ブログの更新が滞っておりまして、申し訳ございませぬ。
そして、今日の記事は塾とは関係のない、とりとめもないつぶやきでございます。
熊本の地震がおきて間もなくのとき、友人と食事中、たまたまテレビで自衛隊の方の炊き出しの様子が流れまして。
自衛官の方が朝食におにぎりを配るため、ひたすらにぎっている映像でした。
その前に、「炊き出しのおにぎりをもらうために2時間並びました。」とか、
「温かい豚汁を5時間並んでもらいました。」とかのニュースを見ていた私は、
「避難所にいる主婦の人とかで、元気な人は手伝ったらいいんじゃないかな。」と口にしました。
すると友人は、
「自衛官の方は、こういう時の炊き出しの訓練もしているから、プロに任せた方がいいんだよ。」と言いました。
「もちろん、自衛官の人みたいに手際よくはできないかもしれないけれど、2時間待つとか報道あったから、それなら手伝った方がいいかと思って。」
「衛生面とかいろいろ問題があるんじゃない?じゃまなだけだって。」
「主婦の人の精鋭部隊作るとか?」
「それこそ誰がやって誰がやらなかったとか問題になるって。」
「えー・・・。」
単純に、『もし自分だったら』だまって並んで待つよりも、自分ができることはやりたいなって思って口にしたことでしたが、それを実行するには想像以上に壁があることを知りました。
他にも『善意』の支援物資がかえって現地を混乱させているなどの報道もあるし、
『よかれ』と思って行動する前に、いろいろ考えなくてはいけないと思うと、行動する勇気さえ奪われる気がします。
それでも、1・2日経つと、今度はやはり主婦らしき方がおにぎりを握る姿が流れるようになりました。
やはり、直後には精神的な疲れやもろもろで大変だった人たちが、少しだけ落ち着いて自分でできることはしようとし始めた流れなのかな、と思います。
一方で、ネットのニュースでは、市職員と思われる方の「もう限界です。走り回って働きづめなのに、文句ばかり言われます。元気な人は手伝ってください。」というつぶやきが紹介されたり、避難所として開放していた大学でボランティアをしている学生さんたちが、「自分たちも被災者なのに、みんなから怒鳴られたりしてこれ以上続けられない」として、避難所そのものが閉鎖になったりという記事がありました。
自分は当事者ではないので、どっちが良い、悪い、ということは言えないのですが、
こういう現状を踏まえて、子ども達にどういう資質を養い、どういう大人になってもらいたいか考えました。
災害直後、1・2日はともかく、避難所生活が長期化する場合は、やはり能動的に行動する必要があると思います。
でも、てんでバラバラ、みんながちがうベクトルで行動すると、それは善意であっても、迷惑に感じる人も出てきてしまうのかもしれません。
であるならば、そこを取り仕切る「リーダー」さんが必要ですね。
「リーダー」さんは、自分が全部やるのではなく、適材適所、できる人にできることをお任せする司令塔です。
ここで重要ポイントは「できる人」に「できること」をお願いすることかなあ。
へんな平等主義で、順番とか、やなない人がいるのはズルいとかじゃなくって、
得意な人がやればいい。
男とか女とかも関係なく、男性でも定食屋の親父さんは私より握り飯つくるのうまいかもしれないし。
体力がない人、精神的に参っている人はやらなくたっていい。
そういう人は並んで豚汁待つこともできないんだから、協力して配ってあげるくらいの気持ちで。
だけど、そういうことをするのは、簡単なことじゃないのですよね。
みんなそれぞれの主義主張があって、「リーダー」さんの言うことをきかなかったりするし(そもそもリーダーさんを決められない可能性大かな)、
日ごろ全然交流のないご近所さんん同士で「適所適材」とか言ってもわからないよね。
昔はこうだった~的な話をしても、現状が違うのだから、それは役に立たない。
地域の交流も薄くなって、「リーダー」と呼べる人材も乏しい・・・。
やっぱり、あれかな。
今後の課題は「リーダー」となれる人材の育成かな。
「リーダー」は他人のために働ける人のこと。
そして、「歯車になれる人」も重要。
今の教育は、『個性を尊重』とか言っているけれど、『協調性』も大事だと思うの。
「みんなが同じことをする」のか協調性じゃなくて、
みんなのなかで自分の個性を役立たせる協調性。
「オレがオレが!」
って全員言ってたら、個人のスタンドプレーで終わっちゃう。
みんなのなかで、自分はどんな歯車になれるか。
ああ、あれだ。
「みんな違って、みんないい。」けど、
野の花一輪じゃ、美しくもないし、様にならない。
でも、いろんな花を寄せ植えしたら、めっちゃきれい!みたいな。
おお、書いているうちに思い浮かんだフレーズだけど、我ながらいい例えじゃない?
