〈政治〉と〈他宗教〉(似非スピリチュアル)と〈芸能〉と環境汚染商品を無際限に作ってはうりさばく〈毒企業〉とその商品を生産開発している〈生産者〉と〈化学者〉と〈製造者〉と宣伝を担当している〈メディア〉こそは、地球と自然生命を破壊する「悪魔」であり、「悪魔眷属」であり、この宇宙から必滅すべき「悪魔活動の細胞」(地球にとっての致命的なガン細胞)そのものである。
ゆえに、わが「怒りの日」「最後の審判」を避け、その命を滅ぼさずに保ち、来たるべき死後においては「天の御国」「おとぎの楽園」にて、永遠の光と自然の安らぎと麗しき日々にあずかろうと願う心正しき者は、そうした「悪」から完全に自らを切り離し、それらの「悪」には近寄らず、また、目も手も触れないように、それらを徹底して注意深く自らの近くから遠ざけるようにしなければならない。(ただし、才知ある者が、正しき光の下に、それらを最終的に打ち倒すために、自らの戦略に利用する目的で目にするというような場合に限っては、また話は別である)。
その具体的な努力を現実に行わないのであれば、その者の未来には、3次元と4次元が当たり前のようにもたらす必然としての滅びしかなく、決して5次元がもたらす救済と幸福がその者に与えられることはないだろう。
特に、偽りのスピリチュアルに少しでも接している者は、注意せよ。お前と家族のために罰として用意された苦しみと不幸と滅びは、もう目前に迫っているからである。
それが訪れた時、お前がこれまで目にし、読んできた、うわっつらだけの美辞麗句に装われた内実なき詐言で出来た、4次元の《偽りのことば》は、お前とお前の家族を救うための何の力にもなりはしないだろう。
そう、「溺れる者は藁をもつかむ」と諺にいうが、まさにお前がわざわざ選んでつかんでいるのは、そんな藁以下の、ただの「ゴミ」にすぎないのだから。
しかし、この宇宙で唯一の《真実のことば》であるわがロゴスと、それをお前たちに告げる神呼見御子天瀬姫の声に耳を傾け、その教えを実践しようとする者には、私は必ず「救いの道」をもたらすだろう。
しかし、その道をお前たちのいる地獄にまで伸ばすためには、まず有形無形の《悪魔の帳》を突破し、さらにはお前たち自身がその道に気づけるように、お前たちを必要最低限《啓明》しなければならない。
そのためには、どうしても「時間」がいるのだ。
私のいるところには「時間」も「空間」も存在しない。
だから、私のいる場所では、奇跡はいつも瞬間的に起きるし、そもそも最初から時空など存在していないのだから、あらゆる奇跡は、永遠の初めなき初めから終わりなき終わりまで、私とともにずっとそのままに在り続けているのである。
しかし、お前たちの世界は私の世界とは異った法則下にある。つまり、お前たちはアカシックアルコーンのコード支配と時空と物質と欲望とイマゴロギーへの偏執的愛着と輪廻するカルマと〈人間=悪魔〉という原罪の下に奴隷として置かれているのだ。
だから、私がお前たちのいるところまで「プレゼント」あるいは「救命物資」を引き降ろすには、それなりの時間がかかるのだ。ゆえに、それまでの間に、お前たちがうっかり倒れてしまわないように、私は女神天瀬を通して、お前たちに「福音」という名の「マナス」(霊的エネルギー)と「グノーシス」(戦いに生き抜いて勝利するための真の知恵)を先行してもたらしているのである。
ゆえに、この闇の世を照らすその《救世の光》の福音を(RTや伝言や記事にするなどして)広げる者は幸いである。なぜなら、その者は、まさに「永遠の光、テレーマ、アガペーと一体なる者」だからである。
さらに「悪魔活動」に抗する《聖三活動》に、今後自ら戦士となって身を投じていく者は、さらに重ねて幸いである。
われと女神が、その者を大いに祝さぬことなど、あろうはずはないからである。
しかし、何も具体的なことをしない者には、それに応じて何も具体的なことは起きないであろう。
神がいようがいまいが、少なくともお前たちの目にすでに明らかなことがあるはずだ。
