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ひまわり進学ルーム

ひまわり進学ルーム ひまわり先生のブログ

防災について考えたこと

2016-04-20 13:59:57 | とりとめのない話
ブログの更新が滞っておりまして、申し訳ございませぬ。
そして、今日の記事は塾とは関係のない、とりとめもないつぶやきでございます。

熊本の地震がおきて間もなくのとき、友人と食事中、たまたまテレビで自衛隊の方の炊き出しの様子が流れまして。
自衛官の方が朝食におにぎりを配るため、ひたすらにぎっている映像でした。
その前に、「炊き出しのおにぎりをもらうために2時間並びました。」とか、
「温かい豚汁を5時間並んでもらいました。」とかのニュースを見ていた私は、

「避難所にいる主婦の人とかで、元気な人は手伝ったらいいんじゃないかな。」と口にしました。
すると友人は、
「自衛官の方は、こういう時の炊き出しの訓練もしているから、プロに任せた方がいいんだよ。」と言いました。
「もちろん、自衛官の人みたいに手際よくはできないかもしれないけれど、2時間待つとか報道あったから、それなら手伝った方がいいかと思って。」
「衛生面とかいろいろ問題があるんじゃない?じゃまなだけだって。」
「主婦の人の精鋭部隊作るとか?」
「それこそ誰がやって誰がやらなかったとか問題になるって。」
「えー・・・。」

単純に、『もし自分だったら』だまって並んで待つよりも、自分ができることはやりたいなって思って口にしたことでしたが、それを実行するには想像以上に壁があることを知りました。
他にも『善意』の支援物資がかえって現地を混乱させているなどの報道もあるし、
『よかれ』と思って行動する前に、いろいろ考えなくてはいけないと思うと、行動する勇気さえ奪われる気がします。

それでも、1・2日経つと、今度はやはり主婦らしき方がおにぎりを握る姿が流れるようになりました。
やはり、直後には精神的な疲れやもろもろで大変だった人たちが、少しだけ落ち着いて自分でできることはしようとし始めた流れなのかな、と思います。
一方で、ネットのニュースでは、市職員と思われる方の「もう限界です。走り回って働きづめなのに、文句ばかり言われます。元気な人は手伝ってください。」というつぶやきが紹介されたり、避難所として開放していた大学でボランティアをしている学生さんたちが、「自分たちも被災者なのに、みんなから怒鳴られたりしてこれ以上続けられない」として、避難所そのものが閉鎖になったりという記事がありました。

自分は当事者ではないので、どっちが良い、悪い、ということは言えないのですが、
こういう現状を踏まえて、子ども達にどういう資質を養い、どういう大人になってもらいたいか考えました。

災害直後、1・2日はともかく、避難所生活が長期化する場合は、やはり能動的に行動する必要があると思います。
でも、てんでバラバラ、みんながちがうベクトルで行動すると、それは善意であっても、迷惑に感じる人も出てきてしまうのかもしれません。
であるならば、そこを取り仕切る「リーダー」さんが必要ですね。
「リーダー」さんは、自分が全部やるのではなく、適材適所、できる人にできることをお任せする司令塔です。
ここで重要ポイントは「できる人」に「できること」をお願いすることかなあ。
へんな平等主義で、順番とか、やなない人がいるのはズルいとかじゃなくって、
得意な人がやればいい。
男とか女とかも関係なく、男性でも定食屋の親父さんは私より握り飯つくるのうまいかもしれないし。
体力がない人、精神的に参っている人はやらなくたっていい。
そういう人は並んで豚汁待つこともできないんだから、協力して配ってあげるくらいの気持ちで。

だけど、そういうことをするのは、簡単なことじゃないのですよね。
みんなそれぞれの主義主張があって、「リーダー」さんの言うことをきかなかったりするし(そもそもリーダーさんを決められない可能性大かな)、
日ごろ全然交流のないご近所さんん同士で「適所適材」とか言ってもわからないよね。
昔はこうだった~的な話をしても、現状が違うのだから、それは役に立たない。
地域の交流も薄くなって、「リーダー」と呼べる人材も乏しい・・・。

やっぱり、あれかな。
今後の課題は「リーダー」となれる人材の育成かな。
「リーダー」は他人のために働ける人のこと。

そして、「歯車になれる人」も重要。
今の教育は、『個性を尊重』とか言っているけれど、『協調性』も大事だと思うの。
「みんなが同じことをする」のか協調性じゃなくて、
みんなのなかで自分の個性を役立たせる協調性。
「オレがオレが!」
って全員言ってたら、個人のスタンドプレーで終わっちゃう。
みんなのなかで、自分はどんな歯車になれるか。

ああ、あれだ。
「みんな違って、みんないい。」けど、
野の花一輪じゃ、美しくもないし、様にならない。
でも、いろんな花を寄せ植えしたら、めっちゃきれい!みたいな。
おお、書いているうちに思い浮かんだフレーズだけど、我ながらいい例えじゃない?

