祈願を出されて、祈りと感謝と愛行の生活に徹せられました。


これといった特効薬もなく、あと半年か一年の命か・・・と言われた時期に「骨髄移植」の話が持ち上がりました。
皆様、よく御存知と思いますが、骨髄って兄弟が一番近いんですよね。
お医者さまから「お子さんは何人いますか?」と聞かれ「この子の他に3人、居ります」と答えたら、お医者さまは「3人!」と驚かれ「それは良かった。きっと3人のうちの誰かが合うでしょう。」と喜ばれたそうです。


骨髄の検査の結果・・・上のお子さんの移植にぴったり適していたのは・・・20数年前に御主人が「堕ろせ」と言った、一番下の方だったそうです。


無事に移植手術が行われ、拒否反応も殆どなく、上の方の白血病は完治し今も元気に過ごされているそうです。
無神論者だった御主人は、この事があってから「神様」に振り向きはじめ、K先生と一緒にお話を聞きに来るようになりました。数年前には地方講師試験に合格され、今、あちこちの誌友会で真理のお話を語っておられます。

私は、このお話を聞いた時、全身に鳥肌が立ちました。



神様の世界ってすごい。ホント、すごい。
いらない命なんてひとつも無い・・・。
御主人に断然と「産みます!」と言ったK先生・・・信仰があるって素晴らしいですね。
元々、強い母がますます強くたくましく美しくなるのですね。






以上です^^


読んでくださってありがとうございました。
皆様、今日も明日も最良の日をお過ごしくださいませ。








私は幸福です

2011-01-20 | 祈りの言葉
神の子のみなさま~~~ありがとうございます♪


「新版 光明法語 道の巻」をぱらりと開けたら、P109の「四月十日の法語 喜悦の祈り」に付箋が付けてありました。



「神に祈るときは喜びの感情を以って祈るべきである。神に対して泣きついてはならない。若し、久し振りで逢った実子が其の親に対して、自己の不幸を嘆き訴えたならば、その親は実際好い気持がするであろうか。またかかる実子は親孝行と云えるだろうか。親に会ったとき、唯会うだけで嬉しい感情に満たされるのが親孝行の子供ではないであろうか。神に対して泣き言を訴えるな。私は幸福です。健康です。豊かに暮らしていますと言え。これが本当の親孝行の「神の子」の祈りである。」



少し前までは、私は神様に泣き言ばかり言っていました。
「何故ですか?」「わかりません」「出来ません」etc・・・。
だから、この法語を初めて読んだ時には、ハンマーで頭を殴られたようなショックを受け、忘れないように付箋を付けたんだっけ。

そのままでいい。全て神様からいただいている。満たされて嬉しい私だったんですねぇ。



今、この法語をしみじみとかみしめながら、心の底から神様に言えるようになりました。
「神様、私は幸福です。健康です、豊かに暮らしています。ありがとうございます。」

さぁ、今日も素晴らしい日になりそうです。
みなさまも人生最良の日をお過ごしください^^





とうちゃんは良い人

2010-02-26 | 生長の家 白鳩会
神の子のみなさま~~~ありがとうございます。


いっそがしいシコク染物店ですが、三月、四月はバタバタなので、誌友会出講(真理を語る小さな集いに講師として出かけること)はちょっと減らしてもらっています。

時間をやりくりして行くので、少し大変な時もありますが…皆で拝み合って、讃え合って笑って、テキストの聖典を読んでると、仕事で疲れた心と身体がいつのまにか元気になるのであります。
…ありがたいね。



で、この頃、誌友会の最後に、ある作文を御紹介しております。



谷口清超先生著の「皆 神の子ですばらしい」の16ページ、以下です。・・・出来たら、声に出して読んでみてください。


(前略)しかも言葉は表情や態度にも出てくる。笑顔が言葉であるように、握手や手や身体の触れ合いも言葉である。それがどんなに偉大であるかについて、岡田淳本部講師は平成四年八月九日のラジオ放送でこんな実例を話しておられた。
 三十年くらい前の熊本の新聞社で募集した作文で、第一位になった6年生の子供の書いたもので、こんな内容である。