「個性をもち、自分の得意なことを、他人のために役立たせられる人、そして、他人の個性も尊重できる人」
ひまわりの子たちには、そういう大人になって欲しいな。
※本当にとりとめのない文章を最後まで読んでいただいてありがとうございます。
そして、当事者でもないくせに想像でいろいろ書いてしまいましたので、
実際に避難生活をされている方、いた方にはご不快な表現があったかもしれませんがご容赦ください。
最後になりましたが、被害を受けられました方にお見舞いを申し上げるとともに、
岐阜にいてもできる支援をいろいろと考えていきたいと思います。
そして、今日の記事は塾とは関係のない、とりとめもないつぶやきでございます。
熊本の地震がおきて間もなくのとき、友人と食事中、たまたまテレビで自衛隊の方の炊き出しの様子が流れまして。
自衛官の方が朝食におにぎりを配るため、ひたすらにぎっている映像でした。
その前に、「炊き出しのおにぎりをもらうために2時間並びました。」とか、
「温かい豚汁を5時間並んでもらいました。」とかのニュースを見ていた私は、
「避難所にいる主婦の人とかで、元気な人は手伝ったらいいんじゃないかな。」と口にしました。
すると友人は、
「自衛官の方は、こういう時の炊き出しの訓練もしているから、プロに任せた方がいいんだよ。」と言いました。
「もちろん、自衛官の人みたいに手際よくはできないかもしれないけれど、2時間待つとか報道あったから、それなら手伝った方がいいかと思って。」
「衛生面とかいろいろ問題があるんじゃない?じゃまなだけだって。」
「主婦の人の精鋭部隊作るとか?」
「それこそ誰がやって誰がやらなかったとか問題になるって。」
「えー・・・。」
単純に、『もし自分だったら』だまって並んで待つよりも、自分ができることはやりたいなって思って口にしたことでしたが、それを実行するには想像以上に壁があることを知りました。
他にも『善意』の支援物資がかえって現地を混乱させているなどの報道もあるし、
『よかれ』と思って行動する前に、いろいろ考えなくてはいけないと思うと、行動する勇気さえ奪われる気がします。
それでも、1・2日経つと、今度はやはり主婦らしき方がおにぎりを握る姿が流れるようになりました。
やはり、直後には精神的な疲れやもろもろで大変だった人たちが、少しだけ落ち着いて自分でできることはしようとし始めた流れなのかな、と思います。
一方で、ネットのニュースでは、市職員と思われる方の「もう限界です。走り回って働きづめなのに、文句ばかり言われます。元気な人は手伝ってください。」というつぶやきが紹介されたり、避難所として開放していた大学でボランティアをしている学生さんたちが、「自分たちも被災者なのに、みんなから怒鳴られたりしてこれ以上続けられない」として、避難所そのものが閉鎖になったりという記事がありました。
自分は当事者ではないので、どっちが良い、悪い、ということは言えないのですが、
こういう現状を踏まえて、子ども達にどういう資質を養い、どういう大人になってもらいたいか考えました。
災害直後、1・2日はともかく、避難所生活が長期化する場合は、やはり能動的に行動する必要があると思います。
でも、てんでバラバラ、みんながちがうベクトルで行動すると、それは善意であっても、迷惑に感じる人も出てきてしまうのかもしれません。
であるならば、そこを取り仕切る「リーダー」さんが必要ですね。
「リーダー」さんは、自分が全部やるのではなく、適材適所、できる人にできることをお任せする司令塔です。
ここで重要ポイントは「できる人」に「できること」をお願いすることかなあ。
へんな平等主義で、順番とか、やなない人がいるのはズルいとかじゃなくって、
得意な人がやればいい。
男とか女とかも関係なく、男性でも定食屋の親父さんは私より握り飯つくるのうまいかもしれないし。
体力がない人、精神的に参っている人はやらなくたっていい。
そういう人は並んで豚汁待つこともできないんだから、協力して配ってあげるくらいの気持ちで。
だけど、そういうことをするのは、簡単なことじゃないのですよね。
みんなそれぞれの主義主張があって、「リーダー」さんの言うことをきかなかったりするし(そもそもリーダーさんを決められない可能性大かな)、
日ごろ全然交流のないご近所さんん同士で「適所適材」とか言ってもわからないよね。
昔はこうだった~的な話をしても、現状が違うのだから、それは役に立たない。
地域の交流も薄くなって、「リーダー」と呼べる人材も乏しい・・・。
やっぱり、あれかな。
今後の課題は「リーダー」となれる人材の育成かな。
「リーダー」は他人のために働ける人のこと。
そして、「歯車になれる人」も重要。
今の教育は、『個性を尊重』とか言っているけれど、『協調性』も大事だと思うの。
「みんなが同じことをする」のか協調性じゃなくて、
みんなのなかで自分の個性を役立たせる協調性。
「オレがオレが!」
って全員言ってたら、個人のスタンドプレーで終わっちゃう。
みんなのなかで、自分はどんな歯車になれるか。
ああ、あれだ。
「みんな違って、みんないい。」けど、
野の花一輪じゃ、美しくもないし、様にならない。
でも、いろんな花を寄せ植えしたら、めっちゃきれい!みたいな。
おお、書いているうちに思い浮かんだフレーズだけど、我ながらいい例えじゃない?
「個性をもち、自分の得意なことを、他人のために役立たせられる人、そして、他人の個性も尊重できる人」
ひまわりの子たちには、そういう大人になって欲しいな。
※本当にとりとめのない文章を最後まで読んでいただいてありがとうございます。
そして、当事者でもないくせに想像でいろいろ書いてしまいましたので、
実際に避難生活をされている方、いた方にはご不快な表現があったかもしれませんがご容赦ください。
最後になりましたが、被害を受けられました方にお見舞いを申し上げるとともに、
岐阜にいてもできる支援をいろいろと考えていきたいと思います。