「個性をもち、自分の得意なことを、他人のために役立たせられる人、そして、他人の個性も尊重できる人」
ひまわりの子たちには、そういう大人になって欲しいな。

※本当にとりとめのない文章を最後まで読んでいただいてありがとうございます。
 そして、当事者でもないくせに想像でいろいろ書いてしまいましたので、
 実際に避難生活をされている方、いた方にはご不快な表現があったかもしれませんがご容赦ください。
 最後になりましたが、被害を受けられました方にお見舞いを申し上げるとともに、
 岐阜にいてもできる支援をいろいろと考えていきたいと思います。
 



センター試験

2016-01-21 21:47:55 | とりとめのない話
センター試験には魔物がすんでいるなあ。
心配していた子が大ホームラン。
絶対安心と思っていた子が、まさかの。

でも,まだ二次試験がありますから。

高3の先輩たちのテンションがちょっとオカシイですが、
後輩のみなさん、温かく見守ってあげてください。
アレは何年後かの自分の姿です。

みんな笑顔で送り出せますように。


理想を語って何が悪い?

2016-01-08 13:36:15 | とりとめのない話
今日はSNSで流れてきた意見に対する感想です。

ほぼ同時に似たようなケースが2件発生していまして。
「スマホで子守やめて・・・小児科医会 啓発へ」
→実際子育てしてから言えよ、電車の中やファミレスで静かにしてほしいとき、スマホがどんだけ有難いか。
 おエライさんたちに上から目線で言われてもね~。

「電車の中で、スマホをずっと触っている小さい子連れのママさんがいた。自分は子どもはいないけれど、友人の子どもを預かったりするときは、極力スマホは触らないように心掛けているけどな~・・・。」
→『子どものいないおばさん』の子育て論は痛いよな!そんな理想を語られても、四六時中子どもといっしょにいるこっちは、そんなこと無理なんだよ!


たまたま二件とも「スマホ」が出てきますが、それは偶然で、議論の本質とは関係ありません。
というか、上の小児科さんの啓蒙の件で言うと、子どもを静かにさせるのに、スマホがないと無理!ってのは、『子どものいないおばさん』的には「?」ですけどね。いっしょにおもちゃで遊ぶとかか、絵本とかじゃダメなのかな。ツールがスマホであっても、「与えっぱなしでほっとく」じゃなくて、いっしょに遊んであげるとかなら問題ないんじゃないのかな、とか思っちゃうんですけど、それは今回議論したいところじゃないので、置いといて。

今回ワタシが感じた違和感は、タイトルにもしましたが、
「理想を語っちゃダメなの?」ということです。

二件とも、「理想として正しいのはわかるけど、実際はそんな風にはいかない。」という反論です。
実際そうなのでしょう。
でも、じゃあ、理想は語るべきじゃない?
うまくいかない現実は、そんなに声高に主張するべきもの?

それはおかしいんじゃないかな、と思います。
実際は違うってわかっていても、理想がなかったら人は努力できない。
「それでいい」って思ったとたんに、そこがスタンダードになってしまう。
法律だって、「制限時速50km」ってあったら、暗黙の了解的に「時速55~60kmくらいまでならOKだよね。
って思うけれど、だからって、法律に「制限速度は時速50kmのところは60kmまでOKです。」とは書けない。
「スマホで子守はやめて」と言っても、お母さんが料理中や、手が離せない時、一時的にテレビやスマホでおとなしくしておいて!って場面はあるだろうし、そんなことを問題にしているのじゃないのは、わかるでしょうに、なんて「偉そうに!」ってなるのかな。

ちょっと種類はちがうかもしれないけれど、
ワタシはテストのたびに「100点とるつもりでやれ!」と言います。
これも理想です。
実際100点とるのは難しい。人間だからミスもするしね。
でも、子どもたちは「100点じゃなくてもいいよ。」って言われて頑張れるの?