   「とうちゃんは良い人」
 「ぼくは六年生になってからたけちゃんと映画を見にいった。お金はぼくがヨーグルトを配達したのを持っていたので、不足の分はかあちゃんから二十円もらって行った。映画はニュースと丹下左膳と西部劇があった。やっぱりとうちゃんを殺すのは刀よりピストルの方がよいと思った。それから悪漢がカウボーイに眠り薬を飲ませたので、それもよいと思った。たけちゃんのうちから農薬を取ってきて、それをとうちゃんの焼酎に入れて酔っぱらっている時、飲ませて殺そうと思った。そうして大きくなるまで懲役にいる方がよいと思った。
 映画を見て家に帰ったらとうちゃんは酔っぱらって、四つ叩かれた。かまどの縁を直していなかったといって、「こんちくしょう、出てうせろ」と言って叩かれた。四つになる時ここへ来てから数えきれないが千回くらい叩かれたと思った。ぼくの本当のとうちゃんは大阪で船から落ちて死んだので、ここへ来たと、かあちゃんが言った。ぼくのねえちゃんの梅子ねえちゃんはずっと前からここにいるので、とうちゃんは梅子ねえちゃんにばかりものをいう。
 おきちばあさんが炒り豆をくれた時、「お前はとうちゃんにとうちゃんと言うかい」と言ったので「いわん」と言ったら、「そりゃお前が悪か。とうちゃんはよか人間じゃけん、お前がとうちゃん、とうちゃんと言うなら、とうちゃんはきっとむぞがるぞ(かわいがるぞ)。今晩とうちゃんの肩ば叩いてやらんかい」と言ったので「いやばいだ」といった。そしたら「お前がとうちゃんの肩ば叩いてやりよったら、叩かれんごとなるけん、肩ば叩いてやれ」と言った。
 ぼくは嫌だったけれど、その晩「とうちゃん肩ば叩こうか」と言って叩いてやった。とうちゃんは黙っていた。五日つづいて叩いた。とうちゃんは何も言わなかったが、五日目の晩叩いていたら、とうちゃんが咳を出した。もともととうちゃんは身体があまり丈夫でないので、叩くのをやめて「とうちゃん又悪かとね」と言ったら、「あーっ」と泣きだした。ぼくはびっくりして「どがいしたとね」と言ったらとうちゃんは泣きながら「おれはお前にばちが当たって肺病になってしもた」と言った。そして「太郎かんにんしてくれ、太郎かんにんしてくれ」と言って泣いた。そばにいたかあちゃんも泣いた。ねえちゃんも泣いた。ぼくは大きくなったら一所懸命働いて、とうちゃんに何でも買ってやりたいと思った。おきちばあさんが言ったように、とうちゃんは良い人だった」
 肩たたきもコトバである。又「とうちゃんは良い人だ」と教えてくれたおばあさんも、実に素晴らしい人生の大先輩である。


以上です。




出講の度に、最後にこの作文を読んでいるのですが、いつも「ぼくは大きくなったら一所懸命働いて、とうちゃんに何でも買ってやりたいと思った。」のところで涙で詰まって読めなくなるとですよ。
で、参加されてる皆さんの目も潤んでるんですねぇ。

・・・そこに神さまの世界が現われてるから、いつも胸が熱くなって泣けてくるんでしょうねぇ。人って素晴らしいね。





今日もそんな素晴らしい日でした。
神様、ありがとうございます。
おとうさん、おかあさん、御先祖さま、ありがとう。





皆様もよき日をお過ごしくださいませ。







小さな奇跡

2009-12-01 | すべてはここから始まった
このエピソードは2005年の10月に、生長の家白鳩会の壮年層九州ブロック研修会で発表させていただいたものです。
知っておられる方もいらっしゃると思いますが~御容赦ください。



「我が家は染物屋です。嫁いできてから、ずっと作業用の排水には心を痛めておりました。

なんとかしたくて、ある環境団体の講座にも何度か通いました。
けれども、責任者の方から「染物屋さん? 大阪の淀川の汚染は、上流の京都の染物屋の排水が殆どの原因って知ってる?」と言われた時から、つらくて通えなくなりました。(もちろん、知ってました。それをなんとかしたくて参加してたのです)

浄化槽は大変に高価で~ウチのような小さな染物屋には買うことは出来ませんでした。
それでも、自分なりに何度も濾過して、色々な工夫を続けておりました。




それから、しばらく経って~水の汚れが今までの3分の1で以下で済む染料が、あるメーカーから開発されました。
単価は今までの5倍でした。
私は嬉しくて嬉しくて、夫と相談して、義父母(この頃は義母も元気でした)を説得し~何年もかかって染料を全部入れ替えました。