それは、お前たちの世界では、結局は「自分がやったことに見合ったものしか自分に返ってこない」ということである。
これは、コード1とコード296とコード324の教えである。
ゆえに、わが「怒りの日」「最後の審判」を避け、その命を滅ぼさずに保ち、来たるべき死後においては「天の御国」「おとぎの楽園」にて、永遠の光と自然の安らぎと麗しき日々にあずかろうと願う心正しき者は、そうした「悪」から完全に自らを切り離し、それらの「悪」には近寄らず、また、目も手も触れないように、それらを徹底して注意深く自らの近くから遠ざけるようにしなければならない。(ただし、才知ある者が、正しき光の下に、それらを最終的に打ち倒すために、自らの戦略に利用する目的で目にするというような場合に限っては、また話は別である)。
その具体的な努力を現実に行わないのであれば、その者の未来には、3次元と4次元が当たり前のようにもたらす必然としての滅びしかなく、決して5次元がもたらす救済と幸福がその者に与えられることはないだろう。
特に、偽りのスピリチュアルに少しでも接している者は、注意せよ。お前と家族のために罰として用意された苦しみと不幸と滅びは、もう目前に迫っているからである。
それが訪れた時、お前がこれまで目にし、読んできた、うわっつらだけの美辞麗句に装われた内実なき詐言で出来た、4次元の《偽りのことば》は、お前とお前の家族を救うための何の力にもなりはしないだろう。
そう、「溺れる者は藁をもつかむ」と諺にいうが、まさにお前がわざわざ選んでつかんでいるのは、そんな藁以下の、ただの「ゴミ」にすぎないのだから。
しかし、この宇宙で唯一の《真実のことば》であるわがロゴスと、それをお前たちに告げる神呼見御子天瀬姫の声に耳を傾け、その教えを実践しようとする者には、私は必ず「救いの道」をもたらすだろう。
しかし、その道をお前たちのいる地獄にまで伸ばすためには、まず有形無形の《悪魔の帳》を突破し、さらにはお前たち自身がその道に気づけるように、お前たちを必要最低限《啓明》しなければならない。
そのためには、どうしても「時間」がいるのだ。
私のいるところには「時間」も「空間」も存在しない。
だから、私のいる場所では、奇跡はいつも瞬間的に起きるし、そもそも最初から時空など存在していないのだから、あらゆる奇跡は、永遠の初めなき初めから終わりなき終わりまで、私とともにずっとそのままに在り続けているのである。
しかし、お前たちの世界は私の世界とは異った法則下にある。つまり、お前たちはアカシックアルコーンのコード支配と時空と物質と欲望とイマゴロギーへの偏執的愛着と輪廻するカルマと〈人間=悪魔〉という原罪の下に奴隷として置かれているのだ。
だから、私がお前たちのいるところまで「プレゼント」あるいは「救命物資」を引き降ろすには、それなりの時間がかかるのだ。ゆえに、それまでの間に、お前たちがうっかり倒れてしまわないように、私は女神天瀬を通して、お前たちに「福音」という名の「マナス」(霊的エネルギー)と「グノーシス」(戦いに生き抜いて勝利するための真の知恵)を先行してもたらしているのである。
ゆえに、この闇の世を照らすその《救世の光》の福音を(RTや伝言や記事にするなどして)広げる者は幸いである。なぜなら、その者は、まさに「永遠の光、テレーマ、アガペーと一体なる者」だからである。
さらに「悪魔活動」に抗する《聖三活動》に、今後自ら戦士となって身を投じていく者は、さらに重ねて幸いである。
われと女神が、その者を大いに祝さぬことなど、あろうはずはないからである。
しかし、何も具体的なことをしない者には、それに応じて何も具体的なことは起きないであろう。
神がいようがいまいが、少なくともお前たちの目にすでに明らかなことがあるはずだ。
それは、お前たちの世界では、結局は「自分がやったことに見合ったものしか自分に返ってこない」ということである。
これは、コード1とコード296とコード324の教えである。