ワタシだって、清く正しく品行方正にばっかり生きているわけじゃないので、
欲も煩悩も怠け心だってあります。
でも、そうじゃない自分を「できなくて何が悪い!」と大声でいう気にはなりません。
こっそりと恥、悔やみ、できるようになることを願います。
理想を掲げ、努力することは大切なことだと信じています。

「理想と現実のちがいを知ることが大人になることだ。」と昔何かで読んだことがある気がします。
もしそれが本当なら、私はこの年になってもまだ大人になりきれていないのかもしれません。

でも、「大人」が「理想」を語らなくて、どうして子どもたちに夢をみさせることができるのでしょう。
多くの人が理想をもち、そうなることを願う現実であって欲しいと思いました。


・・・・・・理想を言えば、2匹が同じネコベッドでネコ団子つくって欲しいのですが・・・。
現実は、モコに場所とられて落胆するにゃあ子の図ですわ・・・。




義理と人情

2015-12-29 15:17:13 | とりとめのない話
先日、生徒ちゃんからきれいなシクラメンの鉢植えをいただきました。
なんでも親戚の方が育てられたお花だそうで、

ほら!立派でしょう?


ちょうどクリスマス前で、
ピンクの華やかなお花は気持ちもウキウキさせてくれます。

こうやって、折に触れて「ありがとう」の気持ちをいただけるのは、
本当に本当にありがたくって、心に染みます。

雑貨屋さんでみつけた「ネコの付箋」がかわいかったから、先生に使って欲しくって。
頂き物のリンゴだけど、ちょこっとおすそ分け。
職場で使ってる三色ペンの赤だけ余ってるのって使います?
捨てちゃう紙が大量にあるんだけど、メモ用紙にでも使ってもらえるなら持ってくよ。
オヤツにマドレーヌ焼いたから生徒さん達に差し入れ~♪

もう、ね、みなさん江戸っ子ですか?って感じです(笑)
実用的な意味で「モノ」が嬉しいってのもモチロンなのですが、(←正直に言って)
こうやって、塾の運営を手伝ってくれているお気持ちがとっても嬉しくって。
親御さんと二人三脚で、子ども達を育てている、そんな実感が持てます。

物を貢いでくれ、という意味ではなくって、
送迎の際にちょっと声をかけてくださったり、
欠席の電話のついでに一言添えてくださったり、
そういうことでも、
単に「お金払って外注」してるだけじゃなくて、
いっしょに教育をしている感じがします。

世間では「モンスターペアレント」なんて言葉が流行ったりして、
「塾の先生も大変だよね。」
なんて言われることもあるのですが、
ウチの塾に限って言えば、ぜんぜんそんなことなくって、
むしろ暖かく見守っていただき、助けていただくことばっかりです。

子どもたちとも、こうやって
自分の親だけでなく、たくさんの人に支えられて
「勉強させてもらっているんだ」という意識を共有していきたいな。

みなさま、本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。









覚えられない

2015-11-11 14:57:30 | とりとめのない話
ネットで見かけた記事で、
『若年性アルツハイマーを発症したけれど、家族や、会社に協力してもらいながら、仕事を続ける男性』
の話を読みました。

営業から事務に異動になったけれど、
コピー機の使い方ひとつ覚えられない。
それでも、ノートにひとつひとつの作業をメモし、
何回も何回も読み直して、一通りのことはなんとかできるように。

私と同年代の男性。
働き盛りで、まだまだこれからやりたいこと、夢、希望、いろいろあったろうにツライなあ・・・と思うと同時に、
塾の先生としての私が考えたことは・・・・・・


脳の病気を患った人でさえ、こんだけ努力してるんだから、
簡単に「どうしても覚えられない。」とか言ってんじゃねーーーーーー!!!!
でした(^_^;)


そう、生徒からよく言われるんです。
「小テストの勉強?やったよ。やったけど覚えられんのやよね。」

それで、
「本当にやったの?どうやってやったの?」と聞くと、
「昨日、これ(プリント)見た。」
がっくし。

そりゃあ覚えられないわ。
私だって、見ただけでは暗記なんてできないもの。

何回も書く、声にだして読む、
自分で覚えたかどうか確認してみる、
忘れたころにもう一回やってみる・・・・・・

そういうことが「覚える作業」だと思うのだけれど、
なんで簡単に「できない」とか言うかな。

そういうときによく、
「脳に障害があるなら仕方ないけど、そうじゃなければ覚えられる!人間の能力にそんなに差なんてない!!!」って叱るんだけど、
脳に障害(というか病気?)を持つ人だって、努力しだいで出来るようになったりするんじゃんね。
あとよく言うのが、
「これを覚えられなかったら、目の前の崖から突き落とされる!ってくらいの気持ちでやれば覚えられるよ。」
ようは気合の問題かと。
実際、何回追試を受けても合格しない子に、
「できるまで何時になっても帰らせない!!」とか言って脅すと一発で合格したりする。
やっぱできるんじゃん。

中学生はテストまであとわずかですが、
どうか気合を入れて頑張ってください。