・・・・・全部、入れ替わった後に、夫がくも膜下出血で倒れました。

仕事中に倒れ、私が見つけた時には、夫は仕事用のタンク(水槽)にうつぶせに、「く」の字に曲がって腰まで浸かっておりました。



あわてて夫を水から引き上げ、救急車を呼び、病院へ。
レントゲンを撮ると、夫の肺は水でいっぱいでした。
お医者さまは難しい顔で「頭の出血よりも、肺の方が危険です。今夜が峠です。」とおっしゃいました。

肺からは、大量の色がついた水が出てきました。
「この水は、一体、何ですか?分からないと迂闊に対処できない!」とスタッフから聞かれ~染料メーカーに電話して訳を話しました。
メーカーは早速、染料の成分表を直接、病院にFAXで送ってくれました。



ICU に運ばれ、人口呼吸器がつけられている夫を見て、義父がポツリと言いました。
「染料ば(を)替えとって、良かったな。」



以前の染料ならば、夫はおそらく、肺がダメになって亡くなっていたでしょう。






それから~夫の肺は驚異的な回復力をみせ、体力は回復し~2週間後に無事、頭の手術を受けられることになりました。
ところが、その手術の前日に、また脳動脈瘤が破裂し、緊急手術となりました。
そして、その後、またまたその動脈から出血し~結局、開頭してクリッピング手術2回、シャント手術3回の計5回の手術となったのです。




今でこそ、「3回も出血して、なんと血の気の多い」と笑えますが~

もし、夫が出血せねばならない血の量が、決まっていたとしたら~(仕事中だったので)
もし、初めの出血で脚立から落ちていたら
もし、干場への階段から落ちていたら~やはり彼は間違いなく亡くなっていたでしょう。


肺が水でいっぱいになったけれど、水槽に倒れ込んだから、(衝撃が和らげられ。初回の出血が少なく済み)今、夫はココに居るのだ…と思えて仕方ないのです。

何か大きな大きな力に守られていた~そんな気がしてなりません。




その半年後~20数年ぶりに御縁をいただいて「生長の家」に帰って来ました(高校生の頃、御縁があったのです)。

人間は神の子で、神様の世界は無限の智慧と愛と生命に満ちあふれている。
「山川草木国土悉皆成仏」 山も川も草木も、この世の全てのものが、神の愛、仏の愛のあらわれである、だから資源を大切にしなければならないのだと知った時の、あの喜び!

宗教心無くして環境問題は解決しないという総裁先生の御文章を初めて読んだ時に、涙が止まりませんでした。
私が、ずっとずっと求めていたものが「生長の家」にあったのです。




今は、我が家では染料は殆ど扱っておりません。
夫の例を挙げて、今、染物屋連盟で「水を汚さない染料」をお勧めしています。
水の汚れの少ない染料を使わない会社とは、どんなに単価が安くても取引はいたしません。





せっかく助けていただいた夫の命~大切に大切にして、このエピソードを皆さまにお伝えしていこうと思っております。

小さな染物屋の奇跡(軌跡)でした。







神の子だから

2006-09-17 | 神の子だから
私が生長の家の教えに初めてふれたのは、高校時代の時でした。
実家は愛媛です。



中学3年の時に何故か手足が勝手に動くようになり(霊動?)自分では抑えきれなくなっておりました。
精密検査をしても異常は無く、お医者様からは自律神経失調症と言われ、お薬を貰いましたが全く効きませんでした(当たり前ですよね)。
学校の2階から飛び降りようとしたこともありました。


あちこちの拝み屋さんをまわっても治らず、途方に暮れていた時に父方の伯母が母に白鳩を持って来てくれました。
藁にもすがる思いで母は生長の家に入信しました。
その時、母には流産児が複数おりましたので、まずは流産児の供養をし、娘の私を連れて近くの土居町の故・真鍋岩太郎先生のお話を聞きに行きました。
真鍋先生のお話は厳しくもあり、でも楽しく面白く、私はお話を聞きにいくのがとても楽しみでした。


聖経を読んだり、神想観をしているうちに、少しずつ私は落ち着きを取り戻していきました。
先生は母に、時には優しく時には厳しく指導してくださり、私にはいつも「よう来たのう。偉いのう。ええ子じゃ。」と、にかっと笑うだけでした。




ある日~先生の前で何かの拍子に(その時まで治まっていた)私の手足が勝手に動きだしました。
母は慌て、私もパニックになりかけた時に、真鍋先生が
「しゃんとせえ(しっかりしなさい)!ゆかりちゃん!(←あ、これ私です)神の子ぞ!(霊を)相手にすな(するな)!!神の子なんぞ(なんだぞ)!!しゃんとせんかい!」と大きな声で喝を入れて背中をパーンと叩いてくださいました。


それっきり、私の手足が勝手に動くことはなくなりました。 私が先生に直接、指導していただいたのは~これ1度きりでした。
その後、生高連のお仲間に入り、一年ほど活動させていただきました。


それから~前から不調和だった父母の仲が益々険悪になり~いろいろな事が続き、私も母も神様から離れてしまいました。
今なら「自壊作用だ。良くなる為に現れているんだ」とわかるのですが~その時の私には、わかりませんでした。





そんないきさつを経て20数年。


夫の手術のための病棟で「白鳩」を見つけて~天草道場に泣きながら飛び込んだのを昨日のように憶えています。
道場には、その頃、甲斐和子先生が白鳩会の副会長をされながら道場の管理もされておりました。詳しくはこちら。


「ごめんください…」とおずおずと入っていった私に、甲斐先生は満面の笑顔で「は~~い」と出て来られました。

「あの…私…「白鳩」を見て来たんですけど…」とそこまで言うと、先生は「まぁ!よく来てくださったわね!素晴らしいわ!上がっていきなさい!あなた、お名前は?」と大歓迎してくださいました。

20数年ぶりの「生長の家」です。
カチカチに緊張していた糸が切れて、ホッとして~自己紹介をし、身の上を話し出しました。
先生が「うんうん」と優しく「それは辛かったわねぇ~大変だったわね」と聞いてくださるので、涙があふれ出し、止まりません。嗚咽して、うまく話せませんでした。



…私が落ち着くのを待って、先生が話してくださいました。
「大丈夫よ~。ここに来たら、もう良くなるしかありません。人間はね、肉体では無いのよ~あなたの御主人は肉体という入れ物が、今、ちょっとだけ使えないだけの。その奥にある魂、人間の本当の姿、『実相』は何も変わらず~永遠に完全で円満なのよ。だから大丈夫。今に無限力が湧き出てきて、入れ物である肉体も、どんどん良くなっていくわよ」

「……」


…先生の揺らぎの無い、信念のこもった言葉に感動して、何も言えなくなっている私に、先生は
「だって、神の子だから! 大丈夫よ、しっかりしなさい!」とおっしゃって私の背中をポンと叩いてくださいました。



全身に電流が走りました。
 そうだった!!神の子だったんだ!!



長い事、ずっと忘れていたものを思い出しました。
「そうだ、そうだ、神の子だった」

その悦び!
踊りだしたくなるような内側から沸いてくる悦びが溢れて溢れてとまりませんでした。



それから主人はメキメキと回復していきました。
今では私よりも主人の方が「はい、私は神の子ですから!」の返事が早いのです。

愛媛の真鍋先生はお亡くなりになりましたが、先生の「神の子ぞ!」という言葉は、ずっと私の奥深くに、確かにあったのでした。



主人といつも笑い合っているのです。「ホントに運が良かったね!残りの人生、丸儲けばいね!」
この一日一日を大切に生きてまいりましょう。


なんと嬉しくて素晴らしい人生でしょう!
だって、ほら!私たちは「神の子」ですから!!


長くなりました。読んでくださってありがとうございました。

白鳩との再会

2006-09-14 | 白鳩との再会

平成15年の春~夫は熊本リハビリテーション病院に入院していました。
くも膜下出血を発症して半年目、救急救命の病院を卒業し、熊本市内のリハビリ専門の病院に移って2ヶ月目でした。

くも膜下出血の後遺症による水頭症を併発し、一日、うつらうつらと眠って過ごしておりました。
リハビリ専門の病院に移ったのに、その眠気のためにリハビリが全く、はかどりませんでした。



そこで~頭に溜まった水を腹腔に落とすために(すでに1本の管が体に入っておりましたが~水はけを良くする為に)腰から腹へ、もう一本、管を入れる手術が行われることになりました。

「急に歩けるようになるという様な期待はしないでください。頭がスッキリして、リハビリに意欲的になる可能性があります。効果は~症例によると半々ですね」とドクターから言われておりました。




その手術の前日に~回復期リハ病棟から、手術の為の病棟に移りました。
夫はいつものようにウトウト眠っておりました。
付き添っていた私は5度目の手術の不安から眠れず(管を入れるだけとはいえ全身麻酔ですから)、待合室に雑誌を見に行きました。

雑誌の棚を見ていたら~懐かしいなつかしい本を見つけました。






「白鳩」です。






「うわぁ~白鳩だ!!」と手に取りました。高校生の頃に、父方の伯母が母に伝え~母が読んでいたのを思い出しました。

母と一緒に生長の家のお話を聞きにいったっけ。
私は高校生練成会にも2回、行ってたんだ。
生高連にも1年くらい入ってたっけ。




懐かしい気持ちいっぱいで、読みすすめていくうちに色々な事を思い出しました。
「人間は神の子である」「物質はない」「肉体は無い」「實相顕現」「大調和の神示」「環境は心が創る」・・・。





涙が溢れて止まらなくなりました。
「どうして、こんなに辛いことばっかり」と思っていたのは・・・全て私の心の影だったのだ。

・・・そう気づいた瞬間に、夫に、子ども達に、父母に、嫁ぎ先の父母に、心を病んで亡くなった弟に申し訳なくて、申し訳なくて、うす明かりの待合室で嗚咽して泣きました。






・・・私には「生長の家」があったんだ。
そう思うと、今度は嬉しくて泣けて仕方ありませんでした。





病室に戻り~眠る夫に合掌して懺悔し、謝りました。
この人をここまで追い込んだのは、私だったのだ。
ごめんね。痛かったね。きつかったね。もう、辛い思いはさせないからね。・・・そして一晩中、泣き明かしました。






翌日、手術は無事に終わり~麻酔が覚めたのを確認してから、私は天草に帰りました。

その足で天草道場に向かいました。
長い事、離れていた「生長の家」の敷居は高く、何度も前をウロウロして~思い切って玄関を開けて入りました。
そこに居らっしゃったのが、当時、道場の管理をしながら白鳩会の副会長も務めておられたK先生でした。
先生は満面の笑顔で迎えてくださり、手術の前日に泣き明かし、涙も涸れたと思っていたのに~また涙が溢れて止まりませんでした。 





それから3日経って、夫の面会に行きました。
手術前は、ただウトウト眠っていただけの主人が、なんと自分で箸を持ち食事をし、私を見て「おう!来たっか!」と手を振りました。
・・・自分の目を疑いました。嬉しくて、また泣けてきました。


ドクターは「これほど上手くいくとは思いませんでした」とおっしゃって、それから退院までの4ヶ月、主人はリハビリスタッフが驚くほどの回復をみせました。


白鳩を見つけた手術の日は~ちょうど私たちの20回目の結婚記念日でした。
神様が「もう一度やりなおしてごらん」とチャンスをくださったのだ・・・と思っています。
そして、その直後に~教区大会の講話で、自宅介護を決めたのです。


20数年ぶりの「白鳩」との再会。人生が大きく変わり~喜びいっぱいになりました。
あの病院に「白鳩」を置いてくださったどなたかに~心から感謝申し上げます。



ありがとうございます。




お義父さんへ

2006-09-07 | お義父さんへ
主人の父と同居しています。

父は今年で76才になります。7人きょうだいの長男で~ずっと両親や妹弟たちの世話をしてきました。

私が嫁いで来た時は、主人の祖父母、父母、妹が居て、全部で7人家族でした。
子どもを3人授かり、多い時で10人、居ました。
4世代の大家族の暮らしは、楽しいことも辛いことも、たくさん沢山ありました。 今となっては、みんな良い思い出です。



何年か経つうちに、祖父が亡くなり、妹が嫁ぎ、8年前に母も癌で亡くなりました。
母の3回忌が終わって、ホッとした頃に~主人が倒れました。




何度も手術をし、何度もお医者さまから「覚悟してください」と言われましたが、幸い命をとりとめ、今は元気に暮らせるようになりました。

主人の自宅介護を決めた時に一番に義父に相談しました。
義父は「気持ちは有難かばってんか、無理ばい。アンタが病み倒す。」と答えました。

「無理かどうか、やってみらんば分かりません!やってみて、ダメだったら直ぐに病院に相談に行きます。まずは、家をバリアフリーにせんば(しなくては)たとえ、病院で暮らすことになったとしても、盆も正月も帰って来られんです」と言いました。

義父は渋い顔をして「子どもも3人、育てていかんなんとぞ(いかなければならないぞ)?」と言い・・・「無理ばい」を繰り返しました。




「私ひとりで出来るとは思っとりません!・・・お父さん、私は今まで、決して良か嫁じゃ無かった。お父さんにもお母さんにも、迷惑かけたし、嫌な思いをいっぱいさせたと思う。
それば(それを)今日、全部、謝ります!ごめんなさい。全部、水に流してください。
おとうさんの力を貸してください。ヒデユキさん(←主人です)を家に迎えるには、私ひとりじゃ無理です。皆で力を合わせんばん(合わせなくては)。お願いします!」



…必死でした。





頭を上げると、黙って聞いていた義父は、目を真っ赤にしていました。
そして「分かった。俺も加勢する(手伝う)。皆で頑張ってみようかい?」と言ってくれて、「俺も、良か父親じゃ無かったけん、お互いさまたい」と笑いました。




あれから~義父は「アンタのする事に間違いは無か」と言って、いつも応援してくれます。


妻に先立たれ、ムスコには倒れられ~さぞかし辛かっただろうと思います。
だから~義父には、幸せであってほしい。今も、これからも、ずっと。



お父さん、いつまでも元気で、幸せでいてね。



おうちに帰ろう

2006-09-03 | おうちに帰ろう
神の子のみなさま~ありがとうございます。



平成15年、生長の家白鳩会の熊本教区大会、「行ってみようかな~」と思いついた、その1日で私の人生は変わりました。
そして夫の人生も、子ども達も、両親も、私に関わるすべての人々の人生が変わりました。




その頃、夫は入院中で、くも膜下出血の後遺症で意識障害、認知障害があり、1日の半分をうとうとと眠って過ごしておりました。
食事もまともに採れず、もちろんオムツをしておりました(今はひとりでトイレに行けます)。
リハビリの回復期病棟は医療上、長くて半年しか入院が出来ません。その後は~長期の療養型病院に入るか、重度の身体障害者の療養施設に入るか、道は二つしかありませんでした。

リハビリの効果というのは発症から半年といわれております。それを過ぎるとリハビリをしても効果が無いそうなのです。
その後は療養という形になるそうです。
けれど、夫は、当時まだ40才でしたので~まだ可能性はある、と信じておりましたが、退院後の彼の行く先がなかなか決まらず、寝ても覚めても、その事ばかり考えていました。



その病院での5度目の手術の時に~待合室で普及誌「白鳩」を見つけ、天草道場に飛び込んだ直後~当時、天草道場の管理人をされていた甲斐和子先生から、1枚のチケットをいただきました。詳しくはこちら。

「教区大会があるのよ。いらっしゃいな。必ず良くなるから。」



夫の行く先に何かヒントが得られるかも・・・と思いながら、熊本市民会館に向かいました。
会場に入ると「ありがとうございます」「ありがとうございます」と皆様が嬉しそうに行き交っており、笑顔があふれておりました
高校生の時に、愛媛で少し御縁をいただいておりましたので~懐かしさに胸がいっぱいになりました。



第一講話で、大分教区から移動されてきたばかりの浜山(ホントは眉ハマなんですが、変換できません。先生ごめんなさい。)教化部長先生が「本当の事を知らなければ、一所懸命、間違えます!」とおっしゃいました。
…そうか…私は、がむしゃらに間違っていたんだ!…と雷に打たれたようなショックを受けました。


その後の講話の中で、元白鳩会会長の勅使河原淑子先生が「大きな選択に迷ったら、御主人の一番、喜ぶことを考えなさい」とおっしゃいました。



…「彼の喜ぶことって、何だろう?……私だったら、家に帰りたい。……そうだ、家に連れて帰ろう!そして家族みんなで御飯を食べよう!」





そう思った瞬間に、世界が明るく輝きだしました。 
夫が倒れてから、ずっとずっと暗いトンネルを手探りで、夫を背負い、子ども達の手をひいて歩いているような絶望的な気持ちでした。

…「そうだ、そうだ。家に帰ろう!」と気づいたと同時に、目の前が、ぱぁっっと光で満たされて~喜びが内側から溢れてきました。



閉会式で「使命行進曲」を22年ぶりに歌いました。
高校卒業後、22年、歌っていなかったのに~歌詞がスラスラと出てくるのです。
「憶えてるんだ…」と思うと、有難くて有難くて、涙がポロポロと出てきました。

私が振り向かなかっただけで~神様は、常に私とともに居てくださったんだ。





あれから丸7年。
病院のリハビリスタッフから「無謀」「無理です」と言われた自宅の生活も、もう11年経ちました。
家に帰ってきてからも、色々ありましたが~いつも苦しい時、困った時には、神様が現れて~救ってくださいました。



人生を変えた教区大会。
今でも有り難く懐かしく思い出します。